華麗なる一族
「姉さん? いますか?」
道中時々呼びかけながら歩くも、見つからない。ついに食堂にたどり着いた。
「姉さ……」
「あれ? リック。どうしたの?」
そこにいたのはアル兄さんだった。ご飯を食べている。おお、と僕はちょっと驚いた。そうか、アル兄さんは父さんの部屋で会ったときまだご飯を食べていなかったのか。
「実は姉さんを探していて……」
僕が言うと、アル兄さんは首を傾げた。
「アナベルを? さっきまでここにいたけど……どうして?」
僕はちょっと固まった。どうしよう。まさか本当のことを言うわけにもいかない。昨日アル兄さん嘘ついたし。
「いや、そのー……」
僕が言い淀むと、アル兄さんは目を細めた。怪しまれている……。
「まさか、昨日のこと?」
「えっと……え?」
僕は気づいた。たしかに僕が訊きたいのは昨日のことと言えば昨日のことだが、それ自体ではない。ここは乗ってしまってもいいのでは?
「ええと……はい。実は昨日、姉さんに連れられて見た絵……の近くにあったボトルシップをもう 1回見たかったんですけど、どの部屋だったか思い出せなくて」
そう言えば、アル兄さんは目尻をやわらげた。
「ああ、それなら僕も分かるから、なんだったら持ってきてあげるよ。リックが運ぶには少し大きいし、落としちゃったら嫌だろ?」
アル兄さんが言った。それに頷きつつ、僕は考える。やっぱりアル兄さんは、僕が秘密に近づくのを快く思っていないのだろう。ではやはり、昨日アル兄さんがあの部屋に来たのは、秘密を明かしたい姉さんを監視するためだったのだろうか。でも、なぜアル兄さんが姉さんの動きを知っていたのか、それだけがどうにも分からない。
……いっそ、聞いてみるか?
「アル兄さん、アル兄さんはもしかして、あの絵が好きなのですか?」
「……え?」
アル兄さんは戸惑ったように瞳を揺らした。
「昨日、灯りもつけてなかったのに、どうしてアル兄さんは僕たちを見つけられたんだろうと不思議で……。それで、父さんに隠れて、こっそりあの絵を見に来てたのかな、と思ったんです。それで、たまたま僕たちを見つけたのかと」
僕はさらに畳みかけた。アル兄さんが戸惑っている今のうちに、聞き出しておかねば。
「アル兄さん、父さんのこと好きだし、それであの絵も好きなのかな、って__」
「……っ、大っ嫌いだよあんな絵!」
それは絶叫だった。僕はそれに驚き、ただアル兄さんを見つめた。アル兄さんはめったに声を荒らげない。そのはずだった。
「あの人はいつもそうだ、ああやって笑って僕を見て、僕がどれだけ苦しいかなんて知らないんだ! 肖像画だって僕は一回も描いてもらえたことなんてない、ずっと横にいたのに一回も。だから嫌いだ、だから憎らしい。一人だけ違うものを見て、一人だけで立ってる! 後ろも横も見てないんだ兄さんは、父さんだって……父さんだって、僕を見てない。見てない……」
だんだんとアル兄さんの声は、熱を冷ましたように声量を減らしていく。アル兄さんは俯いていて、その表情は伺えない。いつの間にかフォークもナイフも置いて、指先がテーブルを叩いている。恐ろしかった。これを父さんがやっているなら、まあ別にいつものことだと僕は流せただろう。しかし、今ここにいるのは、いつも穏やかなアルバート兄さんだ。
ぼそぼそと喋るアル兄さんに、僕は近づく。いや本当は近づきたくないのだが、なぜか体が勝手に動き、引き寄せられていくのである。
弟を、慰めなければ。
「アルバート。アルバート。俺は、お前を見てるよ。ずっと見てたし……これからも、側で見てる。ちゃんと、ずっと……」
ついに僕の口まで勝手に動き、言葉を流した。なんなんですか? 誰ですか貴方。僕は心底恐怖した。
アルバートは、僕を__いや、僕の中にいる何者かを見上げる。そして、恐ろしいまでの無表情で言った。
「うそつき」
僕はこれ以上ないほど怯えた。
それきり動かなくなったアル兄さんを置き、僕は食堂を挟んで反対側の廊下へ向かった。もう体は自由に動いた。あれが何なのかは、まあ、予想がつく。アル兄さんの兄さん、と言えば一人しか存在しない。そう、僕の知らないもう一人の兄、ベンジャミンである。しかしどういう理由で僕の体がベンジャミンに乗っ取られているのか、それが分からなかった。一瞬自分がベンジャミンの生まれ変わりであるのではないか、と疑ったが、それにしては年数が合わない。テオ兄さんの言うことを信じるならば、ベンジャミンが「居なくなった」のは三年前。僕は今六歳なので、さすがにもう生まれていたはずだ。
「やっぱりわからないな……あと姉さんの行方も聞きそびれた」
僕は呟いた。姉さんがさっきまで食堂にいた、それだけでは今どこにいるのかが分からない。とりあえず今はまだ行っていない食堂の反対側、誰の部屋もない方へ向かっているが、ここに姉さんがいるとは思えない。考えこみながら歩いていると、廊下の先に何か光るものが見えた。なんだ? 僕は足を速めてそこにたどり着き、拾い上げた。
「……ピン? それも、髪をお団子にする用の?」
僕は首を傾げる。僕の家族に髪をまとめなければならないほど長く伸ばしている人はいない。長くても肩ほどまでで、到底お団子ができるとは思えない。僕が用途を知っているのも、本で読んだからだ。では、これは誰のものだろうか。ううん……僕はそれをとりあえず拾い上げ、ポケットに仕舞った。あとで誰かに聞いてみよう。
ともかく、ここに姉さんはいないようだった。僕は踵を返し、また食堂へと向かった。
アル兄さんはもう食堂にはいなかった。また僕の体が乗っ取られる気配もなく、僕は安心した。さて、これからどこへ行こう。
といっても、まだ見ていない場所は二つしかない。一つ目は、二階。二階にあるのは空き部屋と、後は父さん関連の部屋のみである。正直、あの場所は今あまり近づきたくなかった。なぜって? ベンジャミンにまた取り憑かれたくないからだよ。さっきは情緒が不安定になっているアル兄さんを慰めるために出てきたのだから、基本的に不安定なうえにベンジャミン、と最初に呼んできた父さんに会ったらどうなるかなんて、火を見るより明らかだ。絶対乗っ取られる。
となると、残りは……
僕は食堂の向こう、玄関ホールを__正確に言えば、その先にある庭を見つめた。実は僕たちは、屋敷の建物内しか動いてはいけないことになっている。理由は覚えていない。いつか誰かに聞いたはずなのだが、思い出せないのだ。
「……姉さんが、あそこにいるとは思えない」
僕は一人呟く。
「でも、僕は__あそこに、行ってみたい」
僕は禁忌を破り、扉を開けた。
道中時々呼びかけながら歩くも、見つからない。ついに食堂にたどり着いた。
「姉さ……」
「あれ? リック。どうしたの?」
そこにいたのはアル兄さんだった。ご飯を食べている。おお、と僕はちょっと驚いた。そうか、アル兄さんは父さんの部屋で会ったときまだご飯を食べていなかったのか。
「実は姉さんを探していて……」
僕が言うと、アル兄さんは首を傾げた。
「アナベルを? さっきまでここにいたけど……どうして?」
僕はちょっと固まった。どうしよう。まさか本当のことを言うわけにもいかない。昨日アル兄さん嘘ついたし。
「いや、そのー……」
僕が言い淀むと、アル兄さんは目を細めた。怪しまれている……。
「まさか、昨日のこと?」
「えっと……え?」
僕は気づいた。たしかに僕が訊きたいのは昨日のことと言えば昨日のことだが、それ自体ではない。ここは乗ってしまってもいいのでは?
「ええと……はい。実は昨日、姉さんに連れられて見た絵……の近くにあったボトルシップをもう 1回見たかったんですけど、どの部屋だったか思い出せなくて」
そう言えば、アル兄さんは目尻をやわらげた。
「ああ、それなら僕も分かるから、なんだったら持ってきてあげるよ。リックが運ぶには少し大きいし、落としちゃったら嫌だろ?」
アル兄さんが言った。それに頷きつつ、僕は考える。やっぱりアル兄さんは、僕が秘密に近づくのを快く思っていないのだろう。ではやはり、昨日アル兄さんがあの部屋に来たのは、秘密を明かしたい姉さんを監視するためだったのだろうか。でも、なぜアル兄さんが姉さんの動きを知っていたのか、それだけがどうにも分からない。
……いっそ、聞いてみるか?
「アル兄さん、アル兄さんはもしかして、あの絵が好きなのですか?」
「……え?」
アル兄さんは戸惑ったように瞳を揺らした。
「昨日、灯りもつけてなかったのに、どうしてアル兄さんは僕たちを見つけられたんだろうと不思議で……。それで、父さんに隠れて、こっそりあの絵を見に来てたのかな、と思ったんです。それで、たまたま僕たちを見つけたのかと」
僕はさらに畳みかけた。アル兄さんが戸惑っている今のうちに、聞き出しておかねば。
「アル兄さん、父さんのこと好きだし、それであの絵も好きなのかな、って__」
「……っ、大っ嫌いだよあんな絵!」
それは絶叫だった。僕はそれに驚き、ただアル兄さんを見つめた。アル兄さんはめったに声を荒らげない。そのはずだった。
「あの人はいつもそうだ、ああやって笑って僕を見て、僕がどれだけ苦しいかなんて知らないんだ! 肖像画だって僕は一回も描いてもらえたことなんてない、ずっと横にいたのに一回も。だから嫌いだ、だから憎らしい。一人だけ違うものを見て、一人だけで立ってる! 後ろも横も見てないんだ兄さんは、父さんだって……父さんだって、僕を見てない。見てない……」
だんだんとアル兄さんの声は、熱を冷ましたように声量を減らしていく。アル兄さんは俯いていて、その表情は伺えない。いつの間にかフォークもナイフも置いて、指先がテーブルを叩いている。恐ろしかった。これを父さんがやっているなら、まあ別にいつものことだと僕は流せただろう。しかし、今ここにいるのは、いつも穏やかなアルバート兄さんだ。
ぼそぼそと喋るアル兄さんに、僕は近づく。いや本当は近づきたくないのだが、なぜか体が勝手に動き、引き寄せられていくのである。
弟を、慰めなければ。
「アルバート。アルバート。俺は、お前を見てるよ。ずっと見てたし……これからも、側で見てる。ちゃんと、ずっと……」
ついに僕の口まで勝手に動き、言葉を流した。なんなんですか? 誰ですか貴方。僕は心底恐怖した。
アルバートは、僕を__いや、僕の中にいる何者かを見上げる。そして、恐ろしいまでの無表情で言った。
「うそつき」
僕はこれ以上ないほど怯えた。
それきり動かなくなったアル兄さんを置き、僕は食堂を挟んで反対側の廊下へ向かった。もう体は自由に動いた。あれが何なのかは、まあ、予想がつく。アル兄さんの兄さん、と言えば一人しか存在しない。そう、僕の知らないもう一人の兄、ベンジャミンである。しかしどういう理由で僕の体がベンジャミンに乗っ取られているのか、それが分からなかった。一瞬自分がベンジャミンの生まれ変わりであるのではないか、と疑ったが、それにしては年数が合わない。テオ兄さんの言うことを信じるならば、ベンジャミンが「居なくなった」のは三年前。僕は今六歳なので、さすがにもう生まれていたはずだ。
「やっぱりわからないな……あと姉さんの行方も聞きそびれた」
僕は呟いた。姉さんがさっきまで食堂にいた、それだけでは今どこにいるのかが分からない。とりあえず今はまだ行っていない食堂の反対側、誰の部屋もない方へ向かっているが、ここに姉さんがいるとは思えない。考えこみながら歩いていると、廊下の先に何か光るものが見えた。なんだ? 僕は足を速めてそこにたどり着き、拾い上げた。
「……ピン? それも、髪をお団子にする用の?」
僕は首を傾げる。僕の家族に髪をまとめなければならないほど長く伸ばしている人はいない。長くても肩ほどまでで、到底お団子ができるとは思えない。僕が用途を知っているのも、本で読んだからだ。では、これは誰のものだろうか。ううん……僕はそれをとりあえず拾い上げ、ポケットに仕舞った。あとで誰かに聞いてみよう。
ともかく、ここに姉さんはいないようだった。僕は踵を返し、また食堂へと向かった。
アル兄さんはもう食堂にはいなかった。また僕の体が乗っ取られる気配もなく、僕は安心した。さて、これからどこへ行こう。
といっても、まだ見ていない場所は二つしかない。一つ目は、二階。二階にあるのは空き部屋と、後は父さん関連の部屋のみである。正直、あの場所は今あまり近づきたくなかった。なぜって? ベンジャミンにまた取り憑かれたくないからだよ。さっきは情緒が不安定になっているアル兄さんを慰めるために出てきたのだから、基本的に不安定なうえにベンジャミン、と最初に呼んできた父さんに会ったらどうなるかなんて、火を見るより明らかだ。絶対乗っ取られる。
となると、残りは……
僕は食堂の向こう、玄関ホールを__正確に言えば、その先にある庭を見つめた。実は僕たちは、屋敷の建物内しか動いてはいけないことになっている。理由は覚えていない。いつか誰かに聞いたはずなのだが、思い出せないのだ。
「……姉さんが、あそこにいるとは思えない」
僕は一人呟く。
「でも、僕は__あそこに、行ってみたい」
僕は禁忌を破り、扉を開けた。
