付き合いかけたって何なんだ
「…何かソレ、ちょっとずるくね?」
そのダチの一言が、鉛の様に俺の胸に重くのしかかる。
それは、多分…いや、間違いなく、図星だったから。
…俺は、ズルい。
《pattern2.ring&chain》
それは、大学からの帰り道、バスを待っている時の何気ない雑談。
最近、就活やら、研究室でのレポート発表やら、卒論の準備やら…色んなものが一気に迫ってきて、バタバタしてるよな…なんて話をしている時、ふいに振られたんだ。
「そういや黒崎、例の彼女とはどうなんだ?」
「へ?」
「何っ?!黒崎、彼女がいるのかよ!いつの間に?!」
目の色を変えて話に食いついてくるもう一人のダチ。
別に、井上と付き合いだした報告などいちいち必要ないだろう…と俺はそっけなく答える。
「どうって…別に、何も。」
「『何も』って何だよ!今まで浮いた話なんか1つもなかったお前に、ついに初カノができたんだろ?何もない訳ねぇじゃん!」
「本当に、何もないんだって!そもそも、最近全然会えてないんだし。」
「何だよ、遠距離かよ?」
「いや、同じ町内だけど…。向こうは社会人で、しかも平日休みだし。俺は俺で忙しいし、仕方ねぇだろ?」
俺がそう答えれば、さっきまでニヤニヤしながら俺の脇腹を肘でつついていたダチも、どうやら俺が誤魔化している訳じゃないことを感じ取ったらしい。
次第に追及の手を緩めて、伺うような哀れむような視線を俺に向けた。
「…じゃあ、マジでまともなデートとかしてねぇの?」
「…ああ。」
「連絡はこまめに取り合ってんのか?」
「こまめ…でもない、かな。アイツ、メールやLINEの文字入力とか苦手だし、たまに電話してもどっちも疲れてるから、寝落ちしちまったりして、だったらあんまり電話しない方がいいかな、とか…。」
「ははは、何だそれ、付き合ってるって言えるのか?」
俺を笑い飛ばすダチに、思わず顔が強張る。
ギクリ…という音が、本当に聞こえた気がした。
「そ、そりゃ、一応コクって、オッケーもらった訳だし、多分…。」
「コクって両想いなのと、付き合ってるってのは、違うだろ?」
「……。」
完全に返す言葉を失い、黙り込むしかない俺。
だってそれは、俺自身が誰より痛感している現実。
井上に告白して、井上も大粒の涙を溢しながら頷いてくれて…ああ、ここから俺と井上の新しい毎日が始まるんだ、そう思ったのに。
お互いが多忙で、休みもすれ違いで…結局、俺達の『毎日』は、何も変わらなかった。
会いたいのに。
変えたいのに。
アイツを失望なんて、させたくないのに…。
「…あのさ、黒崎。何かソレ、ちょっとずるくね?」
何も言えない俺の代わりに、さっきまで黙って聞いていたもう一人のダチが、静かに口を開く。
その言葉は、俺の胸にズシリ…と鉛の様に重くのしかかった。
…つまりは、図星だったから。
「ズルい…って、そりゃ黒崎に悪くねぇ?」
「だってよ、『コクって両想い』って言いながら、結局付き合ってる事実は何もない…って、彼女をキープしてるだけみたいで、何か可哀想だと思ってさ。」
「そりゃ言い過ぎだろ、俺達が今忙しいのは事実なんだし。」
「付き合う時間がないのなら、そもそも告白するタイミングじゃなかったんだよ。放っとかれりゃ、彼女だって不安になるだろうしさ。」
ダチ二人のやり取りが、胸にグサグサと突き刺さる。
だって、恋愛なんて初めてで、ガキ同然の俺は、大学生活と井上との交際を両立させるのがこんなにも難しいなんて、想像できなかったんだ…なんて、そんな言い訳が既にガキだ。
そして、きっとそれが井上を不安にさせて、寂しくさせている…。
「…だよな。まともに会ってもやれねぇのに、『俺と付き合ってるんだから』って束縛するのは、確かにズルいよな…。」
そうだ、俺はズルい。
大学生活と井上との交際を両立させる器用さなんて、持ち合わせてない癖に。
彼女に寂しい思いをさせている…そう解っている癖に。
それでも尚、その手を手離す選択もまた、決してしたくないんだから…。
俺が自分の非を素直に認めれば、俺を庇ってくれていたダチは、気まずそうにガリガリと頭をかいた。
「あ……あ~黒崎、あんまり深刻になるなよ。お前と彼女のことは、二人で決めればいいことだからさ。」
「…ああ。」
ずっと落としたままだった視線を、ゆっくりと上げる。
まだ夕方だというのに、灰色の雲が空に立ち込めているせいで辺りは薄暗く、冷たく乾いた風は立ち竦む俺の間を吹き抜けていく。
「黒崎、今日このあとは?」
「…バイト。あと、ちょっと行きたいところもあってさ。…あ、俺のバスが先に来たみたいだな。」
「じゃあな、黒崎。」
「バイト、頑張れよ。」
「おう。」
俺はダチに軽く手を上げ、バスに乗り込んだ。
今日は、バイト。
でも、その前に、行かなくちゃいけないところがある。
俺が窓から空を見れば、薄暗い空に、まるでオレンジの金糸の様な細い光が一筋、射し込んでいた。
「黒崎くん…!久しぶりだね!」
「悪いな、こんな夜遅くに。」
バイトの帰り、俺は井上の部屋を訪れた。
井上は突然の来訪に嫌な顔1つせず…いや、むしろ泣きそうな笑顔で俺を迎え入れてくれた。
「大丈夫だよ、あたしもさっき帰ってきたところだから。」
「残業か?」
「ううん!仕事のあと、店長の厚意でパンの焼き方を教えてもらってるの。黒崎くん、座って!コーヒー淹れるから、よかったら私が焼いたパン、食べてほしいな。」
「ありがとな。バイト先で軽く夕飯食べたんだけど、全然足りなくて腹減ってたんだ。」
「じゃあ、お夜食にぜひ!」
俺の目の前に並ぶ、焼きたてパンと温かいコーヒー。
「いただきます」と手を合わせて一口パンを頬張れば、ふわりと優しい口当たり。
焼きたての香ばしい香りが鼻孔をくすぐる。
「…どう、かな?」
「うん、美味い。」
「良かった…!」
井上が、ほっとした様な笑顔を見せる。
そんな井上に、何だか泣きたくなる俺。
ああ…本当に、俺には勿体ないぐらいの彼女だな、って。
「…あのさ、井上。今日は、大事な話があるんだ。」
焼きたてパンを1つ平らげて、コーヒーで喉を潤して。
俺が井上にそう切り出せば、彼女もまた俺の向かいでかしこまり、背筋をぴっと伸ばした。
「なぁに?」
「その…俺、オマエにコクって…それで、オマエもオッケーくれて…すげぇ嬉しかった。」
「うん。あたしも、嬉しかったよ。」
「けど、じゃあ彼氏らしいこと何か出来てるか…って言われると、正直、俺何もできてねぇんだ。」
「仕方ないよ。黒崎くん大事な時だし、忙しいもん。」
「今日、大学のダチに『コクって、キープだけして、なのに彼氏らしいこと何もしてやらなくて…それってズルくないか』って言われたんだ。」
「…そんなこと…。」
懺悔とも、言い訳ともとれる俺の言葉に、井上の声音も次第に戸惑いの色が見え始める。
「もしかして…告白したこと、後悔してる?」
井上にそう尋ねられ、俺は左右に首を振った。
やっぱり、幸せだったあの瞬間をなかったことになんてしたくないから。
今、こうして二人で焼きたてパンを食べる時間すら、俺には愛しくて仕方がないから。
井上と出会い、想いが通じあった…その奇跡を、ずっと大切にしていきたいから…。
「俺は、自分をズルいと思う。彼氏らしいこと何もしてやれねぇ癖に、オマエに他の男のところに行ってほしくないって思うんだ。」
「黒崎くん…。」
俺はそこまで言うと、鞄に手を突っ込み、小箱を取り出した。
「だから、これが俺の今の精一杯の誠意だ。もし、井上がいらないって思うなら、俺には返さず、捨ててくれ。」
「え…?」
目の前で、ゆっくりと小箱を開ければ、井上の薄茶の瞳が大きく見開く。
小箱の中央には、小さな光を放つハートを象った環。
井上と両想いになってすぐだったと思う。
その指輪を店で偶然見かけた瞬間、パッと井上の顔が浮かんで…でも、俺の財布事情と照らし合わせても、それはちょっと苦しい金額で。
それから1ヶ月、バイトを余分に頑張って、今日ようやく手に入れることができたんだ。
「…俺が、はめるな。」
ただただ驚き呆然とする井上の左手を取り、その薬指に指輪を通す。
彼女の細い指にしっくりとはまる、ピンクゴールドの指輪。
そりゃ、これは所謂カジュアルリングで、本物じゃなくて。
でも、この指輪を左手の薬指にはめた、俺の想いは「本物」だから。
伝わってほしい。
俺の「本気」が。
「今は、お互いに忙しくて、会う時間もまともに取れねぇけど…俺が大学を卒業して、就職するまで、待っててくれねぇか…?」
これは、俺の「本気」の…そして、「束縛」の証。
ズルいと言われたって、構わない。
俺には、井上しかいないから。
これから先、ずっと一緒にいたい…そう思うのは、井上だけだから…。
俺が固唾を飲んで見守れば、やがて井上の見開いていた瞳がふにゃりと細くなって、涙が滲んで。
更に、少し困った様に彼女の眉尻が下がった。
「黒崎くん、あのね、あたし…この指輪、つけられない。」
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