35デッドライン
「困るんですよねぇ、通報されると」
手際よく縛り付けられたベッドの柵が、ちょうど俺の背骨に沿わされている。
「ストーカーには比較的甘いし、そもそもオレを逮捕しに来たはずがないとはいえ、ねぇ? オレと航さんを引き裂く可能性があるものですから。警察って嫌いだな」
カッコつけて買ったアイアンフレームが大変痛い。大人しく木製にしておけばよかった。
「知ってましたか、航さん。ツインレイって言葉があるらしいですよ。魂が双子だから、出会った瞬間から引き寄せられてしまうんですって。オレたちってまさにそうですよね。一目見た瞬間確信しました。あなたがオレの運命の人なんです」
「……俺は、一目惚れとか信じないけどな。見た目がタイプってだけだろ。相手のことを何も知らない、思い込みだ」
「オレもあなたに会うまではそう思ってた」
「俺は今も思ってる」
ストーカーは俺の目の真横に指を添えてきた。思わず閉口すると、そのまま頬、唇の端、顎、喉仏と指が降りてくる。人の体温が直に伝わってきて、気持ち悪かった。
「この2週間半、あなたのことをたくさん見ました。本当は、幻滅するかもと思ってた。だって、あなたのこと、本当に知らなかったから」
「手ぇどけろ」
「観葉植物なんて持ってるんですね。それに、機嫌いい日はハンバーグ作るんだ。オレ、普段完全栄養食くらいしか食べませんけど、生まれて初めて誰かの手料理を食べたいと思いました」
「おい不健康だなお前」
思わず突っ込んだが、ストーカーは気にもしない。
「誰のことも好きになったことありませんでした。ベタな恋愛ソングに共感して胸が苦しいなんて、なかった。呼ばれただけで気分が上がって、早く会いたくて走って、馬鹿みたいですけど、楽しい。いつだって、航さん何してるのかなって気になって__世界がこんなに色づくなんて」
「…………」
「生きる意味を知りました。愛してる。本当に。オレはあなたに会うために生まれてきたんです」
ストーカーは夢見るように喋った。甘い声で甘いセリフを吐き出し続ける。もしこれが少女漫画や何かなら、これにて告白終了、2人はくっつきました、めでたしめでたし。そういうことになるのだろうか。一途な片思いだって?
冗談じゃない。
「それで告白したつもりかよ」
「……? はい。何か気に食わないことでもありましたか? 最初からずっと、一途に、繰り返し、好きだと伝えていますよね」
ストーカーは首を傾げた。俺は笑いだしそうだった。これが告白?
「俺も最初に伝えたよ」
「…………ああ、駄目、ってことでしたっけ。意味ないから、忘れてました。だってオレが諦めないので。諦めなければ、オレのこと、いつか好きになりますよね。ならないなら、死にますもんね。オレが殺してあげます。綺麗に、死なせます」
首筋に冷たい金属の感触がした。ハサミを突きつけられている。ああ、本当に、こいつ。俺の話を何一つとして聞いてなかったんだな。
「俺は言った。告白はお互いを知ってからするもんだって。人殺しは好きじゃないって。部屋にいれてやらないとも言った。捕まりたくないなら逃げろとも言った。もう来ないでくれって、言ったんだ」
「……そういや言ってましたね。聞けないなあ、全部。だって好きなんです。だから、仕方ないんです」
彼は興味がなさそうに鼻を鳴らす。どうでもいいことのように。人を好きであることは、果たして何かの理由になるのか。免罪符になるか。いや。なるわけがないんだ、そんなもの。
「俺の言うことは聞けない?」
「ゴミ捨てじゃあ足りません?」
「それは……ごめん。都合よく使って悪かった。でも、無理だ。付き合えない」
ストーカーは舌打ちした。頭をガリガリと掻く。ハサミがいっそう皮膚に食い込んできて、あと少しで切れそうだ。
「物わかりの悪い人だな……あなたに選択権は無いんですってば。あなたはオレを好きになるんですよ。それが運命なんですから。何をそう、こだわってるんです__」
でもこれだけは譲れなかった。だって俺は、初めて会った日から言っていたんだ。
「お前は俺に、名前も教えてないだろ」
「はあ?」
ハサミの食い込みが止まった。ようやく気付いたが、そういえばサイレンも止んでいた。結局、パトカーは別の所へ向かっていたらしい。俺は孤軍奮闘というわけか。あーあ。俺は勢いのままに言葉を吐き出した。
「俺は一目惚れを信じてない。名前も知らない相手のことは好きになれない。告白は相手を知ってからするものだ」
「あー……?」
「本気でアプローチしたいなら名乗るくらいしろ。告白を受け入れるかは別だが、それなら聞くくらいはしてやる」
ストーカーはここに来てついに、俺の話を飲み込んだらしい。頬がほんのりと色づいていく。初めて告白してきた時のように、声が弾んでいく。
「名前なんて記号、必要なんですか?」
「お前は俺と初対面の時からなぜか名前知ってたみたいだが、自己紹介は社会人としての基本だ基本」
「オレ働いてないんで……ああ、でも。いえ。あなたに好きになってもらえるなら名前くらい、いくらでも」
ひとつ頷き、ストーカーはハサミを横へ置いた。
「歩睦。卯月歩睦といいます。旧暦の卯月に、歩くに、睦まじいです。…………これでいい、でしょうか」
2週間半付け回され、侵入され、縛られ、やっと知った名前。ほのかな感動、のようなものが湧き上がってくるが、それよりも。
それよりも。
その名前に聞き覚えがあった。不動産屋の人が、1度だけ口にしたそれ。
「卯月……?」
俺は震える声で尋ねた。
「はい。なんだか照れますね」
ストーカー……改め、卯月歩睦は微笑んだ。でも、俺はそれどころじゃなかった。
「卯月って、ここの」
この部屋の。
「ああ、ようやく気付いてくれたんですね。__改めて、こんにちは。オレがここの大家です。ずっと逃げたがってるようでしたが……退去、そう簡単にできると思わないでくださいね。航さん!」
名前なんか、聞かなきゃよかった。
手際よく縛り付けられたベッドの柵が、ちょうど俺の背骨に沿わされている。
「ストーカーには比較的甘いし、そもそもオレを逮捕しに来たはずがないとはいえ、ねぇ? オレと航さんを引き裂く可能性があるものですから。警察って嫌いだな」
カッコつけて買ったアイアンフレームが大変痛い。大人しく木製にしておけばよかった。
「知ってましたか、航さん。ツインレイって言葉があるらしいですよ。魂が双子だから、出会った瞬間から引き寄せられてしまうんですって。オレたちってまさにそうですよね。一目見た瞬間確信しました。あなたがオレの運命の人なんです」
「……俺は、一目惚れとか信じないけどな。見た目がタイプってだけだろ。相手のことを何も知らない、思い込みだ」
「オレもあなたに会うまではそう思ってた」
「俺は今も思ってる」
ストーカーは俺の目の真横に指を添えてきた。思わず閉口すると、そのまま頬、唇の端、顎、喉仏と指が降りてくる。人の体温が直に伝わってきて、気持ち悪かった。
「この2週間半、あなたのことをたくさん見ました。本当は、幻滅するかもと思ってた。だって、あなたのこと、本当に知らなかったから」
「手ぇどけろ」
「観葉植物なんて持ってるんですね。それに、機嫌いい日はハンバーグ作るんだ。オレ、普段完全栄養食くらいしか食べませんけど、生まれて初めて誰かの手料理を食べたいと思いました」
「おい不健康だなお前」
思わず突っ込んだが、ストーカーは気にもしない。
「誰のことも好きになったことありませんでした。ベタな恋愛ソングに共感して胸が苦しいなんて、なかった。呼ばれただけで気分が上がって、早く会いたくて走って、馬鹿みたいですけど、楽しい。いつだって、航さん何してるのかなって気になって__世界がこんなに色づくなんて」
「…………」
「生きる意味を知りました。愛してる。本当に。オレはあなたに会うために生まれてきたんです」
ストーカーは夢見るように喋った。甘い声で甘いセリフを吐き出し続ける。もしこれが少女漫画や何かなら、これにて告白終了、2人はくっつきました、めでたしめでたし。そういうことになるのだろうか。一途な片思いだって?
冗談じゃない。
「それで告白したつもりかよ」
「……? はい。何か気に食わないことでもありましたか? 最初からずっと、一途に、繰り返し、好きだと伝えていますよね」
ストーカーは首を傾げた。俺は笑いだしそうだった。これが告白?
「俺も最初に伝えたよ」
「…………ああ、駄目、ってことでしたっけ。意味ないから、忘れてました。だってオレが諦めないので。諦めなければ、オレのこと、いつか好きになりますよね。ならないなら、死にますもんね。オレが殺してあげます。綺麗に、死なせます」
首筋に冷たい金属の感触がした。ハサミを突きつけられている。ああ、本当に、こいつ。俺の話を何一つとして聞いてなかったんだな。
「俺は言った。告白はお互いを知ってからするもんだって。人殺しは好きじゃないって。部屋にいれてやらないとも言った。捕まりたくないなら逃げろとも言った。もう来ないでくれって、言ったんだ」
「……そういや言ってましたね。聞けないなあ、全部。だって好きなんです。だから、仕方ないんです」
彼は興味がなさそうに鼻を鳴らす。どうでもいいことのように。人を好きであることは、果たして何かの理由になるのか。免罪符になるか。いや。なるわけがないんだ、そんなもの。
「俺の言うことは聞けない?」
「ゴミ捨てじゃあ足りません?」
「それは……ごめん。都合よく使って悪かった。でも、無理だ。付き合えない」
ストーカーは舌打ちした。頭をガリガリと掻く。ハサミがいっそう皮膚に食い込んできて、あと少しで切れそうだ。
「物わかりの悪い人だな……あなたに選択権は無いんですってば。あなたはオレを好きになるんですよ。それが運命なんですから。何をそう、こだわってるんです__」
でもこれだけは譲れなかった。だって俺は、初めて会った日から言っていたんだ。
「お前は俺に、名前も教えてないだろ」
「はあ?」
ハサミの食い込みが止まった。ようやく気付いたが、そういえばサイレンも止んでいた。結局、パトカーは別の所へ向かっていたらしい。俺は孤軍奮闘というわけか。あーあ。俺は勢いのままに言葉を吐き出した。
「俺は一目惚れを信じてない。名前も知らない相手のことは好きになれない。告白は相手を知ってからするものだ」
「あー……?」
「本気でアプローチしたいなら名乗るくらいしろ。告白を受け入れるかは別だが、それなら聞くくらいはしてやる」
ストーカーはここに来てついに、俺の話を飲み込んだらしい。頬がほんのりと色づいていく。初めて告白してきた時のように、声が弾んでいく。
「名前なんて記号、必要なんですか?」
「お前は俺と初対面の時からなぜか名前知ってたみたいだが、自己紹介は社会人としての基本だ基本」
「オレ働いてないんで……ああ、でも。いえ。あなたに好きになってもらえるなら名前くらい、いくらでも」
ひとつ頷き、ストーカーはハサミを横へ置いた。
「歩睦。卯月歩睦といいます。旧暦の卯月に、歩くに、睦まじいです。…………これでいい、でしょうか」
2週間半付け回され、侵入され、縛られ、やっと知った名前。ほのかな感動、のようなものが湧き上がってくるが、それよりも。
それよりも。
その名前に聞き覚えがあった。不動産屋の人が、1度だけ口にしたそれ。
「卯月……?」
俺は震える声で尋ねた。
「はい。なんだか照れますね」
ストーカー……改め、卯月歩睦は微笑んだ。でも、俺はそれどころじゃなかった。
「卯月って、ここの」
この部屋の。
「ああ、ようやく気付いてくれたんですね。__改めて、こんにちは。オレがここの大家です。ずっと逃げたがってるようでしたが……退去、そう簡単にできると思わないでくださいね。航さん!」
名前なんか、聞かなきゃよかった。
