なんで








浦原商店の入り口で織姫達を待っていたのは、浦原ではなく一護と石田だった。

「記憶を操作される」という自分の予想が的中したのではないか…と不安げな表情を見せる織姫に、一護は二人だけで話がしたいと言う。

石田とチャドはその場に残り、一護は浦原に頼んであった六畳ほどの部屋に織姫の手を引き連れていった。

「そこに座れよ、井上。」
「うん…。」

静かな和室にパタン…と響く、障子が閉められる音。
畳の上、二つ並んだ座布団を顎で指し示す一護に、織姫は精一杯の平静を保ちながら頷き、腰を下ろす。
その向かいに自らも座った一護は、正面から織姫を見るなり、眉間に皺を寄せた。

「…何か、少し痩せたか?」
「え?う、ううん、そんなことないよ…。えへへ、さっき茶渡くんにも同じこと言われちゃった。今日の服が着痩せして見えるのかな?大丈夫、ちゃんと食べておりますぞ!」

織姫が、一護に心配かけまいと慌てて笑顔を作る。
一護はため息を1つつくと、胸ポケットから綺麗に畳まれたハンカチを取り出した。
そして、それを自分と織姫の間に置き、折り目をそっと広げる。

「…あ、それ…あたしの部屋の…。」

ハンカチに包まれていたのは、織姫の部屋の合い鍵。
一護は、その鍵に視線を落としたまま、ゆっくりと口を開いた。

「なぁ井上。俺…この1週間、この鍵をどうするのがいいか…誰が持つべきなのか、死ぬほど考えた。いろんな可能性を想像して…けど、やっぱり答えははじめの1コから変わらなかった。」
「はじめの…1こ?」
「今から、しばらく俺の話、聞いてくれるか?全部聞いてもらって、それからこの鍵をどうするか、井上に決めてほしいんだ。…これは、井上の部屋の合い鍵だから。」
「黒崎くん…。」

顔を上げた一護が、織姫を真っ直ぐに見つめる。
織姫は、一護の真摯な眼差しに、例えどんな答えであっても、それが一護の想いならば受け止めよう…そう決意し、こくり…と頷いた。

「俺さ…始めは井上に『他の女と幸せになれ』って言われて、すげぇショックだった。俺って、井上にとってその程度なのか、って。俺が他の女と付き合っても、何とも思わねぇのか、って。」
「そ、そんなつもりは…!違うの、あたし黒崎くんに幸せになってほしかっただけで…その…ごめん…なさい…。」

滅多に見せることのない、一護の寂しげな笑顔。
織姫は自分の言葉が一護を傷つけていたことに漸く気付き、身体を小さくして謝罪する。
勿論、一護は謝罪がほしかった訳ではなく、首をゆるく左右に振ってみせた。

「…解ってるよ。ちなみに、俺は他の女と付き合うつもりは一切ねぇからな。つーか無理だろ?俺みたいなの。死神代行やってますだの、親が死神と滅却師だの、どうやって説明するんだよ。」
「それ…は…。」

悪戯っぽくそう言って小さな笑みを浮かべる一護と、返す言葉に詰まる織姫。
一護は、決して自分を卑下している訳ではない。
しかし、一護が複雑なルーツを持ち、これからも死神代行として尸魂界と関わっていくことを、霊力をもたない大多数の人に理解してもらうのは難しいだろう。
勿論、隠し通せばいいのかもしれないが、秘密を抱えたまま伴侶と一生を共にする息苦しさは、織姫にも簡単に想像できた。

「勝手かもしれねぇけど…俺は、井上は運命の女だと思ってるんだ。」
「え…?」

一護の告げた「運命」という言葉に、織姫が目を見開く。
もし一護の「運命」を変えた存在がいるとしたら、それはルキアであり、自分ではないとずっと思っていたからだ。

しかし、一護は優しいブラウンの眼差しを織姫に向け、言葉を続ける。

「俺の死神代行の姿、虚化や半虚化した姿、完現術を使った姿…俺が俺の中の『ヒトじゃない』部分を見せるとき…いつも井上がいた。その時は『こわがられたくねぇな』って思ったりもしたけど…今は良かったって思ってる。もし、神様ってヤツがいるんだとしたら、きっと、俺のルーツや俺を構成する全てを知った上で、俺を受け入れてくれる『運命の女』をたった一人、与えてくれたんだ。それが井上なんだ。」
「あたしが…運命…の…ヒト…。」
「あんなおぞましい姿、普通なら怖がって当たり前だもんな。けど井上は、高一の時からいつだって俺の『心』をちゃんと見てくれた…それが嬉しかったんだ。」
「だって、黒崎くんは黒崎くんだもん!優しくて、沢山の人を護ろうと命を懸けて闘う…そういう黒崎くんを、あたしは好きになったんだもん…。」

一護の声で紡がれる「運命の女」という言葉。
それが自分を指し示しているということに、織姫は涙腺が緩むのを自覚する。

「…けど、例え井上が俺の『運命の女』だったとしても、俺が井上の『運命の男』とは限らないからさ。もし俺に井上を護る資格がないなら、それを誰かに託せるか…って、次に考えてみた。井上こそ、独りだから。井上にこそ、いつか家庭をもってほしいって思ったから。」
「あたしの運命のヒトは黒崎くんだよ!あたしの命と心を救ってくれて、あたしに大切な人を護る力を与えてくれて…あたしには黒崎くん以上に好きになれる人なんて現れないよ!」

一護の言葉に、目尻に滲んだ涙を散らしながら織姫が叫ぶ。
その必死な表情は、一護の胸をふわりと温かくした。

「…ありがとな。俺も、やっぱり嫌だった。大した霊力もない、どこの馬の骨とも知らねぇヤツに井上を渡すなんて考えられないし、じゃあ石田やチャドならいいのか…って考えて…けど、やっぱり駄目だった。そりゃ、本当は石田やチャドの方が井上に相応しいのかもしれねぇけど…。」
「あたし、石田くんや茶渡くんのことも大好きだけど…黒崎くんを想う『好き』とは違うよ。黒崎くんを想う『好き』は、何より誰より強い、たった一人だけの『好き』…なんだもん…。」

ついに涙となってぽろぽろと溢れ出す、織姫の想い。
一護は両手で顔を覆ってしまった織姫との距離を縮めると、彼女の震える華奢な肩をそっと抱き寄せた。

「…ありがとな。良かったよ、俺からの一方通行じゃなくて。」

僅かに触れ合っただけで、一護も織姫も言葉にできないほどの安堵と幸福に包まれる。
一護の肩に頭を預けた織姫は、涙を拭いながら、ずっと抱えていた不安をぽつぽつと打ち明けた。

「あたしね、もしかしたら、黒崎くんが浦原さんに頼んで、あたしの中の記憶を消そうとしてるんじゃないか…って、不安だったの。」
「確かに、そういう方法もあったかもな。けど…俺はしねぇよ。」
「どうして?」
「俺がされたら、すげぇ嫌だと思うから。」
「…!」

はっとしたように一護を見上げる織姫を、一護は穏やかな笑みを浮かべて見つめ返した。

「なぁ、井上。俺はやっぱり井上がいい。コクったあの日、俺は井上が本当に好きだから抱きたいって思って、だから抱いた。けど、抱けないからって、嫌いにはなれない。」
「うん…。あたしも、黒崎くん以外の人に抱かれたいなんて思わない。」
「だから…井上を抱けなくてもいいから、俺は井上とずっと一緒にいたい。いつか家庭を築くなら、井上がいい。」
「…赤ちゃんは?」
「そもそも、結婚したからって、必ず子供に巡り会えるとは限らないだろ?そんときはそんときさ。ロミオとジュリエットは死んだ後どうなったかわからねぇけど、俺達は死んだ後に尸魂界があるって知ってる。だから、現世は二人だけの時間を過ごしてさ、尸魂界に行ったら子供を作るってのも、悪くねぇかもよ?ほら、こうやって軽く抱き合うぐらいなら、しても大丈夫みたいだしさ。」
「…そ…っか…うん…そうだね…。」
「だからさ、井上。改めてになるけど、オマエさえよければ…俺にこの合い鍵を持たせてくれねぇか?井上の、彼氏として…。」
「…お願い…します…ふっ、ふぇぇっ…!」

一護に告白されたあの日と同じように、織姫の号泣する声がひとしきり部屋に響く。

しばらくして、泣き止んだ織姫の目の前でポケットからキーケースを取り出した一護は、空いている金具に織姫の部屋の合い鍵をつけた。

「どうだ?いい感じだろ?」
「うん…。」

織姫の部屋の鍵と黒崎家の鍵が重なり、チャリ…と高い音を立てる。
その幸せな音に、織姫ははにかんだような綺麗な笑顔を浮かべたのだった。



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