時に愛は






「なっ…!!」

一護は、織姫が見知らぬ男に押し倒されている状況を視界に入れると同時に、瞬歩のごとき勢いでその場に駆け寄る。

「く、黒崎…っ?!」

一瞬怯んだその男を織姫から引き剥がすと、一護は頭で考えるより先に男を殴り跳ばしていた。

男の身体は文字通りぶっ飛び、数メートル先の壁に激突する。

「ぐっ…!」
バァンという激しい音と共に男が声を漏らした。

(バカな、このボクが全く反応できないなんて…!)

空手で全国屈指の実力者である自分が、防御の姿勢も受け身も取れないまま一方的に吹っ飛ばされたことに、男は身体を走る痛み以上に衝撃を受けていた。

そして、痛みを堪えてやっと顔を上げた男の目に入ったのは、こちらを怒りに満ちた表情で睨み付ける一護と、その背中にしがみつく様に隠れてこちらの様子を伺っている織姫。

「…井上、コイツか?例のストーカーは…。」
男を睨み付けたままそう背中に問いかける一護に、織姫はこくりと小さく頷く。
男はぎりっと唇を噛み締めると、一護をにらみ返した。

「…オマエみたいな不良崩れに、織姫は相応しくない…織姫は…。」「うるせええっ!!!」

男の捨て台詞を遮る一護の声が武道館に響き渡る。

「テメエが井上をどれだけ好きだろうが、テメエのやってることはストーカーで犯罪なんだよ!!これ以上井上に手ぇ出すと、承知しねぇぞ!!」

男はその声に、何より一護から立ち上る圧倒的な怒りのオーラに絶句し、身体が凍り付く感覚を覚えた。
これまで幾多の大会に出てあらゆる猛者と渡り合ってきた自分が、たかが不良崩れだと見下していた一護に恐怖していることに男は愕然とする。

…一方で織姫は、自分を護る一護の背中を見つめながら、溢れる涙を懸命に堪えていた。
これまでも、ずっとこうして多くの人を護ってきた、一護の背中。
自分はやっぱりこの背中をどうしようもなく愛している。
そしてたとえこの想いが届かなくても、この背中を3年間想い続けたことは間違ってなんかいなかったのだ…と。

「…井上、帰るぞ。これ以上コイツの顔見てると、マジでもう一発殴りたくなる。」

一護はまだ怒りが収まったわけではなかったが、戦意を喪失した男を前に幾分か落ち着きを取り戻し、この場にこれ以上いる必要がないと判断した。しかし、織姫の荷物やコートを抱え武道館を出ようとする一護に、織姫は「少しだけ待って」と声をかけた。

不思議そうに織姫を見る一護に静かに微笑みかけると、織姫は壁際に座り込んでいる男の側に駆け寄る。

「…え?」

唖然として織姫を見上げる男の前にしゃがみこむと、織姫はハンカチを取り出して男の口元をそっと拭った。

「…さっき、唇かんだ時にね、切れちゃったんだと思うよ…。」
ハンカチに染みた赤色に、男は初めて自分が口元から血を流していたことを知る。

予想外の織姫の行動に言葉を失ったままの男。
織姫は少し悲しそうに微笑んでみせた。
「あのね、あなたは、私の顔や身体が好みだって言ってたけど…次に好きになる人は、ちゃんと心ごと好きになってあげてね。そしたら、きっとこんな悲しい終わりにはならないと思うから…。黒崎くんのこともね、見た目だけで判断しないでね…本当に本当に、優しい人なの。」

そう言うと、織姫はハンカチを「使って」と呆然としている男の手に握らせた。

「井上…。」
「…さあ帰ろ、黒崎くん。」男の元を離れ、一護に駆け寄った織姫がにっこりと笑ってみせる。
「ああ…そうだな。」

ストーカーに対して優しく接する織姫の行動に、一護も最初は驚いた。
しかし、一護はその光景に、怒りが次第に穏やかな気持ちに変わっていくのを感じていた。

いかにも織姫らしいその行動に、一護は改めて織姫の優しさと強さを見たのだった。

「じゃあ…ごめんね。」
織姫は最後に振り返ってもう一度そう言うと、一護と二人、武道館を出ていった。





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