共犯者の話
初め、その姿を見た時、別段これといった感情も思い浮かばなかった。
薄暗い路地。あるのは近くの飲食店で出たであろうゴミ袋と、錆た灰皿。その隅にアイツは立っていた。慣れた手つきで煙草に火をつけふかすその姿に、稀咲に神聖視すらされているアイツも所詮人だったのだと、ただそう思って特別言いふらす気も起きずに夜の街に溶け込むことを選んだ。
後日、同じ場所を通るもその姿はなく、一時の気の迷いだったのか、はたまた、テリトリーを変えたのか、なんて思うもやはり、特別気にはならなかった。ただ、今度見かけた時はちょっかいを出してやろうなんて心にも無いことを思っていた気がする。
▽▽▽▽▽
集会終わりのある日、たまたま煙草を買いに入ったコンビニ近く、小さな駐車場の片隅に置かれた灰皿の近くにソイツはいた。
ライターを忘れてしまったのか若干残念そうに火のついていない煙草を咥えるソイツを見て、驚かせてやろう、なんて思いながら近付く。
「火、いる?」
「…………」
突然声をかけられたからか目を見開いていた。しかし、直ぐに普段の、いや、普段では見たことなんて無いかもしれない。全てを理解したかのような冷静な瞳でこちらを向く。
咥えていた煙草を口から離すその仕草もなんだか様になっていて、自分よりも遥かに歳上の男のように感じられた。
「……そうですね、頂きます。」
「は?…………ッ!」
何故か背伸びをしたと思ったその瞬間、互いの咥えていた煙草の先が触れ合う。俺が咥えている煙草から、アイツが咥えている煙草へと火が移っていく様子がまるで神聖な儀式のようだ、なんて柄にもねぇな。
伏せられた瞳と視線は合わない。火が移ったのを確認するとそっと離れ、吸い込んだ煙を息をするように吐き出した。
「どうも」
「へぇ……」
普段のコイツを四六時中見ている訳ではないが、それでも少なからず関わりを持っているからこそ、その異質さに気付く。
普段の、と言うよりもあの
そこに居るのは一人の男。東京卍會の花垣武道ではなく、ただの”花垣武道”がそこにはいた。
「……何も聞かないんですね」
「何?聞いて欲しかった?」
「……いいえ」
「別にいいんじゃね?煙草くらい誰でも吸うだろ。それともアレ?未成年が煙草を吸うな〜、なんてお決まりの文句でも期待してた?」
「もし、君がそれを言ってきたら「お前が言うな!」って返したでしょうね」
ほんの少しだけ、表情を緩ませながら言葉が返ってくる。淡々と続く会話に、稀咲と一緒にいる時とはまた違った楽しさ、というより何故だか良い意味で気が抜けた。
「別にお前が煙草を吸おう吸わまいがどうでもいいけど、よく煙草なんて手に入れられたな?お前の顔じゃ、売ってもくれなそうだけど」
「だって買ってないですもん。たまたま近くにいた心優しいおじさんに分けてもらいました」
「ばはっ!明らか未成年に煙草を渡すおっさんなんて、心優しい訳ねぇだろ。なーに、もしかして身体売った代わりに〜なんて、言わねぇよな?」
売り言葉に買い言葉、とまではいかなくても思わずポロッと口から出た言葉に少しだけ「しまった」という感情が湧き上がる。しかし、そんな俺を知ってか知らずか目の前にいるソイツは瞳をそっとふせ首を傾げる。その様のなんて、妖艶な事か!
「だったら、どうします?」
思わずゾクっと背筋が震える。あぁ!予想外の伏兵だ!こんな所にも、俺を愉しませる奴がいたなんて!!
「ばはっ♡それだったら、是非とも俺も相手して貰いてぇな?精々、愉しませてくれるんだろ?」
「これまで感じたことも無い愉悦から抜け出せなくなっちゃうかもしれませんよ?…なーんて、冗談です。身体なんて売ってる訳ないじゃないですか!たかが煙草を貰う為にそんなことしませんよ。」
腰を抱こうと手を伸ばすもするりと躱されてしまう。気を抜いたようにこちらに近付いてくる癖に、こちらから手を伸ばすと離れていくその姿はまるで気高い野良猫のようで。
どうしても、この懐かない猫を懐かせてみたくなった。
「じゃ、俺がお前の共犯者になってやろうか」
「共犯者?」
「そ。俺はお前に好きな銘柄の煙草を買ってやる。その代わり、この時間、この場所でまた会おうぜ。煙草が空になるまででいいからさ。」
「それ、君にメリットなくないです?」
「メリット?別にそんなんどうでも良くね?単に俺の興味本位♡」
「ふぅん…?別に俺からしたら煙草貰えるなら嬉しい限りですけど…あまり、好奇心旺盛だといずれ身を滅ぼしますよ?」
「なに、忠告?それとも自分への戒め?」
「経験則、とだけ言っておきますね」
「ばはっ♡」
まだ訝しげに様子を伺っている。今はまだ、これでも構わない。
ゆっくり、ゆっくり仲を深めていって、いつか俺の腕の中でゴロリと寝転び、腹を見せる。そして、顎を擽ってやるとゴロゴロと喉を鳴らすその姿を見せてさえくれればいい。
そうなったら俺は飼い猫同然のコイツを稀咲にも東京卍會の奴らにも見せつけて悦に浸って見せようじゃないか。
恐らく、目の前にいるコイツは俺の心情も薄々理解しているのだろう。やれやれと言った表情でまた煙草を吸い込み……俺へと吹きかけた。
「じゃ、これ、手付金代わりで。短い間かもしれませんが、どうぞよろしくお願いしますね?半間君。」
「末永く、の間違いじゃねぇの?”たけミッチ”♡」
その渾名で呼ばないでください、とだけ言って小さくなった吸殻を灰皿に捨て、離れていく。
残念ながら俺は”お喋り”につい、夢中になって殆ど吸えていないまま小さくなってしまった煙草を名残惜しむように一口吸い込む。
アイツはやっぱり異端者だ。
まるで、今でもその死を、場面を見ているかのような遠くを見つめた瞳。
煙草を吸うことに執着している訳ではなく、それよりも、吐き出した煙を身に纏わせその匂いにどこか縋っている姿。
何かに祈りを込める様に、たった1本の煙草をゆっくりと吸うその仕草。
それらの様子はまるで、何かに懺悔している様で。
「到底、中坊のする顔じゃねぇよなァ」
吐いた煙が風に流され溶けていく。精々、この匂いがアイツにまで届けばいい。