夢であるように






パタン…。

自分のアパートへと帰ってきた織姫は、玄関先でドアを背にズルズルと崩れ落ちた。

「うう…。」

そして、両手で顔を覆う。
今まで我慢していた涙が、一気に溢れてきた。






ついさっき見た光景がフィードバックする。

一護と待ち合わせた喫茶店。
そこに約束の時間ギリギリに駆けつけた織姫が、喫茶店の窓越しに見たもの。

窓際の席に座ってコーヒーを飲む一護と、その向かいに座る綺麗な女性。

「…あ…。」

言葉を、感覚を、失う。

何も見えない、聞こえない、感じない、闇の世界に叩き落とされたように。
呼吸すら、止まった気がした。

嬉しそうに笑いながら一護に話しかける彼女は、華やかで、キラキラと輝いていて。

織姫はしばらくその場に立ち竦んだあと、震え出した足を叱咤し、逃げ出すようにその場を後にした。

走って、走って。

しばらく走ったところで、一護を待たせていることに気がついて。

慌てて、上手く動かない指でメールを打つ。



「ごめんなさい。そちらへは行けなくなりました。」



涙で視界が滲む中、精一杯のメールを打ち、送信。
そうしてまた、途中で幾度か躓いて転びそうになりながらもひたすらに走って、この部屋へと逃げ帰ってきたのだった。





「…だって、行ける訳、ないよ…。」

ぽつり…顔を覆った指の隙間から、織姫の悲痛な声が零れる。

今更、納得する。

どうして一護が、わざわざ時間を作ってほしいと言ったのか。
どうしてあの時の一護が、深刻な表情をしていたのか。

…自分の心が、あんなにもざわざわしていたのは何故なのか。

全部「わかって」しまった。

「痛い…よぅ…。」

胸が、痛い。
胸だけじゃない。
身体中が、悲鳴をあげている。

…失恋したのだ。

一護がしたかった「話」は…一護に彼女ができた、ということ。
だから、もう自分のことは諦めてほしい、ということ…。

「う…ひっく…。」

ぽろぽろ、ぽろぽろ。

涙と一緒に、一護への想いが溢れ出す。

一護が、好きだった。
こんなに、こんなに大好きなのに…。



ブルルル…。



肩に掛けていたバッグのポケットからふいに伝わる、振動。

涙を拭って織姫がケータイを取り出せば、そこには今いちばん見るのが辛い想い人の名前があった。

「…黒…崎くん…。」

震える手でケータイを開き、メールを開く。

『了解。仕事か?今度はいつなら大丈夫だ?』

キリキリと痛む、織姫の胸。

「いつなら大丈夫だ?」などと、メールは残酷すぎる質問を容赦なく織姫にぶつける。
「大丈夫な日」なんて、永遠に来ないかもしれないのに。

もう、何もわからない。
考えられない。
それでも、返信だけはしなくちゃいけない…。

織姫は、しゃくりあげながら、一護へのメールを打った。

頭の中が真っ白で、言葉を飾ることも、嘘をつくこともできない織姫の、たった10文字の返信メール。


『ごめんね。わからない』


…夢なら、いいのに。これが全部、夢だったなら…。











「…ちぇ。また留守録か…。」

一護は自分のベッド上でスマホ片手に舌打ちし、通話を切る。

あの喫茶店での約束を反古にされてから、もう10日。
織姫が来ない…そう分かったあの時は、気合いが空回りした何とも虚しい気持ちになったが、あの律儀な織姫が「来られない」というからには、それなりの用事だったに違いない…と思い直して。

ならば、今度こそは…と一護なりに勇気を出して織姫のケータイに電話をかけるのだが、仕事が忙しいのか、いくらかけても一向に繋がらない。

メールをしても「またね」「そのうちね」と曖昧な短い返事が返ってくるばかり。

思い切って織姫が勤める店を何度か訪ねてみたりもしたが、一護が顔を出す時に限って、織姫は奥に引っ込んでいたり、不在だったりして…。

「もしかして、避けられてる…?」

スマホの画面に並ぶ、繋がることのなかった織姫への発信履歴。
一護の脳裏を嫌な予感がよぎる。

だとすれば、織姫が自分を「待っている」などというのは、自惚れ以外の何物でもない訳で…。

「だぁぁ、くそ!恋次のヤツ、無駄に期待させやがって…!」

苛立ちをぶつけるように、一護は手近にあった自分の枕を壁に投げつけた。
ぼすり…と鈍い音を立ててズルズルと落ちていく枕を見ながら、一護は唇を噛み締める。

正直、キツい。
今まで、何があっても…そう、あの異形の姿を見た後ですら、彼女はありのままの自分を受け入れてくれたのに。
織姫に避けられることがこんなにも堪えるとは、思ってもみなかった。

「畜生…。」

一体、何があったんだろう。
気がつかぬ間に、何か織姫を酷く不快にさせることを、言ったりやったりしてしまったんだろうか?
あの優しい織姫が自分を避けたいと思う程、深い傷を知らぬ間に彼女に負わせてしまったんだろうか。

「ああ、くそっ…!」

慣れないもどかしさに、一護がバリバリと頭をかきむしる。

もしそうだったとしても、織姫と話ができないのでは、原因が分からない。
原因が分からないのでは、謝罪もできない。

いっそ強い大虚でも現れてくれれば、虚退治に織姫も駆けつけてくれるかもしれない…などと不謹慎なことも考えた一護だったが、ここ数日で空座に現れたのは一護がかすり傷も負わないような小物ばかり。
勿論、織姫が駆けつけることもなく。

「ちっ…ウダウダ考えててもしょうがねぇ、強行手段だぜ!」

一護はベッドから起き上がると、上着を羽織りながら階段を駆け下りる。

「遊子、ちょっと出てくるな!」
「え?どうしたの、お兄ちゃん!もう夜の9時だよ!?」
「大学生なんだからいいだろ、何なら先に寝ててもいいからな!」

玄関に向かうその途中、キッチンで食器の片付けをしていた遊子にそう叫んで。
一護は家を飛び出した。



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