付き合いかけたって何なんだ







《「付き合いかけたって何なんだ」番外~2020年X'mas~》







「織姫ちゃん、お疲れ様!本当にありがとね!」

12月25日、夜。
ケーキ屋にとって1年でいちばん忙しい、クリスマスイブとクリスマスを無事に乗り越えて。

いつもより1時間近く遅くなってしまったけれど、「ABCookies」ようやく閉店です。

「いえ、店長こそお疲れ様です!それに、今朝は色々ありがとうございました!」
「いいのよ、頑張ったのは織姫ちゃんだもの。アタシは場所を提供しただけよ。」

そう言いながら、店長は店の大きな冷蔵庫を開ける。
朝には大小様々なサイズのクリスマスケーキでいっぱいだったそこに今あるのは、小さな箱1つだけ。
店長はその箱を手に取ると、あたしに差し出した。

「はい!パティシエ井上織姫の初ケーキ!こんな時間になっちゃったけど…彼、きっと待ってくれてるんでしょう?」

この箱の中にあるのは、スポンジからデコレーションまで、全ての工程をあたし一人で作ったクリスマスケーキ。
パティシエ見習いのあたしが初めて一人で作ったこのケーキ…食べてほしい人は、勿論決まってる。

「多分…。仕事の帰りが遅くなるのはわかってたので、このケーキだけでも渡せたらいいなって思って、彼に待っててもらうようにお願いがしてあるんですけど…。」
「ふふふ、じゃあきっと首を長くして待ってるわね。店の戸締まりはしておくから、急いで行きなさいな。」
「え、でも…。」
「ほらほら、早くしないと、彼が待ちくたびれて寝ちゃうわよ?」
「あ、ありがとうございます!」

あたしは背中を押す店長の厚意に甘えて、小箱を手に店を飛び出した。

クリスマスの夜の空気は冷たくて…でもとっても澄んでいて。
夜空に光る星の光も、辺りの家に灯る灯りも、どれも綺麗で暖かい。

そう考えたら、いつもと同じ道なのに、何だかあたしまで幸せな気持ちになってきて。
あたしも、いちばん大切で大好きな人に「メリークリスマス」を伝えたくて。
彼の家まで続く夜道を、小走りで急いだ。








「…こんばんは、黒崎くん!メリークリスマスです!ごめんね、こんな時間に。」

あたしの霊圧を感じ取ってくれたんだろうか。
彼の玄関先であたしがケータイを取り出すより先に、黒崎くんが玄関を開けてくれた。
家の奥はしんと静まりかえっていて…多分、遊子ちゃん達はもう寝ているんだろう。

「仕事お疲れ、井上。こっちこそ、寄ってもらって悪かったな。」

そう小声で言った黒崎くんは、あたしを気遣ってか、玄関先まで招いてくれて。

「これ…あたしが初めて一人で作ったクリスマスケーキなの!良かったら、明日にでも食べて。」

そして、あたしが差し出した小箱を、目を細めて受け取ってくれた。

「いつ作ったんだ?昨日も今日も、仕事クソ忙しかったんだろ?」
「えへへ…1時間早く出勤して、職場のあれこれ貸していただきました。」
「そっか…ありがとな。」

ああ、その黒崎くんの優しい「ありがとな」が聞けただけで、あたしには最高のクリスマスだよ。

こんな時間まで黒崎くんを待たせて、更に家まで押しかけちゃうなんて、迷惑かなって思ったけれど…でも、思い切ってお願いして、やっぱり良かった。

大満足のあたしの前で、頭をガリガリッとかいた黒崎くんは、ふいにあたしの手を取った。

「黒崎くん?」
「その…早起きした上に、仕事で疲れてるオマエを引き留めるのは、気が引けるんだけどさ。」
「え?」
「良かったら、ちょっとだけ上がっていかねぇか?俺の部屋…。」
「ええっ?でも、もう10時だよ?こんな夜遅くにお邪魔するなんて…!」

黒崎くんからの、まさかのお誘い。
勿論、すごく嬉しいけれど…あたしの部屋ならともかく、黒崎くんの家にこんな時間に上がるなんて、ご迷惑になっちゃうよ。

あたしは遠慮したけれど、黒崎くんの手はあたしの手を掴んだまま。

「家族にはちゃんと言ってあるから大丈夫だ。気にしなくていい。帰りも俺が送るから。」
「でも…。」
「えっと…ああ、だから!」

戸惑うあたしに、黒崎くんは声を上げると、視線をそらして低い声で続けた。

「…俺が、オマエと少しでもいいからクリスマスを一緒に過ごしたいんだよ。」
「…黒崎…くん…。」

その言葉が、あたしの胸をぽっ…と温かくする。

だって、とっくに諦めてた『黒崎くんと過ごすクリスマス』が…こんな風にやってくるなんて。

「そりゃ、まだ正式にオマエと付き合ってる訳じゃねぇけど…クリスマスぐらい、ちっとはカレカノみたいにしたっていいだろ?」
「うん…。」
「このケーキも…できれば二人で食べたいって思うじゃねぇか。」
「…うん。」

ああ、サンタさん、これがあたしへのクリスマスプレゼントですか?
大感謝です、ありがとうございます!

「じゃあ…少しだけ、お邪魔します。」
「おう。上がれ。」

優しい黒崎くんに手を引かれ、靴を脱いだあたしは黒崎くんの部屋へと向かった。







「これ…。」

遊子ちゃん達を起こさないように、なるべく静かに階段を上って。
黒崎くんに連れられ、彼の部屋に入ったあたしは目を見開いた。

黒崎くんの部屋の真ん中に、いつもはないちゃぶ台が置かれていて、そこにはコンロの上で湯気を漂わせるお鍋。
部屋の隅では、小さなクリスマスツリーが飾られていて、ライトが目映く点滅していた。

驚いたあたしがゆっくりと黒崎くんを見上げれば、彼が部屋のドアを閉めながら、照れ臭そうに呟く。

「…オマエが人生で初めて作ったケーキをくれるっていうから、俺も人生で初めて鍋作ってみたんだ。チキン料理じゃねぇのが、ちょっとカッコつかねぇけど。」
「黒崎くん…。」
「夕飯、まだなんだろ?俺は卒論頑張ってるし、まぁ夜食っつーことで。」

彼のデスクには、開きっぱなしのパソコン。
きっと、卒論を書きながら、あたしの仕事が終わるまでずっと待っていてくれたんだ。
こんなに素敵なクリスマスパーティーの会場を用意して…。

「…ありがとう…。」
「ほら、いつまでも突っ立ってないで座れよ。外、寒かったんだろ?鍋食って温まれよ。その後はオマエのケーキな。」
「うん!…あ。」

黒崎くんに促され、コートを脱いだあたしは、次の瞬間腕をぐっと強く引かれて…気づけば彼の腕の中にすっぽり包まれていた。

「本当に寒かったんだな。井上の身体、めっちゃ冷えてる。」

そう言って、優しく髪を撫でてくれる黒崎くんの腕の中で、あたしはじわり…と滲んできた涙をそっと拭う。

「うん…。でも、今はすごく温かいよ。」

心も、身体も。
今のあたしは、どんな北風にも負けないぐらいぽっかぽかだよ、黒崎くん。

「そっか。…メリクリ、井上。」
「メリークリスマス。ありがとう、黒崎くん」

ここが、世界でいちばんあったかい、あたしの大切で大好きな場所。

そう改めて実感しながら顔を上げたあたしに降ってきたのは、雪じゃなくて、黒崎くんの優しいキスだった。






「ほら、鍋食おうぜ。」
「うん!」

黒崎くんが、コンロに火をつける。
すぐにグツグツと音を立て始めたお鍋からは、幸せな匂いがして。

「わぁぁ!すごい!いただきまーす!」

蓋を開ければ、あたしがいつも作るお鍋より、ずっと大きく切られた白菜やネギ。
いかにも「男の料理」って感じがして、笑いが込み上げてくる。

「ふふふ…美味しい~!」
「そりゃ良かった。井上のケーキもすげぇ本格的だな。飾りつけもシンプルだけどいい感じだし…さすがパティシエの卵だぜ。」

ケーキを箱から取り出した黒崎くんは、そう言ってあたしを褒めてくれて。
写メを撮ったあと、綺麗に半分に切り分け、お皿に乗せた。

「いえいえ、あたしなんてまだまだっすよ!」
「なぁ、早速このケーキ、食べていいか?」
「…お鍋は食べないの?」
「いや、俺普通に夕飯食ってるからさ。井上のケーキがあれば十分。」

黒崎くんはそう言って、あたしの作ったケーキを口に運ぶ。

「…どう?」
「うん、美味い。」
「本当?」
「ああ。クリームの甘さもちょうどいいし、スポンジもすごくしっとりしてる。そこらで市販してるケーキとは全然違うな。」
「良かった…!」

黒崎くんは、あたしの作ったケーキを絶賛してくれて…何より、ケーキを頬張る黒崎くんの笑顔が素直に嬉しい。

「本当は、もっと早い時間にこのケーキが届けられれば良かったんだけど…待たせてごめんね。」

仕方ないこととは言え、あたしが改めてお詫びすれば、何故か小さく笑う黒崎くん。

「いや、俺の方がオマエをずっと待たせてるんだし。」
「え?」

黒崎くんはデスクの上のパソコンに視線を移したあと、彼の肩に乗せるようにあたしの頭を引き寄せた。

「あの卒論が完成して、大学卒業したら…迎えにいくからな。あと少しだけ、待っててくれよ。」
「…はい…。」

ああ、あたしにまた1つ、最高のクリスマスプレゼント。

それは、黒崎くんがくれた「約束」。
眩しい眩しい、未来地図…。




(2020.12.25)
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