なんで






それから、1週間が過ぎた頃。

一護が織姫の部屋のベランダを訪れたあの日以来、久しぶりに空座の宵闇の町に虚が現れ、既に大学での講義を終えていた一護と石田が退治に駆けつけた。

二人によってあっけなく虚は魂葬され、夜空に還っていく。

「茶渡くんと井上さんは…来なかったね。」
「仕方ねぇよ。二人共、忙しかったのかもしれねぇし、井上はこの時間なら仕事中かもしれねぇし。あの程度の虚なら俺達だけで余裕だろうって判断したのかもしれねぇし。」
「…そうだね。」

いくつかの可能性を告げながら、一護が僅かに視線を落とす。
石田は、一護は口にしなかったものの、「織姫は、もう一護に会いたくなかったのかもしれない」という最後の可能性を想像したに違いない…と気づいていたが、それを口にすることはしなかった。

「なぁ…石田。」
「なんだい?」

次第に藍色を増やしていく夜空を見上げながら、一護は、ぽつりぽつりと声を漏らす。

「井上は…俺に他の女と家庭を築いて幸せになれ…みたいなこと言ったけどさ…。本当にそれが必要なのは、井上の方だよな。」
「…どういう意味だい?」
「俺はこの先、ずっと一人でいたって、親父や遊子や夏梨っていう家族がいる。一人でも、孤独じゃない。けど…井上は、結婚しなけりゃ『家族』ができない。ずっと…独りになっちまう。」
「…そうだね。もっとも、今は家族の在り方も多様化してる。結婚や出産だけが、家族を作る全てではないけどね。」
「まぁな…。」

それきり、互いにしばらく黙り込み、星が瞬き始めた夜空を見上げる。
やがて、先に口を開いたのは、石田の方だった。

「まるで、ロミオとジュリエットだね。確か、君はシェイクスピアが好きだった…皮肉なものだね。」
「…。」

石田の言葉に、一護は無言のまま俯く。
物語として触れる悲劇や悲恋は、悲しいがどこか美しく、実らないが故に貫いた恋心は一層尊く見えた。
けれど、自分がいざ似たような立場に置かれてみれば、そんな美しさも尊さも、何の価値もないと解る。
ロミオもジュリエットも、どれだけ醜くてもいいから、あがけるだけあがいて、望む未来を手に入れたかった筈だ。
…二人で手を取り合い、歩んでいく日々を。
もっとも、ロミオとジュリエットはそこにすらすれ違いを起こし、命を自ら絶ってしまったけれど…。

「井上さんは、これからも君をずっといちばん大切に想い続けるだろう。例えばそれで、彼女が2番目に大切に想う誰かと家庭をもったとして…例え孤独ではなくても、それが本当に彼女の『幸せ』と言えるのかな。」
「……。」
「もし、彼女に黒崎以外の誰かと家庭を築くことを望むなら…君との記憶を、浦原さんに消してもらうぐらいのことはしなきゃ、彼女は『幸せ』にはなれないと思うよ。もっとも…井上さんはそんなこと、露ほども望まないだろうけどね。」

石田の言葉に、一護は「やっぱり、そうだよな」と小声で呟くと、視線を真っ直ぐ前に向けた。

先程まで揺れていたブラウンの瞳に、確かに宿る光。
石田は、一護が結論を出したことを悟る。

「…行こう。」
「浦原さんのところへか?」
「ああ。この1週間、死ぬほど考えたけど…やっぱり、どれだけ考えても俺の頭には答えが1コしか浮かばねぇんだ。」
「ふ…黒崎らしくていいんじゃないか?」
「悪かったな、単細胞でよ。」

一護が、ふんっと口を尖らせる。
恐らく、一護が出した答えは、自分が望むものに違いない…石田はそう肌で感じ、小さく笑った。

「じゃあ、僕は井上さんと茶渡くんに、浦原商店に来てもらうよう連絡するよ。君はせいぜい、頭の中でシミュレーションを繰り返しておくといいさ。」
「へいへい、お気遣いありがとよ。」

ポケットからケータイを取り出し、織姫とチャドに連絡を取り始めた石田をその場に残し、一護は自分の部屋にある身体に戻るべく、夜空へと舞い上がった。









「あ、茶渡くん!」
「ム…来たか、井上。」

浦原商店に向かう途中にチャドと出会った織姫。

彼に小走りで駆け寄り、街灯がぽつぽつと灯る夜道を並んで歩き始める。

「少し痩せたか?」
「そ、そんなことない…と思うよ?」

織姫は心配そうに自分を見下ろすチャドに、慌てて笑い返した。

体重を毎日量っている訳ではないから、本当のところは分からない。
けれど、「一護のことを諦める」と決めてから、毎日の食事が美味しく感じられないのもまた、事実だった。

「一護とのこと、誰かに相談したか?有沢とか、朽木とか…。」
「ううん。心配かけちゃうから。それに…。」

そこまで告げたあと、それきり黙りこくる織姫。

「辛い時、誰かに話すと楽になる」…とよく言うけれど、本当に本当に辛い出来事は口にすることすら辛くて、重くて。
きっと、一護とのことをたつきやルキアに話す時が来るとしたら、自分の想いに何らかの形で「決着」がついた、その時だろう…と思う。

「茶渡くんもありがとう。ずっと心配してくれてたんだよね。」
「ム…。何も役に立たなくてすまない。」
「ううん。こうして、浦原さんのところに一緒に向かってくれるだけで嬉しいよ。石田くんが、どうしてあたしと茶渡くんを呼び出したのか…やっぱり、ちょっと不安だから。」
「不安…?」

チャドが織姫の言葉を繰り返せば、織姫はチャドを見上げ、にっこりと笑った。

「例えば、浦原さんや石田くん、黒崎くんが…あたしの記憶を操作しようとしていたら、どうしよう、とかね。」
「まさか…。」
「あたしなら、考えちゃうかもしれないの。黒崎くんが、あたしのことを全部忘れて、それで『幸せ』になれるなら、それもありかもしれない…って。あたしとの記憶が黒崎くんの邪魔になるなら…なくなってもいいのかもしれないって。」
「…井上…。」
「でもね、例えあたしの中の黒崎くんの記憶が全部消えたとしても…あたし、黒崎くんに再会したら、また黒崎くんを好きになると思う。きっと、何回でも…。」

織姫の静かな…けれど凛とした声に、チャドはこれが彼女の強がりでも願望でもなく「確信」なのだと実感する。
織姫と一緒に修行し、一護の力になろうと走り続けてきたチャドは、彼女の想いの強さも深さ…そして覚悟も、よく知っていた。

「だからね、あたしの記憶を消しても無駄ですよ、って、ちゃんと伝えてこようと思って。」

そう言って笑う織姫の笑顔は、少女のような純真さと、それ故に揺るがない強さを抱き合わせていて。
チャドは、どうか彼女のこの想いが、一護に届くように…と願わずにはいられなかった。

「…そうだな。願わくば、そんな目的で呼び出された訳じゃないことを祈るがな。」
「そうだね。…そんなこと話してる間に、着いちゃった。」

織姫とチャドが、浦原商店の前に並んで立つ。

初めて浦原商店に入ったときの様な緊張感を覚えながら、織姫はその店の引き戸をゆっくりと開けた。



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