華麗なる一族
ふあ、と僕はあくびをした。
「大きなあくび!」
対面の席で姉さんが笑う。誰のせいだと思ってるんだ、誰の。しかし当の本人は朝から元気にソーセージを頬張っている。全く生気に満ち溢れた人である。
「なんだ、珍しく夜更かしでもしたのか?」
その隣で兄がからかうように訊ねた。そのさらに隣で、寸分たがわず同じ顔がお説教を垂れる。
「マナーがなっていないぞ。……体調は大丈夫だろうな?」
最後に心配を付け加えてくるところが、この兄の素敵なところだ。大丈夫です、と笑顔で返せば、そっくりな兄たちは二人とも頬を緩めた。そう、二人は双子なのだ。最初にからかってきた方が次男のセオドア、説教と心配をしてきたのが三男のオリバー。二人は本当によく似ているが、見分けるコツがいくつかある。セオドア、つまりテオ兄さんの方は目が赤紫色だが、オリバー、つまりオリー兄さんの方は青紫色である。あとテオ兄さんはいつもニヤニヤしているが、オリー兄さんはしかめ面。ただしこの見分け方だと、寝ているときは判別がつかない。ちなみに本人たちは間違えられても怒らないが、代わりにすごく悲しい顔をするので、僕は間違えないように気を付けている。
「あ、そう言えばリック」
「はい?」
言い忘れていたが、リックは僕の愛称だ。本名はリチャード。ちなみに姉さんの本名はアナベル。この家では大抵みんな愛称で呼び合うから呼ばれることは少ないが。
「さっきアル兄が呼んでたぞ。なんでも父さんがなかなか起きないとかで……」
「それを早く言ってくださいよ!」
僕は叫んだ。まだ手付かずだった朝食をいったん置いて、急いで階段へ向かう。
「……ちなみにそれって何分前でした?」
途中、振り返って恐る恐る聞くと、テオ兄さんはあっけらかんと答えた。
「いやまあ、ほんの数分前だぞ。五分くらい」
テオ兄さんはいつもの笑顔で僕を見ている。それを聞いて少し安心した僕のもとに、オリー兄さんがお盆を持ってやって来た。
「まあ、一応ご機嫌取りにこれを持って行け。お前と父さんの分の朝食だ。二人きりで食べれば多分上機嫌になってくれるさ。……多分な」
いつの間に……。オリー兄さんの早業に戦慄しながら、僕はありがたくお礼を言いお盆を受け取った。
「ご武運を!」
姉さんの激励に会釈し、今度こそ僕は階段を上がっていった。
「あの子にも、酷な役目を背負わせている」
リックを見送ったオリーが言う。オレは、それに鼻で笑って返した。
「でも、オレたちのせいじゃない。そうだろ? だって、もとはと言えば……」
「やめて、テオお兄ちゃん。……あの子は、巻き込まれただけ。私たちと一緒。そうでしょう」
アンの反論に、オレは手を上げて降参するポーズをした。それからしばらく沈黙が流れる。気まずいような、そうでもないような沈黙だった。
「どうすれば良かったのかな」
アンがぽつりと呟いた。
「さあね。でも、確かに言えるのは、全部の原因をたどるのはできないってことだ」
「道理だ」
オレの意見にオリーが頷く。そしてオレたちはまた、和やかな朝食を始めた。
真っ赤な階段を上がって、また真っ赤な廊下を歩く。ほかのところは全部趣味がいいのに、この床の色だけはどうにかならないのかと父さんに問いたいが、この赤色は父さんの目とそっくりなので、うかつに聞くと不興を買いそうなのが怖くてできない。別に充血しているというわけではなく、虹彩がこの色なのである。ちなみに髪は金。現在三十五歳であり、もうおじさんだが、なぜかいつまでも若々しい容姿をしている。不思議だ。
そんなことを考えている間についに父さんの部屋の前まで来て、僕は一度深呼吸をした。落ち着け、落ち着けよ僕……いや、俺。
「入るよ、父さん!」
にっこりと笑顔を作り一声かける。声は気持ち高めに、少し弾むような調子をつけて。一人称は俺、ノックはしない。口調はタメ口。
「ああ、入れ」
優しいような、少し呆れたような声が聞こえるかどうかのタイミングで、僕は部屋に入る。瞬間、お叱りが飛ぶ。
「まったく、ノックをしろと毎回言っているだろう……あと、返事はちゃんと聞け」
ベッドに座った男……父さんが、呆れてこちらを見ている。ベッドの横で立っているアル兄さんは、ほっとしたような顔で僕を見た。豪奢なつくりの寝室、開けた瞬間漂う甘ったるい香り。絡みつくようなそれが僕は少し苦手だったけれど、父さんのことは大好きなので我慢する。
「今日はちゃんと声を掛けただけマシでしょ? 俺頑張ったのに、ひどーい!」
適当に返せば、父さんは頬を緩めて笑った。はいはい偉いな、なんて言いながら、僕を手招く。いつものことだ。父さんがこれに大して怒っていない、どころかやり取りを楽しんでいるのだということを、僕はきちんと知っている。
言われた通りベッド脇まで寄る。途中でアル兄さんにお盆を渡せば、アル兄さんはそれを少し離れた小さいテーブルまで運んで、その後自分は扉の前に立った。
「じゃあ、父さん。何かあったらまた呼んでね」
「ああ、分かった。ありがとう」
アル兄さんの声に父さんは頭をそちらへ傾け応えた。それに軽く会釈したあと、僕のほうに勇気づけるよう微笑んで、アル兄さんは部屋を出た。
ばたん、と扉が鳴る。部屋の空気が変わる。それと同時に、父さんは僕を引き寄せた。
「リック、リック。俺のかわいい子供。お前たちだけが俺のことを分かってくれる。そうだな?」
父さんが熱に浮かされたようにつぶやく。僕は、うん、そうだね、などと言いながら父さんの背中をなでた。骨の浮いた感触に心配になる。この年にしては大食漢、などと言われる僕と同じ量を食べていて、どうしてこんなに細いんだ。怖い。父さんはなおも僕の名前を呼ぶ。
「リック、リック……ベンジャミン」
え?
僕は内心首を傾げた。ベンジャミンって、誰だ? 僕の家族にそんな人はいないから、間違いなく父の友人か何かのはずだが、しかしこの場面で呼ぶような名前だろうか。父さんは自分が何を言ったか気づいていないようだった。なんだろうな……と考えたところで、僕のお腹がぐうと鳴った。父さんはその音に目を瞬かせた。パチン、と父さんのスイッチが切り替わる。
「飯にするか」
父さんが笑った。それに元気よく僕は頷く。先ほどの名前は少し気になったが、後回しにすることにしよう。腹が減っては戦ができぬ、なんてね。
静かな部屋に、かすかに食器が触れ合う音だけが立っている。この音は僕のもので、父さんは食べるとき全く静かだ。一度、どうすればそうなれるのか聞いてみたが、年の功の一言で誤魔化された。具体的な解決策を僕は聞きたいのに。
「昨日はよく眠れたか」
父さんが僕に訊く。僕は内心ドキリとした。落ち着け僕、バレてない。これはただの日常会話。そう、いつもの、何の変哲もない、会話のとっかかり……。
「うん、父さん。昨日は俺が勇者になってドラゴンを倒す夢を見たんだ! それでね、そのあと父さんを助けてあげたんだよ!」
嘘八百である。僕は昨日あまりに疲れすぎて夢など見ていない。でもそのまま言ってはばれてしまうから、代わりに、「父さんの思う僕」が言いそうな答えを返す。
「そうか。それは……ありがとう」
父さんは少し困った顔でお礼を言った。律儀だ。夢の中での出来事だというのに。
「父さんは何か夢見た?」
気まずさを紛らわすように僕が言えば、父さんはふっと目のハイライトを消した。
「ああ。……ああ、見たよ。今日も。酷い……酷い夢だった」
まずい。僕は思った。うかつな質問で精神を抉ってしまった。父さんはやや精神的に不安定なので、いつも発言には気を付けていたのに。
「なあ、リック。お前、俺に隠してることないか?」
父さんが焦点をふらつかせながら訊く。
「な、なんのこと?」
大変まずい。僕は背中に冷や汗をかき始めた。父さんはそれに気づいた様子もなく続ける。
「例えば……外の世界が見たい、とか」
「……外?」
僕は意表を突かれ、繰り返した。父さんはそれを見て、ひゅ、と息をのんだ。
「ちがう、違う、違うんだ、なんでもない……! 忘れろ、忘れてくれ、今すぐに!」
ほとんど悲鳴のような声だった。その剣幕に押され、僕はがくがくと何度も頷いた。えっなに?
「そう、そう、そうだ……いい子だ、それでいい。それでいいんだ」
父さんが疲れ切ったように呟いた。よく分からないが、昨日のことはばれていない様で何よりだ。ふう、乗り切ったな、と僕は胸をなでおろした。
そのあとは特に何が起きるわけでもなく、僕たちは普通に朝食を食べた。そして食べ終わった後、僕は書斎に向かう父さんをハグで励まし、一階に下りた。
「大きなあくび!」
対面の席で姉さんが笑う。誰のせいだと思ってるんだ、誰の。しかし当の本人は朝から元気にソーセージを頬張っている。全く生気に満ち溢れた人である。
「なんだ、珍しく夜更かしでもしたのか?」
その隣で兄がからかうように訊ねた。そのさらに隣で、寸分たがわず同じ顔がお説教を垂れる。
「マナーがなっていないぞ。……体調は大丈夫だろうな?」
最後に心配を付け加えてくるところが、この兄の素敵なところだ。大丈夫です、と笑顔で返せば、そっくりな兄たちは二人とも頬を緩めた。そう、二人は双子なのだ。最初にからかってきた方が次男のセオドア、説教と心配をしてきたのが三男のオリバー。二人は本当によく似ているが、見分けるコツがいくつかある。セオドア、つまりテオ兄さんの方は目が赤紫色だが、オリバー、つまりオリー兄さんの方は青紫色である。あとテオ兄さんはいつもニヤニヤしているが、オリー兄さんはしかめ面。ただしこの見分け方だと、寝ているときは判別がつかない。ちなみに本人たちは間違えられても怒らないが、代わりにすごく悲しい顔をするので、僕は間違えないように気を付けている。
「あ、そう言えばリック」
「はい?」
言い忘れていたが、リックは僕の愛称だ。本名はリチャード。ちなみに姉さんの本名はアナベル。この家では大抵みんな愛称で呼び合うから呼ばれることは少ないが。
「さっきアル兄が呼んでたぞ。なんでも父さんがなかなか起きないとかで……」
「それを早く言ってくださいよ!」
僕は叫んだ。まだ手付かずだった朝食をいったん置いて、急いで階段へ向かう。
「……ちなみにそれって何分前でした?」
途中、振り返って恐る恐る聞くと、テオ兄さんはあっけらかんと答えた。
「いやまあ、ほんの数分前だぞ。五分くらい」
テオ兄さんはいつもの笑顔で僕を見ている。それを聞いて少し安心した僕のもとに、オリー兄さんがお盆を持ってやって来た。
「まあ、一応ご機嫌取りにこれを持って行け。お前と父さんの分の朝食だ。二人きりで食べれば多分上機嫌になってくれるさ。……多分な」
いつの間に……。オリー兄さんの早業に戦慄しながら、僕はありがたくお礼を言いお盆を受け取った。
「ご武運を!」
姉さんの激励に会釈し、今度こそ僕は階段を上がっていった。
「あの子にも、酷な役目を背負わせている」
リックを見送ったオリーが言う。オレは、それに鼻で笑って返した。
「でも、オレたちのせいじゃない。そうだろ? だって、もとはと言えば……」
「やめて、テオお兄ちゃん。……あの子は、巻き込まれただけ。私たちと一緒。そうでしょう」
アンの反論に、オレは手を上げて降参するポーズをした。それからしばらく沈黙が流れる。気まずいような、そうでもないような沈黙だった。
「どうすれば良かったのかな」
アンがぽつりと呟いた。
「さあね。でも、確かに言えるのは、全部の原因をたどるのはできないってことだ」
「道理だ」
オレの意見にオリーが頷く。そしてオレたちはまた、和やかな朝食を始めた。
真っ赤な階段を上がって、また真っ赤な廊下を歩く。ほかのところは全部趣味がいいのに、この床の色だけはどうにかならないのかと父さんに問いたいが、この赤色は父さんの目とそっくりなので、うかつに聞くと不興を買いそうなのが怖くてできない。別に充血しているというわけではなく、虹彩がこの色なのである。ちなみに髪は金。現在三十五歳であり、もうおじさんだが、なぜかいつまでも若々しい容姿をしている。不思議だ。
そんなことを考えている間についに父さんの部屋の前まで来て、僕は一度深呼吸をした。落ち着け、落ち着けよ僕……いや、俺。
「入るよ、父さん!」
にっこりと笑顔を作り一声かける。声は気持ち高めに、少し弾むような調子をつけて。一人称は俺、ノックはしない。口調はタメ口。
「ああ、入れ」
優しいような、少し呆れたような声が聞こえるかどうかのタイミングで、僕は部屋に入る。瞬間、お叱りが飛ぶ。
「まったく、ノックをしろと毎回言っているだろう……あと、返事はちゃんと聞け」
ベッドに座った男……父さんが、呆れてこちらを見ている。ベッドの横で立っているアル兄さんは、ほっとしたような顔で僕を見た。豪奢なつくりの寝室、開けた瞬間漂う甘ったるい香り。絡みつくようなそれが僕は少し苦手だったけれど、父さんのことは大好きなので我慢する。
「今日はちゃんと声を掛けただけマシでしょ? 俺頑張ったのに、ひどーい!」
適当に返せば、父さんは頬を緩めて笑った。はいはい偉いな、なんて言いながら、僕を手招く。いつものことだ。父さんがこれに大して怒っていない、どころかやり取りを楽しんでいるのだということを、僕はきちんと知っている。
言われた通りベッド脇まで寄る。途中でアル兄さんにお盆を渡せば、アル兄さんはそれを少し離れた小さいテーブルまで運んで、その後自分は扉の前に立った。
「じゃあ、父さん。何かあったらまた呼んでね」
「ああ、分かった。ありがとう」
アル兄さんの声に父さんは頭をそちらへ傾け応えた。それに軽く会釈したあと、僕のほうに勇気づけるよう微笑んで、アル兄さんは部屋を出た。
ばたん、と扉が鳴る。部屋の空気が変わる。それと同時に、父さんは僕を引き寄せた。
「リック、リック。俺のかわいい子供。お前たちだけが俺のことを分かってくれる。そうだな?」
父さんが熱に浮かされたようにつぶやく。僕は、うん、そうだね、などと言いながら父さんの背中をなでた。骨の浮いた感触に心配になる。この年にしては大食漢、などと言われる僕と同じ量を食べていて、どうしてこんなに細いんだ。怖い。父さんはなおも僕の名前を呼ぶ。
「リック、リック……ベンジャミン」
え?
僕は内心首を傾げた。ベンジャミンって、誰だ? 僕の家族にそんな人はいないから、間違いなく父の友人か何かのはずだが、しかしこの場面で呼ぶような名前だろうか。父さんは自分が何を言ったか気づいていないようだった。なんだろうな……と考えたところで、僕のお腹がぐうと鳴った。父さんはその音に目を瞬かせた。パチン、と父さんのスイッチが切り替わる。
「飯にするか」
父さんが笑った。それに元気よく僕は頷く。先ほどの名前は少し気になったが、後回しにすることにしよう。腹が減っては戦ができぬ、なんてね。
静かな部屋に、かすかに食器が触れ合う音だけが立っている。この音は僕のもので、父さんは食べるとき全く静かだ。一度、どうすればそうなれるのか聞いてみたが、年の功の一言で誤魔化された。具体的な解決策を僕は聞きたいのに。
「昨日はよく眠れたか」
父さんが僕に訊く。僕は内心ドキリとした。落ち着け僕、バレてない。これはただの日常会話。そう、いつもの、何の変哲もない、会話のとっかかり……。
「うん、父さん。昨日は俺が勇者になってドラゴンを倒す夢を見たんだ! それでね、そのあと父さんを助けてあげたんだよ!」
嘘八百である。僕は昨日あまりに疲れすぎて夢など見ていない。でもそのまま言ってはばれてしまうから、代わりに、「父さんの思う僕」が言いそうな答えを返す。
「そうか。それは……ありがとう」
父さんは少し困った顔でお礼を言った。律儀だ。夢の中での出来事だというのに。
「父さんは何か夢見た?」
気まずさを紛らわすように僕が言えば、父さんはふっと目のハイライトを消した。
「ああ。……ああ、見たよ。今日も。酷い……酷い夢だった」
まずい。僕は思った。うかつな質問で精神を抉ってしまった。父さんはやや精神的に不安定なので、いつも発言には気を付けていたのに。
「なあ、リック。お前、俺に隠してることないか?」
父さんが焦点をふらつかせながら訊く。
「な、なんのこと?」
大変まずい。僕は背中に冷や汗をかき始めた。父さんはそれに気づいた様子もなく続ける。
「例えば……外の世界が見たい、とか」
「……外?」
僕は意表を突かれ、繰り返した。父さんはそれを見て、ひゅ、と息をのんだ。
「ちがう、違う、違うんだ、なんでもない……! 忘れろ、忘れてくれ、今すぐに!」
ほとんど悲鳴のような声だった。その剣幕に押され、僕はがくがくと何度も頷いた。えっなに?
「そう、そう、そうだ……いい子だ、それでいい。それでいいんだ」
父さんが疲れ切ったように呟いた。よく分からないが、昨日のことはばれていない様で何よりだ。ふう、乗り切ったな、と僕は胸をなでおろした。
そのあとは特に何が起きるわけでもなく、僕たちは普通に朝食を食べた。そして食べ終わった後、僕は書斎に向かう父さんをハグで励まし、一階に下りた。
