第4話 家族の特権







「なあ…コン。俺、うまくやれてるのかな。」
「…は??」

井上さんが早朝出勤した、ある日の朝。
コーヒーを啜りながら、珍しく一護が自信なさげに呟いた。






《家族の特権》






「何だって、急に…。」

オレの目から見ても、いつだって井上さんは幸せそうだ。
いつもにこにこ笑ってて、家事をしながら鼻歌なんかよく歌っていて。
一護という新しい家族のもと、穏やかに過ごす日常に満足していると思う。
けれど、一護は眉間に皺をキュッと寄せたまま、重いため息をついた。

「最近、アイツが時々しんどそうな顔するんだよな。はじめは気のせいかと思ってたんだけど、何回も続いてるからさ…。」
「そうかあ?井上さんはいつだってかわいいけどなぁ。」
「かわいいのとそれとは別問題だろ。」

あ、「かわいい」は否定しないんだな。
こういう何気ない会話から、一護はやっぱり井上さんに惚れてるんだなと思う。

一護はブラックコーヒーをグッと飲み干すと、向かいにいるオレを前髪の隙間からちらりと見て。

「…本当に、お前から見て、俺に足りてないところはねぇか?」
「うーん…分からないなぁ。オレだって男だし、井上さんのことが全部分かるわけじゃないからなぁ。直接井上さんに聞いてみたらどうだ?」
「アイツが正直に俺への不満を言う訳ないだろ。」
「それもそうか。ま、一護の勘違いかもしれないし、あんまり気に病むことないと思うけどな、オレは。」

そうして、しばらくは井上さんの様子を二人で観察していこう…という結論になり、一護はパソコンを開いて仕事を始めた。

井上さんのことになると、やたらと心配症になる一護。
どうみても夫婦円満な二人だ、ラブラブカップルのお悩みとやらでよく聞く「幸せすぎて不安」になった一語の考え過ぎだろう…とオレは軽く考え、リビングのソファでうーんと大きく伸びをした。




「ふう…。」
「…ん?」

夕方、仕事が終わって帰宅し、夕食の支度をしている井上さんから、小さな溜め息が漏れる。
その横顔に、オレはほんの少しだけ違和感を覚えた。

「…もしかして井上さん、体調悪いのか?」
「え?そんなことないよ。」

オレの問いかけに振り返り、いつもと変わらない笑顔でこちらを見下ろす井上さん。

その笑顔は相変わらず愛くるしくて、けど…なんか、ただ疲れたってのとは、ちょっと違うっていうか…。

「あ、一護くんがお風呂出たみたい!一護くーん、もうお夕飯盛り付けちゃっていいかな〜?」
「おーう、頼むよ。」

洗面台から聞こえた返事に頷き、井上さんは嬉しそうに中華スープやおかずを盛り付け始める。
うーん、今朝あんな話を一護としたせいで、オレが意識しすぎただけだろうか。

「お、今日は酢豚か。美味そうだな。」
「えへへ、お褒めに預かり光栄です。」

食事はしないオレも2人と一緒に食卓につき、3人で手を合わせる。

「「いただきます!」」

そうして、いつもと同じように、ほっぺを丸くして美味しそうに酢豚を頬張る井上さんの横顔を、こんなに食欲があるなら体調不良ってことはなさそうだな…と考えながら眺めた。

「うん、今日も美味しくできました!」
「織姫、この酢豚また作ってくれよ。」
「勿論!一護くんが気に入ってくれて嬉しいなぁ。あたしの料理ってけっこう自己流だから、一護くんに美味しいって言ってもらえると安心するの。」
「確かに、織姫の料理は斬新だったり独創的だったり面白かったりすることもあるけど、俺は嫌いじゃねぇよ。」

更に、一護と井上さんの会話から、二人の仲が上手くいってないって可能性もなさそうだ。
じゃあやっぱり、井上さんが暗い顔してるなんてのは、一護の気のせいなんじゃないかな、なんて思うんだけど…。

「…ふう…。」

夕食を食べ終えたあと、シンクで洗い物をする井上さんの背中からは、やっぱり重い溜め息が聞こえたのだった。







数日後。

「やった…!今日は井上さんと二人で過ごせる貴重な1日だぜ…!」

恐らく、この家に来て初めてじゃないだろうか。
一護は出版者に出向くために外出し、井上さんは仕事が休み。

つまり、オレと井上さんだけで日中を過ごすのだ。

「織姫に妙な真似をするんじゃねぇぞ。」

低い声でオレにだけ聞こえるようにそう告げ、出かけていった一護。
オレは笑顔で手をふる井上さんと一緒に一護を見送りながら、今日1日をどうやって過ごすか、頭の中で井上さんとの「おウチデート」プランを練り始めた。

井上さんとティータイム、井上さんとDVD鑑賞、井上さんとゲーム対戦、井上さんの膝の上で一緒にケータイを覗いてネットサーフィンなんてのもいいなぁ…。

「あのね、コンちゃん。」
「はぁい!何でしょう?」

さっそく、井上さんからのお誘いか?
そりゃそうか、デートプランは相手の希望も聞かなくちゃな。
ハッピーオーラ全開で振り向いたオレに、井上さんは眉尻を下げパチンと両手を合わせた。

「ごめんね、今から少しお昼寝させてほしいの。」
「…へ?」
「あたしはいないものと思って、自由に過ごしてね?」

お昼寝って…まだ朝の9時過ぎですけど?
思わずリビングの掛け時計を確認してしまったオレの横を通り過ぎ、井上さんは寝室へと繋がるドアをパタンと閉めてしまった。

「…井上さぁん…。」

ああ…オレのデートプランが…貴重な井上さんとの2人時間が…。

無常にも固く閉ざされたドアを、虚しさいっぱいで見つめる。
あのドアを開けて、井上さんに添い寝…なんて夢も一瞬考えたが、万が一それが一護にバレたりしたら、オレは間違いなく綿の塊になって可燃ごみだ。

オレは仕方なくリビングのソファに一人で座り、井上さんと一緒に見るつもりだったDVDを再生し始めた。

けど…やっぱり井上さん、ヘンだ。






「あ〜よく寝たぁ。寝かせてくれてありがとう、コンちゃん。」

そう言って、井上さんが寝室から出てきたのは、昼前だった。
そしてまた、「ふう。」と溜め息を1つつき、ソファに座るオレの隣にペタリと座り込むように腰を下ろした。

「…あのさ、井上さん。」
「なぁに?コンちゃん。」
「やっぱり、井上さんどこか悪いんじゃねぇっすか?もしくは、悩み事があるとか。」
「…そんなことないよ?」

井上さんはまたにっこりと笑って、オレを見下ろしたけど。
…この家の家族になって数ヶ月。
オレにも、何となく解りだした。
この笑顔は、「本当」の笑顔じゃないってこと。

「朝の9時から昼寝って、普通しないっす。それに…一護も、井上さんの心配をしてるっすよ。」
「…え?」

途端に目を泳がせ焦りの色を見せる、井上さん。
嘘が上手いようでいて、やっぱり素直でお人好しの井上さんに隠し事は向いてないんだ。
そこが、井上さんのいいところなんだろうし。

「一護に、心配かけたくないってことか?」
「…大したことじゃないから。本当に、何でもないの。コンちゃんにまで心配かけちゃって、ごめんね。」
「…井上さん…。」

肝心なことは何も告げず、ただ心配かけたことを謝る井上さんに「そうじゃない」とオレは思った。
多分、今まで一人暮らしだった井上さんは、誰かに心配かけることを極力避けてきたんだろう。
でも…もう井上さんは「独り」じゃないんだ。
一護だって…。

「井上さんは一護と結婚して、夫婦になった。だから、一護には井上さんを心配する『権利』があると思うんだ。」
「権利…?」

不思議そうな顔で俺を見つめる井上さんに、オレは大きく頷いてみせる。

「心配なんて、いくらでもかけてやればいいッスよ。だって、夫婦なんだから。家族のこと心配するのは当たり前だし、一護にその特権を行使させてやればいいんだ。でも、隠し事はしちゃダメだ。オレは…。」
「コンちゃん…?」

言葉につまり俯いたオレの顔を、井上さんが覗き込む。
ほら…井上さんだって、オレを心配してくれるじゃないか。

「オレは、一護が死神代行として戦っている間、一護の身体を預かるのが仕事で…けど、一護が誰と、どんな戦いをしているのか、教えてもらうことは少なくて。全部解決してから、後でまとめて話すから…って。けど、オレは知りたかった。その時に知って、オレにできることを一緒に考えたかった。そりゃ、オレにできることなんてたかが知れてるけど…。」
「コンちゃん…。」
「だから、井上さんも、話してほしいんだ。オレにできること、あるかもしれないだろ…?一護だって、井上さんのためにできることがあるなら、なんでもやると思うぜ。だって、家族だもんな。」

井上さんがオレや一護のことを心配するように、オレ達だって井上さんのことを心配するのは当たり前だ。
そうして、話し合って解り合って、一緒に考えて乗り越えていくのが家族だと思うんだ。
オレは所詮オマケのぬいぐるみかもしれないけど、それでも一緒に悩んだりすることはできるし…させてほしい。

「たまにはマトモなことも言うんだな、コン。」
「うひゃあっ!」
「い、一護くん?!いつの間にそこに?」

突然降ってきた声にオレと井上さんが驚いて振り返れば、そこには仕事から戻った一護の姿。

「俺がいないときの織姫の様子が知りたくて、こっそり鍵開けて入ったんだ。オマエが元気のない理由が知りたかったからさ。」
「一護くん…。」
「話してくれ、織姫。どんな小さなことでも、深い悩みなら尚更…俺に教えてほしいんだ。俺を頼ってくれ、織姫。」

オレの反対隣に一護が座り、井上さんにしか見せない優しいブラウンの瞳で愛妻の顔を見つめる。

「…笑わない?」
「笑わないよ。」

そして、少しの沈黙。
オレと一護が黙って井上さんの答えを待てば、やがて薄桃の唇がゆっくりと開く。

「実はね…最近、胸焼けがすごいの。」
「…は?」

ぽそり…と告げられた言葉に、オレは耳を疑い、プラスチック製の目を丸くした。

「あたしね、今までどれだけ食べても胸焼けなんてしなかったの!なのに、最近ずっと胸のあたりがムカムカして…。」
「胸焼け…。」

何だ、本当に大したことない話じゃないか…と肩透かしをくらって唖然としたオレだったが、井上さんはかなり深刻なようで。

「だったら、食べる量を減らせばいいのかもしれないけど、お腹はちゃんと空くの。食べると美味しいの!なのに、食べ終わったらまたムカムカして…。寝てるときだけはムカムカを忘れられるから、今日もお昼寝しちゃうし…。あたし、駄目な子だよね。自分の体調管理もできないなんて…。」
「井上さん、たかが胸焼けでそこまで悩まなくても、そのうち…。」
「いや、織姫が胸焼けなんておかしい。医者にかかった方がいいんじゃないか?」
「へ?」

まさかの返答に一護を見れば、コイツもまた深刻な顔で井上さんを見つめていて。

「だ、大丈夫だよ、一護くん。ただの胸焼けだもん。」
「いや、念の為だ。医者だ、医者…!」

…忘れてた。
一護は、井上さんのこととなると、極めて過保護かつ心配症になるんだった…。

「あ〜一護、あの眼鏡の新米医者でいいんじゃないか?」

脳裏にはもう一人の身近な医者…つまり一護の親父さんも浮かんだが、言うのは止めておいた。
もし親父さんが井上さんの胸焼けを知ったら、二人で「大変だ大変だ」と騒ぎかねないからな…。

「そうだ、石田だ!」

一護は弾かれたようにスマホを取り出し、早速石田に連絡を取り始めた。

「よう石田、久しぶりだな!実は、ちょっと相談があって…!」

石田側の都合もお構いなしに、井上さんの様子を一方的に話し始める一護。
多分スマホの向こうでは、石田が渋〜い顔をしているに違いない。

そして、おそらく石田の要望だろう、一護はスピーカーホンにするとオレと井上さんにスマホを差し出した。

『井上さん、久しぶり。黒崎からだいたいの話は聞いたよ。何か薬は飲んだかい?』
「ううん、胸焼けってどんな薬が効くのか解らなくて…。」
「なぁ石田、この場合織姫は何科にかかればいいんだ?内科でいいのか?」
『いや…とりあえず、井上さんがまだ何の薬も飲んでいなくて良かったよ。』
「へ?」
『多分ね、井上さんがかかるべき医者は、産婦人科だよ。』
「さんふじんか…?」
『心配だったら、念の為受診前に薬局で検査薬を買って確かめるといいよ。正式に妊娠が判ったら、また連絡をくれたら嬉しいな。じゃあね、井上さん。身体を大事にね。』





「…ど、どうだった?織姫。」
「…反応、でました…。」
「じゃあ、やっぱり…!」
「う、うわぁぁ〜ん!」
「良かったな、井上さん、一護!良かったなあ!」

トイレから出てくると同時に泣き崩れる井上さんと、彼女をギュッと抱きしめる一護。
二人を心から祝福をしたいのに、オレの口から出てくる言葉は「良かったな」だけで。
こういう時、さらりとカッコいい決め台詞なんて出てこないもんなんだな…なんて、オレは涙なんて出ないはずの目を、縫い付けた糸が切れそうなぐらいぐしぐしと擦った。






「織姫、台に乗るな!俺がやるから!…ああっ!そんな荷物も持たなくていい!」
「一護くん、これくらいのことだったら、あたし自分でできるよ〜!」
「一護、マジで過保護が過ぎるな…。」




(2023.01.28)
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