友達百年生きてくれ

「って、思ったのに……来ないなー、大也」
 
 入学式から数えて四日目、依然ポカンと開いたままの前の机を見やる。持ち主の来ない机の上には、この三日間で配られたプリントが山と積みあがっていた。
 あの日の口ぶりだと学校に来る気は多分にありそうだったが。高校の制服まで着ていたし……と陸は思い出す。
 
「まさか風邪でも引いたのか?」
 
 いや、ないない、と直後に打ち消す。身体が弱そうなタイプには到底見えなかった。
 
「…………せっかく、あれ今日返そうと思ってたのにな」
「何の話?」
「ああいや別になんでも、って、ええ!?」
 
 陸が呟いたその瞬間、カバンがどさりと置かれる音と共に問いかける声が響く。ちょうど思い浮かべられていたその人__大也だった。
 スクールバッグの長い持ち手をまとめ、うざったそうに机に叩きつけつつ、大也はもう一度「返すって何を?」と尋ねた。出会ってまだ日は浅いが、経験則上彼の二度目の質問にはすぐに答えなければならないことを知っていた陸は急き立てられるように言った。
 
「櫛! 銀の櫛を! あの日間違ってカバンに入っちゃってたみたいでさあ!」
 
 さっさと答えずに殴られちゃたまらない。しかもその上もし盗んだとか誤解されたらもっとたまらない。そんな陸の焦燥に反して、大也は曖昧に首を傾げた。
 
「櫛……? そんなの家にあったかな。他のとこから持ってきたんじゃない? 一応もらっとくけど。まあとりあえず、おはよう」
「えっ!? あ、おはよう……」
 
 予想外の返答に驚きつつも、挨拶に厳しい相手に陸がさっさと返事を返したそのとき、ちょうど始業のチャイムが鳴った。あ、と思わず声が出る。
 
「えー、では、授業を始めます」
 
 きちんとスーツを着た眼鏡の教師が教室前方のドアから入ってくる。
 結局大也の姉妹が本当に実在するのかわからないまま、高校の初回授業__国語が始まった。
 
 
 入学式の日、教壇であいさつをしていた初老の女性教師が軽くガイダンスを行っている。陸はボケーと間抜けに口を開けつつ、桜が舞う窓の外を見ていた。
 その斜め前の席で、女子生徒が紅潮した頬で大也に話しかける。
 
「そ、その! えっと……私、瀬尾君の隣の席で……あ、教科書、昨日と今日販売らしくて、まだ買ってないよね。私、見せるよ!」
「へえ、いいの?」
「うん! もっもちろん!」
 
 えっ、仲良くなるの早くね? 陸は思わず前に視線を戻した。昨日までのオリエンテーションで全く陸と喋ってくれなかった女子が、緊張した様子で大也に話しかけている。くそっ、やはりイケメンか。こいつの本性を知らなければただの女子受けするイケメンだもんな、と陸は臍をかんだ。
 
 しかしその様子を国語教師が見とがめた。
 
「あなた、教科書持ってないの!?」
「あ、ええと……」
 
 大也に教科書を見せていた女子生徒が困ったように顔を曇らせた。急に雰囲気が変わってきたぞ、と陸は思った。やっぱりリア充には天罰が下るんだなあ!
 陸が言うところの『天』である国語教師は眉を吊り上げた。
 
「まだ教科書を買っていないなんて……全く、前代未聞です。授業を軽視してるからそんなことになるのよ。昨日も販売してたじゃないの。そうやって浅はかな考えをしてるから……」
 
 くどくどとお説教が続く。だんだんと、「そこまで言わなくてもいいだろ」というようなムードが教室中を覆った。いくらかの生徒はしらけた顔をしているし、真面目そうな生徒はあからさまにため息をついていた。陸はと言えば、前の席に座る大也が全く反応を示していないことにおびえていた。

(おい……これやばいんじゃないか? ここはひとつ、僕が教科書を忘れて借りてて、前の二人が一つを共有してくれてたことにしてお茶を濁)

 その時、ガン! と大きな音が響いた。__大也が机を蹴ったのだ。国語教師がぴたりと口を閉じ、教室がシン……と静まり返る。
 
「ああ、すみません。うっかり足が机に当たってしまって」

 淡々と弁解するその表情は、明らかに苛立ちをたたえていた。

「昨日まで体調が悪くて休んでたんです。それで彼女が教科書を見せてくれて」

 わかってくれますよね? と念を押す。瞳孔が開いていた。
 
「そ……そんな言い訳が」

 言いかけた教師の言葉を遮るように、もう一度机を蹴る。

「………………以後、気を付けるように」

 ややあって、根負けした教師がすっと目を逸らした。一連の様子を傍観していた生徒はというと__完全に引いていた。

「逆ギレじゃん、あいつ。ヤバ……」
「おばあちゃん相手に……」

 かすかな囁きが陸の耳をくすぐる。大也の隣で頬を染めていた女子生徒も腰が引けていた。果たしてこのまま、教科書を見せていてもいいものだろうか、と迷っているのであろう彼女と、平然と前を向いている大也を見ていられなくなり、陸は身を乗り出した。

「あのさ」

 一言発した瞬間、陸にまで視線が集中した。それに緊張しながら、陸は言った。

「僕が持ってるタブレットで教科書の写真、撮ろうか? んで、端末ごと一日お前に貸すよ。それでもいいだろ? な。いいですよね、先生」
「ええ、まあ」

 一刻も早くこの話を終わらせたい。教師の顔にはそう書いてあった。陸は宣言通りタブレットで写真を撮り、大也に渡す。大也の隣の席の不運でミーハーな女子生徒が、蚊の鳴くような声で「ありがとう」と告げた。当の大也は何も言わない。

「…………では、授業を再開します」

 何事もなかったかのように教師が言う。微妙な雰囲気のまま、初回授業は過ぎていった。



「ほらこれ、次の授業の分。あ、むしろ突っ込まれないようにコピーしといたほうがいいかな? どう思う?」
「俺は別に、どっちでもいいけど……」

 中学より少し延びた五十分の授業を終え、陸たちは次の授業の準備をしていた。それなりに和気藹々とした空気の教室の中、二人__否、大也の机の周りには綺麗に人がいない。みんなこの、整った顔をしたクラスメイトが要注意人物だと早々に理解したようだった。
 大也がおもむろに机に肘をつき、言い出す。

「陸くんさあ、なんかずっと俺に構ってくれてるけどね。いいんだよ別に。ほかの友達のとこ行けば?」
 
 いくら仲良くしようと言ったにせよ、このままでは陸まで孤立することは明白だった。気遣われている、と気付いたが__今回はそうもいかない事情がある。陸は拗ねたように膨れる相手の表情も気にせず、少し頬を掻いて言った。

「いやあ、それがさ。僕、この三日間で友達一人も作れなかったんだよな」
「…………なんて?」
「オリエンテーションしたはいいものの、女の子には話しかけられないし、男は趣味合う奴いなくて。同中のやつもいないし。だから僕の友達、お前一人」
 
 そう。陸はコミュ障だった。人見知りと鈍臭さが相まって、友達が非常に少ない。しかもこの高校は偏差値や立地の問題なのか、垢ぬけた印象のいわゆる陽キャが多く、陸はどことなく苦手意識を抱いてしまっていた。生まれてこの方地元を出たことが一回もなく、新しいコミュニティを作るのに慣れていない陸は友達作りに初めから大きなハードルを負っていたのだった。
 だから大也のことも嫌だとかなんとか言ってる場合じゃなくなっちゃったんだよな、と陸は考える。正直出会った日の衝撃もかなり薄れてきたし、友達になる理由も五個はあったし。…………これは友達を名乗ってしまってもいいだろう、と頷く。
 陸がそんなことを考えているとは露知らず、大也は目を見開き陸の腕を掴んだ。

「え、俺一人? マジで?」
「まあな。いやあ、連呼されるとさすがの僕も恥ずかしくなってくるなあ……」
「俺しか頼れる奴いないの?」
「お前が頼りになるやつかどうかは知らないけど、そうだな。大也だけ」
「へえ………………」

 何度も繰り返し確認しても、返ってくるのは同じ言葉だった。大也はぼんやりと考える。
 そういえば、自分だけしか頼れる人がいないなんて言われたのは初めてだった。

「うん……陸くん、俺、陸くんのこと超気に入っちゃった……かも」
「まっ、地元とネットには僕も友達いるけどなーって、んん? そりゃあ…………どうも?」

 首を傾げる陸の腕を放し、大也は陸と出会ってから初めて美しく微笑んだ。

「改めて、これからよろしく。陸くん」
「ああ、まあよろしくな。大也」
 
 対面する相手の微笑みの意味を全く気にしないまま、陸も友達に笑いかけてみせた。
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