時に愛は







「わーい、織姫ちゃんいらっしゃい!」
「しばらくの間、ゆっくりしていってね!」
「なんなら、ずっといてもいいぞ?!いっそこのままウチの子になっちゃいなさ…ぶほっ!」
「ウザいから図に乗るな、バカ親父。」
「あ、あの、ご迷惑おかけします…。」

予想通りの展開で黒崎家に歓迎された織姫は、夜は一護と一緒に受験勉強をし、寝るときは遊子と夏梨の部屋で眠ることになった。

あまり織姫と遊ぶ時間がないことに遊子達はがっかりしたが、今がどんな時期か解っているだけに食後は素直に二人を一護の部屋へと送り出す。

「織姫ちゃん、一兄がしっかり勉強するように見張っててね。」
「後でお夜食、持っていくから!」

無邪気な二つの笑顔に励まされ、一護と織姫は受験勉強を始めることにしたのだった。


…一護の部屋で二人、黙々と問題集や参考書と向き合う。
時折、解らない問題があればお互いに教え合うぐらいしか会話もない二人だったが、織姫の解いている「N大学・教育学部過去問題集」の文字に目を奪われた一護がふと呟いた。

「…やっぱ、井上は学校の先生になりたいのか?」
一護の声に顔を上げた織姫は、照れたように笑う。「うん。子供の頃からの夢だし、大学へは奨学金をもらって行く予定だから。大人になったらちゃんと働いて、奨学金返して…できたら親戚の叔母さんにも、私にかかったお金を少しずつ返せたらいいなって…。」
「偉いよな、井上は。」

感心する一護に、織姫は慌てて手をひらひらと振った。
「いえいえ、本当にそれが出来たら偉いけど、まだ考えてるだけだから!」

その時、階段の下から遊子の声が響いた。
「織姫ちゃーん、一緒にお風呂はいろー!」

その声に織姫は一護の顔をぱっと見る。
「…行って来いよ。俺は後でいいからさ。」
「えっと…じゃあ、お先に失礼しますです。」

一護は軽く手を上げ、部屋を出ていく織姫を見送った。

…しかし。織姫が部屋のドアを閉めると同時に一護の作り笑いは消える。
「はあ…。」
一護は重い溜め息を吐き、シャーペンを机に投げ捨てた。

将来を見据え、自分の夢を叶えるため、また恩返しのために努力を重ねる織姫。
それに比べて自分は未だに目先の受験校ですら決めることができていない。
一護は織姫と肩を並べて勉強しながら、ひどく自分が彼女と不釣り合いな気がしていた。
…足元にある鞄からごそごそと取り出す、「N大学・医学部」と書かれた過去問題集。
もし、織姫が自分もN大を志望していると知ったら、きっと目を輝かせて喜んだに違いない。
そして、「一緒に合格出来るように、頑張ろうね!」と花の様な笑顔で言っただろう。

けれど、一護は織姫の目の前でその問題集を開くことがどうしてもできずにいた。

「くそ…何でセンター前にもっと勉強しなかったんだ、俺…。」
今更、後悔の言葉を吐く自分に更に嫌気がさす一護。

それでも、織姫が来るまではと、一護はN大学の問題集に取り組むのだった。



「黒崎くん、ありがとう!お風呂、楽しかったよ!」
「…楽しかったって、普通は気持ち良かったとかじゃないのかよ?」

織姫の階段を上る足音に、慌ててN大の問題集を鞄に隠した一護は、何事もなかったかの様に振る舞った。

「冷めないうちに黒崎くんもどうぞ、って夏梨ちゃんが言ってたよ。」
お風呂上がりの織姫は、肌がほのかに桃色に染まっていて、僅かに水分を含んだ髪が艶やかで。普段は無邪気な織姫から醸し出される「大人の色香」に、一護は内心どぎまぎしていた。

「じゃ、じゃあ俺も風呂に入って来るよ。」
「うん、いってらっしゃい。」

にっこりして一護を送り出す織姫。
一護は、織姫からふわりと漂う甘い香りから逃げる様に部屋を出ていった。


…しかし。
一護は知らなかった。

織姫もまた、一人きりの部屋で悩み、苦しんでいたことを。

一護の優しさに包まれ、護られる幸福と安堵を知れば知るほど、あと1ヶ月ほどでそれらを全て失う「卒業」という日が来ることに怯え、その痛みに涙を流していたことを…。




.
6/12ページ
スキ