一織の新婚生活
「じゃ、そろそろ上がらせていただきます!」
「そうそう、早く帰らなくちゃね。何たって新婚さんなんだから!」
「はい!」
今日の仕事を終えて、エプロンを外しながら退勤の挨拶をするあたしが頷けば、店長は少しぽかんとした後、クスクスと笑いだした。
「店長?」
あれ、あたし、何かおかしなこと言ったかな?
あたしが小首を傾げれば、店長は笑いながら。
「ご、ごめんね織姫ちゃん。『新婚さんなんだから』って言ったとき、『やだ、そんな…。』とか言って照れるかと思ったら、あんまりにも嬉しそうに『はい!』って返事するから、素直で可愛いなって…。」
「え、ええ…。」
そう言われ、今更恥ずかしくなってしまうあたしの肩を、店長がポンポンと叩いた。
「幸せいっぱいなんだよね、織姫ちゃん。何だかこっちまで幸せな気持ちになっちゃった。気をつけて帰ってね。」
クスクスと笑い続ける店長にそのまま送り出され、自転車にまたがって。
気を取り直し、ペダルに足をかけ、ぐっと踏み込み颯爽と走り出す。
早く帰らなくちゃ。
…大好きな「旦那様」を、とびきりの笑顔でお迎えしたいから。
《新婚さん1日目》
「ただいま~…よし!あたしが先だ!」
玄関の鍵を開け、そうっと中に入れば、し…んと静まったままの部屋。
まだ一護くんが帰ってきていないことに、あたしは小さくガッツポーズする。
「え~と、夕御飯の支度と、洗濯物の取り込みと、お風呂の準備と…。」
あたしは荷物を部屋の隅に置くと、脳内で家事の段取りを立て、まず夕御飯の支度に取りかかることにした。
昨日は引っ越しで疲れてしまって、外食で済ませてしまったから、今日が初めての夕食作りだ。
「先にご飯を炊いて、おかずを煮込んじゃおうっと。」
今までは、あたしだけの為の家事だった。
でも、今日からは、一護くんとあたし、二人の為の家事。
炊くご飯も、おかずも2倍。
…たったそれだけのことで、あたしはこんなにも幸せになれる。
「えへへ…頑張ろう。」
あたしは、これまでの2倍のお米を洗って炊飯器にセットして、これまでの2倍の味噌汁と肉じゃがを作り始めた。
それから、20分ほど経っただろうか。
ガチャリ…玄関のドアが、開く音。
「ただいま~。」
「お帰りなさい!」
…ああ、「お帰りなさい」だって。
何て、懐かしいフレーズ。
声が弾んじゃうよ。
嬉しくて…でもちょっと泣けちゃいそうなあたしが玄関へと走れば、そこには嬉しそうな…でもちょっとだけ悔しそうな旦那様。
「…一護くん?」
「いや、今日は俺が先に帰って、オマエを出迎えてやろうと思って走って帰ってきたのに…負けたと思って。」
「走って帰ってきた」と言う割には、微塵も息が乱れていないあたり、さすがあたしの旦那様だけど。
あたしだって、旦那様を出迎えたくて、自転車を全力でこいできたんだもの。
「ふふふ…今日はあたしの勝ちですな。」
「ちぇ…明日は負けねぇからな。」
負けず嫌いな旦那様は、ちょっとだけ口を尖らせて。
でも、すぐに穏やかな笑顔に変わると、そのままあたしに顔を寄せた。
「お帰りなさい、一護くん。」
「ただいま、織姫。」
ずっと憧れだった「ただいま」のキスが、こんなに自然にできるなんて。
「…照れちゃうね。」
「…言うな…。」
訂正。
…まだちょっと、「自然」ではないかも。
でも、照れ屋さんなのにちゃんと「お帰りなさいのキス」をしてくれる旦那様は、やっぱり優しいと思うのです。
「…で、俺は何をすればいい?」
部屋の隅、あたしが荷物を置いた隣に仕事の鞄を置いた一護くんが、あたしを振り返る。
「え?一護くんはゆっくりしてていいよ。」
「んな訳いくかよ。飯は…もう作ってくれてるんだな。じゃあ俺は、風呂入れて洗濯物畳むな。」
キッチンの様子を伺った一護くんが、当たり前みたいにそう言う。
「え、ええっ?でも…。」
「でも、じゃねぇ。俺達は共働きなんだ、家事をシェアすんのは当然だろ?」
「一護くん…。」
「何で困った顔してんだよ。」
「だって、あたし…。」
多分、あたしの考えていることはお見通しで…でも、だからって家事をあたしに譲る気もなかったんだろう。
一護くんは、戸惑うあたしに、ぴっと人差し指を付きだして。
「俺は、オマエを散々待たせちまったからな。待たせた分、オマエを目一杯幸せにしてやるって決めてるんだ。」
「…!」
あたしに向かってそう言い切ると、すたすたとお風呂場へ歩いていった。
「…。」
あたし、一護くんと結婚できて、本当に本当に幸せで。
だから、毎日家事を頑張ることで「幸せ」のお返しをしていこうって、そう決めてたのに、そんな風に言われたら…。
「せっかく一護くんより早く帰ってきたのに…1勝1敗です…。」
一護くんを幸せにしたいのに、あたしが一護くんに幸せにされちゃった。
あたしは赤くなった顔を両手で覆った。
そのあと、あたしは夕御飯作りの続きを始めた。
キッチンに次第に漂い始める、お味噌汁のいい匂い。
グツグツと肉じゃがを煮込む音が、キッチンに響く。
一護くん、「美味しい」って言ってくれるかな。
お腹一杯になってくれるかな。
「あれ?そういえば、一護くんは…。」
ふと、お風呂を入れたあと、洗濯物を取り込む…と言い残した旦那様が、いつまで経っても戻ってこないことに気づく。
あたしがお玉をキッチンに置いて、こっそり様子を見に行けば、一護くんは部屋干しされている洗濯物の前で固まっていた。
「どうしたの?」
「…や…その…。洗濯物、取り込もうとしたんだけど…。」
「けど?」
「…オマエの下着…。」
「…あ!」
彼の指差す先には、あたしのブラとショーツ。
「いや…でも、俺達夫婦だもんな。これぐらい平然と取り込めなきゃ…これぐらい…。」
自分に言い聞かせるようにブツブツと呟いた旦那様は、それでもあたしに「代わってくれ」とは言わず。
やがて決心したように、真っ赤な顔であたしの下着を取り外した。
「ふふふ…ありがとう。」
洗濯物を干したのは、あたし。
勿論、あたしが一護くんのトランクスを干した時だって、ドキドキはしたけれど。
昔、お兄ちゃんの服をよく洗濯していたから、一護くんみたいに固まったりはしなかった。
「…ちゃんと、家事、シェアするからな。」
「はい。ありがとう、一護くん。」
ねぇ、一護くんとあたし…本当に夫婦になったんだね…なんて。
こんなことで改めて実感するなんて、おかしいのかな?
「ささ、洗濯物を畳み終わる頃には、お夕飯ができあがりますぞ!」
「了解。今日は肉じゃがか?」
「正解でーす!」
取り込んだ洗濯物を、半分ずつ持って、リビングに向かう。
あたしが夕御飯を仕上げ盛り付ける間に、一護くんは洗濯物を畳んでくれて。
あたしとは違う畳み方で積まれた服が、何だか愛しく見えた。
「ささ、夕御飯ができましたぞ!」
「おう、ありがとな。」
洗濯物を畳み終えた旦那様が、ダイニングテーブルの前に座る。
「ささ、いただきましょう!」
あたしも一護くんのお向かいに座って、手を合わせたけれど…あれ、一護くん、何だか浮かない顔?
「…あのさ、織姫。」
「うん、なぁに?」
「これ…二人分?」
「うん!いつも一人分しか作ってなかったから、二人分作るのって新鮮だったよ!」
「織姫…明日からは1.5人分作れば大丈夫だ…。」
「え?もしかして、見た目が残念?あのね、あたしの料理って見た目はアレだけど、味は大丈夫って乱菊さんが…!」
「いや…味は心配してねぇよ。見た目も普通だし。そうじゃなくて……うん、よし、覚悟は決めた。頑張って完食目指すぜ。」
「はい、いただきます!」
「…いただきます。」
(新婚1日目、旦那様が満腹になりすぎたため、奥様が夜の運動でのカロリー消費にお付き合い)
(2019.07.27)
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