第3話 家族なんだから
「ただいま。」
「おかえりなさい、一護くん!」
夕方、一護が帰宅。
夕飯を作っていた井上さんはその手を止め、嬉しそうに玄関へと走っていく。
「お疲れさまでした!」
「ありがとな。けど、別に出迎えなくてもいいのに。夕飯を作ってたんだろ?」
「たまには出迎えたかったの!いつもあたしが出迎えてもらってるんだもん。」
そんな会話のあと訪れる、少しの静寂。
はいはい、今日も「おかえりなさい」のキスは健在なんだな。
だからオレは、二人の帰宅の出迎えはしないって決めているんだ。
「…よう、ただいまコン。」
「おう。」
リビングに来た一護はスーツを脱ぎながら、テレビを見ているオレを見下ろして。
「お一人様は満喫できたか?」
「…!」
そして、井上さんには見えない角度で、ニッ…と勝ち誇ったような笑顔を浮かべた。
「く…くそ…!」
一護の、オレの今日の1日の行動を見透かしたような眼差しに、オレはギリッ…と歯を鳴らす(まぁ俺の歯はフェルト製だから実際に音はしないんだけど)。
その隣、井上さんは「こういうダンナ様のお出迎えに憧れてたんだ~」などと言いながら、一護から受け取ったスーツのジャケットをハンガーにかけていて。
いやいや井上さん、こんな意地悪な男に尽くす必要ないっすよ、そんなこと一護が自分でやればいいっすよ…と、オレは心の中で呟いた。
「…なんだ?」
「ひ、ひぇっ?」
「織姫、俺の顔に何かついてるか?」
「へ?」
しまった、心の声が漏れたのか?と一瞬びくついたオレだったが、ネクタイを緩める一護の視線は井上さんで。
言われてみれば、井上さんはスーツのかかったハンガーを手にしたまま、じっと一護を見つめたままだ。
「え?あ、ごめんなさい、そうじゃないの。ただ…。」
「ただ?」
ネクタイをしゅるり…と引き抜きながら、不思議そうな顔をする一護を上目遣いで見上げ、井上さんは「ぽぽっ」と頬を染めて。
「ネクタイを緩める一護くん、カッコいいなぁ…って思わず見とれちゃったの。」
「…!」
「何だろう、性癖にささるってやつかな?えへへ、ごめんね~!」
そう言って、井上さんが照れくさそうに笑う。
「…べ、別に普通だろ?謝ることでもねぇし…。そうだ、風呂に入ってくるよ、早く汗流したいし。」
「はぁい!もうお風呂の準備はばっちりできてるよ、一護くん!」
「ありがとな。」
ネクタイを押し付けるように井上さんに預け、そそくさと風呂場へ向かう一護。
その背中を、ニコニコしながら見送る井上さんと、ニヤニヤしながら見送るオレ。
…知ってるぜ、一護。
実は井上さんより百倍照れているんだろ?
このあとも風呂に浸かりながら、井上さんの「一護くんカッコいい」発言を思い出して、一人でニヤニヤするんだろ?
全く、こんなに可愛い嫁さんをもらって。
贅沢なヤツだぜ、一護は。
夕飯後。
風呂に井上さんが入ったところで、オレは新聞を読む一護が座るソファに並んで座った。
「…何だよ。四コマ漫画が見たいのか?」
「違うっつーの。オレは子供か。」
「じゃあ、南京錠のナンバーでも聞きにきたか?」
広げた新聞はそのままに、ちろり…とオレを見下ろす一護。
オレは一瞬ぐっ…と返す言葉に詰まったが、すぐに「ふんっ」と鼻を鳴らして胸を張った。
「残念だったな、一護!確かに、オレにはあの南京錠を解錠することはできなかった。しかしな…その代わり、オレ様は別の夢を1つ叶えたんだぜ!」
「別の夢…?」
一護の眉が、ぴくり…と僅かに反応する。
ふふふ、動揺してるぜ!
「ああ。もうすぐそれが何なのかが解るぜ。ああ~楽しみだなぁ!」
「…。」
一護は訝しげな視線を俺にしばらく向けたあと、何事もなかったかのように再び新聞を読み始めた。
ふん、余裕ぶっていられるのも今のうちだぜ!
ガチャリ…。
それからほどなくして聞こえる、風呂場のドアが開く音。
オレはその音に反応し、思わずぴんっと両耳を立てた。
「…何だ?」
そわそわし始めたオレに気づいた一護が、新聞を畳んで机に置き、オレを怪しげな目で見下ろしてきたけれど、ちっとも気にならない。
さぁ、もうすぐ、もうすぐだ…!
「…一護くん、コンちゃん。どうかな…?」
リビングのドアが開き、ふわり…と漂ってくるボディーソープの薫りと共に、こちらを伺うようにおずおず入ってくる井上さん。
そして彼女がまとっているのは、今日買ったばかりのネグリジェ…!
「ああっ!最高っす!可愛いっすよ、井上さ~ん…ぐへぇっ!」
オレの脳内妄想より何倍も可愛くてエロい、井上さんのネグリジェ姿。
しかし、それをオレの網膜に焼き付けるより先に、脳天に落ちてくる衝撃。
オレは、一護のケツの下敷きにされていた。
「い、いちっ!どけ、ぐぇう…。」
「ど…どうした?急に。」
「えっと…その、コンちゃんが、新婚さんはこういうのを寝るときに着るといいよって教えてくれて…思い切って買ってみたの…ネグリジェ…。」
「おい一護、オレにも見せろ…ぐぎゃあっ!」
何とか身体を捻って脱出を試みるものの、また直ぐに一護に潰されて。
井上さんのネグリジェ姿を拝みたいオレと、オレを押さえ込み続ける一護の静かな戦いには気づいていないのか、井上さんは自信なさげな声で続けた。
「あの、ごめんね?今まで通りにTシャツとジャージでも良かったのに…余計な出費だった…かな…?」
「…んなこと、思うわけねぇだろ。」
オレの頭を全力で押さえつけているくせに、一護の声はどこまでも優しい。
「俺だってパジャマで寝てるんだし、織姫がネグリジェ着てても何の文句もねぇよ。てか、俺は織姫がTシャツとジャージで寝てるのは、それが好きでしてるのかと思ってたから…。」
「その…あたしずっと一人暮らしだったし、節約の為に古いTシャツをパジャマ代わりにしてて、それが習慣化しちゃってただけで…。」
「だったら、堂々とネグリジェ買っていいだろ、必要経費だ。俺達共働きなんだから、いちいち小さい出費を気にするなよ。それに…その…。」
「うん、なぁに?」
「…似合ってる、ぜ。」
「あ…ありがとう…!」
「ふんぬ~!」
しまったぁぁぁ!
オレの好みで選んだネグリジェ…一護の好みにもビンゴだったのかぁぁぁ!
チクショウ!オレより一護の方が井上さんのネグリジェ姿を堪能してるんじゃねぇかよおぉぉ!
「えへへ…良かったぁ。あたしネグリジェとか初めて着るんだけど、ウエストが楽チンでいいかも。」
「確かに、そのデザインならそうかもな。」
「ぷはぁっ!」
ようやく一護の拘束から抜け出したオレが一護を振り返れば、一護の向こう隣には井上さんが座り、幸せそうな笑顔でぴったり身体をくっつけていた。
「…。」
甘えるように一護の肩に頭を乗せ、目を閉じる井上さん。
そんな井上さんの綺麗な髪を撫でながら、一護はオレを一瞥して。
「…いい仕事だったぜ。」
「うわぁぁん!悔しいぜぇぇ!」
そりゃそうだよな、家族なんだから。
オレが見たい井上さんのネグリジェ姿は一護だって当然見るし、見たいんだよな。
今日は、オレの完全敗北だ…。
「あーあ…。」
夜、オレ専用の小さなベッドに入り、ひっそりとため息をこぼす。
何だかんだ言って、解ってるんだ。
井上さんは一護に惚れていて、一緒に暮らすことで一護に何回でも惚れ直していて。
一護もまた井上さんにゾッコンで、彼女が可愛くて可愛くて仕方がないんだってこと。
ああやって、一護と井上さんの絆は、これからもどんどん深まっていくんだろうな…。
「オレも、その中に上手く混ざれているのかな…。」
今日は一護に完敗だったけど、明日の夜こそは、井上さんのネグリジェ姿をじっくり拝んでやる。
「ふわぁぁ…ねみぃなぁ…。」
オレは明日も繰り広げられるであろう一護との戦いに備え、ゆっくりと目を閉じた。
(2022.09.23)