一織の新婚生活









「すみません、明日の午前中の在宅勤務許可をお願いします。」
「了解。例の文書の翻訳を終わらせてくれりゃ、こっちに文句はないさ。」

帰宅前、俺が書類を提出すれば、上司は許可欄に印を押しながら、ニヤリと笑った。

「…さては、明日は嫁さんが仕事休みだな。」
「まぁ、そんなところです。」

基本、土日が休みになることはない嫁さん。
それなら、俺がなるべく彼女に合わせた仕事をするのが当たり前な訳で。
この会社に入社したのは、仕事の内容に魅力があったのは勿論だが、フレックス勤務も取り入れていたりと、勤務形態がかなり自由だったからだ。

死神代行を続けていく上でも。
そして嫁さんやいつかは生まれてくる子供を護る為にも、俺には都合が良かったんだ。

「愛妻家だなぁ。入社して数ヵ月で『結婚します』と聞かされたときには驚いたが、それだけ可愛い嫁さんだってことか。仕事と新婚生活、しっかり両立させてくれよ。」
「はい。」

理解ある上司に頭を下げて、仕事に必要な物を鞄に詰め込み、会社を出る。

…今日こそ、アイツが望んでいた『家飲み』を実現してやりたいから。








《新婚さん4日目》








「ただいま。」
「おかえりなさい、一護くん!」

俺が玄関のドアを開ければ、エプロン姿の嫁さんが出迎えてくれる。

明日の午前中を在宅勤務にする為、今日はキリがつくまで仕事をしていたから、嫁さんの方が帰りが早いのも仕方ないことだ。

「一護くん、今日は遅かったね。」
「ああ、その代わり、明日の午前中は在宅勤務にしたから。」

俺の報告に、嫁さんの表情がぱああっと明るくなる。

「本当?!明日の午前中、一緒にいられるの?」
「ああ。まぁ、仕事は仕事だけどな。けど、朝バタバタする必要はないし、今日こそゆっくり『家飲み』しようぜ。」
「嬉しい!一護くん、大好き!」

俺からの家飲みの誘いに、ぱあっと咲いた嫁さんの笑顔の花が、一層きらきらと輝く。
コイツのこういうところ、本当に可愛いよな…なんて。

大人になって尚、こんな風に素直に喜びを表現できるヤツって、以外と少ないんじゃないんだろうか。
簡単なようでいて、実は難しいことを当たり前にやってのける嫁さんだから、俺は彼女を好きになったし、いっぱい喜ばせたいと思うんだ。

「だから、今日は先に風呂に入って、その後晩酌しながら夕飯にしようぜ。」
「うん!」

嫁さんは、無邪気な子供のように大きく頷いて。
そして少し間を置いた後、俺を上目遣いで見ながら真っ赤な顔で伺うように呟いた。

「…お風呂は、一緒に、入る?」
「…へ?あ~…と…。いや、オマエが先に入れよ。で、俺が後から入るから、メシの支度してくれたら嬉しい…かな。」

昨日、虚退治で帰宅が遅くなった為、一緒に風呂に入ったら、我慢ができなくなってそのまま泡まみれイチャイチャモードに入っちまったんだよな。

一緒に風呂に入れるのは正直嬉しいけど、そうするとまた家飲みが延期になりかねない…。

「は、はぁい。じゃあ、そうするね!」

嫁さんは照れを隠すように笑うと、おもむろにぐっと俺の左腕を引き背伸びをして、俺の頬に唇を押し当てて。
そうして、パタパタと部屋の奥へと走っていった。

「…ったく…。」

そういや、早く家飲みの話をしたくって、玄関先でついつい長話をしちまって。
「ただいま」「おかえり」のキスがまだだったっけか。

律儀なヤツ。
うん、やっぱりウチの嫁は、可愛い…。

「…さ、さぁ、俺もできることするか!」

不意打ちのキスに呆けていた俺は、今更のように気恥ずかしさに襲われ、誰が見ている訳でもないのに大きな声を出し、鞄を部屋の隅にドスンと置いた。









「じゃあ、家飲みを始めましょう!」
「おう。」

家飲みの雰囲気を味わうべく、今日はダイニングテーブルではなくリビングの円卓に夕食兼ツマミを並べて。
テレビは消し、代わりに俺のスマホから適当な音楽を流す。

「一護くん、ビールおつぎいたしますぞ!」
「さんきゅ。」

トクトクトク…。

嫁さんが、少し緊張ぎみに黄金色の液体をグラスに注ぐ。
ああ、このビールはきっと、缶から直接飲むより何倍も美味いだろう…なんて思いながら、その光景を眺めていた…が。

「わわっ!泡がっ!」
「こ、溢れる!」

つぎなれていない嫁さんが、危うく泡を溢れさせそうになる。
ギリギリセーフだったけど…。

「あ、危なかったぁ。でも、一護くんにお酌できて嬉しいなぁ!」
「そりゃどーも。じゃあ、今度は俺がオマエについでやるよ。」

気を取り直し、今度は俺がオレンジジュースの缶を開け、嫁さんが手にしたグラスに注いでやった。

「えへへ、かたじけないっす。」
「どういたしまして。」
「じゃあ、いただきま~」
「いや、この場合『乾杯』じゃねぇの?」
「あ、そっか!」

酒を飲み慣れていない嫁さんが手をパッチン!と合わせるのを制し、お互いのグラスを持ってカチン…と鳴らす。

「じゃあ、かんぱーい!」
「乾杯。…でも、何にだ?」
「え~?うーんと、初めての家飲みに!」

嫁さんが告げるそのまんまの理由に笑いつつ、グラスのビールを飲む。

「ん、美味い。」
「美味しい~!」
「ははは、オマエは普通のオレンジジュースだろ。…まぁいいけど。」

そうだな、乾杯の理由も、グラスの中身も、どうでもいいんだよな。

こうして隣にいるオマエの屈託ない笑顔が、何より酒を美味しくするんだ。

「今日の夕飯、焼き魚だったんだな。ツマミにちょうどいい。」
「そうなんだ~。あたし、ツマミとかよくわからないんだけど、お魚は上手に焼けたよ!」

他愛もないことを話ながら、ビールを飲み、好きな料理を箸でつつく。

隣には、オレンジジュースをちびちび飲みながら、モリモリ美味しそうに食事をする嫁さん。

職場の飲み会も悪くはないけれど、嫁さんと穏やかに過ごす、こんな飲みもいいもんだ…と素直に思う。

「そう言えば、一護くんって、家でお仕事の話あんまりしないね。」
「ああ、俺の仕事の話なんて聞いても、面白くないんじゃねぇかと思って。」
「そんなことないよ!一護くんの仕事の話、聞きたい!」
「…そうか?」
「うん!ほら、あたし高校卒業したあと、そのままバイト先に就職しちゃったでしょう?だから、ウチの店以外のこと、全然知らないんだぁ。」
「確かに、な。」

仕事は家庭に持ち込まない主義…の方がいいんだろう、なんて勝手に思っていたけれど。
こうして、織姫が俺の仕事に興味をもってくれるのは、悪い気分じゃない。

俺が話し始めた仕事の話に、嫁さんはうんうんと頷きながら真剣に聞き入ってくれて。

しばらくは饒舌に喋っていた俺だけど、ふと彼女の視線が話の合間に飲んでいるビールに注がれていることに気がついた。

「…どうした?」
「ねぇ一護くん、ビールって美味しい?」
「何でだ?」
「だって、一護くんがすごく美味しそうに、幸せそうに飲んでるから、そんなに美味しいのかな、って…。」

興味津々といった表情で俺のビールを見つめている嫁さん。
確か、アルコールには全く免疫がなかった筈だけど…俺が一緒にいるし、ちょっとだけなら。

「…一口だけ、飲んでみるか?」
「うん!」

嫁さんは嬉しそうに頷くと、俺からグラスを受け取り、まじまじと見つめたあとにグラスにそっと口をつけた。

「…どうだ?」

返事を聞くまでもない。
眉を八の字にして、渋い顔をする嫁さんに、思わず吹き出す。

「…一護くん、これが美味しいの?」
「ははは、織姫にはちょっと無理か。」

そんな会話を交わして、俺が残りのビールを一息に飲み干した、その直後。

ぽっ。

嫁さんの両頬が、熟れたりんごの様に赤くなる。

「…ふにゃ…。」

そして、薄茶の瞳はとろん…と溶け始め、くったりとした身体が俺にもたれかかってきた。

「マジか。」

酒に弱い…ってのはわかっていたけれど、まさかビール一舐めでこの状態とは。
こりゃ、職場の飲み会でも絶対にアルコールを口にしないよう、言い聞かせておかないと…と改めて考える。

「酔ったな、織姫。」
「うん…そうみたい…。」
「じゃあ、今日の家飲みは終わりにして、寝るか。」
「え~…まだ、一護くんと家飲みしたいよう…。」

駄々をこねながら、俺の肩に腕を回し、すりすりと顔を擦り付けてくる嫁さん。
けれど、瞼は随分と重そうで、いつ寝てしまってもおかしくない。

「ほら、歯を磨きに行くぞ。もう腹一杯食っただろ?」
「まだ一護くんとお話したい~。」
「今にも寝そうなヤツが何言ってんだ。」
「だって、一護くんが大好きなんだもん~。」

…何だよコイツ、酔ってもクソ可愛いとか反則だろ…。

「と、とにかく動け。」
「ふにゃあ~。」

先に風呂に入っておいて良かった。
俺は嫁さんを抱き上げ、まずは洗面所へ連れていき、一緒に歯を磨いて。

再び彼女を抱き上げると、寝室のベッドの上に下ろした。

「ほら、もう寝ろ。」
「一護くんは~?」
「俺は、テーブルの上の片付けをしてくるから。」

宥めるように嫁さんの頭を撫でてやれば、彼女は俺の服の裾をきゅっと掴んで、子供みたいにいやいやと首を振る。

「やだ、一護くんと一緒に寝る~。」
「俺も片付けをしたらすぐ来るから。」
「やだ、ぎゅうってしてほしいよぅ~。お片付けは明日やろうよ~。」
「…。」

いやいや、落ち着け俺。
「ぎゅうってしてほしい」は俺を誘っている訳じゃないぞ、うん。

いくら新婚と言えども、酔い潰れた(潰した覚えはないが)織姫を抱くほど、俺も落ちぶれちゃいない。
さすがに今日は、我慢だ。

「ぎゅう~。」
「解ったよ。」

嫁さんの手を振り切るのを諦めて、俺も一緒にベッドに入れば、彼女は満足そうにふにゃり…と笑った。

「一護くん、ありがと~。」
「おう。」
「一護くん、あたし、しあわせ~。」
「…そっか。」
「一護くんと、結婚できて、しあわせだよ~。」
「…俺も、幸せだ。」

今交わした言葉を、明日の朝、彼女は覚えているのだろうか。

すう…っと吸い込まれる様に眠ってしまった嫁さんの寝顔を見つめながら、俺はもう一度「幸せだ」と一人ごちて。

心地よい酔いと嫁さんの柔らかな温もりに身を任せ、瞳を閉じた。








(新婚4日目、奥様念願の家飲みをしたら、奥様は酔い潰れてしまったものの、旦那様も奥様も結構幸せ)




(2019.10.06)
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