ネクロマンス・イン・ザ・ルーム
「状況が著しく悪化した」
うっすら目を開けると、啓二が覗き込んできていた。
「今回の兄さんの出来はすごく良かった。動いた。喋った。俺の知る笑い方をした。生前の記憶があった」
「…………」
「なのに壊れた!」
啓二がそばの機械を殴りつけた。大きな音が鳴ったのに、俺は少しも体を動かせなかった。
「し、しかも。ああ、あのクソ所長……俺に、俺に研究を切り上げろと。死ね。成功したのに。もう兄さんを作れない。材料が、設備が足りてない…………」
そのまま、啓二が真っ青になってへたり込む。
「………………会いたい。兄さんに会いたい。会って、慰めてほしい。苦しいよ、兄さん……」
俺は啓二の兄だ。そのはずだけれども、どうやら、失敗したらしかった。
「もう、兄さんは生きられない。お前は兄さんだが、俺が作った兄さんなんだ。オリジナルは、し……死んだんだから。もう、26年も前だ。俺を庇って」
啓二は大きく息を吸った。ほとんど泣く寸前の仕方だった。
「あの時、俺のことも、連れて逝ってくれていれば……っ」
一瞬息を詰め、そのあとぼろりと涙が零れた。ああ、泣くなよ。兄ちゃんは、お前が泣いているのを見るのが一番辛いんだ。拭ってやりたいけれど、手が動かない。あの時と同じだ。俺はもう一度死ぬんだ、と実感した。自分が死ぬのは、理屈じゃなく分かるんだ。
啓二。どうにか、唇だけ動かして名前を呼ぶ。啓二はなかなか気づかない。大きな手で目を拭っているから、俺のことが見えていないのだ。
あの日のあれは間違いだったらしい。今はもう分かる。啓二はあの日、俺と共に死にたかったのだ。共に生きられないのなら、共に死にたかった。だから俺をもう一度蘇らせたんだろう。今度こそ、心中するために。
「け……い、じ」
なんとか声を捻りだす。啓二はようやく俺に気づいた。これ以上は口も手も動かない。それでも、分かってくれるだろうと思った。兄弟だから。生まれた時から、見ていたのだから。
今度は間違えない。本当は、本当に、生きていてほしかったけれど。できれば二人で、無理なら弟一人ででも。けど、俺は弟のお願いには弱いから。俺はこいつの兄さんなんだ。どうしても。
一緒に死んでやる。
その思いを込めて、啓二を見上げた。ああ、と息をついて、啓二は泣きやんで頷いた。ほら、分かってくれた。いい子だな。目線だけで弟を褒めた。
「……兄さん、聞いてるか」
なんだよ、と吐いた息だけで先を促す。手際よく自分の腕に注射器を打ち込みながら、啓二はぽつりと呟いた。
「俺は……兄さんに惚れていたらしい。そろそろ結婚しろと釣書を渡されたことがある。全て、見もせずに破いて、兄さんの仏壇の前まで行って、縋り付いた。もう30そこらの男がそんなことをしているものだから、親にもいよいよ気持ちが悪いと…………いや、それはいいか。それに」
は? 俺が思わず絶句していると、啓二はさらに衝撃的な事実を知らせてきた。
「ここだけの話、俺の初めてキスをした相手は兄さんなんだ。葬儀、の時に。親戚の目を盗んで一度。今思えば、よく何の感染症にもかからなかったものだと思う」
初耳である。いやまあもう死んだ後の……生き返る前の? ことだから、俺には関係ないと言ってしまえばそれまでなのだが。そもそもなんで今更そんなことを、と思って見つめると、啓二はかすかに微笑んだ。
「もう死ぬから、今のうちに懺悔しておこうと思って。……なあ、生まれ変わってもまた、兄弟だといいな」
それだけ言うと、啓二はもう喋らなくなった。
隣から静かな呼吸音がする。同じベッドに俺と啓二は寝そべっていた。なんだか小さい頃みたいだ。こういうのが死に方なら、本当に悪くない、と思う。だんだんと寝息は小さくなって、やがて聞こえなくなった。……死んだ、のか。俺の耳がついにイカれたのか、啓二の息がなくなったのかは定かじゃないが、多分後者だ。一度目に死んだとき、音だけは最期まで聞こえていたから。
啓二の眉間に刻まれた皴を思う。随分遠回りをさせてしまった。俺の『試作品』やら、啓二の言ってた『所長』やらにも迷惑をかけた。俺があの日死んじまったせいでごめん。
……もう、誰も、俺を見ていないのだろうか。
そう思った瞬間、びく、と背中が動いた。微かに体に残った力だ。そのままの勢いで、二、三度咳をする。喉から小さく水音が鳴って、それから血が飛び出した。
「……っ、ぐ、がは!」
酷い咳き込みと共に、俺の肺がまた動き出した。心臓は依然弱っている。弱っているけれど、あと少し。
ああ、生きたい!
死にたくなかった。俺の体にガタが来ていることなんてわかっていたけれど、でも死にたくなかった。弟を咄嗟に庇えたのは嬉しかったよ。でも、それで死んで、もう俺の人生終わりかよ。まだ中学生で、友達だって家族だって居て、それなのに死ぬのかよ。全身の細胞が悲鳴を上げている。生きたい、生きたい、生きたい。
結局、ここがどこなのかも分からなかった。でも、たぶんラボかなにかなんだろう。せっかくの弟の職場なんだから、もっと見学してまわりたかった。漫画も読みたい。もう一度くらい太陽の下を歩きたい。死にたくない。心中なんて碌なもんじゃない。啓二にだってやっぱり、生きていてほしい。
それでも体はまた力を失って、どんどん冷えていく。一度目に死んだときはあんなに熱かったのに。苦しい。俺の目の端から涙が零れた。無理やり横を向く。
その先で、啓二が静かに眠っていた。
久しぶりに見た弟の寝顔はあまりにも、幼いころと変わらなくて。……ああ、もう、仕方ねえなあ。力を振り絞って、どうにか片手を伸ばす。邪魔な眼鏡を取り去って、頬に触れる。乾いた感触を確かめるようになぞった。
生きたかった。もう無理だと、身体の感覚で分かった。息が苦しくて、頭に酸素が足りなくて、こうやって俺は死ぬ。死にたくない。というか啓二も俺の分の睡眠剤くらい残しておけよ。本当に薄情な弟だ。
ああ、でもさ。生きたかったけど、生きたいけど、でも俺はもう生まれ変わらなくていいや。あの日願った、『弟の涙を止めてやりたい』っていうのはもう叶ったから。
やり直し、できるなんて思ってなかった。優秀な弟を持って、兄ちゃんは誇らしい。渾身の力で手を無理やり動かして、撫でてやって__そこで本当に力が尽きた。手がぱたりとシーツに落ちる。ゆっくりと意識が薄れていく。
遠くから、あの日の弟がはにかんだ笑顔で駆けてくる気がした。
うっすら目を開けると、啓二が覗き込んできていた。
「今回の兄さんの出来はすごく良かった。動いた。喋った。俺の知る笑い方をした。生前の記憶があった」
「…………」
「なのに壊れた!」
啓二がそばの機械を殴りつけた。大きな音が鳴ったのに、俺は少しも体を動かせなかった。
「し、しかも。ああ、あのクソ所長……俺に、俺に研究を切り上げろと。死ね。成功したのに。もう兄さんを作れない。材料が、設備が足りてない…………」
そのまま、啓二が真っ青になってへたり込む。
「………………会いたい。兄さんに会いたい。会って、慰めてほしい。苦しいよ、兄さん……」
俺は啓二の兄だ。そのはずだけれども、どうやら、失敗したらしかった。
「もう、兄さんは生きられない。お前は兄さんだが、俺が作った兄さんなんだ。オリジナルは、し……死んだんだから。もう、26年も前だ。俺を庇って」
啓二は大きく息を吸った。ほとんど泣く寸前の仕方だった。
「あの時、俺のことも、連れて逝ってくれていれば……っ」
一瞬息を詰め、そのあとぼろりと涙が零れた。ああ、泣くなよ。兄ちゃんは、お前が泣いているのを見るのが一番辛いんだ。拭ってやりたいけれど、手が動かない。あの時と同じだ。俺はもう一度死ぬんだ、と実感した。自分が死ぬのは、理屈じゃなく分かるんだ。
啓二。どうにか、唇だけ動かして名前を呼ぶ。啓二はなかなか気づかない。大きな手で目を拭っているから、俺のことが見えていないのだ。
あの日のあれは間違いだったらしい。今はもう分かる。啓二はあの日、俺と共に死にたかったのだ。共に生きられないのなら、共に死にたかった。だから俺をもう一度蘇らせたんだろう。今度こそ、心中するために。
「け……い、じ」
なんとか声を捻りだす。啓二はようやく俺に気づいた。これ以上は口も手も動かない。それでも、分かってくれるだろうと思った。兄弟だから。生まれた時から、見ていたのだから。
今度は間違えない。本当は、本当に、生きていてほしかったけれど。できれば二人で、無理なら弟一人ででも。けど、俺は弟のお願いには弱いから。俺はこいつの兄さんなんだ。どうしても。
一緒に死んでやる。
その思いを込めて、啓二を見上げた。ああ、と息をついて、啓二は泣きやんで頷いた。ほら、分かってくれた。いい子だな。目線だけで弟を褒めた。
「……兄さん、聞いてるか」
なんだよ、と吐いた息だけで先を促す。手際よく自分の腕に注射器を打ち込みながら、啓二はぽつりと呟いた。
「俺は……兄さんに惚れていたらしい。そろそろ結婚しろと釣書を渡されたことがある。全て、見もせずに破いて、兄さんの仏壇の前まで行って、縋り付いた。もう30そこらの男がそんなことをしているものだから、親にもいよいよ気持ちが悪いと…………いや、それはいいか。それに」
は? 俺が思わず絶句していると、啓二はさらに衝撃的な事実を知らせてきた。
「ここだけの話、俺の初めてキスをした相手は兄さんなんだ。葬儀、の時に。親戚の目を盗んで一度。今思えば、よく何の感染症にもかからなかったものだと思う」
初耳である。いやまあもう死んだ後の……生き返る前の? ことだから、俺には関係ないと言ってしまえばそれまでなのだが。そもそもなんで今更そんなことを、と思って見つめると、啓二はかすかに微笑んだ。
「もう死ぬから、今のうちに懺悔しておこうと思って。……なあ、生まれ変わってもまた、兄弟だといいな」
それだけ言うと、啓二はもう喋らなくなった。
隣から静かな呼吸音がする。同じベッドに俺と啓二は寝そべっていた。なんだか小さい頃みたいだ。こういうのが死に方なら、本当に悪くない、と思う。だんだんと寝息は小さくなって、やがて聞こえなくなった。……死んだ、のか。俺の耳がついにイカれたのか、啓二の息がなくなったのかは定かじゃないが、多分後者だ。一度目に死んだとき、音だけは最期まで聞こえていたから。
啓二の眉間に刻まれた皴を思う。随分遠回りをさせてしまった。俺の『試作品』やら、啓二の言ってた『所長』やらにも迷惑をかけた。俺があの日死んじまったせいでごめん。
……もう、誰も、俺を見ていないのだろうか。
そう思った瞬間、びく、と背中が動いた。微かに体に残った力だ。そのままの勢いで、二、三度咳をする。喉から小さく水音が鳴って、それから血が飛び出した。
「……っ、ぐ、がは!」
酷い咳き込みと共に、俺の肺がまた動き出した。心臓は依然弱っている。弱っているけれど、あと少し。
ああ、生きたい!
死にたくなかった。俺の体にガタが来ていることなんてわかっていたけれど、でも死にたくなかった。弟を咄嗟に庇えたのは嬉しかったよ。でも、それで死んで、もう俺の人生終わりかよ。まだ中学生で、友達だって家族だって居て、それなのに死ぬのかよ。全身の細胞が悲鳴を上げている。生きたい、生きたい、生きたい。
結局、ここがどこなのかも分からなかった。でも、たぶんラボかなにかなんだろう。せっかくの弟の職場なんだから、もっと見学してまわりたかった。漫画も読みたい。もう一度くらい太陽の下を歩きたい。死にたくない。心中なんて碌なもんじゃない。啓二にだってやっぱり、生きていてほしい。
それでも体はまた力を失って、どんどん冷えていく。一度目に死んだときはあんなに熱かったのに。苦しい。俺の目の端から涙が零れた。無理やり横を向く。
その先で、啓二が静かに眠っていた。
久しぶりに見た弟の寝顔はあまりにも、幼いころと変わらなくて。……ああ、もう、仕方ねえなあ。力を振り絞って、どうにか片手を伸ばす。邪魔な眼鏡を取り去って、頬に触れる。乾いた感触を確かめるようになぞった。
生きたかった。もう無理だと、身体の感覚で分かった。息が苦しくて、頭に酸素が足りなくて、こうやって俺は死ぬ。死にたくない。というか啓二も俺の分の睡眠剤くらい残しておけよ。本当に薄情な弟だ。
ああ、でもさ。生きたかったけど、生きたいけど、でも俺はもう生まれ変わらなくていいや。あの日願った、『弟の涙を止めてやりたい』っていうのはもう叶ったから。
やり直し、できるなんて思ってなかった。優秀な弟を持って、兄ちゃんは誇らしい。渾身の力で手を無理やり動かして、撫でてやって__そこで本当に力が尽きた。手がぱたりとシーツに落ちる。ゆっくりと意識が薄れていく。
遠くから、あの日の弟がはにかんだ笑顔で駆けてくる気がした。
