付き合いかけたって何なんだ







「大学を卒業して、就職するまで待っててくれ」

そう告げたのは、俺。
頷いてくれたのは、井上。

だから、俺と井上は今、付き合っている訳じゃない。

…けれど、じゃあ、「井上に会いたい」っていうこのどうしようもない感情は、一体どうすればいいんだろう。







《pattern3.reason》








「あ~、わかんねぇ…。」
「俺も。」

大学の講義終了後、図書館でレポートを書く俺とダチ。
全文英語で提出しなければならないのだが、書く内容はまとまらず、更に英語での言い回しをいちいち調べなければならず。

提出期限は迫っているのに、俺のノートパソコンのカーソルはさっきからずっと同じ位置のままだ。

「…脳ミソ、腐ってきたかも。」

バリバリと頭をかきながら思わずそう愚痴る俺の脳裏に、ふっと浮かぶ胡桃色。

その、太陽のような笑顔を思い浮かべる回数は、何故かレポートに煮詰まれば煮詰まるほど、増えていく。

(会いてぇ、な…。)

そう、一瞬考えて。

何言ってんだ、レポートの締切間近でただでさえ時間ねぇんだろ、なんて自分で自分の感情を打ち消した、その時。

ブルルル…。

ラインの通知を知らせるバイブレーションの音。

こんな時間にLINEを送ってくるのは、もしかして…そんな期待を抱き、俺が慌ててスマホをタップすれば。

『今、お店で新作パンを焼く練習をしていて、沢山パンが焼けました!もうすぐ仕事が終わるから、帰りに黒崎くんの家に届けるね!』

…ああ、やっぱり。

井上からのLINEに一瞬浮上した気持ちが、その内容に目を通した途端「またこのパターンか」と落胆に変わる。

俺が大学にいる間に、井上がウチに来て。
帰宅した俺に、「今日、織姫ちゃんがパンを届けてくれたんだよ!」なんて報告だけが遊子と夏梨から入る…ってヤツ。

井上はパンを届けたついでに二人とお茶したり、勉強を見てくれたりしているらしく、井上が来ると遊子や夏梨はいつも上機嫌で…その度に俺は内心ひどく不機嫌になるんだ。

俺と井上は、付き合っている訳じゃない。

だから、「会いたい」なんて口にする資格もない。

「今は大学やバイトが忙しすぎて」…そんな個人の都合で、彼女を待たせているのは俺の方だから。

…けれど、初めてなんだ。

こんな風に、誰かに「会いたい」なんて、強く願うのは。

確かに俺は今忙しくて、レポートの締切も間近で。
…でも、きっと、だからこそ「会いたい」と思ってしまう。

井上に、会いたい。

彼女の笑顔に、声に、温もりに癒されたい。

もし、井上の「頑張って」が聞けたら…俺は今を踏ん張れると思うんだ。

俺は…。

「どうした?黒崎、もしかして例の彼女からか?」
「あ…ああ、また俺の家に店のパンを届けてくれるってさ。ま、今から急いで帰っても間に合わないから、しょうがねぇけどな。レポートも全然進んでねぇし。」

ダチからの問いかけにハッとした俺が、スマホをしまいながら平然を装って答えれば。

「じゃあ、彼女に自分の家で待っててもらって、お前がパンを受け取りに彼女んチに行けば?そうすりゃ会えるだろ。」
「…!」

その言葉に思わず目を見開いて俺がダチを見れば、ダチはニッと笑った。

「本当は会いたいんだろ?顔に書いてある。」
「な…!」
「いやいやフツーだろ、好きな娘に会いたいなんてのは、さ。しかもあんな天使みたいに可愛い娘だぜ。こんな大義名分、俺なら逃さねぇけど?」
「そ、そう…か。俺、フツーか?」
「おう。フツーだ。全然フツーだ。」

そう言い切るダチに、背中を押されて。
俺は再び鞄からスマホを取り出し、LINEを開いた。

『いつも届けてもらってばかりだから、今日は俺が大学帰りに井上の部屋に寄ってパンをもらうよ。だから、真っ直ぐ帰っていいぜ』

どんなに格好つけても、やっぱり俺のLINEメッセージからは会いたい気持ちがダダ漏れな気がして、少し躊躇ったけれど。
それでもやっぱり井上に会いたくて…俺は送信ボタンをタップした。











「こんばんは、黒崎くん!寄ってくれてありがとう!」
「おう。こっちこそ、いつもパンありがとな。」

結局、レポートはほとんど進まないまま図書館を後にして、井上の部屋を訪れた俺。

LINEで時々やり取りはしていたけれど、井上に会うのは随分久しぶりで。
ドアを開けた井上の笑顔に、不覚にも胸が鷲掴みされたような感覚を覚える。

「その…ちょっと時間、ある?パン、渡すだけの方がいい…かな?」

井上が、伺うように上目遣いで俺を見上げる。
時間は…ぶっちゃけ全然ない。
けど。

「ちょっとだけ…上がってもいいか?」
「勿論です!」

俺がそう言えば、弾けるような笑顔で頷いてくれる井上。

「どうぞどうぞ、お上がりください!」

そう言って長い髪を翻しながら俺を部屋へと招く井上の後ろを、俺はふわふわとした足取りでついていった。






「これ、今書いてるレポートでさ。」
「わぁ…すごい!全部英語だぁ!」

コーヒーを淹れてくれた井上に、ノートパソコンを開いて今の俺の頑張りを見せる。
井上は目をまん丸くしながら、「すごい、すごい」と手放しで褒めてくれて…それだけで今夜は頑張れそうな気がしてきた。

「これ、もうすぐ提出期限なんだ。だから今、すごく忙しくてさ。多分、今日は徹夜。」
「そ、そうなんだ!ごめんね、忙しいのに引き留めちゃって!っていうか、やっぱりあたしが黒崎くんの家にパン届ければ良かったね…!」
「ああ、違うんだ井上、そうじゃないんだ!」

俺の「忙しい」という言葉を聞いて謝りだす井上に、俺は慌てて首を振る。
ああ、どうして俺はこんなにも口下手なんだろう。
言いたいのは、そういうことじゃなくて、俺は。

「黒崎くん…?」

小首を傾げて、俺をじっと見る井上。
俺は、大きく深呼吸した後、井上から視線をそらして口を開いた。

「…『待っててくれ』なんて言っておいて、図々しいとか思うかもしれねぇけど…その…今、そのレポートにすげぇ手こずっててさ。それで…オマエに会いたくなったんだ。」
「あたしに…?」
「何つーか、その…上手く言えねぇけど、井上の顔見たら、頑張れそうな気がしたんだ。本当、彼氏でもねぇのに何だよって思うかもしれないけど…。」

ボソボソと、情けない声で俺がそう告げれば。
少しの間を置いたあと、井上がクスリ…と小さく笑ったのが聞こえた。

「ありがとう、黒崎くん。」
「…ありがとう?」

何故か礼を言う井上に俺が顔を上げれば、彼女はこくり…と笑顔で頷いた。

「あたしね、高校生の時からずっと、黒崎くんが大好きだったでしょう?だから、学校で黒崎くんに会えるだけで本当に嬉しくて、毎日が楽しくて…。黒崎くんにいっぱい元気をもらってたの。」
「井上…。」
「だから、やっと黒崎くんにお返しができるんだと思ったら、嬉しくて…。あたし、黒崎くんを元気にできるかな。」
「…頼む。」

俺が素直にそう言えば、向かいに座っていた井上が膝でちょこちょこと歩いて俺の傍に来てくれて。
ふわり…控え目に俺の肩に手を回し、触れるか触れないかギリギリの距離で俺をハグするように包み込んだ。

「フレーフレー黒崎くん。頑張れ頑張れ黒崎くん。黒崎くんなら、きっと絶対大丈夫だよ。」

俺の耳元で、俺の為だけに囁かれる、井上の応援。
そのいじらしくも甘酸っぱい声に、触れそうで触れない肌に、身体中がかああっと熱くなり、俺の頭が完全に覚醒する。

「…どうかな。元気になった?」

そっと離れていく、井上。
触れてもいないのに、何だか俺を包んでいた井上の温もりが離れていくようで、正直名残惜しかったけれど。

「…ありがとな、井上。これで徹夜できそうだ。」
「良かった!」

今は、付き合っている訳じゃない…そんな遠慮から、井上が俺に一線を引いたことが、解ったから。

もどかしかったけれど、俺はそれ以上を井上に求めることはせず、新作パンを受け取り、部屋をあとにすることにした。

「じゃあな、井上。パンありがとな。」
「あたしも、黒崎くんに会えて、嬉しかったよ。ありがとう。レポート頑張ってね。」
「おう。おやすみ、井上。仕事で疲れてるんだろ、早く寝ろよ。」
「黒崎くんも、おやすみなさい。…あ、でも黒崎くん、今夜は徹夜なんだっけ。」
「おう。だから『おやすみません』だな。」

玄関先で、そんな挨拶を交わして。
クスクスと笑う井上に、戸締まりをしっかりするよう告げて、ゆっくりとドアを閉める。

「ふう…。」

ため息を1つついた、次の瞬間。

井上の部屋のドアを前に、今日はレポート頑張れそうだな…なんて思いと共に沸き上がってきたのは、「次はいつ会えるかな」。

「…帰るか。」

エレベーターを降り、夜道を歩き始めた俺が振り返れば、マンションの窓から井上が見送ってくれていて。

俺が軽く手を上げれば、井上もまたブンブンと音がしそうな程に手を振り返してくれた。

「早く寝ろよ、って言ったのに。」

そう一人呟きながらも、緩む口元。

ほら、井上に手を振りながら、俺はもう次に井上に会うための理由を探している。

「こんなんで、大学卒業までもつのかな、俺…。」

手を振りながら俺がそう呟いたことにもきっと、井上は気づいていないんだろうな…そんなことを思った。





(2019.06.02)
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