付き合いかけたって何なんだ
「…井上…。」
俺の目の前で、井上が申し訳なさそうに指輪を外す。
ああ、やっぱり…と。
高1から散々待たせた挙げ句、両想いになって尚、1年以上も待っててくれなんて、いくらなんでも無理だよな…って。
納得するしかない…頭ではそう自分に言い聞かせながら、同時に胸に鋭い刃物で抉られたような痛みを覚える。
「だからね。」
そう言うと、井上は俺に背を向け、机の引き出しをガサガサと探り、何かを手に取った。
…それは、金糸のような、細い鎖。
「…これで、いいかな。」
井上はその鎖に俺が渡した指輪を通すと、鎖の両端を持った手を首の後ろに回した。
かちり…金具がはまる音に合わせて、ペンダントトップ代わりに、俺の指輪が井上の胸元で揺れる。
「…い、井上?」
「なに?黒崎くん。」
「や、だって指輪つけられない…って…。」
状況が飲み込めず、情けなくも掠れた声で俺がそう尋ねれば。
「うん。つけられないの。異物混入に繋がるかもしれないからって、食品を扱うところは大体指輪とか禁止なんだよ。だから、これならいつでも身につけていられるかな…って…。」
井上はそう言って、鎖骨下で揺れる指輪の形を指でなぞり、幸せそうに笑った。
「ありがとう…黒崎くん。指輪なんて、夢みたい…。大学だって忙しいのに、あたしのために…。すごく可愛い…。」
潤んだ綺麗な瞳で胸元を見つめる井上に、俺はへなへなと脱力する。
「……何だよ…。」
「え、く、黒崎くん?」
「俺、てっきりフラれたのかと…。」
「えええっ?!あ、あたしが黒崎くんを?!そんなこと、カバさんが腕立て伏せしたってあり得ないよ!」
「…何だよ、カバの腕立て伏せって…。」
「じゃあ、キリンさんのバク転?」
「ああ、そりゃ長い首が邪魔そうだな。」
俺が井上に突っ込みながらその柔らかな体をそっと抱き寄せれば、井上は甘えるように俺の胸板にすりっと頬を擦り寄せた。
「…呆れて、ねぇの?」
「え?」
「俺からコクって、付き合ってくれって言ったくせに、デートにもロクに誘えなくて…。こんなの想像してたのと違う、ってがっかりしなかったか?」
「それは…本当はね、もっと黒崎くんに会えたら嬉しいよ。でも、今がいちばん忙しくて大事な時だって解ってるもん。」
ああ…本当に、俺の彼女は物分かりがよすぎる。
こんな井上だから、俺は…。
「…あのな、井上。」
「うん、なぁに?」
「…好きだよ。」
「…っ!」
「だから…待っててくれ、井上。」
「うん。待ってる。大好き。」
彼女の首元を彩る、金の鎖と指輪。
それが、離ればなれの俺達を繋ぐ「絆」であるように。
ふと不安になった夜、今夜の誓いを暖かく照らし出す「光」になるように。
どうか、あと1年、その輝きを彼女の胸元で…。
「なぁ、黒崎。結局、例の彼女とは、どうなったんだ?」
「ああ、今はほとんど会えないけど、俺が社会人になるまで待っててくれって伝えてある。」
「それで、彼女も『待つ』って言ってくれたのか?」
「ああ。」
「く~っ!いい彼女だなぁ、おい!卒業までまだ1年あるってのに!」
「天使かよ!なぁ、写メとかねぇの?どんな娘だよ!」
「写メ…一応、あるけど。」
「どれどれ…って、これは…。」
「…何だよ?」
「一護、これは、キープしておかなくちゃダメなヤツだ…。マジで天使だ…。」
「逃がしたら一生後悔するぜ、絶対。」
「解ってるよ。」
「黒崎さん、はい、どうぞ。初ボーナスの明細書ですよ。」
「あ、ありがとうございます。」
「就職して3ヶ月、よく頑張ったからね!自分へのご褒美に、好きなものでも買ったらどう?」
「いえ、初ボーナスの使い道は、もう決まってるんです。」
「あら、そうなの?」
「はい。もう随分、待たせているんで。」
「…え?誰を?」
「…秘密っす。」
社会人になって、初めてのボーナスの使い道は、大学生の時にもう決めていた。
給料3ヶ月分…とはいかないけれど。
長い間待たせた彼女に、俺のありったけの「誠意」を…。
(2019.01.13)