第2話 家族ってこんな感じですか







…翌日。

「ふわぁぁ~、はよ~……あれ?」

初めて「オレの部屋」での目覚めを迎えたオレがドアを開けリビングに向かえば、そこにいたのは一護だけだった。

「おう、起きたか。はよ、コン。」

ベランダから空っぽの洗濯かごを持って戻ってきたらしい一護に、オレは辺りを見回しながら尋ねた。

「なぁ、井上さんはどこだ?」

あの女神の笑顔を見なければ、オレの1日は始まらない…そう考えていたオレに、一護は平然として。

「アイツなら、もうとっくに仕事に行ったぜ?」
「な…何いぃっ?!」

オレはショックのあまり、その場に崩れ落ちた。

井上さんの可愛い声で紡がれる「おはよう、コンちゃん」が聞きたかったのに…井上さんの寝起き姿が見たかったのに…朝食を作る井上さんのエプロン姿が見たかったのに…。

「あのな、織姫は勤め先がパン屋なの知ってるだろ?オープン担当の日は出勤がめちゃくちゃ早いんだよ。」
「…で、一護は?」
「そりゃ一緒に起きて、飯食って、見送ったさ。夫婦だからな。」

そう言いながら洗濯かごを片付けた一護は、リビングの机にパソコンや資料を広げ始める。

「何してんだ、一護?」
「何って、俺も今から仕事だよ。今日はテレワークの日だから。1日家にいるぜ。」
「な…何だとー?!」

オ…オレの想像と違う!

オレの想像だと、一護が先に出勤して、オレと井上さんのラブラブタイムがあり、その後井上さんが出勤して、そうしたら今日は井上さんのクローゼットを開けて、ブラのサイズなんかをこっそり調べちゃおう…なんて考えていたのに…!

「…何だよ。」
「な、ななな何でもねぇよ。」

全てを見透かしたかのような一護の視線に、オレは慌てて首を振った。

一護が1日ずっと部屋にいるんじゃ、迂闊なことはできない…一護の怒りを買うようなことをすれば、それこそあっという間に綿の塊にされちまう。
今日は大人しくしてるしかねぇな…と、オレは肩を落とした。

「別に、コンは好きにしてていいんだぜ?会議中以外なら、テレビ見てもいいし。」

ちぇ…そうやって「好きなことしていい」って言ったって、もしオレが井上さんの下着クローゼットから出して眺めてたら、きっとさっき干してた洗濯物と一緒にロープに吊るされるんだろ?

項垂れるオレの隣、一護はパソコンを立ち上げると、メールをチェックし、早速キーボードをパチパチと叩き始めた。
横から画面を覗けば、オレには全く解らない英文の羅列。
見るだけで、頭がくらくらしてくる。

「おい一護、これが読めるのか?」
「そりゃ、それが俺の仕事だからな。」
「ふーん…。」

一護は、親父さんの病院を継ぐ道ではなく、翻訳家になる道を選んだ。
オレにはよく解らないが、どうやらその職業に就くためにはとても高い英語力が必要らしい。
事実、大学時代の一護は、家でも本当によく勉強をしていた。

お蔭でオレは、あんまり構ってもらえなかったけど…。

目の前でパソコンに向かう真剣なその表情が、大学時代、机に向かっていたときの一護の横顔と重なる。

死神代行と、翻訳家になるための勉強と。

ハードな大学生活を乗り越えられたのは、一護の体力と意思の強さの賜物なんだろう。

「…頑張ったもんな、一護。」
「まぁな。」
「この仕事を選んだのは、やっぱり死神代行を続けたいからか?」
「そうだな。それに…。」
「それに?」
「少しでも長い時間一緒にいて、護ってやりたいからな。そりゃ、翻訳家の仕事に興味があったのも事実だけどな。」
「…そうか。」

そこで会話は途切れ、一護は再びキーボードを叩き始めた。

井上さんを、己の名前にある「たった一人、護るもの」に決めた一護。
それは、彼女が常に幸せであるように、「身体」だけでなく「心」も護る…ということなんだろう。

井上さんを護ることができる環境と、やりたい仕事と。
努力の末、そのどちらも手に入れた一護の顔は、充実した男の顔をしている。

「おい、一護。コーヒー淹れてやろうか?」
「ど、どうした急に。」

一護が驚いたようにオレを振り返る。
別に、何か企んでる訳じゃねぇよ。

よく解らないけど、何となくそんな気分になったんだよ。

…最も、オレにはブラックコーヒーの良さはちっとも解らねぇけどな。

「それぐらいしてもいいだろ、家族なんだし。だから、コーヒーの淹れ方を教えろ。」
「何だよ、結局俺も動くんじゃねぇか。」
「さ、最初だけだ!次からはオレ一人でやってみせるから!」

苦笑しつつ一護が立ち上がるのを確認し、キッチンへと走るオレ。

その日から、キッチンのコーヒーメーカーとマグカップが、オレの手が届く床に置かれるようになった。










「ただいま~!」
「おかえり、織姫。」

夕方。
熱心に仕事をしていた一護が突然立ち上がったかと思えば、向かった先は玄関。
チャイムが鳴ると同時に一護がドアを開ければ、そこには笑顔の井上さんがいた。

「大丈夫だよ、一護くん。あたし、ドアぐらい自分で開けられるよ。」
「俺がいるときぐらい、開けてやる。荷物で手が塞がってるときもあるだろ?」

多分、一護は帰宅する井上さんの霊圧を感じ取っているんだろう。

玄関で井上さんをきちんと出迎える一護に、どれだけ惚れてるんだ、と思ったけれど。

「…そりゃそうか。」

井上さんはあれだけ素敵な女性だし、胸は特盛だし。
基本的に簡単に人に心を開かない一護が、一生傍にいて護ると決めた相手なんだ。

「…あ。」

うん、やっぱり一護は井上さんに相当惚れてるな。

あの一護が、新婚名物「おかえりのキス」をちゃんとしてやがったの、見ちまったぜ。

…けど、不思議だな。
昔なら「羨ましい」ってじたばた暴れていたかもしれない光景が、今は「良かったな」って微笑ましい気持ちで見られるなんて。

最も、見ていたことが一護にバレたらまた顔の厚みが1㎝減りそうだから、オレは何も知らない体を貫くけど。

「コンちゃんも、ただいま。」
「おかえり、井上さん。仕事、疲れたか?良かったら、コーヒー淹れてやるぜ?」
「え?コンちゃんがコーヒー?できるの?」
「おう。任せとけ!」

胸を張るオレに、井上さんは一護をちらりと見て。

「一護くんは?」
「俺も仕事があと少し残ってるから、コーヒー飲みながら頑張ろうかな。」
「じゃあ、あたしも夕飯作り前のコーヒーブレイクしちゃおうかな。コンちゃん、お願いします。」
「了解だぜ!」

所詮、ぬいぐるみのオレにできることなんて、たかが知れてる。

けれど今日、一護と井上さんの為にコーヒーを淹れられるようになったオレは、「居候」から「家族」への一歩を踏み出せた気がした。

「あ、織姫はカフェオレじゃないと飲めないから、砂糖と牛乳がいるぜ。」
「…冷蔵庫のドアに手が届かねぇ~。」
「あはは、それはあたしが自分でやるよ、コンちゃん。」




(2021.11.20)
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