華麗なる一族

僕は庭に出た瞬間、息をのんだ。庭は、僕の見たことのないもので溢れていた。空は青く、木々は緑で、地面は茶色い。どこからか嗅いだことのない匂いがする。震える足で、そっと小道を踏みしめた。柔らかい。床とは全く違う感触がする。じりじりと首の後ろが熱い。
これが、外か。僕はほとんどパニックに陥りそうだったが、一方で、僕は確かにこの感覚を知っているような、そんな気がした。あれは、いつ、どこでのことだっただろう。……思い出せない。
混乱を断ち切り、僕は足を踏み出す。姉さんを、探さなければ。きっとそうすれば、僕は全てを思い出せる。そんな気がした。

歩いて、歩いて、そのうちにこの環境にも慣れて、だんだんと足が速くなる。やがて薔薇が沢山咲き誇っている、俗にいう薔薇園へと差し掛かったころ、声が聞こえた。姉さんの声だ。……誰かと、話している? 僕は思わず物陰に隠れ、様子を窺った。
「なぜあんなことをした、テオ、アン」
瞬間、オリー兄さんの声が聞こえた。冷たい声だ。怒っている。
「何でって……ベン兄さんにもう一度会うために決まってるだろ? このままじゃ、リックの中で消滅する」
テオ兄さんが言った。
「私ももう一回ベンお兄ちゃんに会いたい。それに、リックも前に進めないよ」
姉さんが言う。どういうことだ?
「だからと言って無理に思い出させれば、リックの心はどうなる! 壊れた弟の姿なんて、俺は見たくない……!」
オリー兄さんが苛立たしげに叫ぶ。
「じゃあオリーは人の命と心と、どっちが大事なんだよ! ベン兄さんはこのままじゃ百パー死ぬ、でもリックは思い出させたって心が壊れないかもしれない。大丈夫かもしれない。そうだろ!」
それに対抗するようにテオ兄さんが叫んだ。
「お前、あの子がどれだけこれまでの三年間苦しんでいたか覚えていないのか? あれを見てよく心が壊れないかも、だなんて言えたものだな! ……ベン兄さんはいつか、きっと自分の力で戻るさ。あれだけ、外に出たがっていたのだから」
「お前こそ何もわかってない! ベン兄さんの弱さを一番知ってるのはオレたちだ。父さんもアル兄も、あの人にばかり負担をかけてたのに、ベン兄さんは誰も見捨てなかった。まして末っ子が傷つく可能性を分かってて、それでも自分から体に戻るなんて、そんなの出来るわけないだろ、優しいあの人が!」
二人が言い争うのをよそに、僕は考える。情報を整理しよう。まず、僕の体に乗り移っているらしいベンジャミンは死んでいない。幽体離脱、というのか、その状態で僕の体に乗り移っている。
そして、僕はベン兄さんとそれに付随する出来事を忘れており、それを思い出すと僕の心が壊れる可能性がある。オリー兄さんはそれを恐れて僕に思い出させないようにしているが、テオ兄さんはこのままベン兄さんの意識が戻らず死亡することを恐れている。そしてこの先の論理が分からない。なぜ僕がベン兄さんについて思い出すと、ベン兄さんが体に戻るんだ?
考え込んでいる僕の肩を、とん、と誰かが叩いた。もしや先ほどから黙っている姉さんが僕に気づいたのか、と振り向いた僕が見たのは__
無表情で立つアル兄さんだった。
ヒッと僕の喉が鳴るのが分かった。
「リック」
アル兄さんが言う。外に出たことを怒られるのか? それとも……さっきのことか?
「は、はい。どうしたんですか?」
僕が訊けば、アル兄さんは、いやそんな大した用事ではないんだけどね、と言い、微笑んだ。
「三か月後の誕生日ケーキ、何がいいかな、と思って」
僕は呆気にとられて大口を開けた。誕生日。誰の?……僕のだ!!!
「わあ! すっかり忘れてました! 大事な」
大事な七歳の誕生日なのに。そう言いかけて、僕は止まった。あれ?
「ア、アル兄さん」
「なんだい?」
目の前でアル兄さんが微笑んでいるのが、次第に恐ろしくなってくる。手が震える。汗が伝う。膝が笑っている。目を見れなくて、僕は視線をそらしながら言った。
「僕、僕って、本当に今六歳でしたっけ。……去年も、七歳のお誕生日をお祝いしませんでしたっけ。僕は、姉さんと三歳差で、姉さんは今年十三歳になったから、僕って本当は、今」
九歳じゃありませんでしたか?
そう訊ねると、アル兄さんはにっこりと笑った。
「そうだよ」
「去年もその前も、リックは六歳だった」
「そしてベンジャミンは今年二十一歳になる」
「思い出して」
「思い出して、兄さん」
「君は、本当は誰だった?」
最後のほうの言葉を、僕はほとんど聞き取れなかった。頭が、痛い。熱くて痛い。アイデンティティが、記憶が、飽和していく。分からない。何もかもを僕は……

薄れゆく視界で、オリバー兄さんがアルバートの胸ぐらをつかむのが見えた。
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