初めての忘れ物
「…ん…。」
カーテンの隙間から差し込む明るい日差しに、目を覚ます。
目蓋を開ければ、そこは見慣れた俺の部屋の天井ではなくて。
首をゆっくりと横に向ければ、俺の寝ぼけ眼には超どアップのウタマロが映った。
《初めての忘れ物》
「うおっ!び、びっくりした…!」
俺の頭のすぐ横、至近距離に置かれたウタマロと目がばっちり合って、思わず跳ね起きる。
ベッドの上から部屋を見渡せば、小さな座卓の上には朝食用のパンとスープ用のマグカップ。
「…ああ、そっか…。」
頭をガリガリとかいた俺の脳裏には、ようやく夕べのことがはっきりと浮かんできた。
昨日、俺は大学が終わった後いつものように井上の部屋を訪れた。
平日で、井上は普通に仕事で、更に提出期限間近のレポートを抱えている癖に、それでも井上の部屋に行ってしまったのは、ぶっちゃけどうしても会いたかったから。
付き合えば付き合うほど、どんどん惚れていくモンなんだな…なんて考えながら井上の帰りを待てば、何とその井上も仕事を持ち帰ってきた。
何でも、明日から始まる店のセールのポスターを手書きで完成させなければいけないらしい。
「ねぇ黒崎くん、この文字の色、オレンジがいいかな?青がいいかな?」
「うーん…オレンジの方が目立つかもな。」
「じゃあ、そうする!」
「でさ、井上。俺のレポートのこの部分、何か読みづらくねぇ?」
「どれどれ?えーと…あ、文章がちょっと捻れちゃってるかも。ほら、ここから本当は主語が変わってて…。」「あ、そうか。」
適当に夕飯を済ませ、座卓にパソコンとポスターを乗せて。
時々相談をしながら、俺はレポートを、井上はポスターを作る作業を進めていく。
「黒崎くん、もう夜の9時だよ?」
「ああ、家に電話入れる。せっかくレポートも乗ってきたし、今日はこのまま泊まってく。」
「はい、了解です。」
「明日の講義は午後からだし、今日は夜更かししても大丈夫だからさ。」
「私も、このポスターが完成するまでは寝られないもん。黒崎くんが一緒で心強いっす!」
最近は、家の門限もすっかり緩くなり、電話一本で井上の部屋に外泊できるようになった。
…ただし、「本当に織姫ちゃんの家にいるの?織姫ちゃんに電話代わって!」から始まる、遊子と夏梨と井上の長電話が毎回オマケで付いて来るんだけどな。
「…もしもし、遊子ちゃん?…うん、黒崎くんレポートを書くって、パソコンとにらめっこしてるよ。…うん、うん、え、本当!?うん、そうだね、また売れ残りのパン届けた時にね!楽しみにしてる!…あ、夏梨ちゃん?」
…ほらな、俺とは用件のやり取りだけで終わりなのに、井上とは長電話。
遊子も夏梨も、本当に井上に懐いてるんだよなぁ…まぁいいことなんだけどさ。
「…あ、おじさま?はい、元気です!って、きゃっ!」
「おいコラ、何ちゃっかり井上との電話に加わってんだクソ親父!」
『え~、俺だって可愛い織姫ちゃんとトークしたいよ~!』
…でもって、親父がそこに割り込んでくるのも、毎回のこと。
「駄目だ!どうせロクなこと言わねえからな!」
『そんなことないぞ~?お父さんは、大事なことを織姫ちゃんに伝えようと思って…。』
「何だよ、大事なことって?」
『もし一護がムリヤリ迫ってきても、嫌な時はちゃんと断るんだぞ~ってな…』
「ムリヤリ迫らねぇよ、このクソ親父!!」
ブツン!
スマホの画面を速攻タップし、会話は強制終了。
ほら見ろ、やっぱりろくでもない親父だ…。
「ふふ、遊子ちゃんがね、私用のシュシュを手縫いで作ってくれたんだって。」
「へえ。」
「で、夏梨ちゃんはね…あ、いけない!ポスターの続き書かなくちゃ!」
「あ、そうだ!俺もレポート!」
外泊許可を得たところで、再びそれぞれの作業に戻る。
ポスターを明日には完成させて持っていかなければいけない井上は、俺より切羽詰まっている筈で。
なのに、画材を選びながらポスターを書き進める井上は、何だかとても楽しげだ。
「…井上、楽しそうだな。」
「うん、楽しいよ?」
「そういうの、得意だもんな。」
今時、パソコンを使えば簡単でキレイなポスターが作れるんだろうけど。
井上の手によって描かれたポスターは、大切なことはきちんと主張しながらも、パソコンでは出せない素朴さというか、あったかい感じがまたいい。
「やっぱり、好きなことってのは、仕事でも楽しいんだな。」
「うん、好きだから…ってのも、あるけどね?」
「ん?」「今日、黒崎くんが来てくれるなんて思ってなかったから、嬉しくて…。」
「…っ!」
「え、えへへ!あ、息抜きにコーヒーでも淹れるね!」
不意打ちでめちゃくちゃ可愛いことを言い残し、頬を染めた井上が、立ち上がってパタパタと逃げるようにキッチンへと走っていく。
…馬鹿やろう、照れくさいのはこっちも同じだっての。
ついでに、一緒に居られて嬉しいのも…。
「はい、コーヒーでーす…きゃっ!」
井上が座卓の隣のサイドテーブルにコーヒーを置いたのを確認し、井上の腕をぐっと引き、抱き寄せる。
「く、黒崎くん!?」
「井上が悪いんだぞ。あんなこと言うから。」
「…でも、ポスター…レポート…。」
「じゃあ、離すか?」
「…ううん、ちょっとだけ充電させてください…。」
「ちょっとと言わず、好きなだけ充電しろ。」
井上のポスターの締め切りまで、10時間を切ってるって、頭では分かってたんだけど。
…でも、井上とイチャイチャしたい気持ちの方がずっと上回っちまったんだから、仕方ないよな?
そもそも、可愛いこと言って俺を焚き付けたのは、井上なんだし?
「ちょっと充電したら、また頑張ろうぜ。」
「うん…。黒崎くんの『ぎゅー』は、最強ですな。疲れなんて飛んでっちゃうもん。」
「そりゃ、どうも。」
…そうして、作業と俺とのイチャイチャを繰り返した井上のポスターが完成した頃、時計は深夜の2時を回っていた。
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