夢であるように
「織姫ちゃん、お疲れ様!もう上がっていいよ。」
「いえ、大丈夫です。店長もあと少し頑張るんですよね?私も頑張ります!」
1日の営業を終え、とっくに閉店した「ABCookies」の店内。
今日の片付けと明日の準備を一通り終えた後、織姫は趣味の手芸を生かして、店内のディスプレイを作っていた。
「でも…。」
「ほら、店長!この雪だるま、可愛くできましたよ!」
「うん、さすが織姫ちゃんだね。店が明るくなりそうで嬉しいよ。でもねぇ…。」
一向に帰ろうとしない織姫に、店長は溜め息を1つついて。
閉められた店のブラインドの隙間から外を覗き、織姫を振り返った。
「ずっと待ってるみたいだよ?彼…。」
もう30分以上暗い店先に立っているのは、織姫がここでバイトを始めた頃から、この店によく足を運んでいるオレンジの髪の青年。
そして、その青年が織姫と親しいこともまた、店長はよく知っていた。
「た、多分偶然通りかかっただけですから。」
「織姫ちゃん…最近、避けてるよね?彼のこと。」
「え…?」
手芸道具を片付ける織姫の手が、ぴたりと止まる。
店長は、織姫が作業していたテーブルの椅子を引き、織姫の向かいに腰を下ろした。
「彼がせっかく店に来たときも、織姫ちゃん何だかんだ理由つけて奥に隠れちゃうし…。彼、君に会えなくて、毎回残念そうな顔でパン買って帰っていくんだよ。」
「そう…ですか…。」
「…何かあったのかな?」
店長にそう尋ねられ、ピクンと身体を震わせた織姫は、うろうろと視線を彷徨わせる。
「あの…。」
「プライベートにまで踏み込んでごめん。でも社員を支えるのが、社長兼店長の役目だからね。君さえ良ければ、話してくれないかな?」
「………。」
しばらく黙ったまま俯いていた織姫が、膝の上でキュッと手を握りしめ、ポツリと呟いた。
「…失恋、したんです…。」
「え?」
「彼、最近彼女ができたみたいで…私、失恋したんです。」
「え…ええっ!?」
店長はあまりの驚きに大声を上げ、思わず立ち上がっていた。
彼が、店のパンやケーキではなく、織姫に会うのが目的でいつも来店しているのは一目瞭然だったし、織姫もまた彼が店に現れる度に、ぽっと頬を赤く染めていて。
付き合ってはいないらしいが、それにほぼ近い関係であろう…と、店長は微笑ましい気持ちで2人を見ていた。
だから、ここ最近織姫が彼を避けるのも、些細なことでケンカでもしたのだろう…ぐらいに考えていたのだ。
「…そ、そうなんだ…。」
「はい…。」
織姫がコクリと力無く頷くのを見て、店長は信じられないと思いながら再び腰を下ろした。
「私…黒崎くんと彼女のこと、祝福してあげなくちゃいけないって頭では解っているんですけど…気持ちが追いつかなくて…。」
店先で一護が待っていることは、織姫も霊圧で分かっていた。
この10日間、メールも電話もはぐらかされた一護が、どうにかして自分と接触しようとしていることも。…けれど。
「彼のこと、何年ぐらい好きだったの?」
「高校1年の時からなので…6年、かな?」
「6年!そりゃ、すぐに祝福…ってのは無理だよねぇ。」
店長の言葉に、織姫が頷く。
一護はきっと、自分に全てを告げて、すっきりとした気持ちで彼女との交際を進めたいに違いない。
それは同時に、いつまでも織姫に期待を持たせないための、一護なりの優しさなのかもしれない。
でも、今はまだ一護から「彼女が出来たんだ」と告げられた時、笑って「おめでとう」なんてとても言えそうにない。
本当はまだ、心のどこかで、あの喫茶店で見た光景が夢だったなら…そう思っているのに…。
「彼のことがまだ好きで忘れられないなら、開き直ってずっと待ってみる?ほら、昔の歌にもあるじゃん『待つわ~♪いつまでも待つわ~♪』って。」
「…でもそれって、黒崎くんと彼女さんが上手くいかなくなるのを願ってるってこと…ですよね。それって…。」
織姫を励まそうと、おどけたように明るく歌い出す店長に、織姫はやはり沈んだ顔のまま首を振る。
一護を、まだ好きだからこそ。
一護と彼女の破局を、2人の不幸を笑って待つのもまた、織姫の良心が許さなかった。
「いい娘すぎるねぇ、織姫ちゃんは…。」
「いい娘なんかじゃ…ないです…。」
織姫は再び、首を横に振る。
もし本当に「いい娘」なら、冬の夜に一護を店の外で30分も待たせたりしない。
笑顔で一護を見つめ、「おめでとう」と彼の幸せを手放しで喜べる筈だから…。
「でも、だからってあのまま彼を待たせておくのもねぇ。仮に今日は諦めて帰ったとしても、きっと明日また来るよ?」
「………。」
俯いて沈黙する織姫の耳に聞こえるのは、トントン…と考えこむ店長が指先で机をたたく音。
やがて、その音がぴたりと止んだ。
「…織姫ちゃん、あのね…。」
『ABCookies』の店内の明かりが消える。
時間潰しにスマホをいじっていた一護が顔を上げれば、関係者用の出入り口から、織姫と店長が一緒に出てきた。
「井上…!」
慌ててスマホを胸ポケットに放り込む一護の目の前、店長は「じゃあ、お疲れ様」と織姫の肩を叩き、自転車に乗って帰っていく。
その場に残った織姫に一護が駆け寄れば、織姫は走って逃げる様子もなく一護を見上げた。
「井上…!」
「黒崎くん…ごめんね、寒かったよね?」
綺麗に澄んだ、冬の夜空。
月明かりが映し出す織姫の表情に、いつもの明るさはない。
一護は少しの不安を感じたが、それよりもやっと掴んだこのチャンスを逃したくない気持ちの方が大きかった。
「いいんだよ、そんなこと別に。で、さ…。」
あの日から10日。
やっと会えた織姫に、一体何から話そうか…と言葉を探す一護に、織姫がふいにふわり…と笑う。
「井上…?」
「黒崎くん…1つだけ、お願い。」
「え?」
「今から、私が全部話し終えるまで…何も言わないで。今、やっと決心が固まったの。」
「え…?」
織姫はそう言うと、一護から1歩分の距離をとって。
そして、一護を真っ直ぐに見つめたまま、口を開いた。
「…私、黒崎くんのことが、ずっと好きでした。」
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