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シュガーブロッサム・イン・ザ・パリ 6(終)
『……──パリオリンピック男子バレーボール決勝、日本対アルゼンチン。いよいよ、始まります』
『本当に、見ている側としてはいよいよですが……疲れもあるでしょうが全員表情は明るいですね、アップもとても楽しそうです』
『楽しんでほしいですね!全力で応援しましょう!───金メダルはもう、目の前です!』
全日本代表の試合はよく、世界と戦うと例えられる。
(ユースで初めて世界に出た日のこと、何か今更思い出すな)
その世界は大海の如く広く、秋空のように高く、どこまでも強く、果てしない。壁にぶつかる気でいたところで、壁なんてどこにもない。多種多様に強い選手が日々生まれ来る世界。大海に飛び込んで荒波に揺られる期間はあっという間に終わりを告げる。
代表シーズンはいつもそうだ。本当に、あっという間。
「国家を歌うのも、今年は今日で最後だね」
今年の代表戦はネーションズリーグと五輪のみ。例年になく短い期間。激戦も今日で最後。パリ五輪、決勝戦。金メダルを賭けた大一番を控え、皆の顔は緊張以上にわくわくしているように見えた。
俺の独り言めいた言葉に木兎さんがそうだなと明るく笑う。
「思いを込めて歌うぜ、日向!」
「おお……!」
「どんどん声デカくなってるって言われとるで、ぼっくん」
どうやら国家を高らかに歌い上げる木兎さんがSNSで話題になってるらしい。肩を竦めた宮くんがこっそりと俺に耳打ち。
「柊生くん、またツーやるんやったら教えてな。あの場面なら俺は普通に上げに行くで」
「うん。逆に、俺が上げて宮くんに打ってもらうのもありだよね?」
「せやな、たまには打たせて貰うで」
アップしているとDJがBGMをチェンジ。早くも会場はすっかり満員だ。期待に満ちた、楽しそうな顔がよく見える。
ふと聖臣が俺のそばに寄って、観客席を指さした。
「柊生、あそこ。両親もう来てる」
「え?どこ?……あー!いた!あっはは、あれ……桜美さん、何持ってるんだべ?」
「マシュみたいなぬいぐるみ持ってる……買ったのか……?」
大きな国旗を掲げた聖臣のご両親が先に視界に入った。聖臣の出身校の先輩後輩たちが寄せ書きした国旗が揺れるそば、俺達が見ていることに気づいたのか桜美さんが大きな白い犬のぬいぐるみを掲げていた。ここに来られなかったマシュのつもりなんだろうなあ。全力応援がくすぐったくてちょっと照れくさい。
「オイカワーーーーーーー!!!!!!!!」
ほのぼのした空気が黄色い悲鳴で一閃。相手チームの練習に沸き立つのも当然。金メダルを賭けて戦う相手国とは、因縁が深いものだった。
「結局またお前とか」
「なっ!?最高のステージでの因縁の対決なのに!岩ちゃんほんと飽きたって顔しないで!」
及川さんを見やる岩泉さんの気だるい呟きに反応するのは、勿論当の本人。幼馴染らしいやり取りは賑やかで和やかだ。
(アルゼンチン、グループリーグでも一番いい仕上がりだったからな)
アルゼンチンとは予選で同じグループだった。初戦を落としたのも真新しい記憶だ。
トーナメント戦には参加している12チームから8チームが進む。セット数などを含めた非常に細かい点数計算の元、決勝トーナメント進出チームが決まるのだ。
グループリーグが終わった時点での順位は、日本7位、アルゼンチンは4位。ここまで当たることのない組み合わせだった。
及川さんの目には熱が灯っている。煌々とした野心で、宣戦布告。
「今回は、というか勿論今回も。────全員倒す」
指をさされたのは岩泉さんだけでなく、その裏にいる俺達全員だった。
高校卒業後単身アルゼンチンに渡って帰化。それもこれも全員倒す、この日のためだと言うのだから、翔陽くんが言う通り大魔王様というのが正しい。
「受けて立つ」
勝負を買って出たのは勿論、牛島さん。絶対王者の白鳥沢から羽ばたいた、今や世界屈指のオポジット。試合が待ちきれないとばかりに目を輝かせるのは翔陽くんに影山くん。ワールドリーグで牙を研ぎ合った二人だけじゃない。
皆が皆、今ここに立つために戦い抜いてきた。
*
「いよいよ決勝ですが意気込みをお聞かせください」
「……いつもと変わらないと思います」
決勝を前にマスコミからの取材も多数寄せられていた。何せ最終決戦なので練習と休養以外の対応は最低限にさせてもらったけれど、聖臣は本当にいつもどおり。
「すごいね、お前は。本当にどこでも変わらないねえ」
なんて人ごとのように言ってしまうくらいだった。聖臣は静かに首を傾げ、俺だけに本音を明かしてくれた。
「俺は元々そこまで、バレーをやっていくのに勝ち負けに重きを置いてないから。……負けてもいいってことじゃねえぞ」
勝つこともあれば負けることもある。その繰り返しが選手生活だ。勝ちを求められるのが俺達の仕事。
「どんな時も手を尽くし続けていられたら、と思ってる。……それだけ」
聖臣の大きな魅力は、勝ち負け以上のものをずっと磨き続けているところ。常にその時のベストを尽くし続けるなんてことは、なかなかできることじゃない。
だから、と珍しく聖臣は言葉を続けた。
「俺は俺のままでやるし、皆そうだと思うけど。バレーはチームプレーだから、全員違っていていいのがいいところじゃね」
「……そうだね」
いつも通りがいつだって出来る聖臣。大舞台に慣れている影山くんや翔陽くん。
そして。
「ヘイヘイヘーイ!!!!得点王は俺がもらう!!」
第1セット終盤、セットが集まったエースの声が高らかに響いた。ここにきて、今大会中一番と言ってもいいくらいのキレ。この短期決戦、過密スケジュールの中でも一番元気な姿を見せ続けてくれる木兎さん。
それこそいつもどおり、なんだけど。
『ストレートにクロス、超インナーと立て続けに決まりました!やっぱり盛り上げてくれますねえ、木兎!』
『引っ張ってくれますからね、彼は』
明るさも、揺るがなさも、いつもどおり赤い背中と木兎ビームの人差し指に浮かんでいた。いつも以上の力を引き出そうとしてくれるんだ。
────勿論、そこにいる全員の。
『勿論アルゼンチンもそう簡単に流れを渡してはくれません!千歳の手をふっ飛ばしましたね……』
『要所要所をオイカワのサーブで切ってきますね……今大会、木兎が得点王を獲る勢いならば、間違いなくサーブで一番点を取るのは、彼でしょう』
俺の手をふっとばしに来たスパイクサーブは、昨年のネーションズリーグで受けたものの威力を超えていた。あれだって十二分に強烈だったのに。まだここまで、進化するのか。
(いや、進化の最中なんだな)
妖怪世代と言われる俺達の間にピリリとした空気が張り詰める。ネットの向こうで深く息をつくのも、また怪物たちだった。
目で追うのもやっとの速さでボールが白帯を掠めていく。
「夜久さん!!」
「ナイス!!」
木兎さんと夜久さんのど真ん中に飛んできた強烈なサーブ。先に体が動いたのは木兎さんだったけど、一歩留まった。
夜久さんの完璧な一本に背筋が震える。全員が次の攻撃に走り出す。
(……さっきより、静かだ)
観客の声が薄くなり、白いテーピングに包まれた相手ブロッカーの指先が見えた。研ぎ澄まされていく感覚がある。コートの上にいる全員がどんな動きをしているのか、わかる。
『千歳速攻!』
『しかしアルゼンチンも速攻ですぐ切ってきます!激しいサイドアウトの応酬!』
最初から一歩も譲らない、譲る気は微塵もないセットの取り合い。ネットの向こう、ギリギリのところでセットを奪ったアルゼンチンの選手たちが激しく叫んだ。
飛び散った汗を拭くスタッフも汗が止まらないかもしれないな。
「柊生、肩冷やす?」
「ううん、大丈夫」
セットカウント1-2。アルゼンチンに一歩リードされた形で第4セット。ドリンク片手に聖臣が左肩にタオルを掛けてくれた。
(ちょっとピリピリする気がするような、しないような?)
今までになくアドレナリン出てるかもしれない。それでいて、落ち着いてもいる。冷静に動けていると思う。
……体がきついのは皆お互い様。今大会中に怪我をした選手もいる。万全で完璧な状態のままこのコートに立てることは、ほぼないだろう。
「っ……千歳!!」
「はい!」
第4セット。強烈なサーブがますます狙いすましてレシーバーを吹っ飛ばす。サーブの狙いは宮くんと光来くんのちょうど間。お見合いになりそうなところを光来くんが上げてくれた。
『たまには打たせて貰うで』
試合前の会話が頭によぎる。落下地点に入って、相手コートを視界の端に捉えた。スパイカーたちに加えて宮くんが勢いよく助走に入った。アルゼンチンブロッカーが一瞬気を取られたのが、見えた。
「────聖臣」
宮くんや影山くんほどじゃないけれど、丁寧に、ゆっくり高く。すでに最高到達地点に向かって跳んでいるパートナーに向かって、手を尽くした。
『オイカワのサーブで体勢が崩れ……セットは千歳から宮……では、なく、佐久早ーーーー!!!!!!!』
『そっちかー!!いや、いい判断です!!!』
一瞬のほころびだって見逃さないお前にこんな場面で託せるなんてね。会場のどよめきを一手に引き受けたのも、喜ばしいことこの上ない。
笑顔で手を振るだけなんて、出来ない。喜びを抑えられない。飛び上がって思いっきり抱きついた。
「っ……ナイス聖臣ー!!!」
「痛えよ。次トス上げるならもうちょっと速くして」
「あっはい」
バカ、と汗塗れの笑顔で笑うのが嬉しくて、痛いのも大変なのも全部吹っ飛んじゃう。それでいて、ちゃんと要求もしてくるのがほんといつもの聖臣。
打とうと思ったんやけど!と宮くんが俺の頭に手刀を落とした。
「あ痛。宮くん囮にしてごめん」
「いやお前らホンマ俺に恨みでもあるん?まあ俺でも臣くんに上げたけども!」
「?いやお前だったら柊生で速攻だろ」
「そういうとこやぞ!!!柊生くんはBAもっと入って来いや!」
「はい、勿論!」
聖臣から真顔の返答を食らった宮くんが惚気当てられんのもう勘弁や、と言いながらサーブに向かう。
色々言ってるけど、やっぱり集中力は見事なもので。
『宮のサービスエースー!!!』
『うん、来ましたね!こっちのセッターのサーブも走り出した!』
エンドラインに強烈なサービスエース。ビジョンに映る判定画像はライン上数ミリで、イン。惚れ惚れするサーブにますます会場はヒートアップ。
『宮の変幻自在サーブで畳み掛けるー!3連続ポイント!日本が勢いに乗ります、第4セット!』
『いいですよいいですよ、フルセット行きましょう!』
まだユースに出たばかりの頃、漠然と思っていたことがある。
(世界最高峰の舞台において、勝ちを制するのに必要なことってなんだろう)
練習量、コンディション、運。勿論当時思っていたことはそのままだけどね。厳しい現実に打ちのめされながら、実力を示すことに躍起になることもあった。どうしたらいいのかわからないこともあった。
最初に立ち戻れば、実にシンプルな話。
”1番になりたい”
”金メダルが欲しい”
”勝ちたい”
”負けたくない”
それぞれこだわりがある強い気持ちを、大事に抱えて挑んでいく。
「5セット目、日向、影山スタートから入って」
「うす」
「はい!」
監督やコーチと打ち合わせる元烏野高校の変人コンビがうずうずしている。総力戦もいいところ、いよいよ因縁めいたメンバーになってきた。
(本当の本当に総力戦だ)
切りたいタイミングでどんどん人を入れ替えていくのは、攻め手を緩めるなって指示でもある。今日は特に、ベンチに居るメンバー全員も試合に出ることになりそう。
芽王くんが俺の肩を叩いた。
「柊生、あの4番にはブロックつくタイミングもうちょいゆっくりでいい。さっきのはちょっと早い」
「オッケー」
百沢くんと改めて打ち合わせる。
「千歳さん、さっき吸い込んだけど次のローテもあのまま真ん中張りましょう」
「そうしよう。したっけ二人ともちょっと体流れてたからまっすぐね。俺もですが」
淀みなく流れる情報と修正。途切れることない集中力。会場を飲み込んでいる熱の正体は見ている人たちの緊張なのか、俺達の心なのか。
この1点は、このセットは渡さないという執念がコートの上で火花を散らす。
『アルゼンチンが先に10点台!』
『サイドアウトの応酬はますますヒートアップ!日本も食らいついて10点目!!』
5セット目は15点マッチ。あと数点でこの戦いも終わってしまう。それだというのに、手に当たるボールの重さときたら。
「ぐっ……!」
「ワンチ!」
普段なら止まったと思ったボールは上に弾かれ、ネット際ギリギリを彷徨った。衝撃にふっ飛ばされた俺の横、迷わず飛び込んで行ったのは身軽な、カラス。
『またも日本並んだーーっ!13-13!』
『よく叩き込みました日向……心臓が口から飛び出そうです……』
大丈夫ですか柊生さん、と手を差し伸ばしてくれたのはニンジャ・ショーヨー。……今纏っているのは赤いユニフォームだってのに、カラスに見えるとか。
(今まで積み重ねてきたもの、全部目に浮かんでるみたいだ)
選手交代もますます細やかなものになってきた。強者であれと進化し続けたキャプテンが高く跳ぶ。脅迫にも取れるトスが熱気を切り裂く。
「影山」
「牛島さん!!」
リベロの手前に叩きつけられたボールの音が、心臓を震わせる。
『……っ日本、ここで一歩前に出たー!!!!!マッチポイント!!!!!!』
『金メダルまで、いよいよ、いよいよあと1点!!!!!!!!!』
ずっと一歩、いや半歩先を行っていたアルゼンチンをようやくここで捕まえた、と思った。ほんのわずか前に出た感触に、アルゼンチンがチャレンジ。
『アルゼンチンチャレンジです!』
『いやあ今のは完全にブロックノータッチだったので、タイムアウトの意味で使ってますね』
すべてを注ぎ込んで、勝つ。アルゼンチンの選手とコーチ陣の冷静な熱い声がぼんやりと聞こえた。チャレンジの結果待ち、相手コートを睨む光来くんの目がギラリと光る。
「俺、こういう時のが怖いわ」
「わかる」
完全互角でスレスレの勝負、そして一歩先に行ってる時のほうが、怖い。アルゼンチンは選手全員が円陣を組んでいる。
背負うものがなくなった相手ほど、怖いものはないって俺達はもうよく知っていた。
「怖い?楽しいだろ!なあ日向!」
「はい!」
冷静に怖がる俺と光来くんの背中を叩いてきたのはコート内外どっちでも笑顔が止まらない木兎さん。
「柊生、ブロックずっと触れてんじゃん!すげーよ!もう最後は止めちまえ!」
「はい!」
「お前ら声ガラガラじゃん……」
一際冷静にドリンクを煽った聖臣が俺の腕をじっと見つめた。
「何?」
「いや。……綺麗だなって」
「な、なん……今!?何で!?」
黒い瞳にたっぷりと桜を写し取ると静かに笑って位置につく。唖然、呆然、こいつの甘くて強烈なスパイクを止めるすべは、未だにない。
(こんな時にまで、恋を忘れないお前こそ世界一にふさわしいよ)
楽しもうねと自分に誓うように彫った桜を撫でて、おそろいの結婚指輪にキスをした。
「あれには負けたくない」
ネットの向こうからそんな会話が聞こえた。世界一幸せなバレーボーラーだって自覚もある。煽ったつもりじゃないけど、全部、全部。
(バレーも、聖臣が好きだってことも、全部)
恋も愛も全部乗せて、思い切り叫ばせて欲しい。
*
指輪にキスをした柊生に、アルゼンチンの選手たちがいい度胸だ、あれには負けたくないと言っているのが見えた。本人、煽ってるつもりは微塵もないんだろうけど。
些細な苛立ちだとかを力に変えるのが、強者。
『アルゼンチンの強烈サーブ!!古森が拾う!』
『チャンスボール、影山が上げるのは佐久早ー!』
どんなサーブを上げても当然、どんなスパイクを上げられても当然。5セット目がいちばんラリーが続いている。もう何時間経ったかわかんないけど、絶対に落とさないという気迫が会場を焚きつける。
『アルゼンチンの強烈な速攻……をもう一度古森が拾う!!!!』
『打ったばかりで凄まじい反射神経!影山、百沢に上げる!』
速攻勝負で前掛かりになったところを後ろに、と揺さぶられるのは慣れたもの。元也がどう動くのかなんて大体わかってるし。エンドラインに飛び込んでボールを待ち構えた。
『空いた後ろには佐久早がいます!』
『誘いましたかねこれ!?さあもう一度日本チャンス!』
上がったボールの向こう側、元也がニヤリと笑っていた。あいつも今、同じこと考えてたな。
思えばいつもこうしてきたな、なんて思う。
「影山くん!」
「影山!」
日向がコートの横幅を切り裂いていくのを、オイカワが見逃したように見えたけど、頭に入ってる、ってだけだ。最強の囮と呼ばれていた男は思いっきり跳んだ。スパイカーがそれぞれ空中で完璧なフォームのまま止まったように見えた。影山の両手が静かにボールへと伸びた。
知っている。どうするのか、知り尽くしている。
「千歳さん!!!!」
真ん中で相手を焦らすように深く溜めを作った柊生が、腕を振り上げた。目の前で、桜色に染まった金髪が揺れる。汗に濡れた白い腕に咲いた花が、視界に広がる。鋭い速攻が、ネットの真下に突き刺さった。
見事だった。今まで見たどの桜より、満開の光景だった。
『わぁあああああっ!!!!』
『きっ……決まったーーーー!!!!日本、金メダルーーーーーーー!!!!!!!!!!!』
『……っ、長い、長い、長い悲願でした……!!!よく、ここまで……!』
『っ、絶対に……金メダルを獲ると宣言したその通りに、なりました……!!!!!最後は日向を囮に千歳柊生!真夏のパリに、桜が咲きました!!』
桜に見惚れるのは一瞬、紫色の目と視線がかち合ったのも一瞬。試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、ネットの向こうもこっちも全員が倒れ込んだ。雪崩込んできたチームメイトたちにもみくちゃにされていた。
「うおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」
「あああああああああ!!!!!!!!!」
バレーの獣たちはもう言葉を持てなかった。耳をつんざく咆哮、熱、絶え間ないカメラのフラッシュ。悲鳴、涙、汗を背負って倒れ込む。
代表シーズンの次はクラブだってあるのに怪我したらどうすんだって、いつもなら怒ったかもしれない。……今は、無理。
「き、よおみ、聖臣……?」
「柊生、大丈夫?」
最後の点をもぎ取ったため一番下で埋もれていた柊生のデカい手が人の山をかきわけながら、俺を探していた。
「……夢じゃない?」
おそるおそる俺の背中に両腕を回す。
「これが夢だったら勘弁して欲しい。……今まででいちばん疲れた」
「あっはは、それは、そう」
抱き起こしてやったけど、潤んだ紫色の瞳はまだ現実を確認しているみたいだった。まるで他人事みたいな反応をするあたり、多分、ちょっと現実だと思えてないんだろうな。気持ちはわかる。
(……すごいものを、見た)
相手も味方も心身極限まで研ぎ澄まされたプレーの数々。今まで体験してきたシーソーゲームを上回っていた。
『俺、今までで一番強いから堪能してね』
有言実行してみせたパートナーの、いちばんかっこいいところも、可愛いところも、余す所なく見届けられた。
「柊生!君が代もう一回歌うぞ!!」
かつてなく笑顔が止まらない木兎くんが国旗を背に、柊生をハグ。
「えっ?国歌?何して?」
「いちばんてっぺんの日本国旗を見ながら歌うんだよ!……柊生がこんな頭回んなくなってんの初めて見た!面白い!」
「あっ、そうか、そうだよね、メダル授与式で歌うんだよね」
インタビューもまだだからいいものの、本当にまだ頭真っ白みたい。テンション高く喜びまくってる周囲に比べると、柊生だけは妙に静か。
ネットをくぐって、アルゼンチンのキャプテンが柊生に声をかけた。
「ハネムーン気分の金メダル、なんてフラグになっちゃった。おめでとう」
「及川さん。……ありがとうございました」
「次は倒すから、モチベーション保っといてね?」
その方が倒し甲斐あるからさ、という含みを込めた右手が差し出されていて、柊生は静かに頷いて約束を交わしていた。
「可愛げがありすぎるのも何だかね。今のうちだけだから存分に喜んどきな、ほらほら。ほっぺたもちもちだね」
「おいこら、うちの選手をつねるな。悪いな佐久早」
オイカワが柊生のほっぺたをつまんでるところを岩泉さんが間に入って引き剥がし、パートナーを俺にパス。
「……ほっぺた痛かった……」
「だろうな。……いい加減現実なのを認識しとけ」
「あああ、痛い痛い痛い、聖臣、痛い!……春高の時を思い出しちゃうべや……」
もう10年以上前のことを思い出しながら、俺も柊生の頬を摘んでおいた。腫れ上がっていた左の頬。泣きながら初めてのキスをした記憶がぼんやりと蘇る。あの時も、今も、可愛くて、強い人だった。
「柊生」
「うん?」
「……お前がいちばん、かっこよかったよ」
お前が世界でいちばん、かっこよかった。東京五輪の後、柊生は悔しそうにそう言ってくれた。……俺は今、心の底から素直にそう言えて、嬉しい。
「柊生?……─────ん」
会場の熱を写し取ってはぼうっとしていた紫色の瞳が静かに輝き出す。柊生からの長いキスに口笛が聞こえて、拍手喝采。
「……うん、夢じゃないや。ふふ、嬉しい!お前も!お前も世界一かっこよかったよ、聖臣!!!!」
「痛え」
今が現実だという認識が済んだ瞬間、いつもの元気な赤ちゃんに戻った。渾身のハグが重いし痛い。
「ごめんごめん、ほら、桜美さんたちがマシュマロみたいなぬいぐるみを胴上げしてるから行こう!」
「ふは、何やってんの」
柊生が指さした先で、家族や周囲の人達がぬいぐるみを胴上げして万歳三唱していた。面白すぎて笑っちゃったところ、柊生が俺の手を引いて家族の元へ走り出す。
「桜美さーん!夜桜さーん!!」
「父さん、母さん」
応援してる人たちも俺達と同じくらい汗びっしょりだ。一緒に戦ってくれたんだってこと、わかってたつもりだったけど。柊生が俺の背を叩いて、一緒にお礼しよ、と笑った。
「皆さん応援、本当に……本当に、ありがとうございました!!」
「……ありがとう」
二人揃って深く深く頭を下げて、心から、礼を尽くした。言葉が出てこない両親が俺に向かって両手を差し出す。
俺も、柊生も、家族に向かって腕を伸ばした。……親と抱きしめ合うなんて、子供の時以来かもしれない。遠すぎる記憶に思いを馳せる前に、夜桜さんが叫んだ。
「最っっ……高よーーーーーーー!!!!!」
「おめでとう!!!ほら、マシュくんの代わりにこの子も表彰台に連れて行って!」
桜美さんが溢れて止まらない涙を拭いながら俺達にぬいぐるみを寄越した。
「桜美さん、多分表彰台に持ち込みはだめなやつ。でも持ってく」
「やっぱマシュのつもりだったんだ、それ。いっぱい写真撮ってもらうね!」
体育館のいちばん上に掲げられる日本国旗を見上げながら、流れる国歌。表彰台の一番高いところに立ち、金メダルを手にして目を輝かせるチームメイトたち。
『今、日本男子、全身全霊を賭しての金メダルを手にしました……!』
『いや、夢みたいですね……全員、いい笑顔です。ここまで、どれも素晴らしい試合でした』
『たくさんの悔しさや夢が繋がっての、今日この日です』
選手は興奮冷めやらぬテンション高いやつらも多いし、コーチ陣は泣き笑いしてたりって感じだけど、両親は泣きっぱなしで正直あんま俺等のこと見えてないんじゃねえかなあ、なんて思う。
柊生がああ、と零すと、会場中に手を振り返していた。
「胸いっぱいだあ……でもお腹空いてきたかも……」
「赤ちゃん……」
「うん、赤ちゃんみたいに食べながら寝そうだから、取材対応でちょうどいいかもしれない」
あれだけ動いてばっかだったってのに、これから飯を食う暇はあるんだろうか。俺の嫌味を否定せず、こてんと肩にもたれかかってくる。
「聖臣……ありがとう。たくさん、ありがとう」
「こちらこそ、どうも」
同じ景色を、ずっと見ていた。オイカワにはハネムーン気分の金メダルなんて言われたけど……俺と柊生にとっては、お互いの存在とバレーを切っても切れないままここまでやってきた。それが、普通で当たり前。
これからも、ずっとそう。
『────偉業の喜び真っ只中ですが、今年の代表活動は今日で終わりとなります。それぞれがまた国内外のクラブで新たな目標に向かって歩むこととなりますが……期待が膨らむものとなりますね』
写真撮影になってのしかかってくるのは宮。木兎くんも肩を組んでくる。振り払うのも今日はめんどくさい。眩しいフラッシュが何度も焚かれる向こう、柊生が海外のメディアから取材を受けていた。
「今日はまるで宝物のような1日です。いつかきっと、今日のことを幸せな気持ちで何度も思い出すんだろうなと思います。
今はこの喜びを、感謝をたくさんの人に伝えたくて……できるだけ、長く長く……どんな立ち位置からでも、バレーボールが楽しいってことを、魅せられたらいいな」
余裕綽々の、俺の柊生が笑って俺を指さした。
「最愛のパートナーと一緒に、これからもバレー馬鹿でいたいと思います。……ふふ、愛してるんです。バレーも、聖臣も!
────ここにいる、バレーを大好きな皆さんのことも!」
高らかにそう叫ぶと、両手を唇に添えてキスを投げた。めったに見ないというか、初めて見るファンサに会場が揺れる。
「わや、テンション上がりすぎちゃった。ふふふ」
チームメイトたちにまで冷やかされながら戻ってきた顔は赤かった。どうしたってお前ってそうだよな。
「柊生、可愛い」
テンション上がりすぎたのも一瞬のこと、目の前でパートナーはがくりと肩を落とす。
「もしやかっこいいのは一瞬だった……?ね、明日のセレモニーでワルツ踊ろうよ。可愛く踊ってあげるから!」
「……バボちゃんダンスしか覚えてねえ……」
「嘘でしょ!?」
「マジで」
可愛くてかっこいい、最強のモンスターは金メダルを胸に笑った。淡い桜色に染まった金髪。金色のメダルに焦がれて、伸ばし続けた腕に咲いた桜。
(……早くまたクラブシーズンにならねえかな)
胸に光るのは今までの軌跡だけじゃなかった。
*
パリ五輪ではメダリストセレモニーも華やかに行われる。エッフェル塔の真横に作られたチャンピオンズパークで俺達は踊った。真夏の日差しをたっぷりと浴び、それはもう……足を踏んだり踏まれたりの不格好なワルツ。
「聖臣ちがーう!あっはは」
「うるせえ、あまり動くとぬいぐるみ落ちるだろ」
聖臣はともかく、決して俺がワルツを覚えていなかったわけじゃなくて。胸の間にマシュのような可愛いぬいぐるみを挟んだり、抱っこしたり、おんぶしたりのダンスとなったため、です。
「おめでとうー!」
「柊生くん、聖臣、こっち向いて!」
ランウェイの下で聖臣のご両親がカメラを向けて笑っていた。俺の両親もずっと拍手を送り続けてくれている。チームメイトたちも友人や家族と喜びを分かち合っていた。
こういったものが大好きな木兎さんがますます楽しそうに笑顔を輝かせた。
「あー楽しかった!!なあ、この後、ここで夜の競技?見られるんだって!見たい!」
「ああ、パブリックビューイングか。楽しそうやん!」
まんざらでもない宮くんも居残りたいわと名残惜しげ。いつになく満足げな表情の牛島さんがこの後のスケジュールを突きつける。
「今後は自由行動、と行きたいところだが、取材対応が詰まっているぞ」
「こっからが忙しいやつな……」
光来くんも疲れるぜと言いながら、嬉しそう。昨日勝ってからというものの皆、安堵と喜びを胸に笑顔を咲かせていた。穏やかで、心地いい。それでも喜びも喧騒も、いつだって快感は一瞬にしか過ぎない。
夏のお祭りムードをもう少し体感したかったところだけど。
「……柊生?ぬいぐるみ抱きしめてばっかいるとマシュマロが嫉妬するぞ」
「ああ……何か、またここに来たいなあ、なんて思っちゃって。あまりに早すぎるけど」
明日にはもう、このチームは解散。今後、代表がどうなっていくかは監督やチームスタッフ含めて未定。二度と同じチームには、ならない。
聖臣がぬいぐるみについたほこりを払って、俺にたずねた。
「……さみしい?」
「うーん、あまりに楽しすぎたから、ちょっとね。でも、これからどうなるかな?ってわくわくしてる。追われる立場になるなんて、そうそうないしね」
対策に対策を重ねていく、そんな日々がすでにちょっと懐かしい気がして不思議な心持ちだった。夕方でもまだまだ高い日差しの中、青空に走る飛行機雲が眩しくて、思い切り手を伸ばす。
「及川さんもそうだけど次の大会はきっと、もっと強い人たちに会えるわけで。ずっとこうならいいなあ、なんて思う次第です。……聖臣?」
各国、五輪大会が終わった直後からメディアを賑わすのは選手たちの進退について。これで代表戦を最後とする宣言をする者、これからも続けると心奮わす者。皆、様々な道に行く。
(当事者でもある俺は……まだまだやりたい)
疲労もあるし、左肩もちょっと診てもらわないといけないから、色々予定は未定だけど。
ふと聖臣が俺の腕に触れた。ジャージの袖から覗く、桜の花びらに。黒い瞳に光るきらきらの黄金色が、まっすぐに俺を射抜いた。
「────お前といると、もっとバレーやりたくなる」
その金色は、何よりも眩く輝いて俺を照らす愛の色だった。
「……そ、れは、あの、ほんと、お前って、もう……」
「何」
「……あーもう、いい、もういい。可愛くていい、赤ちゃんでいい」
「何が」
結局俺はただの負けず嫌いなわけで、そうなれば、もうこれしか言えない。
「バレーもお前も、ずっと大好き!」
めいっぱい花開いた桜色の腕を伸ばして抱きつけば、祝福の紙吹雪が舞い踊る。前よりずっと、ううん、今よりももっと。この場所に夢を見て、お前に恋をするよ。
胸に光るメダルが、灼熱の夏空に向かって静かに揺れていた。
『……──パリオリンピック男子バレーボール決勝、日本対アルゼンチン。いよいよ、始まります』
『本当に、見ている側としてはいよいよですが……疲れもあるでしょうが全員表情は明るいですね、アップもとても楽しそうです』
『楽しんでほしいですね!全力で応援しましょう!───金メダルはもう、目の前です!』
全日本代表の試合はよく、世界と戦うと例えられる。
(ユースで初めて世界に出た日のこと、何か今更思い出すな)
その世界は大海の如く広く、秋空のように高く、どこまでも強く、果てしない。壁にぶつかる気でいたところで、壁なんてどこにもない。多種多様に強い選手が日々生まれ来る世界。大海に飛び込んで荒波に揺られる期間はあっという間に終わりを告げる。
代表シーズンはいつもそうだ。本当に、あっという間。
「国家を歌うのも、今年は今日で最後だね」
今年の代表戦はネーションズリーグと五輪のみ。例年になく短い期間。激戦も今日で最後。パリ五輪、決勝戦。金メダルを賭けた大一番を控え、皆の顔は緊張以上にわくわくしているように見えた。
俺の独り言めいた言葉に木兎さんがそうだなと明るく笑う。
「思いを込めて歌うぜ、日向!」
「おお……!」
「どんどん声デカくなってるって言われとるで、ぼっくん」
どうやら国家を高らかに歌い上げる木兎さんがSNSで話題になってるらしい。肩を竦めた宮くんがこっそりと俺に耳打ち。
「柊生くん、またツーやるんやったら教えてな。あの場面なら俺は普通に上げに行くで」
「うん。逆に、俺が上げて宮くんに打ってもらうのもありだよね?」
「せやな、たまには打たせて貰うで」
アップしているとDJがBGMをチェンジ。早くも会場はすっかり満員だ。期待に満ちた、楽しそうな顔がよく見える。
ふと聖臣が俺のそばに寄って、観客席を指さした。
「柊生、あそこ。両親もう来てる」
「え?どこ?……あー!いた!あっはは、あれ……桜美さん、何持ってるんだべ?」
「マシュみたいなぬいぐるみ持ってる……買ったのか……?」
大きな国旗を掲げた聖臣のご両親が先に視界に入った。聖臣の出身校の先輩後輩たちが寄せ書きした国旗が揺れるそば、俺達が見ていることに気づいたのか桜美さんが大きな白い犬のぬいぐるみを掲げていた。ここに来られなかったマシュのつもりなんだろうなあ。全力応援がくすぐったくてちょっと照れくさい。
「オイカワーーーーーーー!!!!!!!!」
ほのぼのした空気が黄色い悲鳴で一閃。相手チームの練習に沸き立つのも当然。金メダルを賭けて戦う相手国とは、因縁が深いものだった。
「結局またお前とか」
「なっ!?最高のステージでの因縁の対決なのに!岩ちゃんほんと飽きたって顔しないで!」
及川さんを見やる岩泉さんの気だるい呟きに反応するのは、勿論当の本人。幼馴染らしいやり取りは賑やかで和やかだ。
(アルゼンチン、グループリーグでも一番いい仕上がりだったからな)
アルゼンチンとは予選で同じグループだった。初戦を落としたのも真新しい記憶だ。
トーナメント戦には参加している12チームから8チームが進む。セット数などを含めた非常に細かい点数計算の元、決勝トーナメント進出チームが決まるのだ。
グループリーグが終わった時点での順位は、日本7位、アルゼンチンは4位。ここまで当たることのない組み合わせだった。
及川さんの目には熱が灯っている。煌々とした野心で、宣戦布告。
「今回は、というか勿論今回も。────全員倒す」
指をさされたのは岩泉さんだけでなく、その裏にいる俺達全員だった。
高校卒業後単身アルゼンチンに渡って帰化。それもこれも全員倒す、この日のためだと言うのだから、翔陽くんが言う通り大魔王様というのが正しい。
「受けて立つ」
勝負を買って出たのは勿論、牛島さん。絶対王者の白鳥沢から羽ばたいた、今や世界屈指のオポジット。試合が待ちきれないとばかりに目を輝かせるのは翔陽くんに影山くん。ワールドリーグで牙を研ぎ合った二人だけじゃない。
皆が皆、今ここに立つために戦い抜いてきた。
*
「いよいよ決勝ですが意気込みをお聞かせください」
「……いつもと変わらないと思います」
決勝を前にマスコミからの取材も多数寄せられていた。何せ最終決戦なので練習と休養以外の対応は最低限にさせてもらったけれど、聖臣は本当にいつもどおり。
「すごいね、お前は。本当にどこでも変わらないねえ」
なんて人ごとのように言ってしまうくらいだった。聖臣は静かに首を傾げ、俺だけに本音を明かしてくれた。
「俺は元々そこまで、バレーをやっていくのに勝ち負けに重きを置いてないから。……負けてもいいってことじゃねえぞ」
勝つこともあれば負けることもある。その繰り返しが選手生活だ。勝ちを求められるのが俺達の仕事。
「どんな時も手を尽くし続けていられたら、と思ってる。……それだけ」
聖臣の大きな魅力は、勝ち負け以上のものをずっと磨き続けているところ。常にその時のベストを尽くし続けるなんてことは、なかなかできることじゃない。
だから、と珍しく聖臣は言葉を続けた。
「俺は俺のままでやるし、皆そうだと思うけど。バレーはチームプレーだから、全員違っていていいのがいいところじゃね」
「……そうだね」
いつも通りがいつだって出来る聖臣。大舞台に慣れている影山くんや翔陽くん。
そして。
「ヘイヘイヘーイ!!!!得点王は俺がもらう!!」
第1セット終盤、セットが集まったエースの声が高らかに響いた。ここにきて、今大会中一番と言ってもいいくらいのキレ。この短期決戦、過密スケジュールの中でも一番元気な姿を見せ続けてくれる木兎さん。
それこそいつもどおり、なんだけど。
『ストレートにクロス、超インナーと立て続けに決まりました!やっぱり盛り上げてくれますねえ、木兎!』
『引っ張ってくれますからね、彼は』
明るさも、揺るがなさも、いつもどおり赤い背中と木兎ビームの人差し指に浮かんでいた。いつも以上の力を引き出そうとしてくれるんだ。
────勿論、そこにいる全員の。
『勿論アルゼンチンもそう簡単に流れを渡してはくれません!千歳の手をふっ飛ばしましたね……』
『要所要所をオイカワのサーブで切ってきますね……今大会、木兎が得点王を獲る勢いならば、間違いなくサーブで一番点を取るのは、彼でしょう』
俺の手をふっとばしに来たスパイクサーブは、昨年のネーションズリーグで受けたものの威力を超えていた。あれだって十二分に強烈だったのに。まだここまで、進化するのか。
(いや、進化の最中なんだな)
妖怪世代と言われる俺達の間にピリリとした空気が張り詰める。ネットの向こうで深く息をつくのも、また怪物たちだった。
目で追うのもやっとの速さでボールが白帯を掠めていく。
「夜久さん!!」
「ナイス!!」
木兎さんと夜久さんのど真ん中に飛んできた強烈なサーブ。先に体が動いたのは木兎さんだったけど、一歩留まった。
夜久さんの完璧な一本に背筋が震える。全員が次の攻撃に走り出す。
(……さっきより、静かだ)
観客の声が薄くなり、白いテーピングに包まれた相手ブロッカーの指先が見えた。研ぎ澄まされていく感覚がある。コートの上にいる全員がどんな動きをしているのか、わかる。
『千歳速攻!』
『しかしアルゼンチンも速攻ですぐ切ってきます!激しいサイドアウトの応酬!』
最初から一歩も譲らない、譲る気は微塵もないセットの取り合い。ネットの向こう、ギリギリのところでセットを奪ったアルゼンチンの選手たちが激しく叫んだ。
飛び散った汗を拭くスタッフも汗が止まらないかもしれないな。
「柊生、肩冷やす?」
「ううん、大丈夫」
セットカウント1-2。アルゼンチンに一歩リードされた形で第4セット。ドリンク片手に聖臣が左肩にタオルを掛けてくれた。
(ちょっとピリピリする気がするような、しないような?)
今までになくアドレナリン出てるかもしれない。それでいて、落ち着いてもいる。冷静に動けていると思う。
……体がきついのは皆お互い様。今大会中に怪我をした選手もいる。万全で完璧な状態のままこのコートに立てることは、ほぼないだろう。
「っ……千歳!!」
「はい!」
第4セット。強烈なサーブがますます狙いすましてレシーバーを吹っ飛ばす。サーブの狙いは宮くんと光来くんのちょうど間。お見合いになりそうなところを光来くんが上げてくれた。
『たまには打たせて貰うで』
試合前の会話が頭によぎる。落下地点に入って、相手コートを視界の端に捉えた。スパイカーたちに加えて宮くんが勢いよく助走に入った。アルゼンチンブロッカーが一瞬気を取られたのが、見えた。
「────聖臣」
宮くんや影山くんほどじゃないけれど、丁寧に、ゆっくり高く。すでに最高到達地点に向かって跳んでいるパートナーに向かって、手を尽くした。
『オイカワのサーブで体勢が崩れ……セットは千歳から宮……では、なく、佐久早ーーーー!!!!!!!』
『そっちかー!!いや、いい判断です!!!』
一瞬のほころびだって見逃さないお前にこんな場面で託せるなんてね。会場のどよめきを一手に引き受けたのも、喜ばしいことこの上ない。
笑顔で手を振るだけなんて、出来ない。喜びを抑えられない。飛び上がって思いっきり抱きついた。
「っ……ナイス聖臣ー!!!」
「痛えよ。次トス上げるならもうちょっと速くして」
「あっはい」
バカ、と汗塗れの笑顔で笑うのが嬉しくて、痛いのも大変なのも全部吹っ飛んじゃう。それでいて、ちゃんと要求もしてくるのがほんといつもの聖臣。
打とうと思ったんやけど!と宮くんが俺の頭に手刀を落とした。
「あ痛。宮くん囮にしてごめん」
「いやお前らホンマ俺に恨みでもあるん?まあ俺でも臣くんに上げたけども!」
「?いやお前だったら柊生で速攻だろ」
「そういうとこやぞ!!!柊生くんはBAもっと入って来いや!」
「はい、勿論!」
聖臣から真顔の返答を食らった宮くんが惚気当てられんのもう勘弁や、と言いながらサーブに向かう。
色々言ってるけど、やっぱり集中力は見事なもので。
『宮のサービスエースー!!!』
『うん、来ましたね!こっちのセッターのサーブも走り出した!』
エンドラインに強烈なサービスエース。ビジョンに映る判定画像はライン上数ミリで、イン。惚れ惚れするサーブにますます会場はヒートアップ。
『宮の変幻自在サーブで畳み掛けるー!3連続ポイント!日本が勢いに乗ります、第4セット!』
『いいですよいいですよ、フルセット行きましょう!』
まだユースに出たばかりの頃、漠然と思っていたことがある。
(世界最高峰の舞台において、勝ちを制するのに必要なことってなんだろう)
練習量、コンディション、運。勿論当時思っていたことはそのままだけどね。厳しい現実に打ちのめされながら、実力を示すことに躍起になることもあった。どうしたらいいのかわからないこともあった。
最初に立ち戻れば、実にシンプルな話。
”1番になりたい”
”金メダルが欲しい”
”勝ちたい”
”負けたくない”
それぞれこだわりがある強い気持ちを、大事に抱えて挑んでいく。
「5セット目、日向、影山スタートから入って」
「うす」
「はい!」
監督やコーチと打ち合わせる元烏野高校の変人コンビがうずうずしている。総力戦もいいところ、いよいよ因縁めいたメンバーになってきた。
(本当の本当に総力戦だ)
切りたいタイミングでどんどん人を入れ替えていくのは、攻め手を緩めるなって指示でもある。今日は特に、ベンチに居るメンバー全員も試合に出ることになりそう。
芽王くんが俺の肩を叩いた。
「柊生、あの4番にはブロックつくタイミングもうちょいゆっくりでいい。さっきのはちょっと早い」
「オッケー」
百沢くんと改めて打ち合わせる。
「千歳さん、さっき吸い込んだけど次のローテもあのまま真ん中張りましょう」
「そうしよう。したっけ二人ともちょっと体流れてたからまっすぐね。俺もですが」
淀みなく流れる情報と修正。途切れることない集中力。会場を飲み込んでいる熱の正体は見ている人たちの緊張なのか、俺達の心なのか。
この1点は、このセットは渡さないという執念がコートの上で火花を散らす。
『アルゼンチンが先に10点台!』
『サイドアウトの応酬はますますヒートアップ!日本も食らいついて10点目!!』
5セット目は15点マッチ。あと数点でこの戦いも終わってしまう。それだというのに、手に当たるボールの重さときたら。
「ぐっ……!」
「ワンチ!」
普段なら止まったと思ったボールは上に弾かれ、ネット際ギリギリを彷徨った。衝撃にふっ飛ばされた俺の横、迷わず飛び込んで行ったのは身軽な、カラス。
『またも日本並んだーーっ!13-13!』
『よく叩き込みました日向……心臓が口から飛び出そうです……』
大丈夫ですか柊生さん、と手を差し伸ばしてくれたのはニンジャ・ショーヨー。……今纏っているのは赤いユニフォームだってのに、カラスに見えるとか。
(今まで積み重ねてきたもの、全部目に浮かんでるみたいだ)
選手交代もますます細やかなものになってきた。強者であれと進化し続けたキャプテンが高く跳ぶ。脅迫にも取れるトスが熱気を切り裂く。
「影山」
「牛島さん!!」
リベロの手前に叩きつけられたボールの音が、心臓を震わせる。
『……っ日本、ここで一歩前に出たー!!!!!マッチポイント!!!!!!』
『金メダルまで、いよいよ、いよいよあと1点!!!!!!!!!』
ずっと一歩、いや半歩先を行っていたアルゼンチンをようやくここで捕まえた、と思った。ほんのわずか前に出た感触に、アルゼンチンがチャレンジ。
『アルゼンチンチャレンジです!』
『いやあ今のは完全にブロックノータッチだったので、タイムアウトの意味で使ってますね』
すべてを注ぎ込んで、勝つ。アルゼンチンの選手とコーチ陣の冷静な熱い声がぼんやりと聞こえた。チャレンジの結果待ち、相手コートを睨む光来くんの目がギラリと光る。
「俺、こういう時のが怖いわ」
「わかる」
完全互角でスレスレの勝負、そして一歩先に行ってる時のほうが、怖い。アルゼンチンは選手全員が円陣を組んでいる。
背負うものがなくなった相手ほど、怖いものはないって俺達はもうよく知っていた。
「怖い?楽しいだろ!なあ日向!」
「はい!」
冷静に怖がる俺と光来くんの背中を叩いてきたのはコート内外どっちでも笑顔が止まらない木兎さん。
「柊生、ブロックずっと触れてんじゃん!すげーよ!もう最後は止めちまえ!」
「はい!」
「お前ら声ガラガラじゃん……」
一際冷静にドリンクを煽った聖臣が俺の腕をじっと見つめた。
「何?」
「いや。……綺麗だなって」
「な、なん……今!?何で!?」
黒い瞳にたっぷりと桜を写し取ると静かに笑って位置につく。唖然、呆然、こいつの甘くて強烈なスパイクを止めるすべは、未だにない。
(こんな時にまで、恋を忘れないお前こそ世界一にふさわしいよ)
楽しもうねと自分に誓うように彫った桜を撫でて、おそろいの結婚指輪にキスをした。
「あれには負けたくない」
ネットの向こうからそんな会話が聞こえた。世界一幸せなバレーボーラーだって自覚もある。煽ったつもりじゃないけど、全部、全部。
(バレーも、聖臣が好きだってことも、全部)
恋も愛も全部乗せて、思い切り叫ばせて欲しい。
*
指輪にキスをした柊生に、アルゼンチンの選手たちがいい度胸だ、あれには負けたくないと言っているのが見えた。本人、煽ってるつもりは微塵もないんだろうけど。
些細な苛立ちだとかを力に変えるのが、強者。
『アルゼンチンの強烈サーブ!!古森が拾う!』
『チャンスボール、影山が上げるのは佐久早ー!』
どんなサーブを上げても当然、どんなスパイクを上げられても当然。5セット目がいちばんラリーが続いている。もう何時間経ったかわかんないけど、絶対に落とさないという気迫が会場を焚きつける。
『アルゼンチンの強烈な速攻……をもう一度古森が拾う!!!!』
『打ったばかりで凄まじい反射神経!影山、百沢に上げる!』
速攻勝負で前掛かりになったところを後ろに、と揺さぶられるのは慣れたもの。元也がどう動くのかなんて大体わかってるし。エンドラインに飛び込んでボールを待ち構えた。
『空いた後ろには佐久早がいます!』
『誘いましたかねこれ!?さあもう一度日本チャンス!』
上がったボールの向こう側、元也がニヤリと笑っていた。あいつも今、同じこと考えてたな。
思えばいつもこうしてきたな、なんて思う。
「影山くん!」
「影山!」
日向がコートの横幅を切り裂いていくのを、オイカワが見逃したように見えたけど、頭に入ってる、ってだけだ。最強の囮と呼ばれていた男は思いっきり跳んだ。スパイカーがそれぞれ空中で完璧なフォームのまま止まったように見えた。影山の両手が静かにボールへと伸びた。
知っている。どうするのか、知り尽くしている。
「千歳さん!!!!」
真ん中で相手を焦らすように深く溜めを作った柊生が、腕を振り上げた。目の前で、桜色に染まった金髪が揺れる。汗に濡れた白い腕に咲いた花が、視界に広がる。鋭い速攻が、ネットの真下に突き刺さった。
見事だった。今まで見たどの桜より、満開の光景だった。
『わぁあああああっ!!!!』
『きっ……決まったーーーー!!!!日本、金メダルーーーーーーー!!!!!!!!!!!』
『……っ、長い、長い、長い悲願でした……!!!よく、ここまで……!』
『っ、絶対に……金メダルを獲ると宣言したその通りに、なりました……!!!!!最後は日向を囮に千歳柊生!真夏のパリに、桜が咲きました!!』
桜に見惚れるのは一瞬、紫色の目と視線がかち合ったのも一瞬。試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、ネットの向こうもこっちも全員が倒れ込んだ。雪崩込んできたチームメイトたちにもみくちゃにされていた。
「うおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」
「あああああああああ!!!!!!!!!」
バレーの獣たちはもう言葉を持てなかった。耳をつんざく咆哮、熱、絶え間ないカメラのフラッシュ。悲鳴、涙、汗を背負って倒れ込む。
代表シーズンの次はクラブだってあるのに怪我したらどうすんだって、いつもなら怒ったかもしれない。……今は、無理。
「き、よおみ、聖臣……?」
「柊生、大丈夫?」
最後の点をもぎ取ったため一番下で埋もれていた柊生のデカい手が人の山をかきわけながら、俺を探していた。
「……夢じゃない?」
おそるおそる俺の背中に両腕を回す。
「これが夢だったら勘弁して欲しい。……今まででいちばん疲れた」
「あっはは、それは、そう」
抱き起こしてやったけど、潤んだ紫色の瞳はまだ現実を確認しているみたいだった。まるで他人事みたいな反応をするあたり、多分、ちょっと現実だと思えてないんだろうな。気持ちはわかる。
(……すごいものを、見た)
相手も味方も心身極限まで研ぎ澄まされたプレーの数々。今まで体験してきたシーソーゲームを上回っていた。
『俺、今までで一番強いから堪能してね』
有言実行してみせたパートナーの、いちばんかっこいいところも、可愛いところも、余す所なく見届けられた。
「柊生!君が代もう一回歌うぞ!!」
かつてなく笑顔が止まらない木兎くんが国旗を背に、柊生をハグ。
「えっ?国歌?何して?」
「いちばんてっぺんの日本国旗を見ながら歌うんだよ!……柊生がこんな頭回んなくなってんの初めて見た!面白い!」
「あっ、そうか、そうだよね、メダル授与式で歌うんだよね」
インタビューもまだだからいいものの、本当にまだ頭真っ白みたい。テンション高く喜びまくってる周囲に比べると、柊生だけは妙に静か。
ネットをくぐって、アルゼンチンのキャプテンが柊生に声をかけた。
「ハネムーン気分の金メダル、なんてフラグになっちゃった。おめでとう」
「及川さん。……ありがとうございました」
「次は倒すから、モチベーション保っといてね?」
その方が倒し甲斐あるからさ、という含みを込めた右手が差し出されていて、柊生は静かに頷いて約束を交わしていた。
「可愛げがありすぎるのも何だかね。今のうちだけだから存分に喜んどきな、ほらほら。ほっぺたもちもちだね」
「おいこら、うちの選手をつねるな。悪いな佐久早」
オイカワが柊生のほっぺたをつまんでるところを岩泉さんが間に入って引き剥がし、パートナーを俺にパス。
「……ほっぺた痛かった……」
「だろうな。……いい加減現実なのを認識しとけ」
「あああ、痛い痛い痛い、聖臣、痛い!……春高の時を思い出しちゃうべや……」
もう10年以上前のことを思い出しながら、俺も柊生の頬を摘んでおいた。腫れ上がっていた左の頬。泣きながら初めてのキスをした記憶がぼんやりと蘇る。あの時も、今も、可愛くて、強い人だった。
「柊生」
「うん?」
「……お前がいちばん、かっこよかったよ」
お前が世界でいちばん、かっこよかった。東京五輪の後、柊生は悔しそうにそう言ってくれた。……俺は今、心の底から素直にそう言えて、嬉しい。
「柊生?……─────ん」
会場の熱を写し取ってはぼうっとしていた紫色の瞳が静かに輝き出す。柊生からの長いキスに口笛が聞こえて、拍手喝采。
「……うん、夢じゃないや。ふふ、嬉しい!お前も!お前も世界一かっこよかったよ、聖臣!!!!」
「痛え」
今が現実だという認識が済んだ瞬間、いつもの元気な赤ちゃんに戻った。渾身のハグが重いし痛い。
「ごめんごめん、ほら、桜美さんたちがマシュマロみたいなぬいぐるみを胴上げしてるから行こう!」
「ふは、何やってんの」
柊生が指さした先で、家族や周囲の人達がぬいぐるみを胴上げして万歳三唱していた。面白すぎて笑っちゃったところ、柊生が俺の手を引いて家族の元へ走り出す。
「桜美さーん!夜桜さーん!!」
「父さん、母さん」
応援してる人たちも俺達と同じくらい汗びっしょりだ。一緒に戦ってくれたんだってこと、わかってたつもりだったけど。柊生が俺の背を叩いて、一緒にお礼しよ、と笑った。
「皆さん応援、本当に……本当に、ありがとうございました!!」
「……ありがとう」
二人揃って深く深く頭を下げて、心から、礼を尽くした。言葉が出てこない両親が俺に向かって両手を差し出す。
俺も、柊生も、家族に向かって腕を伸ばした。……親と抱きしめ合うなんて、子供の時以来かもしれない。遠すぎる記憶に思いを馳せる前に、夜桜さんが叫んだ。
「最っっ……高よーーーーーーー!!!!!」
「おめでとう!!!ほら、マシュくんの代わりにこの子も表彰台に連れて行って!」
桜美さんが溢れて止まらない涙を拭いながら俺達にぬいぐるみを寄越した。
「桜美さん、多分表彰台に持ち込みはだめなやつ。でも持ってく」
「やっぱマシュのつもりだったんだ、それ。いっぱい写真撮ってもらうね!」
体育館のいちばん上に掲げられる日本国旗を見上げながら、流れる国歌。表彰台の一番高いところに立ち、金メダルを手にして目を輝かせるチームメイトたち。
『今、日本男子、全身全霊を賭しての金メダルを手にしました……!』
『いや、夢みたいですね……全員、いい笑顔です。ここまで、どれも素晴らしい試合でした』
『たくさんの悔しさや夢が繋がっての、今日この日です』
選手は興奮冷めやらぬテンション高いやつらも多いし、コーチ陣は泣き笑いしてたりって感じだけど、両親は泣きっぱなしで正直あんま俺等のこと見えてないんじゃねえかなあ、なんて思う。
柊生がああ、と零すと、会場中に手を振り返していた。
「胸いっぱいだあ……でもお腹空いてきたかも……」
「赤ちゃん……」
「うん、赤ちゃんみたいに食べながら寝そうだから、取材対応でちょうどいいかもしれない」
あれだけ動いてばっかだったってのに、これから飯を食う暇はあるんだろうか。俺の嫌味を否定せず、こてんと肩にもたれかかってくる。
「聖臣……ありがとう。たくさん、ありがとう」
「こちらこそ、どうも」
同じ景色を、ずっと見ていた。オイカワにはハネムーン気分の金メダルなんて言われたけど……俺と柊生にとっては、お互いの存在とバレーを切っても切れないままここまでやってきた。それが、普通で当たり前。
これからも、ずっとそう。
『────偉業の喜び真っ只中ですが、今年の代表活動は今日で終わりとなります。それぞれがまた国内外のクラブで新たな目標に向かって歩むこととなりますが……期待が膨らむものとなりますね』
写真撮影になってのしかかってくるのは宮。木兎くんも肩を組んでくる。振り払うのも今日はめんどくさい。眩しいフラッシュが何度も焚かれる向こう、柊生が海外のメディアから取材を受けていた。
「今日はまるで宝物のような1日です。いつかきっと、今日のことを幸せな気持ちで何度も思い出すんだろうなと思います。
今はこの喜びを、感謝をたくさんの人に伝えたくて……できるだけ、長く長く……どんな立ち位置からでも、バレーボールが楽しいってことを、魅せられたらいいな」
余裕綽々の、俺の柊生が笑って俺を指さした。
「最愛のパートナーと一緒に、これからもバレー馬鹿でいたいと思います。……ふふ、愛してるんです。バレーも、聖臣も!
────ここにいる、バレーを大好きな皆さんのことも!」
高らかにそう叫ぶと、両手を唇に添えてキスを投げた。めったに見ないというか、初めて見るファンサに会場が揺れる。
「わや、テンション上がりすぎちゃった。ふふふ」
チームメイトたちにまで冷やかされながら戻ってきた顔は赤かった。どうしたってお前ってそうだよな。
「柊生、可愛い」
テンション上がりすぎたのも一瞬のこと、目の前でパートナーはがくりと肩を落とす。
「もしやかっこいいのは一瞬だった……?ね、明日のセレモニーでワルツ踊ろうよ。可愛く踊ってあげるから!」
「……バボちゃんダンスしか覚えてねえ……」
「嘘でしょ!?」
「マジで」
可愛くてかっこいい、最強のモンスターは金メダルを胸に笑った。淡い桜色に染まった金髪。金色のメダルに焦がれて、伸ばし続けた腕に咲いた桜。
(……早くまたクラブシーズンにならねえかな)
胸に光るのは今までの軌跡だけじゃなかった。
*
パリ五輪ではメダリストセレモニーも華やかに行われる。エッフェル塔の真横に作られたチャンピオンズパークで俺達は踊った。真夏の日差しをたっぷりと浴び、それはもう……足を踏んだり踏まれたりの不格好なワルツ。
「聖臣ちがーう!あっはは」
「うるせえ、あまり動くとぬいぐるみ落ちるだろ」
聖臣はともかく、決して俺がワルツを覚えていなかったわけじゃなくて。胸の間にマシュのような可愛いぬいぐるみを挟んだり、抱っこしたり、おんぶしたりのダンスとなったため、です。
「おめでとうー!」
「柊生くん、聖臣、こっち向いて!」
ランウェイの下で聖臣のご両親がカメラを向けて笑っていた。俺の両親もずっと拍手を送り続けてくれている。チームメイトたちも友人や家族と喜びを分かち合っていた。
こういったものが大好きな木兎さんがますます楽しそうに笑顔を輝かせた。
「あー楽しかった!!なあ、この後、ここで夜の競技?見られるんだって!見たい!」
「ああ、パブリックビューイングか。楽しそうやん!」
まんざらでもない宮くんも居残りたいわと名残惜しげ。いつになく満足げな表情の牛島さんがこの後のスケジュールを突きつける。
「今後は自由行動、と行きたいところだが、取材対応が詰まっているぞ」
「こっからが忙しいやつな……」
光来くんも疲れるぜと言いながら、嬉しそう。昨日勝ってからというものの皆、安堵と喜びを胸に笑顔を咲かせていた。穏やかで、心地いい。それでも喜びも喧騒も、いつだって快感は一瞬にしか過ぎない。
夏のお祭りムードをもう少し体感したかったところだけど。
「……柊生?ぬいぐるみ抱きしめてばっかいるとマシュマロが嫉妬するぞ」
「ああ……何か、またここに来たいなあ、なんて思っちゃって。あまりに早すぎるけど」
明日にはもう、このチームは解散。今後、代表がどうなっていくかは監督やチームスタッフ含めて未定。二度と同じチームには、ならない。
聖臣がぬいぐるみについたほこりを払って、俺にたずねた。
「……さみしい?」
「うーん、あまりに楽しすぎたから、ちょっとね。でも、これからどうなるかな?ってわくわくしてる。追われる立場になるなんて、そうそうないしね」
対策に対策を重ねていく、そんな日々がすでにちょっと懐かしい気がして不思議な心持ちだった。夕方でもまだまだ高い日差しの中、青空に走る飛行機雲が眩しくて、思い切り手を伸ばす。
「及川さんもそうだけど次の大会はきっと、もっと強い人たちに会えるわけで。ずっとこうならいいなあ、なんて思う次第です。……聖臣?」
各国、五輪大会が終わった直後からメディアを賑わすのは選手たちの進退について。これで代表戦を最後とする宣言をする者、これからも続けると心奮わす者。皆、様々な道に行く。
(当事者でもある俺は……まだまだやりたい)
疲労もあるし、左肩もちょっと診てもらわないといけないから、色々予定は未定だけど。
ふと聖臣が俺の腕に触れた。ジャージの袖から覗く、桜の花びらに。黒い瞳に光るきらきらの黄金色が、まっすぐに俺を射抜いた。
「────お前といると、もっとバレーやりたくなる」
その金色は、何よりも眩く輝いて俺を照らす愛の色だった。
「……そ、れは、あの、ほんと、お前って、もう……」
「何」
「……あーもう、いい、もういい。可愛くていい、赤ちゃんでいい」
「何が」
結局俺はただの負けず嫌いなわけで、そうなれば、もうこれしか言えない。
「バレーもお前も、ずっと大好き!」
めいっぱい花開いた桜色の腕を伸ばして抱きつけば、祝福の紙吹雪が舞い踊る。前よりずっと、ううん、今よりももっと。この場所に夢を見て、お前に恋をするよ。
胸に光るメダルが、灼熱の夏空に向かって静かに揺れていた。
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