初めてのワガママ







「ただいま。」

9時ジャストに玄関のドアを開けて俺が家に帰れば、リビングでは夏梨と遊子がテレビを見ているところだった。

「あ、お帰りお兄ちゃん!」
「お帰り~。」

ソファに座ったまま俺をちらりと肩越しに振り返り、またすぐにテレビに向き直る2人。
ほらな、やっぱり俺が門限通りに帰ろうが、こいつらには関係ないんじゃねぇか…なんて、俺はコートを脱ぎながら思わず舌打ちした。

「親父は?」
「お風呂だよ。」
「一兄、今日も織姫ちゃんとデート?」
「ああ、まぁな。」
「わぁ、いいなぁ!どこに行ってきたの?」
「別に…普通に映画とメシだよ。」

視線はテレビに向けたままの夏梨と遊子の質問に、俺が若干ふてくされつつ答えれば。

「…一兄、どしたの?」
「は?何が。」
「織姫ちゃんとデートしてきた割には、何だか不機嫌じゃん?」

そう言いながら、夏梨が今度は俺をしっかりと振り返る。

「…別に。」
「わわ、まさかケンカしちゃったとか!?」

遊子もまた慌てたように振り返り、ソファの背もたれに手をかけて身を乗り出した。

「してねぇよ!」
「良かった~。だよね、織姫ちゃんが怒ってるところなんて想像できないもんね。お兄ちゃんと織姫ちゃんの交際が順調で、何より何より。」

まるで大団円を迎えた昔話のような語り口でそう言って、安心したようにまたテレビ画面を注視し始める遊子。
そんな遊子の満足げな台詞に、大いに不満足な俺はハンガーにコートをかけながら思わずぼやく。

「…何が順調だよ。全く、この歳で毎回門限を気にして帰ってくる俺の身にもなってくれ…。」
「ああ~、そういうことか、一兄。」
「は?」

けれど、そのぼやきを夏梨の耳はしっかりと拾い上げていたらしい。
俺が不機嫌な理由に漸く納得がいった…とばかりに、夏梨は俺を見上げてニッと笑った。

「確かに、一兄と織姫ちゃんって休みが合わないし、夕方からしかデートできないもんね。それで門限9時を守ってたら、一緒にいる時間足りないんだ。」
「ああ~!なるほど~!」
「ぐ…。」

確かにその通りなのだが、それを妹達に言い当てられるのもまた、兄としては何となく気まずいもので。
俺は夏梨と遊子からふいっと顔を背ける。

「べ、別にいいんだよ!井上だって、気ぃ遣って『夏梨と遊子が寂しがるから』って、9時に間に合うように律儀に俺を送り出してくれてるんだから。」
「あたし達、別に寂しくないよ?ヒゲもいるし。」
「………。」

あっさりとそう告げる夏梨に、黙り込むしかない俺。

ああ、そうだよ。
本当は時間なんて気にせずに…できることなら井上と一晩中一緒にいたいんだよ。
けど、門限は9時だし、井上は爽やかに俺を送り出すし、門限守って帰ったところで、妹達が俺を待ちわびてる訳でもねぇ。
これで不機嫌になるなって方が無理な話だろ?
「…あのさ、一兄。」
「あ?」
「ウチはお母さんがいないし、親父はあんなだし…一兄は今まで、色んなこといっぱい我慢してきたと思うんだ。だからさ、そろそろワガママ言ってもいいんじゃない?」
「…ワガママ?」

その夏梨の言葉に俺が視線を戻せば、夏梨は俺が思っていたよりもずっと真剣な表情でこちらを見ていた。

「だって、本当はもっと織姫ちゃんと一緒にいたいんでしょ?」
「へ!?いや、俺は別に…!」
「織姫ちゃんが、私達が『寂しがるから』って一兄を送り出すのは、一兄がいない寂しさを織姫ちゃん自身が知ってるからだよ。織姫ちゃんは優しいから、私達に気を遣って本音を隠しちゃうだけで、本当はきっともっといっぱい一兄と一緒にいたいんだと思うよ。…遊子はどう思う?」
「私?私は、そりゃお兄ちゃんがウチにいてくれた方がいいけど…でも…。」
「でも?」
「せっかく織姫ちゃんがお兄ちゃんの彼女になってくれたのに、会う時間が短いせいで逃げられちゃったら困るなぁ…って。」
「おぉい、不吉なこと言うんじゃねぇよ!」

遊子のその台詞に思わずツッコミをいれながら、俺は夏梨と遊子の成長に驚き半分、嬉しさ半分の心境だった。

いつだって、俺が妹2人の心配をしていた筈なのに…いつの間に、俺が心配される側になっていたんだろう。
それに、俺のこれまでの苦労や井上の寂しさを推し量ったりして。

…コイツら、俺が思うよりもうずっと「大人」になってたんだな…。
「だから、行っておいでよ、一兄。」
「その代わり、お兄ちゃんばっかり織姫ちゃんを独り占めしないで、たまにはウチに連れてきてよね!」

そう言って笑う夏梨と遊子の並んだ笑顔が、「ワガママを貫け」と俺の背中を押しているように見えて。
了解…と答える代わりに俺がニッと笑い返したその時、風呂から上がった親父が頭をガシガシ拭きながらリビングへと入ってきた。

「おう、一護!ちゃんと門限守って帰ってきたかぁ!」

何も知らずにそう言って笑う親父。
俺は夏梨と遊子と視線を合わせてお互いに頷いた後、親父に向き合った。

「おう。親父、俺は門限通り9時に帰ってきたぜ。」
「ああ。」
「だから、次の門限は明日の9時な!」
「ああ…って、はぁ!?」

目を丸くする親父をよそに、俺はハンガーにかけたばかりのコートを取り、再び羽織る。

「お兄ちゃん、いってらっしゃ~い。気をつけてね!」
「一兄、ちゃんと明日の門限守ってね~。」
「おう!」
「はぁ?一護、こんな時間にどこへ行くんだ~!?」

訳が解らず大騒ぎする親父と、ひらひらと手を振ってみせる妹達に見送られ、俺が家を飛び出せば夜空に瞬く沢山の星。

ああ、綺麗だな…そう素直に思いながら、俺は井上のマンションへと走り出した。




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