初めての男料理
トン、トン、トン…。
シャ、シャ、シャキッ…。
夕方、キッチンから聞こえてくるのは、まな板と包丁が奏でる軽快なリズム。
それは、心が何となくホッとする、不思議な音色。
《初めての男料理》
「あれ、お兄ちゃん。どうしたの?」
この時間には滅多にキッチンに顔を出さない俺を、遊子が不思議そうに振り返る。
「え?あ~、喉が乾いたからさ。」
俺はそう言いながら冷蔵庫から麦茶を取り出し、グラスに注いで。
それを少しずつ飲みながら、遊子が手際良く夕飯を作っていく様子を少し離れて眺めていた。
「本当、お前はすげぇな。何でも作れるもんな。」
「え?何でもって訳じゃないけど…でもありがとう、お兄ちゃん。」
遊子はちらりと俺を見て、照れたように笑って。
またすぐにまな板と向き合い、料理の続きを始める。
「…でさ、今晩って肉じゃがだろ?」
「うん。」
「野菜と肉を切ったら、次はどうすんだ?」
「え?炒めて、味付けして煮るだけだよ。」
「ふぅん…味付けって、何入れるんだ?」
「何って…砂糖と、醤油と、お酒と…あとみりんを仕上げにちょっとだけ。」
「へぇ…。ちなみに、どれくらい入れるんだ?」
「……お兄ちゃん、もしかして織姫ちゃんに肉じゃが作ってあげたいの?」
「……!!」
ぎくり…。
ストン…と玉ねぎを切り終え、ピタリと手を止めた遊子が、俺を振り返る。
努めてさり気なく聞き出していたつもりだったのに、あっさりと遊子に本心を見抜かれた俺は、咄嗟に上手い言い訳ができるほど器用でもなく。バカ正直に、空になったグラスを持ったまま固まった。
「…あ、や、その…。」
少し前に、井上と付き合い始めた俺。
けれど、実際に付き合い始めてみると、学生の俺と社会人の井上では、思うようにデートの時間が取れなくて。
少しでも、アイツと一緒にいられる時間を増やせたら…そんな思いから、俺は井上から部屋の合い鍵を貰った。
でも、さ。
いくら合い鍵を貰ったからって、ただアイツの部屋に入って、仕事から帰ってくるのをダラダラ待つんじゃ、ただのダメ彼氏だよな。
だから、仕事で疲れて帰ってくるアイツの為に、ちょっとした夕飯でも作ってやれたらな…なんて考えて。
出来ればカレーみたいなド定番メニューじゃなく、ちょっと手の込んだ和食なんて作れたら、格好がつくかな…なんて思った訳だけど。
「お兄ちゃん、料理なんて全然したことないもんね。」
「う…。」
ずっと遊子に家事は任せっきりだった俺。
ぶっちゃけ、包丁ですら学校の調理実習以外まともに握ったことがないのだ。
「…よし!わかったよ、お兄ちゃん!」
「へ?」
突然叫ぶようにそう言うと、遊子は瞳をキラリと輝かせ、俺に握り拳を作って見せた。
「お兄ちゃん、やろう!今から私が肉じゃがの作り方を教えてあげる!サブメニューのマカロニサラダとお味噌汁も一緒に作ろう!」
俄然やる気になった遊子からは、さながら熱血教師のようなオーラが出ていて。
「や、有り難いけど、何で遊子がそんなに張り切ってんだよ?」
「だって、お兄ちゃんが美味しくない料理を作ったら、織姫ちゃんに黒崎家の味を疑われちゃうもん!それにほら、相手のハートを掴むには、まず胃袋を掴めって言うでしょう?」
「それ、フツー女が使う台詞じゃね?」
「今の時代に男も女もなーし!さぁやろう、お兄ちゃん!」
確かに、井上の胃袋を掴むのは、アイツと付き合う上で大いに有効かもな…なんて頭の片隅で考えながら。
井上の前でいいところを見せる為に、遊子の前では潔くカッコ悪くなろう…俺はそんな決意を密かに固めた。
「…で、味付けは?」
「まず砂糖を入れて。」
「どのくらいだ?」
「そんなの適当だよ。」
「適当じゃわかんねーよ。『大さじいくつ』とかねぇの?」
「主婦はいちいち量ったりしないんだよ。ネットで調べたら?」
「調べたけど、色んな作り方が溢れてて、どれがウチの味に近いのか分からなかったんだよ。」
遊子から教えてもらったことを頭に叩き込みながら、肉を炒め、そこにジャガイモと人参と玉ねぎを加えて。
具材が隠れるぐらいのだし汁を入れた後、いちばんの問題、味付けをしていく。
「砂糖はこのくらい。お酒はちょろちょろ。醤油はお鍋にぐるぐるって大きい円を2回を書くぐらい。」
「…全部がすげぇ抽象的だな…。」
「いいの。味見して、味が足りないと思えば足せばいいんだから。入れすぎちゃったものは出せないでしょ?」「確かに…。」
遊子に指南を受け、肉じゃがにとりあえず味をつけて。
弱火で煮込んで味が染みるのを待つ間に、味噌汁とマカロニサラダを作る。
「お兄ちゃん、包丁さばきは上手だね。」
「まぁな。」
斬月っつー名前のデカい刃物は、散々振り回してるからな…なんて心の中で答えつつ、きゅうりやハムを刻んで。
湯を沸かし、これまた「適当」な量のマカロニを茹でる。
マカロニサラダを仕上げた後は、油あげとワカメと豆腐…という、実にシンプルな味噌汁を作った。
「どう?次は1人で作れそう?」
「…多分。」
「でも、これウチの分量だから、全部4人分で作ってるけど大丈夫?」
「ああ、その心配はいらねぇよ。何たって井上の胃袋を掴むんだ、これぐらいの量がなくちゃな。」
「ふふ、なるほど。」
肩を竦めてそう言う俺に、遊子もまたクスクスと笑う。
「それに、余ったら余ったで翌日に井上が食べればいいさ。アイツ、店の廃棄パンばっかり食ってるからな。栄養バランスとか心配で…。」
「お兄ちゃん…本当に織姫ちゃんが好きなんだね。」
「へ?何か言ったか?」
「無自覚なんだ…。」
遊子は少し呆れたような顔を見せた後、にっこりと笑って俺の背中をバンッと叩いた。
「やっと織姫ちゃんと恋人同士になったんだもんね!織姫ちゃんの為に、頑張って料理作ってあげてね!大丈夫、織姫ちゃんはお兄ちゃんが作った料理なら、多少見た目や味が悪くても、絶対に喜んでくれるよ!」
「だといいけどな。」
肉じゃがの鍋の火を、カチリ…と消して。
出来上がった料理を眺めながら、俺の脳裏には満面の笑みで肉じゃがを頬張る井上が浮かんでいた。
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