blue bird
「あ、黒崎くん。珍しくお風呂長かったのね。」
一護が入浴を終え部屋に戻ると、織姫が床に散乱していたパンフレットをまとめているところだった。
「ん…まぁな。」
その実、湯船につかりながら考え事をしていたからだ…などと言えない一護は曖昧な返事を返すと織姫の横に腰を下ろす。
「遊子ちゃんがどうしても…って言うから、パンフレットちょっとだけ貰って帰ることにしたの。あ、でも別に、式挙げなくちゃって訳じゃないから、ね?」
そう言って微笑む織姫に、一護の胸がちくりと痛む。
一護は、いつもこうして自分に向けられている織姫の笑顔に安堵していたし、それが全てだと思っていた。
…けれど、きっと『違った』のだ。
忙しさや自分の都合にばかり気を取られていて、その裏にある彼女の本当の想いに気付けないでいただけ。
事実、結婚指輪代を稼ごうとバイト三昧だった結果、織姫に寂しい想いをさせていたことに気付いたのは最近で。
結婚についてきちんと向き合って話したことがない…と気付いたのは今日の夕方で。
挙げ句の果て、織姫の様子がおかしいことに気付いたのは、自分ではなく夏梨だった。
「…ごめんな。」
「え?何が?」
突然謝る一護にきょとんとする織姫。
一護は困った様に笑って見せると織姫の細い身体をそっと抱き寄せた。
「く、黒崎くん…。どうしたの?」
一護の表情と行動に、織姫が心配してそう尋ねるが返事は返ってこない。
織姫はゆっくりと一護の背中に手を回し、子供をあやすようにぽんぽんと叩いた。
「…何かあったの?」
「ん…ちょっと、自己嫌悪。ワリィ、勝手に俺がへこんでるだけだ。」
織姫がこんな自分を受け入れてくれることが嬉しくて、けれどそれと同時に申し訳ない気持ちも膨れてきて。
その柔らかな身体の感触を確かめる様に抱いたまま、一護はゆっくりと織姫に話しかけた。
「なぁ、井上。…本当のところは、どうなんだ?やっぱりウェディングドレス…着たいよな?」
その言葉に、織姫はくすりと笑うと一護を見上げる。
「…やっぱりそれを気にしてたの?遊子ちゃんや夏梨ちゃんに散々言われちゃったもんね。」
「まあ、それもあるけど…。なんて言うか、大事な事なのにちゃんとオマエと話してなかったなと思って…さ。」
「仕方ないよ。お互い忙しかったんだもん。」
織姫は一護を庇う様にそう言って微笑んだが、一護は横に首を振った。
「そういう目先の事しか見えてない自分が、イヤなんだよ。」
もっと言うなら、目の前の忙しさを言い訳に、逃げていただけ…そう思うと、一護は自分の未熟さに溜め息をつくしかなかった。
「あのね、私も色々考えたんだけどね。籍を入れてから式を挙げる人も今は多いでしょう?私たち大学生でお金がないのは事実だし…いつか二人が社会人になってから式を挙げるっていうのはどうかなあ。」
なかなか表情の晴れない一護を励ますかの様に、織姫は努めて明るく話す。
「それって…最低でも4年はかかるってことだぞ?」
「いいんじゃない?それこそ、目先のことに捕らわれず、長い目で見れば。ね?」
先程の一護の言葉を上手く使い、腕の中でにっこりと笑う織姫。
一護は何となく身体が軽くなったような気がして、漸く織姫に笑顔を返した。
「…オマエがそれで、いいなら。」
「勿論です!」
おどけたように力強くそう言う織姫に、一護は思わず小さく吹き出す。
「え?何か可笑しかった?」
「いや、何でもねぇよ。」
…結局は。
自分はまだまだ格好つけることばかりに一生懸命で、気が付けばこうして織姫に救われているんだ…と、一護は改めて感じたのだった。
…その夜。
これまでの黒崎家での外泊では遊子と夏梨の部屋で眠っていた織姫だったが、もう婚約したのだからと黒崎家に泊まって初めて、一護と同じベッドで寝た。
高校時代から使っている一護のベッドはシングルで狭いため、織姫と寄り添う様にして眠るしかない。
「…ワリィ、狭くて。」「ううん…。温かくて、幸せだよ。黒崎くんは眠りにくくない?」
「…俺は、平気。」
むしろ寝にくさより、壁やドア越しに一心や妹達が聞き耳を立てているかもしれない…と思えば、織姫にこれだけ触れながら何もできないこの状態の方が一護には辛かった。
それでも、ゆるゆると眠りに落ちていく一護の頭は、結婚式の問題が解決に近付いたことですっきりしていて。
「おやすみ…井上…。」
「うん、おやすみなさい、黒崎くん…。」
やがて聞こえてくる、規則的に繰り返される一護の呼吸。
織姫は一護が吸い込まれる様に眠ってしまったことを確認すると、その厚い胸板にこつりと額を預ける。
「…ごめんなさい、黒崎くん…。」
…そして静かに、けれど深い溜め息を1つ、そっとついたのだった。
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