付き合いかけたって何なんだ
『…黒崎くん?』
スマホ越しに聞こえる、柔らかな声。
井上が、俺の名字を呼ぶ…たったそれだけのことで、疲れていた俺の心に温もりが通い始める。
…井上の声が、聞きたかったんだ。
《pattern4.voices》
「よう、井上。悪いな、こんな時間に。もう寝てたか?」
『ううん、大丈夫だよ。今日は仕事もちょっと早めに上がれたし、部屋でゆっくりしていたところなの。黒崎くんは?』
「俺は…卒論のプロット作ってるんだ。」
自分の目の前にあるノートパソコンの画面には、もう何度目の校正か忘れてしまった卒論のプロット。
何度提出しても、「何がやりたいのかわからない」だの「筋が通っていない」だの言われ、指導教官からの合格はもらえず。
まだプロットだというのに、俺の脳ミソは既に疲労困憊だった。
『そっかぁ。大変なんだね。やっぱり、全部英語なの?』
「ああ。」
『うわぁ、ますます大変だね!』
電話の向こうで目をまん丸くしているに違いない井上を想像し、勝手に癒される俺。
こんな風に、忙しかったり、行き詰まったり、切羽詰まったりした時に限って、井上に会いたくなるこの現象は一体何だろう。
最も、今が深夜に近いことや、俺自身の時間の制約もあって、会いにはいけなくて…だったら、せめて声だけでも聞きたいな、って。
…そんなこと、格好悪くて言えないけど。
『でも…どうしたの?こんな時間に電話なんて…。何かあった?』
…どき。
「いや、その…。」
『LINEじゃなくて電話なんて、もしかして急ぎの用事だった?』
…まぁ、俺にとっちゃめっちゃ「急ぎ」だったな。
今すぐにでも井上の声が聞きたいって、我慢できずにスマホをタップしちまうぐらいには…。
「急ぎ…って訳でもねぇんだけど。その…何となく。」
『あはは。そっかぁ。』
お茶を濁すような俺の返答に、それ以上の追及はせず、ただ笑って答えてくれる井上。
そんなところに、いつもつい甘えちまうんだ。
『でも…嬉しいな。』
「え?」
ふわり…一層柔らかく、優しくなる井上の声に、俺が耳を澄ませば。
『あたしね、今日すごく黒崎くんの声が聞きたかったんだ。だから、黒崎くんから電話がもらえて、すごく嬉しかったの。ありがとう。』
「井上…。」
何だろう。
これが、井上がいつだったかに話していた「シンパシー」ってヤツなんだろうか。
何だかくすぐったくて、どこかふわふわしてて…疲れていた俺の心が、きゅうっと甘く締め付けられた後、ぽっと温かくなる。
…多分、こんな感情を「幸せ」って言うんだろうな、なんて…。
『じゃあ、忙しいのに電話くれてありがとう!黒崎くん、おやすみなさ…』
「ま、待て井上!」
『へ?』
慌てて、電話を切ろうとする井上を引き止める。
いつだって、俺の欲しい言葉を真っ直ぐに差し出してくれる井上。
それなのに俺は、「口下手」を理由に、いつも曖昧な返答ばかりしていて。
そんなだから、俺と井上は遠回りしちまったんだ…だから。
「その…実は俺もさ、井上の声が聞きたかったんだ。」
『え?』
「俺、卒論のプロットにどうにも行き詰まって…そしたら井上の声がどうしても聞きたくなって、だから電話したんだ。」
だから、これからは井上を見習って、ちゃんと声にしよう。
俺の、正直な想いを。
少しずつ、変えていこう。
格好つけてばかりの俺を…そして、井上との関係を。
『黒崎くん…。』
「…だから、俺がもう少し頑張れるように…いつものヤツ、くれるか?」
『…うん。』
俺がそう願えば、井上が電話口ですうっと息を吸う音がした。
『フレーフレー黒崎くん。頑張れ頑張れ黒崎くん。黒崎くんなら、きっと絶対大丈夫だよ。』
鼓膜を震わせ、俺の全身にじんわりと広がっていく井上のエール。
ああ、今夜はもう一踏ん張りできそうだ、と素直に思う。
「ありがとな、井上。プロット、何とかなりそうな気がする。」
『えへへ…良かった。お役に立てたなら光栄っす。』
なぁ、井上。
もう少しだけ、オマエを待たせちまうけど。
大学卒業して、就職して、オマエとちゃんと付き合えるようになったその時に。
こうしてオマエが俺にくれた沢山の「幸せ」、きっと倍返しにしてみせるから。
だから…あと少しだけ、俺のワガママに付き合ってほしい。
「でさ、あともう少し井上の声が聞きたいんだけど…何でもいいから、喋ってくんねぇ?」
『ええっ、な、何でもいいって言われると…。うーん、うーん…な…生麦生米生卵?』
「早口言葉かよ。」
『だって、黒崎くん何でもいいって言ったもん!かえるぽこぽこみぽこぽこ…。』
「ぶっ!言えてねぇし。」
『か、かえるぽこぽこはメジャーながらもレベルが高いんですぞ!』
「ははは、だから、かえるぴょこぴょこだって。」
井上と、そんな他愛もない会話をしながら。
…ああ、俺の卒論のプロットも、格好つけすぎていたのかもしれない、と気がつく。
立派なプロットに見えるように、小難しい言い回しを使ったり、わざと複雑な構成にしてみたり。
「…ありがとう、井上。」
『え?ど、どうしたの?急に…。』
「俺、井上みたいなプロットを書いてみるよ。そうしたら、上手くいく気がするんだ。」
『へ?あ、あたしみたいなプロットって何?』
もっと、素直に、真っ直ぐに。
飾らず、誤魔化さず、伝えるべきことが相手にちゃんと伝わるように。
そして…読み手が、何だか幸せになっちまうような、そんなプロットを。
「…ナイショだ。」
『ええ~?気になるよ~!』
だから、あともう少しだけ。
君の声を、聞かせて。
(2019.06.10)