幻のセカンドボタン







「ふう…終わったね。」

あの血戦を戦い抜いた黒崎くんにとって、現世に現れる虚はほとんどの場合卍解せずに倒せる相手。
今回も、ほぼ無傷の状態で魂葬を終えることができた。

「まぁ、大したことない虚だったな。」

身体に戻った黒崎くんがそう言えば、制服の汚れを軽く手で払いながら石田くんが答えた。

「黒崎、僕は4月から医大に通うんだ。多分忙しくなるだろうから、今後はこの程度の虚なら、わざわざ駆けつけたりしないよ。」
「ああ、そうかよ。」

黒崎くんが、ニッと笑って見せる。
だって、解ってるんだよね。
「この程度の虚なら駆けつけない」ってことは、「これ以上の虚が現れた時には駆けつける」ってことだって。

「ム…俺もできるだけの協力はする。」
「おう、よろしくなチャド。」

指切りの代わりに拳と拳を突き合わせる、黒崎くんと茶渡くん。
ああ、男の子同士の友情ってやっぱり素敵だな…なんて思いながら3人を見つめていれば、石田くんが私に歩み寄り、肩をポンと叩いた。

「だから、井上さんも心配しなくていいんだよ。」
「え?」
「高校を卒業したって、僕達の関係はこうして続いていく。それだけの『絆』を、僕ら4人は築いてきただろう?」
「石田くん…。」
「なんて、ちょっとクサいかな?」
「ううん…ううん…!ありがとう…!」

私もちゃんと仲間に入れてくれたことが嬉しくて、そして「これからもこんな関係が続いていく」と言葉で聞けたことにほっとして。
またポロポロと泣いてしまう私の肩をそっと撫でた後、石田くんは私に背を向けると、道端に置いてあった卒業証書の筒を拾い上げた。

「じゃあ、虚もいなくなったことだし、僕らは先に失礼するよ。黒崎、井上さんを送る役目は君に譲る。僕と茶渡くんの心遣いに感謝するんだな。」
「な!?」
「ム…頑張れよ。」
「チ、チャドまで、急に何言って…!」

石田くんに続き、茶渡くんも私の肩を優しく叩いて。
慌てる黒崎くんと私を残し、スタスタと足早にその場を去ってしまった。

「待って、石田くん…茶渡くん、せっかくなら一緒に帰ろ……あ!」

2人を追いかけようとした私の足が、ぴたりと止まる。

茶渡くんの言ってた「頑張れよ」…は、もしかしたら私への励ましだったのかもしれない。

石田くんも茶渡くんも、私がまだ黒崎くんとお別れの挨拶を交わしていないことに実は気づいててくれて。
悔いが残らないように、ちゃんと気持ちを伝えられるように、私に「頑張れ」って。
これが、最後のチャンスだから、って…。

とくん、とくん…と、鼓動が早鐘のように鳴り始める。

ゆっくりと振り返れば、そこには私と自分の卒業証書の筒を手にした黒崎くん。
私の喉が、こくり…と小さく鳴る。

「ほら、井上。卒業証書、忘れるなよ。」
「あ、ありがとう…。」

俯いたまま、差し出された筒を受け取って。
私は、すうっと大きく深呼吸をした。

「好きです」なんて、迷惑だと思うし、「第2ボタンください」は「ボタンなんかねぇよ」ってきっと笑われちゃうから。

あれから毎晩いっぱい悩んで考えて、黒崎くんにいちばん伝えたい言葉はやっぱり「ありがとう」だった。

黒崎くんと出会って、私は誰かを特別に想う気持ちを知った。黒崎くんに、私もお兄ちゃんも救われた。
黒崎くんと出会って、私は変われた。
黒崎くんがいたから、今の私がここにいる。

だから、心からの「ありがとう」を、たくさんの「ありがとう」を、黒崎くんに言わなくちゃ…って…。

「くろ…」
「あのさ、井上…!」

でも、決心した私の唇が黒崎くんの名前を呼ぶ声に、黒崎くんの大きな声が重なった。

「は、はひ?」
「や…あ~何だ…その…。」

驚いて言葉に詰まる私と、照れくさそうにそっぽを向く黒崎くん。
何だかぎこちない空気が流れる。

「な、なぁに?黒崎くん…。」
「その、何だ…って、ああ、くそ!」
「は、はいぃ?」
「だから…えーと…その…リボン…予約入ってんのか?」

オレンジ色の髪を、ガシガシとかきむしって。
ボソボソと黒崎くんが告げる質問に、私はきょとんとした。

「リボン?予約…?」

突然、何を言われたのか理解できず首を傾げるしかできない私。
黒崎くんは、逸らしていた視線を時々私に向けながら、低い声で続けた。

「だから、制服のリボンだよ。それとも、オマエ制服はそのままとっときたいタイプか?」
「へ?うーん、別に…もう着る予定も、誰かに譲る予定もないけど…。」
「そっか。じゃあ…その…何だ…オマエのリボン、俺がもらっても、別に困らねぇよな?」
「う…うん。勿論、いいよ?でも、何で…?」

しゅるり…とリボンを解きながら、黒崎くんにリボンを必要とする理由を尋ねれば、黒崎くんは呆れたような、困ったような複雑な顔をして。
「井上、知らねぇのか?ウチの高校、男子の制服に第2ボタンがない代わりに、女子のリボンを記念にやりとりするんだぜ?」
「へ?…ええっ、そうなの!?……あ!」

さっき、違和感を感じたたつきちゃんの制服姿を思い出し、私はハッとして声を上げた。

「そっか、そう言えばたつきちゃんもリボンしてなかった!だから、制服姿に違和感があったんだ!」
「たつきは、空手部の後輩にやったらしいぜ。まぁ、全国2位のたつきのリボンなら御利益もありそうだよな。」
「そうなんだ…。じゃあ、このリボンは、第2ボタンの代わり…。」

第2ボタンは、心臓…つまりハートにいちばん近い場所にある、特別なボタン。
そう考えれば、このリボンも3年間、私のハートのそばにずっとあった物だ。

「…おう。多分、さっき井上に群がってたヤツらも、そのリボン目当てだったんだろうぜ。」
「そ、そうなのかな?」「オマエ、本当に鈍いな。…で、改めてそのリボン…俺がもらってもいいか?」

黒崎くんが、リボンを指差して念を押すようにそう尋ねる。

「…もらって、くれるの?黒崎くん、そういうのあんまり興味なさそうなのに…。」
「井上のリボンなら、二次試験の御守りになりそうだしな。あと、いろんなヤツがオマエのリボン狙ってっから。俺がもってりゃ、追っかけ回されずにすむだろ?」
「うん。ありがとう…。」

ひらり、ふわり…私の手から、黒崎くんの手へ。

3年の間ずっと、私のハートに寄り添ってくれていたリボンが、黒崎くんへの想いごと、渡っていった。



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