幻のセカンドボタン







「…ありがとな。」
「うん…でも、何だか不思議…。」

黒崎くんの大きな手が、私のリボンを大事そうに持っている。
その光景に、私の唇が素直な感想を零せば、黒崎くんが首を捻った。

「不思議って、何が?」
「だってね、本当は私が黒崎くんの第2ボタンを貰えたらいいなって思ってた筈なのに、私のリボンが黒崎くんに貰ってもらえるなんて、考えてもみなかったから。」
「俺の制服、第2ボタンねぇぜ?」
「うん、だから無い物ねだりだったんだけどね。」
「なんだソレ。」

苦笑した黒崎くんは、私の頭をくしゃり…と撫でてくれて。
そして、ズボンのポケットに畳んだリボンをしまったあと、くるりと踵を返し、振り返って顎で私についてくるように促した。

「さぁ、帰ろうぜ。送る。」
「あ…はい!」

私が隣に並ぶのを待って、黒崎くんが歩き始める。
私の歩幅に合わせて、ゆっくりゆっくり歩いてくれる黒崎くん。
そんな優しさも、彼は「普通だろ」って当たり前に言うんだろうな…って思ったら、私の胸がまたきゅうっ…て音を立てた。
でもその「きゅうっ」は、卒業式前ほど痛くなくて、むしろ温かな余韻を私の胸に残す。

それは、私のリボンの赤色が黒崎くんのズボンのポケットから僅かに顔をのぞかせているから。

そして、卒業して離れ離れになることを嘆いてばかりで、忘れかけていたいちばん大切なキモチを思い出せたから。

黒崎くん、私はやっぱりアナタが大好きです。

これからもずっと、ずうっと…。










「それでね、明日からもう研修が始まるんだって……あ!」
黒崎くんの優しさと隣にいられる幸福に浸りながら歩いていたら、いつの間にか私のアパートの前。
でも、会話が途切れなくて…正確に言えば、途切れさせたくなくて。
アパートの入り口前で、黒崎くんと立ち話していた私は、大事なことを思い出し思わず声を上げていた。

「…何だ?」
「あ、あのね黒崎くん!私、大事なことをまだ言ってなかった…!」

さっきタイミングを逃して伝えられなかった沢山の「ありがとう」を、今度こそ伝えたくて。
私の指が、黒崎くんを引き止めようと咄嗟に制服の裾を摘まむ。

「あ、あのね…私…。」

そして、俯いたままその指先を見つめて、すうっと大きく深呼吸をした、その時。

「あ~…あとで聞くわ。」
「へ?」

頭にポン…と優しい衝撃。
またタイミングを逃した私がゆっくり顔を上げれば、黒崎くんはやっぱりそっぽを向いていた。

「その…今日の夜、俺んチで一応俺の卒業を祝ってくれるらしいんだ。で、遊子と夏梨がオマエも誘えってうるさくてさ。」
「え?」
「だから、夕方にまた迎えに来るから、そん時に聞かせてくれればいいよ、その話。」
「え…ええっ!?でも、家族水入らずのお祝いに私が入るなんて…!」
「先約でもあるのか?」
「う、ううん、予定は何もないけど…!」
「じゃ、決まりな。てか、井上を連れていかなきゃ、俺が遊子と夏梨に怒られるんだ。じゃ、また夕方にメールするから。あと…さ。」
そう告げると、おもむろに制服を脱ぐ黒崎くん。

「く、黒崎くん!?」
「ほれ。」

目の前で、バサリ…と翻った黒崎くんの制服。
そしてふいに肩にかかる重み、身体を包まれる感覚。

「え…ええっ!?」

ついさっきまで黒崎くんが着ていた学ランに自分の身体が覆われたことに驚いて、私が黒崎くんを見上げれば、彼は照れくさそうに三度そっぽを向いた。

「…やる。」
「え?」
「ウチの制服、第2ボタンねぇもんな…いっそ全部やるよ。リボンと交換で。」
「せ、制服をっ!?でも…!」
「別にもう着ることはねぇし、遊子や夏梨にはどっかに脱ぎ忘れたとでも言っとく。」
「…でも…。」

本当にいいのかな…なんて私の唇から零れた戸惑いの「でも」に、黒崎くんの表情がにわかに曇る。

「あ~…悪りぃ、やっぱりこんなモン邪魔か?」
「ううん…ううん!そんなことないよ!」

私が全力で首を振って否定すれば、黒崎くんはホッとしたように溜め息をついた。

「…そっか。」
「…本当に、いいの?」
「おう。そんなモンでよければ。」
「ありがとう…。嬉しい…。」

まだ学ランに残っている黒崎くんの温もりと匂い。
それが本当に温かくて、私は素直に「嬉しい」と告げてしまっていた。

「えへへ…黒崎くんの学ランはやっぱり大きいね。袖を通したら、きっと手が出ないよ。」

まるで、黒崎くんに包まれているみたいで。
彼が目の前にいることも忘れてはしゃぐ私に、黒崎くんが目を細める。
「井上は社会人になるし、俺は大学に行くから、今までみたいに毎日顔を合わせることはできなくなるだろ。だから…俺の代わりに、ソイツを傍に置いといてくれ。」
「うん。」
「ま、虚退治は続くから、意外としょっちゅう顔合わせるかもしれねぇけどな。」
「うん…。」
「虚退治なくても、井上の店にパン買いにいくだろうし。」
「うん…。」

黒崎くんの言葉が嬉しくて、制服があったかくて。
ぽろぽろこぼれ出した涙に気づかれないように、私は涙をこっそり拭って精一杯の笑顔を黒崎くんに向けた。

「じゃあ、夕方迎えに来るから。」
「うん!待ってるね!」

卒業証書が入った筒を片手に、ブルーのTシャツ姿の黒崎くんが走り去っていく。

それを幸せな気持ちで見送った後、私はこっそりと黒崎くんの学ランの両袖に手を通した。

「ふふ…ぶかぶか。やっぱり手が出ないよ。」

たらん、と垂れた袖口にそっと唇を寄せる。

黒崎くんの制服に、第2ボタンはないけれど。

でも、ちょうど第2ボタンにあたる場所…私の胸は確かに、温かく柔らかな光を感じていた。


ありがとう、黒崎くん。

アナタに会えなくて寂しい夜も、違う世界で生きることが不安な朝も。

この制服に包まれたら、きっと笑顔になれるよ…。













「ただいま~。」
「お帰りなさい、お兄ちゃん!あれ、制服の上は?」
「あ…ああ、どっかに脱ぎ忘れたみたいだな。まぁいいんじゃねぇ?もう着る予定もねぇし…。」
「でも一兄、二次試験の時に制服ないと困らない?」
「………あ。」





(やべぇ、「1回返してくれ」とか、めちゃカッコ悪りぃ…)














《あとがき》




久しぶりに「あとがき」を書きます(笑)。

この卒業式話は、いつぞやに新聞の投書欄で「女子高で、後輩から『先輩のリボンをください』を言われてびっくりした」という高校生の投書を読んで思いついたものです…一護は女子高生じゃないですが(笑)。

結果、リボンと学ランの交換…というお話になりました。

今回の一織は、「学ランとリボンをお互いに交換してる段階でばっちり両想いなんだけど、でも告白はしてない微妙な一織」でオチをつけました。一護からの格好いい告白を期待された皆様、すみませんm(_ _)m。

でも、恋ルキご成婚小説に則り一護が21歳で正式に告白するとしたら、18~21歳の間はこんな曖昧な関係だったかもしれないですよね。
というか、織姫ちゃんが安心して一護からの告白を待てる3年間であってほしいなぁと思います(織姫贔屓なので)。

一織の関係性はなんて無限大で素晴らしいんだろう…(笑)。




ではでは、世間の桜はすっかり葉桜ですが(苦笑)、ここまて読んでくださった皆様、ありがとうございました!(^∀^)ノ



(2018.04.15)
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