なんで







「…な、んだって…?」

浦原のまさかの宣告に、一護が掠れた声を絞り出す。
その隣にいた織姫も、そして石田とチャドも目を見開き、凍りついたように固まって動けない中、一人冷静なままの浦原が言葉を返した。

「『何だって』も何も、言葉の意味の通りッスよ、黒崎サン。」
「…っ…ふざけんなよ!なんで、俺と井上の関係に口を出されなくちゃいけねぇんだ!」

氷点下まで冷やされた一護の心が、浦原の言葉を頭で理解すると同時に今度は怒りで一気に沸点まで熱くなる。
カッとなり、浦原にくってかかろうとする一護の腕を、石田とチャドが咄嗟に掴んだ。

「頭を冷やせ、黒崎。ついさっきまで、虚の大群を相手にしていたのをもう忘れたのか?」
「忘れてねぇよ!けど、ちゃんと魂葬できただろ!」
「…待って、黒崎くん。」

大声を上げて、チャドと石田の拘束を振り払おうとする一護の手にそっと重ねられる、小さな手。
その柔らかな感触にはっとして我にかえった一護が隣を見下ろせば、織姫が真っ直ぐに自分を見つめていて。
戸惑いながらも浦原にぶつけようとした怒りを抑え込んで身を引けば、織姫はこくり…と1つ頷き、1歩前へ出ると今度は浦原を真っ直ぐに見つめた。

「…浦原さん、解りました。」
「え?」
「あたし…諦めます。」

さらり…風に撫でられた織姫の髪が静かに揺れるのが、一護の薄茶の瞳に映る。

「は?!い、井上…?!」

織姫が確かに告げたその言葉に、耳を疑い、驚愕する一護。
対して、浦原はパンッと音を立てて扇子を開くと口元を覆い隠し、満足げに頷いた。

「…そうですか。ありがとうございます、井上さんは物分かりがよくって助かるッス。」
「あたし、仕事に行く準備しなくちゃ。じゃあ…行くね。」
「いやぁ、これで一安心ッスね。では、アタシもこれで。」
「早朝から虚退治に駆けつけていただいて…ありがとうございました。」

浦原と淡々と会話する織姫が、今一体どんな顔をしているのか…それを見ることすら叶わず。

スッと風の様に音もなく去っていった浦原を見送ったあと、織姫もまたこちらを一度も振り返らないまま、胡桃色の髪を靡かせながら走り去っていく。

「ま…待てよ、井上!なんで…!」
「ム…落ち着け、一護。」
「落ち着けるかよ!」

織姫を追いかけようと、再び石田とチャドの拘束を振り払おうとする一護。
しかし、決して己の腕をつかんで離さないチャドに、一護が噛み付くように叫ぶ。
もっとも、チャドがそれで怯むことはなく、石田もまたチャドの行動を肯定するように頷いた。

「僕も、今黒崎が追いかけるのは得策じゃないと思う。その頭に血が上った状態で井上さんと冷静に話し合うなんて無理だろう?井上さんを追い詰めても、状況は好転しないよ。」
「けど…けどよ…!」
「…僕が行くよ。彼女の本音の一欠片を引き出すぐらいは、できるかもしれないから。後で君にも必ず連絡する。」

石田がゆっくりと一護の腕を離す。
石田の拘束を逃れた一護が、チャドに掴まれた腕を再び振り払おうとしたが、その動きに先ほどまでのがむしゃらな力強さはない。

怒りでいっぱいだった一護の胸が、次第に自分の無力さと虚しさに支配されていく。

今の自分より石田の方が織姫を追うのに適任であること…それがチャドだけでなく、自分でも悔しいほどに解ってしまったのだ。

「ム…そうだな。井上も傷ついてる。少しでも話を聞いてやってくれ。一護は、俺が引き受ける。」
「ありがとう、茶渡くん。」

一護を一瞥したあと、石田は踵を返し、織姫を追って走り去っていく。

「…くそっ…!なんでだよ、なんで…!」

ギリ…っと歯を鳴らしながら俯く一護を、チャドは黙って見下ろすしかなかった。











「井上さん、今から仕事?」
「石田くん…。」

石田が織姫に追い付いたとき、彼女は自分のマンションから自転車に乗って出勤しようとしているところだった。

「本当は、黒崎もここへ来たがっていたけどね。あっちは、茶渡くんが話を聞いてくれているよ。」

小走りで織姫に駆け寄る石田に、織姫は自転車のハンドルを持ったまま、眉尻を下げつつ笑い返す。
泣きたいだろうに、泣くことすら自分に許さず笑顔を見せる織姫に、石田は思わず唇を噛み締めた。

「…ありがとう、石田くん…。でも、あたしなら、大丈夫だから。」
「大丈夫って…?」

石田が、言葉の続きを促す。
織姫が自転車を引きながら歩き出したのに合わせ、石田もまたその隣を並んで歩き始めた。

「だって…高1からずっと、つい昨日まで片想いだったんだもん。その状態に、また戻るだけだよ。たった半日…夢を見ただけ。」
「……。」

二人の歩く速度に合わせ、カラカラと自転車のチェーンが鳴る。
その乾いた音は、一護と織姫…空回りしてしまった二人の想いを表しているようで、石田の耳に虚しさを乗せて響いた。

「あたし、もし黒崎くんが大学で彼女さんとか作っても、ずっと黒崎くんを好きでいるつもりだったから。だから大丈夫。」
「…それじゃ、井上さんが幸せになれないよ?」
「あたしは、黒崎くんや石田くん、茶渡くんやたつきちゃんや朽木さん…大切な人達がみんな幸せでいてくれたら、それがあたしの『幸せ』だもん。黒崎くんは、あたしじゃない女の子とならお付き合いも結婚もできる。黒崎くんは優しいし、格好いいし、これから素敵な人に絶対巡り会えるもん。だから、あたしが諦めるのが、きっといちばんいいんだよ。」
「井上さん…。」

俯きがちに…そして自分に言い聞かせるようにそう告げる織姫に、かける言葉を見つけられず押し黙る石田。

あの大量の虚が再び空座の町に押し寄せる…そう解って尚、自分の想いを貫けるほど、織姫が我が儘になれない性格だということは、長い付き合いでよく解っていた。

「…ごめんね、石田くん。あたし、少し急がなきゃ。」
「わかったよ。ごめんね、足止めして。」
「ううん、心配してくれてありがとう、石田くん。」
「独りが辛かったら、いつでも連絡して。状況を改善する方法は、すぐには浮かばないけれど…傍にいることぐらいはできるから。」
「うん、ありがとう!お仕事、頑張ってきまっす!」
「…いってらっしゃい。」

歩みを止めた石田の前で織姫が自転車にまたがり、ABCookiesに向かって走り去っていく。

最後に織姫が見せた笑顔が、あまりにも痛くて。
石田は、その背中を見送りながら胸の辺りを思わず押さえていた。






「う…ひっく…。」

自転車をこいで走る、織姫の瞳から涙が溢れ出す。

風に乗って散っていくその滴に、どうかすれ違う誰も気づかないでほしい…そう願いながら、ペダルに乗せた足を叱咤し、懸命に力を入れる。

…そうしなければ、永遠にどこにも辿り着けないような気がしたから。

「…なんで…かなぁ…。」

一護の為に…と、一生懸命に修行し、育ててきた六花の「力」が、まさかこんな形で自分と一護を引き離すことになるなんて、なんて残酷なんだろう。

もし自分に特別な「力」がなかったら、一護と結ばれたのだろうか…織姫は頭の片隅でそう考えたが、すぐに首を左右に振る。

六花の力がなければ、一護を護ることができない。
例え一護と結ばれなかったとしても、六花は自分にとって必要な「力」だ。

目に映る全ての人を護りたいと願う一護を支えること…それができない自分に戻ることなど、織姫には考えられなかった。

「…ふぇっ…く…。」

なんで、なんで。

ずっと片想いだった一護と結ばれた…その途端、彼と離れなければならないのだろう。

いっそ彼と結ばれなければ、彼の体温や熱い吐息や優しく髪を撫でてくれる手を知らなければ。
こんな奈落の底に突き落とされるような絶望は、味わわずに済んだのだろうか…?

なんで、なんで。

世界中に星の数ほどいる女性の中で、自分だけが彼と結ばれる資格を持ち得ないのだろう…?

「…ああ、もうすぐお店に着いちゃう…。」

せめて、今日の仕事が忙しかったらいい。
忙しくて忙しくて、例え一瞬でも一護の顔が浮かぶ暇もないくらい、ずっと仕事に追い詰められていたらいい。

どうか…。




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