一織の新婚生活









「じゃ、そろそろ上がらせてもらいます。」
「そうそう、早く帰らなくちゃな。何たって新婚なんだから!噂じゃ、めちゃくちゃ可愛い嫁さんなんだろう?」
「そうッスね。」

今日の仕事を終えて、机上の整理をしながら上司の問いかけに答えれば、上司は少しぽかんとした後、ニヤニヤと笑いだした。

「…課長?」

俺、何かおかしなこと言ったか?
俺が首を捻れば、上司は笑いながら。

「いやいや、俺が『可愛い嫁さんなんだろう?』って言ったとき、『いや、別に…。』とか言って謙遜するかと思ったら、『そうッスね』ってあっさり肯定するもんだから…。」
「いや、本当に俺には勿体ないぐらい、マジで申し分ない嫁なんで。」

俺自身のことならともかく、何で嫁さんについて謙遜しなくちゃいけないんだ。
ウチの嫁が可愛いのは紛れもない事実だ。

「じゃあ、今日は失礼します。」

唖然とする上司に軽く頭を下げて、職場を出る。

軽く走れば、予定より1本早い電車に乗れそうだ。

早く帰ろう。

…今日こそアイツに、「お帰り」を言ってやりたいから。







《新婚さん2日目》








「ただいま…よし、俺が先だ。」

玄関の鍵を開け、そうっと中に入れば、し…んと静まったままの部屋。

まだ嫁さんが帰ってきていないことに、俺は小さくガッツポーズする。

「え~と、やることは、夕御飯の支度と、洗濯物の取り込みと、お風呂の準備と…。」

俺は仕事の鞄を部屋の隅に置くと、とりあえず夕御飯の支度に取りかかることにした。
…けれど。

「あれ、炊飯器がもう動いてる。冷蔵庫は…。」

既にシューシューと音を立てている炊飯器。
冷蔵庫を開ければ、既にカット済みの野菜が詰められた袋と、何やらタレに漬けてある肉が目に入る。

「何だ…もう支度済みかよ。」

どうやら俺が先に出勤したあと、嫁さんは夕食の下ごしらえをして出勤したらしい。

夕食を作らなきゃ…なんて言いながら、その実カレーとおでんぐらいしか作ったことのない俺には、正直ありがたい。

あとは、この炊飯器の中身が昨日の4分の3になっていることを祈るだけだ。

「昨日の夕食の量、マジで凄かったからな…。」

井上はずっと一人暮らしだったから、食事の量も自分が基準だったんだろう。
昨日は頑張って完食したけど、あの量を毎日食べていたら、あっという間に「幸せ太り」しちまう。
細身の服が好きな俺としては、この体形をなるべく長く維持したい訳で。

「…よし、風呂の支度をして、洗濯物を取り込むか。」

夕食の支度を嫁さんに任せることにした俺は、昨日同様に風呂を準備し、洗濯物を取り込むことにした。

「…。」

そしてまた今日も、干してある洗濯物の前で固まる俺。

「いや、昨日はちょっとびっくりしただけだ…今日は大丈夫だ…大丈夫…。」

結婚するまで清い関係で…なんて健全安全好青年でいられる筈もなく、嫁さんの下着を見るのは昨日が初めてだった訳じゃない。

けれど、「そういうつもり」でもない、ただの「日常」に突然飛び込んできた嫁さんの下着。
残念ながら、それを目の前にして平然といられるほど、俺の経験値は高くなかった。
そして、ついでに。

「マジででけぇブラだな、ラーメン丼ぐらいあるんじゃねぇの?そのくせ、パンツはめっちゃちっちぇし…。」

普段まじまじと見ることのできない嫁さんの下着を、つい観察しちまったりして、そのブラのカップのデカさにも驚いちまったりして…。

「いやいや…だからそういうことを考えたりするから、恥ずかしくなっちまうんだろ、自分。」

俺は自分自身を戒め、なるべく平静を装い、洗濯物を全て取り込んだ。
そして、それらを畳み、部屋の隅に積み上げる。

俺の服の上に、一回り小さい嫁さんの服がちょこんと乗っているのが、何となくくすぐったい。

…甘えさせてやりたい、と思う。

今まで何もかも自分一人でやってきたアイツに、「もう一人じゃないんだ」って、「一人で頑張らなくていいんだ」って、教えたい。

きっとこの洗濯物みたいに、これから俺と織姫の時間は、一緒に重ねて、積み上げられていくものだから…。

「…なんて、洗濯物が例えじゃ、あんまカッコつかねぇか。」

一人そう呟いて、苦笑したその時。
ガチャリ…玄関のドアが、開く音。

「ただいま~。」
「お帰り、織姫。」

今日は俺の勝ちだぜ…なんて考えながら玄関へと走れば、そこには嬉しそうで…でも少し困ったような顔の嫁さんがいた。

「…織姫?」
「一護くん…。」

扉を閉めた嫁さんの眉尻が、一層下がる。
そんなに俺に負けたのが悔しかったのか?

戸惑いながら俺が見下ろす先、立ち尽くしている嫁さんが、少し唇を震わせながら口を開いた。

「あのね…おかえりって…あたし…玄関でこんな風に言ってもらうの、生まれて初めてかもしれない…。」
「…織姫…。」

ああ…そうか。
どこにでも転がっているような、当たり前の「お帰り」も…嫁さんにとっては『特別』なんだ…と。

それが解ったとき、俺の胸がぎゅっ…と締め付けられ、同時に彼女を「当たり前の幸せ」で包んでやりたい…そう強く思った。

「どうしよう…あたし、どんな顔したらいいのかな。」
「…笑って『ただいま』でいいんじゃねぇの?今日1日が、それなりにいい日だったんなら、さ。」

俺がそう告げれば、嫁さんはふにゃり…と泣きそうに笑って。

「…ただいま…。」

そう掠れた声で言ったあと、俺の腕に飛び込んできた。

「心配すんな。これから『ただいま』も『お帰り』も、飽きるぐらいに言えるから。」
「うん…。」

そのまま、「お帰り」のキスをしたけれど…それは昨日のキスよりずっと長くて甘くて、少ししょっぱかった。









「さぁ、夕御飯の支度しなくちゃ!」

ひとしきり泣いた嫁さんが、キッチンに立ち、気を取り直すようにエプロンの紐をきゅっと縛る。

いつもの元気な笑顔が戻ってきたことにほっとしつつ、俺は夕食の支度が何もできていないことを詫びた。

「悪いな、冷蔵庫に何か仕込んであったから、メシの支度は何もしてねぇんだ。」
「ううん、大丈夫だよ!今からスープ作って、煮込んでる間にお肉焼いちゃうね!」

嫁さんは刻んであった野菜と水をを鍋に入れ、火をつけて。
野菜庫からレタスとミニトマトを取り出して皿に盛りつけ、タレにつけてあった肉をフライパンで焼き始めた。

…成る程、手際の良さは流石だな…と眺めながら、スープの具材を煮込んでおくぐらいなら、俺にもできるかな、と考える。

「今日は昨日より量を減らしたから、安心してね。」
「おう、サンキュな。」

レタスとミニトマトが乗っている皿に、嫁さんがこんがりと焼けた照り焼きチキンを盛り付ける。
うん、確かにこれならちょうどいい量だ。

「でね、一護くん。」
「ん?」
「実は、今日はデザートがあります。」
「え?」
「じゃじゃーん!店長が、売れ残りのケーキを持たせてくれたの!今日中に食べてねって!」
「…何で4つ?」
「勿論、一護くんとあたしで2こずつです!」
「ケーキが食えるのは嬉しいけど…せっかく夕食の量が並みになったのに、意味ねぇじゃん…。」






(新婚2日目、ケーキ2こ分のカロリーを旦那様が消費するため、奥様が夜の運動にお付き合い)





(2019.08.03)
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