初めての忘れ物






「いやぁ、ポスターを届けてもらってありがとうございます!店が暇になったら織姫ちゃんに家まで取りに行ってもらおうと思ってたんだけど、やっぱり朝は忙しくて。」

店長さんはにこにこと笑いながらそう言うと、真っ赤な顔の井上から受け取ったポスターを、早速店の壁に貼った。

「うん、いいね。織姫ちゃんの書くポスター、可愛いってお客さんからも評判なんだ。」
「そ、そうなんですか?」

ポスターを眺めて満足げに頷く店長さんに、井上が意外そうな顔をする。

けれど、確かに、俺の目から見ても井上のポスターはレベルが高い。

色鉛筆で丁寧に描かれたパンはとても美味そうだし、文字も丸っこくレタリングされていながら読みやすい。
全体的に色数を抑え、すっきりとしたデザインのポスターは、店の雰囲気にも調和している。

「ありがとうございます。コイツ、夕べ遅くまで頑張って書いてたんで、そう言ってもらえると…。」
「ふふ、織姫ちゃんじゃなくて、キミがお礼を言うんだね。さすがカレシ。」
「へ?あ!」

本当に、何となく。
井上のポスターを褒めてもらったことに対し、俺の口から自然と零れたお礼の言葉に、店長さんからソッコーで入る笑顔のツッコミ。

「やっぱり、身内を褒めてもらえると嬉しいよねぇ?」
「いや、その、井上はまだ身内じゃ…!」
「あはは、『まだ』ってことは、『そのうち』身内になる予定かな?」
「て、店長っ…!」
駄目だ、喋った分だけ、俺が掘る墓穴がどんどん深くなっていく。

店長さんは、あわあわする俺と井上の反応を心底楽しそうに眺めて。

けれど、ひとしきり声を上げて笑った後、ふわり…と優しい笑みを浮かべた。

「でも、良かったよ。」
「え?」
「キミ、織姫ちゃんが高校生だったころから、よくウチに来てくれていただろう?なのに、ここ最近パッタリと顔を見せなくなってさ。『どうしたんだろう』って心配してたんだ。」
「あ…。」

思わず顔を見合わせる、俺と井上。
まさか、この店の店長さんにそんな風に気にかけてもらっていたなんて、考えてもみなかった。

「織姫ちゃんとの関係がこじれたせいで、店に来なくなった…だったりしたらどうしよう、なんて心配してたんだけど、その反対だったんだね。」
「その、すみません…。」
「いやいや、謝らないでよ。織姫ちゃんは、高校生の頃からずっとウチで働いてる、大事なコだからさ。やっぱり、幸せになって欲しいって思うだろ?」
「ありがとうございます、店長。」
「良かったね、織姫ちゃん。でも、寿退社は勘弁してくれよ?織姫ちゃんはウチの看板娘で主力なんだから。」
「て、店長!」

せっかく火照りの収まった顔をまた真っ赤にして、井上が叫ぶ。
その隣で俺は、内心ほっとしていた。

ぶっちゃけ、半同棲みたいな生活をしていることが店長さんにバレちまった訳で。世の中には「半同棲なんて」って顔をしかめる人もいるだろうけど、どうやらこの店長さんは俺と井上の関係を手放しで祝福してくれているらしい。
ま、それも井上の普段の仕事ぶりと、人柄の良さのおかげなんだろうけどさ。

「じゃ、仕事中に悪かったな。そろそろ行くな?」
「うん、ありがとう黒崎くん!」
「今日は…いや、やっぱりいいや。」
「うん?」
「何でもねぇ。」

本当は、まだ井上に話したいことがあったけど。

ここは店内だし、井上は仕事中だし、うっかりヘンなこと言ったら店長さんにまた「ノロケてるね」なんて突っ込まれちまうかもしれないし。

俺が言葉の続きを飲み込んで、パソコンが入った鞄を肩に掛け直した、その時。

「姫ちゃん、この明細書だけどさ…。」
「あ、先輩!」
「あはは、だからこの店では姫ちゃんの方が先輩だろう?って…あれ?そのオレンジ色の髪のヤツは、確か…。」

店の奥から、ひょこっと顔を出した大学生風の男。
井上を「ひめちゃん」などと馴れ馴れしく呼ぶソイツに、俺はムッとし、あからさまに眉間に皺を寄せた。

「…井上、先輩って?」
「あ、黒崎くん!先輩の顔、見たことあるでしょう?少し前からアルバイトで来てくれててね、実は空座一高の卒業生なんだよ、私達より1つ上の!」
「ふぅん、俺は知らねーな。」
「そうなの?陸上部のキャプテンで、格好いいって有名だったんだよ!ね、先輩!」「いや、そんなことは…。」

俺がちろり…とソイツに鋭い視線を向ければ、その「先輩」とやらは、引きつった笑いを浮かべる。
だろうな、空座一高の1つ上なら、俺がケンカ慣れしてたことも、俺と井上がそれなりに親しかったことも知ってる筈だもんな。

ふん、悪かったな「先輩」。
バイト先で井上と仲良くなったつもりだろうが、コイツはもう俺のモンなんだよ。

「じゃあな、仕事頑張れよ、井上。」
「うん、黒崎くんも大学頑張ってね!」
「おう。今日もバイト上がったら、井上の部屋に行くから。」
「え?いいの?大変じゃない?」
「大丈夫だ。時間が合いそうなら、晩飯一緒に食おうぜ。あと、井上の部屋のボディーソープがもうすぐ終わりそうだったから、買って帰るよ。」
「あれ?そうだっけ?でも、ありがとう、黒崎くん。」
「おう、じゃあな。」

えへへ…と照れたように笑う井上は、これが「先輩」への牽制だなんて全然解っていないんだろうけど。
わざと、井上の部屋に出入りしていることを会話で強調し、俺は店を出た。
最後にチラリ…と「先輩」の顔を見れば、眉を八の字にして、何とも言えない笑顔を浮かべていた…。





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