時に愛は
…10分後。
何となく直接黒崎家に帰る気になれなかった二人は、公園に来ていた。
並んでベンチに座り、薄暗い空に光り始めた冬の正座をぼんやりと見上げる。
強く吹き付けていた北風はいつの間にか止んでおり、静かな空気が公園ごと二人を包んでいた。
「…助けてくれてありがとう、黒崎くん…。」
先に口を開いたのは織姫だった。
一護が隣を見ると、はにかんだ様な笑顔でこちらを見ている織姫と目が合う。
「ごめんね?迷惑かけた挙げ句、お礼を言うのが遅くなって…。」
「いや、別に迷惑なんてかけてねぇだろ。とにかく間に合ってよかった。」
一護はそう言うと、帰り道にずっと考えていたことを織姫に尋ねる。
「なあ、なんで…最後にアイツにあんな優しくしたんだ?今まで散々嫌な思いさせられて…それこそ一発殴ったってよかったんだぞ?」
一護の言葉に、織姫は輝き始めたオリオン座を見上げながらゆっくりと答えた。
「あのね、以前黒崎くんが、『時に、誰かを想う気持ちが暴力になったりする』って言ってたでしょ?でも…それだけじゃないって、思ったの。」
「…どういう意味だ?」
一護の言葉に、白い息と共に織姫の唇から答えが紡がれる。
「あのね、時に愛は、その人の中から、凄い力を引き出してくれるものだ…って、信じたいの。それこそ、不可能を可能にしちゃうくらい、好きな人の為なら頑張れちゃうこと、あるもの。」
それは、他ならぬ織姫自身のこと。
一護の為に六花の力を身に付け、一護の為に強くなろうとした日々の結果、今の自分がここにいるのだから…。
「あの人は、私のこと、本当の意味で好きな訳じゃなかったと思う。ただ私の外見が気に入った…って言ってたから。何て言うか、子供がぬいぐるみを欲しがる感覚に近かったんじゃないかな…。」
織姫はそう言うと、ふわりとした綺麗な笑顔を一護に向ける。
「だからね、あの人もいつか本当に好きな人に出逢って、きっと変われるといいな…って思ったの。」
そこまで言うと織姫は突然立ち上がり、2、3歩前へ出るとくるりと振り返って一護を見た。
「黒崎くん。私、今日から自分のアパートに帰るね。」
「…え?」織姫の突然の言葉に一護は驚いたが、織姫は構わずに言葉を続ける。
「だってもうストーカー事件は解決したし。いつまでも黒崎くん家にお邪魔する訳にいかないもの。」
そこまで言うと、織姫は少しうつむき迷った様に靴の爪先で小さく円を描いていたが、やがて足の動きをぴたりと止めるとゆっくりと顔を上げた。
「それでね、私、N大に絶対に受かる様に、真剣に頑張って勉強するよ。だからね、もし、受かったら…。」
黙って自分を見守る一護の視線に、数瞬躊躇って。
「もし、受かったら…黒崎くんに、伝えたいことが、あるの。…いいかな…?」
声の震えを押し隠しながら、織姫はそう宣言をした。
「俺に、伝えたいこと…?」
「うん。それがちゃんと伝えられるように、私勉強頑張るから。」
…昨日まで、織姫は幾度となく一人で泣いていた。
あと1ヶ月足らずで訪れる一護のいない日々に怯え、そんな日々を想像するだけで心がキリキリと悲鳴を上げる。
それでも、一護に迷惑だけはかけたくなくて、この想いはずっと心にしまいこんでおくつもりだった。けれど…今日、自分を護ってくれる一護の背中を見ている内に、織姫の心に少しの変化が訪れた。
これまでの三年間、そしてきっとこれからもずっと、こんなにも強く想い続けることができる相手に出逢えた自分は、間違いなく幸せだった。
そして、会えなくなる日々をただ嘆くより、この出逢いに感謝することの方が、ずっと大切なことなのだと…。
もし自分が告白したら、一護は困るかもしれない。
それでも、返事を求めるためにではなく、この感謝の気持ちを伝えるために告白しよう…織姫はそう、決心したのだった。
その織姫の笑顔は、あまりにも健気で儚くて、なのにひた向きで真っ直ぐで。
一護の心のいちばん深いところを、ぎゅうっと締め付けた。
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