第1話 ボクを家族にしてください






ピンポーン。




「よう、井上」
「あ、コンちゃんいらっしゃい!」
「…さん。どうもこんばんは。」

一応、カッコつけて一護のふりをしてみたものの、井上さんには秒で見抜かれて。
オレはチャイムを鳴らした井上さんの部屋の玄関先で、夜分に突然申し訳ないと頭を下げる。

「今、黒崎くんは虚退治に行ってるんだよね。どうかしたの?」
「井上さんに、どうしても話したいことがあるんだ。」
「コンちゃんが、あたしに…?」

きょとんとして、可愛らしく小首をかしげるする井上さん。
オレが首がもげるほど何度も頷き、じっと彼女を見つめて返事を待てば、やがて井上さんは女神のような慈愛に満ちた笑顔を浮かべ、オレを部屋へと招き入れてくれた。





「コンちゃんも、コーヒーでいいのかな?」

井上さんが、円卓にマグカップを置きながら、ふわりと笑う。

その表情も、仕草も、本当に柔らかくて可愛らしくて…更に特盛は益々立派になって…こんな女性がもうすぐ一護の嫁さんになるだなんて、羨ましいの一言に尽きる。

オレはマグカップから立ち上る湯気越しに井上さんを見上げつつ、彼女が淹れてくれたブラックコーヒーを、一口啜った。
…苦い。
一護は、こんな飲み物のどこが美味いんだろう…。

「それで、あたしに頼みって?」

井上さんが、オレの向かいに腰を下ろし、にっこりと笑う。

その、全てを受け入れてくれそうな笑顔に、オレは身体を30㎝ほど後ろに下げると、床に手をつきバッと頭を下げた。

「井上さん!オレを…オレを家族に入れてください!」
「え?」

突然土下座したオレに、びっくりして目を丸くする井上さん。
若干ドン引かれている気がしたけれど、だからってオレは絶対に引き下がる訳にはいかなかった。

「井上さんと一護が結婚するって、少し前に知って…あ!井上さん、結婚おめでとうございます!」
「あ、ありがとう、コンちゃん。」
「それで、一護はもうすぐあの家を出るって…そうしたら、オレも井上さんのランジェリー姿を…じゃなかった、オレはあの部屋に置いてきぼりに…ふぎゅるっ!」
「あ、黒崎くん。」

言いたいことを言い終えるより先に、後頭部に走る鈍痛。
土下座していた俺の顔が、井上さんの部屋のラグマットにめり込む。

「お帰りなさい、黒崎くん。虚退治お疲れ様です!ケガはない?」
「ああ。大丈夫だ。」
「良かった。でも、黒崎くんがかかとおとししたの、黒崎くんの頭だけど大丈夫?」
「ああ。俺の身体だ、俺の自由だろ。」
「痛いのはオレだ、一護ぉ!」

オレがまだ痛む頭を擦りながら後ろを振り返れば、そこには仁王立ちして俺を見下ろす死神姿の一護がいた。

最近薄くなってきたはずの、眉間の皺は3割増。
その片手には、ライオンのぬいぐるみが人質のように握られている。

…嫌な汗が、たらっと背中を流れた。

「みっともねぇことしやがって!虚退治が終わって部屋に戻れば身体はねぇし、おかしいと思って霊圧たどりゃ、こんなところで井上に土下座してやがるし!早く俺の身体を返しやがれ!」

大人しく言うことを聞かなければ、一護の手の中のぬいぐるみは、あっという間に綿の塊になりそうだ。
オレはすぐに一護の身体を明け渡し、いつものライオンのぬいぐるみに戻った。

「…痛てぇ。」
「あはは。だよね、黒崎くん。ちょっと待ってて。」

身体に戻るなり低く唸り、自分で作った頭のコブを、井上さんに治してもらう一護。
…何だその飼い主に撫でてもらう時の仔犬みたいな顔は。
さっきまで鬼みたいな形相だった癖に、井上さんに甘えられるのがそんなに嬉しいか…って嬉しいだろうな、そりゃあ!ちくしょう!

「悪かったな、井上。コンが勝手なこと言って。」
「ううん。」

井上さんが、ゆるく首を振る。
その穏やかな表情に、オレは心底ホッとした。

何故だか解らないけれど、今の「ううん」は、単純に一護に返事を返した訳じゃなくて、オレの訴えが「変じゃないよ」って、井上さんが認めてくれたような気がしたから…。

「だいたい、新婚家庭に割って入ろうってのが図々しいんだよ。居候の癖に。」
「居候だから、次の居場所に不安を抱くんだろ?一護にオレの気持ちが解るか?」
「あぁ解るよ!」

一護はそう言うと、俺の首根っこをひょいっとつまみ上げ、顔の高さまで上げて。

「お前の狙いは、井上だろ?俺がそんなの許すと思うか?」
「…!」

井上さんに聞こえないよう、小声でそう告げた一護の鋭い眼差しが、オレを射抜く。

途端に凍りつく、オレの背筋。

…そ、そりゃ、井上さんの特盛は魅力的だ…それは認める!

けれど、本当はそれだけじゃなくて…。

「待って、黒崎くん。」

オレと一護のやり取りをずっと見守っていた井上さんの、穏やかな声が響く。
オレと一護が同時に彼女に視線を向ければ、井上さんはふわりと笑った。

「あたしは、いいよ。」
「「へ?」」
「あたしは、黒崎くんとコンちゃんと、3人で暮らすの、いいよ。」
「い、井上?正気か?」
「井上さん?正気?」

一護と同じ言葉を発しながら、はっきり言って一護よりも驚き戸惑うオレ。

だって、どう考えても一護との新婚生活にオレは邪魔者だろ?

なのに、まさかこんな簡単に、オレが転がり込むことを許すなんて…。

目を点にする一護とオレに、井上さんは口元に微笑みをたたえたまま、尚も続けた。

「あたしね、知ってるよ。この前、あたしが黒崎くんの家で一緒に鍋を囲ませてもらったとき…コンちゃん、ドアの隙間から覗いてたんだよね?」
「…!い、井上さん、気づいて…!」
「あの時、本当は、仲間に入りたかったんでしょう?」
「べ、別に…そんなことは…。オレ、ぬいぐるみだし、ご飯食べないし…。」

オレは慌てて口を尖らせてみたけれど、多分バレてるんだろう。
図星だって。

「解るよ。憧れるよね、家族で楽しく食事するのって。あたしも普段は一人でご飯食べるから、たまに黒崎くんや黒崎くんの家族と一緒にご飯を食べると、すごく美味しいの。」
「井上…さん…。」
「ご飯だけじゃないよね。勿論、一人でいるのは気楽だし、決して悪くない。けど…何か嬉しいことがあったら一緒に喜んでくれて、悲しいことがあったら一緒に泣いてくれる…そんな人が傍にいてくれたら、毎日幸せだろうなって思うの。ほら、よく言うでしょ、『二人なら、喜びは倍に、悲しみは半分になる』って。もし、黒崎くんとコンちゃんが一緒にいてくれたら、喜びは3倍に、悲しみは3分の1になるよね!」
「井上…。」

オレには一度も見せたことのないような優しい眼差しで、井上さんを見つめる一護。
井上さんはそんな一護に笑顔を返すと、オレの頭をそっと撫でた。

「家族の形は、色々だもんね。あたしは、黒崎くんとコンちゃんと、3人で迎える新しい生活、楽しそうだなって思うよ。」
「い、井上さん…!」

オレのプラスチック製の目から、溢れだす涙。
いや、オレはぬいぐるみだから、溢れだしたのは、涙の滴じゃなくて、気持ちかな…?

でも、目に映る井上さんの笑顔は、やっぱり滲んで、ぼやけて見えて。
オレはぐしぐしと、短い腕で目を擦った。

「黒崎くん、どうかな?」
「…考えとく。」

一護が、困ったような顔で、低くそう告げたのを聞きながら。

ああ、この二人は、一見亭主関白なようでいて、その実嫁さんが家庭の中心にいる…そんな家庭になるんだろうな、と思った。

…万が一声に出したら一護にしばかれるから、絶対に言わないけど。










…帰り道。

「おい、一護。」
「何だよ。」

夜道を歩く一護の肩に乗りながら、オレは一護に話しかけた。

「井上さんは、特盛なだけじゃなくて、本当に優しい、素敵な女性だな。一護には勿体ないくらいの。」
「…知ってる。」

そう言って頷いた一護の肩で、心地よく揺られながら。

一護が、井上さんを「ただ一人護る相手」に決めたことに、心底納得する。
…そして、一護と井上さん…これまで激しい戦いに身を投じてきた二人に、幸せな家庭を築いてほしい、と願う。

こんなの、柄じゃないかもしれないけどさ。

「なぁなぁ、オレさ、一護と井上さんと一緒に3人で暮らしたいって言ったけど、最初の1週間は、遠慮してもいいぜ?」
「何だよそれ?」
「新婚だもんな、1週間ぐらいは二人きりで思いっきりイチャイチャしたいだろ?オレも、それぐらいの期間なら、あの部屋でぬいぐるみのフリをしてやる。」
「…偉そうに言いやがって。」
「イチャイチャしたいってのは、否定しないんだな…痛い!」

視線は進行方向を見たまま、肩に乗るオレの頭を器用に一発殴る一護。
何だよ、図星だろ?

「そっちこそ、もし井上に妙なマネしやがったら、容赦しねぇからな?」
「解ってるよ、オレだって死にたかねぇし…。って、え?」
「…何だよ。」
「それって、つまり、オレもお前についてっていいってことか?」

オレがおそるおそる尋ねれば、一護はふいっと視線を反らして。

「…井上に感謝するんだな。」
「い…一護ぉ!ありがとうなぁぁ!」
「だぁぁ、やめろ!たてがみが首筋に刺さる!あと、誰かに見られたらまずいだろうが!」

一護の肩に顔を何度も擦り付けるオレを、月明かりが優しく照らしていた。





(2021.11.06)
2/2ページ
スキ