第3話 家族なんだから
「ふわ~…はよ、一護…。ん?どうしたんだ、今日は。」
朝、いつものようにのんびりと起床したオレがリビングを覗けば、そこにいたのはスーツ姿の一護。
いつもはラフな格好でいるくせに…と俺が首を傾げれば、一護は呆れたような眼差しで俺を見下ろした。
「昨日、話しただろ?今日は俺、出版社に出向かなきゃいけないんだよ。」
ネクタイをきゅっと締めながらそう言う一護に、そう言えばそんな話を夕飯時に井上さんとしてたっけな…なんて、ぼんやりと思い出す。
「織姫は早出だったから、俺より早く帰ってくると思う。それまで留守番頼んだぞ。」
「そうか、オレ、留守番か…。」
「いいか、間違っても宅配便とか出るんじゃねぇぞ。」
細身の長身に、スーツはよく似合う。
それなりに気合いの入る仕事なんだろう、一護はビシッとスーツで決めると、オレを部屋に残し出かけていった。
パタン…と閉められた玄関のドアを見つめながら、オレはふと呟く。
「あれ…オレ、もしかして久しぶりの『お一人様』じゃないか?」
《家族なんだから》
「ヤッホー!今日は久しぶりに一人だぜ~!」
オレは、誰もいなくなった部屋を、ぴょんぴょんと飛び回る。
「翻訳家」という仕事柄、テレワークが基本の一護は、家にいることが多い。
だから、よく言えば「寂しくない」のだが、悪く言えば「気を遣う」し、オレが悪さをしないよう一護に常に「監視されている」のだ。
「今日は一護もいないし…自由の身だぜ!」
こんなチャンスを逃す手はない。
オレがこの家に来てから、ずっとしたかったこと。
それは…。
「ひゃっほ~!井上さんのランジェリーをチェックしちゃうぜ~!」
もし一護にバレたら間違いなくサンドバッグにされちまうが、今日なら大丈夫だ。
オレはスキップで井上さんのクローゼットへと向かった。
「ふぬううぅ~!お、重いぃぃ…!」
井上さん(と一護)の服がしまってある場所は、1畳ほどのウォークインクローゼット。
…ただ、そこの扉が、ぬいぐるみのオレには滅茶苦茶重い。
いや、この扉の重さは明らかに他の部屋のドアと違う。
…一護が何か呪いでもかけていったんだろうか。
「はぁ、はぁ、はぁ…。あ、開いた…。」
だが、そんなものに負ける俺じゃない。
30分ほどかかっただろうか。
オレは少しずつ少しずつ扉を押し、どうにかしてこの身体がギリギリ通り抜けられるだけの幅を開けると、ついにウォークインクローゼットの中に入り込んだ。
「やったぁ!…ちっ!一護の奴、これか!」
クローゼットの中から扉を見上げれば、ドアノブにぶら下げてあったのは、なんと4つのダンベル。
どうりで、扉が重かった訳だ。
「けれど…残念だったな、一護!ダンベルの重さも、オレの情熱には勝てなかったようだぜ!はっはっは~!」
目的を達成したオレの勝利の高笑いが、クローゼットの中に響き渡る。
…しかし。
「さてと…。な、何だとぉ?!」
振り返ったオレの目に映った、井上さんの服が入っているのであろう引き出しに、オレは目を疑った。
それには、ぐるぐるにチェーンが巻き付けられていて、それらが1センチも動かないように、きっちりと束ねられた先には南京錠が。
「く…くそぉぉぉ!一護めぇぇ!」
オレに向けて「あかんべー」をしている一護が透けて見えた気がして、オレは思わず地団駄を踏む。
けれど、よく見れば、南京錠は4桁の数字がロックについているもの。
一護がロックした数字を当てれば、まだ可能性は…。
「くそ…オレは諦めないぜ!きっと、自分でも忘れないように、何かしら意味のある4桁の数字になっている筈だ!」
そうして、オレは思いつく限りの数字の語呂合わせや、一護達の誕生日などを試してみたが、どれもハズレ。
それならば、すべての組み合わせを試してやるぜ…と「0000」から1つずつ数字を増やしていく方法に切り替えたが。
「む、無念…。」
パタリ…その場に倒れこむオレ。
「0999」でオレは、気力体力共に力尽きた…。
「ただいま~!」
「あ、い、井上さん?!」
玄関先から聞こえる可愛らしい声。
がばりと起き上がったオレはクローゼットを飛び出し、慌てて彼女を出迎えた。
「コンちゃん、出迎えてくれてありがとう!お留守番もご苦労様です!」
「あ…ああ…。」
井上さんの眩しい笑顔。
彼女の帰宅は嬉しいが、同時に言い様のない後悔の念がオレを襲う。
せっかくの「お一人様」時間…好きなテレビを見たり、ゲームをしたり、パソコンでネットサーフィンしたりして、自由に過ごせる筈だったのに。
クローゼットで南京錠と散々格闘した挙げ句、そこで力尽きて昼寝して1日が終わってしまうなんて…。
「も…勿体ねぇ~。」
「え?コンちゃん、何か言った?」
「いいえ…何でもないです、井上さん…。お疲れ様でした、コーヒー淹れるっすよ…。」
オレの傷ついた心を癒してくれるのは、井上さんの笑顔だけだ。
オレはがっくりと肩を落としながら、それでも仕事帰りの彼女を労おうと、コーヒーメーカーに手を伸ばしたのだった。
「…美味しい!コンちゃんが淹れてくれたカフェオレ、すごくホッとするよ。」
「ありがとう、井上さん。」
ダイニングテーブルに座り、オレの向かいでこくこくとカフェオレを飲む井上さん。
本当に、可愛い人だなぁ…しかも優しいし、巨乳だし。
一護は世界一の贅沢ものだぜ…なんて考えながら井上さんを眺めていれば、彼女はマグカップをテーブルにことりと置き、オレに少し困ったような表情を見せた。
「あのね、コンちゃん。」
「おう、何だ?」
「あたし…一護くんの奥さん、上手に出来てるかな。」
「へ?」
井上さんは、手にしたマグカップをもじもじと弄りながら、俯きがちに続けた。
「あたしね、物心ついた頃から、お兄ちゃんと二人暮らしだったでしょ?家事のやり方もかなり自己流だと思うし、他の家の奥さんみたいに、ちゃんと出来てるのかな、って…。」
「いやいや、井上さんみたいな奥さんをもらって、一護は毎日幸せに決まってるっすよ。」
「でも…一護くんの方が在宅勤務で家にいることが多いから、家事もかなりしてくれてるでしょ。 一護くんは優しいから、きっと不満があっても口にしないと思うの。 」
「うーん…。」
オレの目には、一護は今の生活に充分に満足しているように見える…てか、実際そうなんだろう。
翻訳家と死神代行、2つの「やりたい仕事」をこなしながら、井上さんという最愛の嫁さんと毎日を過ごす。
こんな望み通りの生活に、不満がある筈がない。
けれど、オレが井上さんにこの事実を告げても、彼女の不安を完全に拭い去ることは難しいんだろうな。
井上さんを本当に安心させられるのは、一護だけだから。
だったら、いっそのこと…。
「そうだ、井上さん。」
「なぁに?」
「もし、一護に不満があるとしたなら…1つ、心当たりがある。」
「え?えっ?何?教えて、コンちゃん!」
井上さんが、前のめりになってオレを凝視する。
オレは得意気にふんっと鼻を鳴らした。
「それは…井上さんの寝る時の服装だ。」
「え?」
「井上さん、寝る時はいつもTシャツにジャージだろ?ああいう時、男は可愛いネグリジェを来てほしいものなんだぜ。」
井上さんの服のセンスはちょっと個性的で、彼女が寝る時に来ているTシャツはいつも微妙な柄だったりするからな。
いや、どんな服でも中身が井上さんなら一護はそれでいいのかもしれないが…オレはせっかくなら、可愛いネグリジェ姿の井上さんが見たい。
「新婚なんだし、そこにお金を使っても、一護は怒ったりしないぜ。むしろ喜ぶ筈だ。」
「ほ…本当に?じゃあ着ます!」
素直な井上さんは、即答。
一護を喜ばせる為なら何でもする…ってのが、本当に健気だぜ。
「えっと…どんなデザインがいいかのな。」
「今日、ちょうど服屋の広告が新聞に挟まってたっすよ、井上さん。えーと…ほら!これだ!」
そうしてオレは、井上さんに俺好みのデザインのネグリジェを買わせることに成功したのだった。
くくく…悪く思うなよ一護。
あのダンベルと南京錠のお返しだからな。
.