夢であるように






「…で、どうすんだよ。」

カコン…と鳴り響く、鹿威しの音。

暫くの沈黙のあと恋次がそう切り出せば、一護は答えが見つからないもどかしさにガリっと頭をかいた。

「どうって…わかんねぇんだよ。俺…今まで、離れてく誰かを追いかけたことなんてねぇし…。まして、色恋沙汰なんて…。」

決して、人間関係にドライであるつもりはないけれど。
一護はこれまで、基本的に来る者は拒まず、代わりに去る者を追うこともしなかった。

去る者には去る理由が存在するのであり、それを他人である自分がどうこう言うべきではない…そう思っていたから。

だから、自分から離れていく織姫を引き止めたい…そう願いながらも、その術も理由も、一護には見つけられずにいた。

「じゃあ、井上を諦めて、他の女に乗り換えるか?」
「…井上よりいい女なんて他にいるかよ…。」
「だよなぁ。」

視線を逸らしながらも、はっきりとそう言う一護に、恋次が大きく頷く。

外見、性格が良いのは言うまでもなく。
一護の面倒な性格も生い立ちも死神代行の生業も受け入れ、命を懸けて一護に寄り添い、一途に一護を愛し続けた織姫。
彼女のような存在は、どこの世界を探してもいないに違いない。

そして、そのことをどうやら一護自身もきちんと理解しているらしいことが、織姫の片想いを長い間見守ってきた恋次には嬉しかった。

「やっぱり一護には、井上だよなぁ。」
「………。」

噛み締めるように、恋次がしみじみと呟く。
そして、自惚れを承知で言うなら、一護もそう思っていた。


『自分には織姫しかいなくて、織姫には自分しかいない。』


何となく、だけど。
ずっと肌でそう感じていた。





…多分、織姫のことはずっと前から好きだったと思う。
けれど、高校生だった頃は、死神の力を得て、ただ目に映るもの全てを護りたくて。

数々の戦いに身を投じる「非日常」が「日常」だったから、自分の未来図など描く余裕がなかった。
母真咲を死なせてしまった負い目から、幸せな夢を見る資格などない…そう自分に言い聞かせていた気もする。

けれど、ユーハバッハを倒し、全ての世界を守り通して、心に降り続く雨が漸く止んで。

そして、大学に進学し「就職活動」という単語が身近になった頃から、一護は漸く将来について考えるようになった。

大学を卒業して、就職して。
いつかは結婚して、家庭をもって、子供に恵まれて…。

そんな平凡で幸せな「夢」を脳裏に思い浮かべた時、夢の中の自分の隣には、当たり前のように織姫がいた。

自分に似たオレンジ色の髪の赤ん坊を抱いて、幸せそうに笑う織姫。

ああ、悪くねぇな。

これが俺の望む「夢」なんだ…そう、はっきりと自覚して。

その自覚と同時に、きっと織姫も同じ未来を望んでくれているに違いない…などと、漠然とした自信が一護の中にあった。

だからこそ、彼女にフられたことがこんなにもショックで。
フられてからの数日間は、自分でも驚くぐらいに落ち込んで。

…けれど、もう他の「夢」なんて描けない自分がいるわけで…。










「…にしても、わっかんねぇなぁ。」
「何が?」
「井上が、一護を振る理由だよ。井上なら、お前がどんなに格好悪い姿を見せても、お前のこと嫌いになったりしねぇよなぁって…。」
不思議そうにそう言って天井を仰ぐ恋次に、一護が頷く。

織姫は優しい。
一度や二度の過失で相手を嫌いになったりしない。
きちんと、相手の本質を、「心」を見抜く力を持っていて…少なくとも、自分は織姫に見放されるような歪んだ行為はしていないと断言できる。

ついでに言うなら、織姫の前では極力格好悪いところも見せていない筈だし…と、一護は心の中で付け足した。

「まあ、いつまで経っても煮え切らないお前のヘタレ加減に愛想尽かしたってのが最有力候補だけど。」
「ぐ…!」
「けど、俺とルキアの結婚式の時はまだ、いい感じだったよな?それに、お前のヘタレに愛想尽かすなら、もっと早い段階で見限っても…。」
「ヘタレヘタレしつこいな!」
「やっぱり、どう考えても井上が一護を振るとか有り得ねー。お前、悪い夢でも見たんじゃねぇか?」
「………。」

恋次の「ヘタレ」連呼に些か腹を立てた一護ではあったが。

確かに、恋次の言う通りこれが「悪い夢」だったなら、どんなにかいいだろう。
もしこれが夢なら、目覚めたあと、真っ直ぐに織姫のところに駆け付けて、今度こそきちんと告白して見せるのに…。

「たられば」など無意味だと知りながらも、そんなことを考えずにはいられない一護の前、顎に手を当てて尚も考え込む恋次。

「もしくは、他の女といちゃつくところを見られた…とかな。お前、無愛想なようで何気に色んな女に優しくしてっからな。無自覚だろうけど。」
「は?アホか、そんな心当たり、1つも…!」

1つもねぇよ、と言い切ろうとした一護が、ピタリと身体の動きを止める。

遡る記憶。

織姫を呼び出したあの日、織姫との約束の時間、喫茶店で一護の向かいにいたのは大学の知り合い。
織姫は、約束には律儀だ。
実は、ちゃんと約束の時間に喫茶店に来ていて、自分と彼女の2ショットを見たのだとしたら…。
「…まさか…。」

…誤解、された?

「一護、どうした?」

驚愕の表情で固まっている一護の顔を、恋次が怪訝そうに伺えば。

「井上、違うんだ!」
「うわっ!な、何がだ!?」

突然、スイッチが入ったかのように叫んだ一護は、物凄い速さでスマホを取り出し画面を弾いた。

…しかし。

「くそっ…!井上のヤツ、徹底してやがる!」

電話をかけても、メールを送っても弾き返される。
どうやら、電話もメールも着信拒否設定されているらしい。

「お、おい、どうした?」
「悪い、恋次!俺もう帰るわ!」
「は!?」

一護はバッと立ち上がると、恋次を無視して部屋を飛び出した。

「おい、一護待てよ!」
「あ!?…ぶはっ!」

玄関先で呼び止められた一護が振り返れば、次々と投げつけられる風呂敷包み。
持ち前の反射神経で咄嗟に4つは受け取った一護だったが、最後の1つが顔面に直撃した。

「痛ってぇな!」
「忘れ物だ、一護。…あとな。」

風呂敷包みを左手にまとめ、右手で鼻をさする一護に、恋次はニッ…と笑ってみせて。

「ちょっと冷静になれ。ま、井上が絡むとお前が熱くなるのは昔っからだけどよ。」
「あ…。」
「事情はよくわかんねぇが…井上を『落とし』にいくんだろ?」
「…おう。」
「あんないいこ、絶対逃がすんじゃねぇぞ。ルキアには今日のこと黙っておいてやるから、次は井上を連れてこっちに来いよ。勿論、嫁としてな。」
「流石に嫁はちょっと早ぇよ。」
「いいから、ガツンと告白してこい!」
「何十年とぐずぐずしてたお前に、言われる筋合いねぇよ!」

いつかと同じやり取りの後、一護もまたニッ…と笑い返して。
心の内で恋次に感謝をしつつ、一護は穿界門を目指して走り出した。




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