僕とお兄さんの夏休み
祖母が言うには、例の子供は閉じ込められた後、一人の世話係を付けられたらしい。もしもそのまま死んで祟られたら嫌だから世話くらいはしなくては、しかし村にとっては嫌な役目だ、さて誰に押し付けようか、と村内で会議が行われ、結局、その役目は子供を産んだ女の兄__子供にとっては伯父に当たる人物が務めることになったらしい。その名を、正平という。
正平は元から田舎嫌いで、いつか東京に出ると言って憚らず、村民から顰蹙を買っていたらしい。
「あの正平がまともに子供の世話などするものか」
そんな声も出たそうだが、まあそれならそれで怨みは正平に掛かるだろうと、特に問題にはならなかった。要は、村にさえ災いが降り掛からなければ良いのだから。
「母親にはまだ子を産んでもらわなきゃ労働力が増えないからねえ、身代わりさね」
と祖母は付け足した。
そんなふうに始まった役目だったが、意外にも正平はきちんと子供の世話をしたらしい。子供を可哀想に思ったのか、それとも別の理由かは分からないが、まあとにかく子供は無事十八まで育ったのだそうだ。
しかしその年、ある事件が起こった。
正平が忽然と姿を消したのである。
「ついに愛想尽かしたか」
「辛抱できなくなったのか」
「東京に逃げたのか」
村人は口々に噂したが、待てども正平は帰ってこない。あの子供を、どうにかしなければならないのだ。
「誰が行く」
「あいつの弟が行け」
「それが道理だからな」
そして例の子供の弟__正平の二人目の甥が、地下に降りた。暗い暗い階段を、一歩一歩と降りていくごとに、何か酷い臭いが鼻をくすぐった。全段降りきり、油に灯した明かりを向けた先に。
男が、死んでいたのだという。
腐乱し出した顔は見れたものではなかったが、体に纏った着物の色が、その男こそが消えた正平であることを示していたという。
「正平、さん……」
呟いた彼は、あることに思い至った。ここにはもう一人いる筈であった。自分の兄が住んでいる筈なのだった。
勇敢な少年は、鉄格子のそのすぐ側まで歩み寄った。鼻の曲がるような臭いも振り払って。
奥で、ガリガリと何かを引っ掻く音がしていた。
灯りが照らした先で、髪の長い男が一人、何かをボソボソと呟きながら、壁を引っ掻いていた。土に木を張っただけの壁だ。木のささくれが男の爪の間に入って、そこから血が流れていた。
「なんで、なんでそんなこというんだおれにはしょうへいしかいないのにおいていかれたらおれはしぬのにやくそく、やくそくははたされてなくてとうきょうはとおいか、おれがじゃまを、ちがうでもおれはだってやさしくしてくれて」
男から伸びる鎖、その先には正平が繋がっていた。これが凶器だろうな、と少年は思った。
兄さん。今度は声に出さずに口だけで少年が呟いた。あなたはもう狂ってしまったのだろうか。
少年の黒い瞳に手元の火の赤色と、男の眼の青が映り込んでいた。
「ごめん、ごめんなさいカズさん、あのね、正平さんはもう亡くなっているんです。カズさん自身も、もうとっくに、百年も前に。僕、聞いてしまいました。勝手に、ごめんなさい。でも、やっぱり僕はあなたに同情してしまいます。あなたの味方になりたいと思ってしまいます__」
僕は泣きじゃくり、嗚咽しながら謝った。この人は最初は悪くなかったのだけれど、でも人を殺めている人だ。だから、たぶん良くはない人だ。
けれど、こんなところに閉じ込められて、どれほど辛かっただろうと考えて仕舞えば、僕はどうしても彼を許したくなってしまった。あなたは悪くないよと言いたかった。
僕の支離滅裂な言い分を、彼はぼんやりと眺めていた。どう思っているのか、表情からは汲み取れない。
「……翔太は」
暫くそのままだったが、ついに彼が口を開いた。
「はい……?」
涙でぐずぐずの声で、僕は返事をした。
「つまり、今、俺のために泣いてるのか?」
「……はい」
先程と同じ返事で、僕はちょっと自分を馬鹿っぽいなと思ったが、しかしそれ以外の返事は出てこなかった。
「馬鹿なやつだなあ」
カズさんは笑った。
「でも、すごく……嬉しいな」
煮詰めた飴のような声に、彼は心底喜びを載せて言った。それに弾かれたように顔を上げて、思わず僕は背筋がぞっとするのを感じてしまった。本当は、こんなこと言ってはいけないのだけれど、ただ、酷く……彼の浮かべた恍惚とした笑みが、何か、悪意を湛えているように見えたのだ。
「なあ、明日もまた来るよな?」
その問い掛けに頷く時、少し躊躇いを覚えてしまった自分が嫌だった。辛い思いをしている相手がちょっと……ほんのちょっと嫌な感じの表情を浮かべたからと言って、それが一体何なのだろう。結局僕も彼を可哀想だなんだと言いながら、怖がって、彼がした悪いことに囚われているのではないか? まだ僕は二人の間に何があったのかも知らないのに、決めつけるのは良くないではないか。そうだ。僕はまだ、彼の口からは何も聞けていない。その事実を思い出し、僕は声を上げた。
「あ、あの!」
「なんだ、どうしたんだ? まだここにいられそうなのか?」
「あ、いや……ただ、明日はその、カズさんのことについてももう少し知りたいな、と、思って……」
どうしても勇気がなくて、語尾が消えていく。そんな言葉を掬って、カズさんは首を傾げた。
「俺のこと? でも、何も面白いことはないぞ。ずっとこの中のことしか知らないし」
「いえ、それでも……正平さんとのこととか」
「ああ……まあ、それなら少しは俺も話せるかもしれないな」
そう呟いた彼は、あまり楽しそうな顔をしていなかった。気が乗らないのだろうか。彼と出会ってからというもの、彼が自分の話をしているところを一度も見たことがなかった。初日、あんなに待ち望んでいた正平さんの話でさえ渋るのは、やはり彼が、正平さんを__
そういえば。僕は気付いた。なんで、彼だけが幽霊になってここにいるのだろう。ここで死んだはずの正平さんを僕は見たことがない。カズさんだけに未練があったからか。正平さんの東京への思いは未練にはならなかったのか。それではカズさんの思いは正平さんより強かったことになる。だとしたら、その未練は何なのだろう。
分からない。分からないが、とにかく僕はもう行かなければ祖母に怪しまれてしまう。
「無理にとまでは言えませんが、前向きに考えておいてください」
僕は取り敢えずそう言い置いて、地下を後にした。夕焼けの柔らかい光が差し込んでくる。その先に、
「見つけた」
祖母が立っていた。
囲まれている。周りの全員が僕の親戚だった。祖母の後ろには母がいる。
「あの後ね、もう一回見に行ったんだよ、川辺に。そろそろ冷静になったかね、と思って……そしたら翔太がいなかったから」
「自棄を起こしてるんじゃないかしらと思って、村中探したの。親戚総出でね」
「誰に白い目で見られてもな、お前の方が大事だからな」
「どこにもいなかったね」
「そう言えば、いつもこの時間いなかったな、という話になったんだ」
「健に聞いても、一回も見たことなかったって言うんだもの」
「何処にいるんだろうって心配になった」
「山には登ってないはずって、探したのよ」
「……本当はの、こんなところ近付きたくなかったのじゃ」
「漸く暫く役目が続いてたのに」
「ああ、翔太には話してなかったねえ。あの後は和の弟が世話係の跡を継いだのさ」
「すぐに死んだよ」
「親戚みんなでお役目として回して、どうにかこうにか全滅はせずに済んだんだ」
「死んでからだって役目は続いたんだよ」
「きっと、わしらの怨念も混ざってしまったんだろうな」
「あいつを中心に」
「うちに関わると呪われるってのも、あながち間違いじゃ無いのさ」
親戚たちは次々に話した。沢山いるはずの親戚が、その時はまるで一つの生き物のように見えた。
肌が粟立つのを感じる。妙に寒気がして、僕は右手で左腕を掴んだ。今、何が起きている?
「正平が、東京に行きたいなんて言わなければなあ」
「そんなこと言っても仕方ないがね」
「ああそうだ、今の世話係はお前の祖母さんだよ」
「亜美はそれが嫌で都会行ったのにねえ」
「帰ってきちゃったねえ」
「翔太は名前も顔もそっくりで、しかも東京から来たからねえ」
「本当に、見つけちゃいけなかったのに」
「どうしようもないさ」
「どうしようもないな」
「どうしようもないから」
「かえせなくなっちゃったなあ」
「何の話をしてるんだ?」
下から、声が聞こえた。慣れ親しんだ声だ。慣れ親しんでしまった声だ。
「新しい世話係が決まった話だよ」
それに応えた母が、僕に向き直った。その顔は涙でぐちゃぐちゃだった。
「ごめんね、翔太。私ね、母さんのこと、大好きなの。どうしようもないの。ごめん、ごめんね、身代わりになってね」
その頃になると、僕にも話が飲み込めた。ああ、うん、つまり、僕はこれからもう。
「毎日、会うんですね?」
「どこにもいけないよ」
「そうですか」
「あそこでしぬの」
「いつまで続きますか」
「かあさんはきにいられてた」
「ねえ母さん」
「あなたもきっと」
「僕はね、この村もカズさんも、割と最悪だなと思い始めました」
「ごめんね」
「でもあなたのこと、大好きです」
「あたしがかわるべきだったの」
「母さん、父さんによろしくお伝えください」
「はい」
会話にならない会話を続けて、僕は仕方がないので振り返った。
「今日も、夕飯時には帰ります。でも、お手伝いはできなくても良いですか」
「……もちろんさ」
祖母が答えたのを確認し、僕は階段を降りていった。やっぱり寒いな。
下で、彼はにっこりと微笑んでいた。
「お前が新しく来てくれることになったんだって? まあでも、今までも来てたから、あんまり違いはないな」
「カズさん」
「なんだ?」
「昔話、聞かせてくれますか」
「……いいよ」
俺は正平のこと、本当に好きだったんだ。毎日変わらない部屋に、正平は毎日同じ時間に来て、次の日が来たぜって教えてくれた。本当ならここの蓋までは開けちゃいけないんだけど、まあお前も外見たいよな、とか言って、時々ここから出してくれたりもした。鉄格子は来るたび開けて、自分から中に入ってきてたな。言葉も何もかも正平に習ったし、世界の全部が正平だったんだ。俺にとっては。
でも、あいつにとってはそうじゃなかったんだ。当然と言えば当然なんだけどさ。
「ごめんな、和。俺、やっぱり東京行きたいんだ」
その言葉を俺がどんな気分で聞いていたと思う? 自分が相手の夢を奪っていた絶望感、置いて行かれる恐怖、自分が一番になれない嫉妬、他にも、いろいろ。頭が真っ白になって、何も考えられなくて__気付いたら俺は、世界の全てと例えた相手を自分の手で殺していた。
「でも、だからお前がここに来た時、本当に運命みたいだと思ったんだ」
「僕は、正平さんじゃありませんよ」
「分かってるよ。……でも、俺に怯えないで話しかけるのはお前が二人目で、俺のために泣いてくれたのはお前が初めてなんだ」
「だから俺、翔太のこと好きだ。お前と毎日話せることになって嬉しいし、たぶん一生手放せないんだと思う」
ごめんな、と彼は笑った。顔を歪めながら、それでも笑った。
「僕がいつか、あなたのことを嫌いになっても、離さないんですか」
「そうだな」
「僕が望んでも?」
「そうだな」
「どうしても?」
「本気だよ」
「……そうですか」
「ごめんな、ごめん、でも、お願いだから東京なんて行かないでくれ」
この村で生きて死んでくれと彼は泣いた。自分の側にいて欲しいと。
哀しい人だと僕は思った。そして身勝手だとも思った。
この人も正平さんも母も、僕の血縁はみんな自分勝手だ。こんな子供に縋らないと生きていけないのだ。自分勝手で、どうしようもなくて、でも本当に寂しくて、苦しんでいる人たちなのだった。
僕は一つため息をついた。
「仕方ないから、僕が毎日話しかけに来てあげますよ」
そして、夏の終わりが来るまでに彼を殺そう。
後半は言わなかったけれど、僕は確かにそう決意した。祟りも怨みも僕が受け止めよう。それで良いから、とにかく僕は東京に帰って父さんに会いたい。僕だってしっかり血を継いで、自分勝手な奴なのである。僕の人生はここにない。僕はここでは死にたくない。
今日の昼、祖母が僕にくれた言葉が甦る。思えば祖母はうっすら気付いていたのかもしれない。
「逃げなさい。あんたが背負う必要ないんだからね」
うん、おばあちゃん。僕、逃げるために頑張るよ。
夏休みの自由研究は、草花についてにしようと思っていたのだけれど、やっぱりやめた。ずっと良いのが見つかったからだ。
今年の夏の研究テーマは、幽霊の殺し方。
正平は元から田舎嫌いで、いつか東京に出ると言って憚らず、村民から顰蹙を買っていたらしい。
「あの正平がまともに子供の世話などするものか」
そんな声も出たそうだが、まあそれならそれで怨みは正平に掛かるだろうと、特に問題にはならなかった。要は、村にさえ災いが降り掛からなければ良いのだから。
「母親にはまだ子を産んでもらわなきゃ労働力が増えないからねえ、身代わりさね」
と祖母は付け足した。
そんなふうに始まった役目だったが、意外にも正平はきちんと子供の世話をしたらしい。子供を可哀想に思ったのか、それとも別の理由かは分からないが、まあとにかく子供は無事十八まで育ったのだそうだ。
しかしその年、ある事件が起こった。
正平が忽然と姿を消したのである。
「ついに愛想尽かしたか」
「辛抱できなくなったのか」
「東京に逃げたのか」
村人は口々に噂したが、待てども正平は帰ってこない。あの子供を、どうにかしなければならないのだ。
「誰が行く」
「あいつの弟が行け」
「それが道理だからな」
そして例の子供の弟__正平の二人目の甥が、地下に降りた。暗い暗い階段を、一歩一歩と降りていくごとに、何か酷い臭いが鼻をくすぐった。全段降りきり、油に灯した明かりを向けた先に。
男が、死んでいたのだという。
腐乱し出した顔は見れたものではなかったが、体に纏った着物の色が、その男こそが消えた正平であることを示していたという。
「正平、さん……」
呟いた彼は、あることに思い至った。ここにはもう一人いる筈であった。自分の兄が住んでいる筈なのだった。
勇敢な少年は、鉄格子のそのすぐ側まで歩み寄った。鼻の曲がるような臭いも振り払って。
奥で、ガリガリと何かを引っ掻く音がしていた。
灯りが照らした先で、髪の長い男が一人、何かをボソボソと呟きながら、壁を引っ掻いていた。土に木を張っただけの壁だ。木のささくれが男の爪の間に入って、そこから血が流れていた。
「なんで、なんでそんなこというんだおれにはしょうへいしかいないのにおいていかれたらおれはしぬのにやくそく、やくそくははたされてなくてとうきょうはとおいか、おれがじゃまを、ちがうでもおれはだってやさしくしてくれて」
男から伸びる鎖、その先には正平が繋がっていた。これが凶器だろうな、と少年は思った。
兄さん。今度は声に出さずに口だけで少年が呟いた。あなたはもう狂ってしまったのだろうか。
少年の黒い瞳に手元の火の赤色と、男の眼の青が映り込んでいた。
「ごめん、ごめんなさいカズさん、あのね、正平さんはもう亡くなっているんです。カズさん自身も、もうとっくに、百年も前に。僕、聞いてしまいました。勝手に、ごめんなさい。でも、やっぱり僕はあなたに同情してしまいます。あなたの味方になりたいと思ってしまいます__」
僕は泣きじゃくり、嗚咽しながら謝った。この人は最初は悪くなかったのだけれど、でも人を殺めている人だ。だから、たぶん良くはない人だ。
けれど、こんなところに閉じ込められて、どれほど辛かっただろうと考えて仕舞えば、僕はどうしても彼を許したくなってしまった。あなたは悪くないよと言いたかった。
僕の支離滅裂な言い分を、彼はぼんやりと眺めていた。どう思っているのか、表情からは汲み取れない。
「……翔太は」
暫くそのままだったが、ついに彼が口を開いた。
「はい……?」
涙でぐずぐずの声で、僕は返事をした。
「つまり、今、俺のために泣いてるのか?」
「……はい」
先程と同じ返事で、僕はちょっと自分を馬鹿っぽいなと思ったが、しかしそれ以外の返事は出てこなかった。
「馬鹿なやつだなあ」
カズさんは笑った。
「でも、すごく……嬉しいな」
煮詰めた飴のような声に、彼は心底喜びを載せて言った。それに弾かれたように顔を上げて、思わず僕は背筋がぞっとするのを感じてしまった。本当は、こんなこと言ってはいけないのだけれど、ただ、酷く……彼の浮かべた恍惚とした笑みが、何か、悪意を湛えているように見えたのだ。
「なあ、明日もまた来るよな?」
その問い掛けに頷く時、少し躊躇いを覚えてしまった自分が嫌だった。辛い思いをしている相手がちょっと……ほんのちょっと嫌な感じの表情を浮かべたからと言って、それが一体何なのだろう。結局僕も彼を可哀想だなんだと言いながら、怖がって、彼がした悪いことに囚われているのではないか? まだ僕は二人の間に何があったのかも知らないのに、決めつけるのは良くないではないか。そうだ。僕はまだ、彼の口からは何も聞けていない。その事実を思い出し、僕は声を上げた。
「あ、あの!」
「なんだ、どうしたんだ? まだここにいられそうなのか?」
「あ、いや……ただ、明日はその、カズさんのことについてももう少し知りたいな、と、思って……」
どうしても勇気がなくて、語尾が消えていく。そんな言葉を掬って、カズさんは首を傾げた。
「俺のこと? でも、何も面白いことはないぞ。ずっとこの中のことしか知らないし」
「いえ、それでも……正平さんとのこととか」
「ああ……まあ、それなら少しは俺も話せるかもしれないな」
そう呟いた彼は、あまり楽しそうな顔をしていなかった。気が乗らないのだろうか。彼と出会ってからというもの、彼が自分の話をしているところを一度も見たことがなかった。初日、あんなに待ち望んでいた正平さんの話でさえ渋るのは、やはり彼が、正平さんを__
そういえば。僕は気付いた。なんで、彼だけが幽霊になってここにいるのだろう。ここで死んだはずの正平さんを僕は見たことがない。カズさんだけに未練があったからか。正平さんの東京への思いは未練にはならなかったのか。それではカズさんの思いは正平さんより強かったことになる。だとしたら、その未練は何なのだろう。
分からない。分からないが、とにかく僕はもう行かなければ祖母に怪しまれてしまう。
「無理にとまでは言えませんが、前向きに考えておいてください」
僕は取り敢えずそう言い置いて、地下を後にした。夕焼けの柔らかい光が差し込んでくる。その先に、
「見つけた」
祖母が立っていた。
囲まれている。周りの全員が僕の親戚だった。祖母の後ろには母がいる。
「あの後ね、もう一回見に行ったんだよ、川辺に。そろそろ冷静になったかね、と思って……そしたら翔太がいなかったから」
「自棄を起こしてるんじゃないかしらと思って、村中探したの。親戚総出でね」
「誰に白い目で見られてもな、お前の方が大事だからな」
「どこにもいなかったね」
「そう言えば、いつもこの時間いなかったな、という話になったんだ」
「健に聞いても、一回も見たことなかったって言うんだもの」
「何処にいるんだろうって心配になった」
「山には登ってないはずって、探したのよ」
「……本当はの、こんなところ近付きたくなかったのじゃ」
「漸く暫く役目が続いてたのに」
「ああ、翔太には話してなかったねえ。あの後は和の弟が世話係の跡を継いだのさ」
「すぐに死んだよ」
「親戚みんなでお役目として回して、どうにかこうにか全滅はせずに済んだんだ」
「死んでからだって役目は続いたんだよ」
「きっと、わしらの怨念も混ざってしまったんだろうな」
「あいつを中心に」
「うちに関わると呪われるってのも、あながち間違いじゃ無いのさ」
親戚たちは次々に話した。沢山いるはずの親戚が、その時はまるで一つの生き物のように見えた。
肌が粟立つのを感じる。妙に寒気がして、僕は右手で左腕を掴んだ。今、何が起きている?
「正平が、東京に行きたいなんて言わなければなあ」
「そんなこと言っても仕方ないがね」
「ああそうだ、今の世話係はお前の祖母さんだよ」
「亜美はそれが嫌で都会行ったのにねえ」
「帰ってきちゃったねえ」
「翔太は名前も顔もそっくりで、しかも東京から来たからねえ」
「本当に、見つけちゃいけなかったのに」
「どうしようもないさ」
「どうしようもないな」
「どうしようもないから」
「かえせなくなっちゃったなあ」
「何の話をしてるんだ?」
下から、声が聞こえた。慣れ親しんだ声だ。慣れ親しんでしまった声だ。
「新しい世話係が決まった話だよ」
それに応えた母が、僕に向き直った。その顔は涙でぐちゃぐちゃだった。
「ごめんね、翔太。私ね、母さんのこと、大好きなの。どうしようもないの。ごめん、ごめんね、身代わりになってね」
その頃になると、僕にも話が飲み込めた。ああ、うん、つまり、僕はこれからもう。
「毎日、会うんですね?」
「どこにもいけないよ」
「そうですか」
「あそこでしぬの」
「いつまで続きますか」
「かあさんはきにいられてた」
「ねえ母さん」
「あなたもきっと」
「僕はね、この村もカズさんも、割と最悪だなと思い始めました」
「ごめんね」
「でもあなたのこと、大好きです」
「あたしがかわるべきだったの」
「母さん、父さんによろしくお伝えください」
「はい」
会話にならない会話を続けて、僕は仕方がないので振り返った。
「今日も、夕飯時には帰ります。でも、お手伝いはできなくても良いですか」
「……もちろんさ」
祖母が答えたのを確認し、僕は階段を降りていった。やっぱり寒いな。
下で、彼はにっこりと微笑んでいた。
「お前が新しく来てくれることになったんだって? まあでも、今までも来てたから、あんまり違いはないな」
「カズさん」
「なんだ?」
「昔話、聞かせてくれますか」
「……いいよ」
俺は正平のこと、本当に好きだったんだ。毎日変わらない部屋に、正平は毎日同じ時間に来て、次の日が来たぜって教えてくれた。本当ならここの蓋までは開けちゃいけないんだけど、まあお前も外見たいよな、とか言って、時々ここから出してくれたりもした。鉄格子は来るたび開けて、自分から中に入ってきてたな。言葉も何もかも正平に習ったし、世界の全部が正平だったんだ。俺にとっては。
でも、あいつにとってはそうじゃなかったんだ。当然と言えば当然なんだけどさ。
「ごめんな、和。俺、やっぱり東京行きたいんだ」
その言葉を俺がどんな気分で聞いていたと思う? 自分が相手の夢を奪っていた絶望感、置いて行かれる恐怖、自分が一番になれない嫉妬、他にも、いろいろ。頭が真っ白になって、何も考えられなくて__気付いたら俺は、世界の全てと例えた相手を自分の手で殺していた。
「でも、だからお前がここに来た時、本当に運命みたいだと思ったんだ」
「僕は、正平さんじゃありませんよ」
「分かってるよ。……でも、俺に怯えないで話しかけるのはお前が二人目で、俺のために泣いてくれたのはお前が初めてなんだ」
「だから俺、翔太のこと好きだ。お前と毎日話せることになって嬉しいし、たぶん一生手放せないんだと思う」
ごめんな、と彼は笑った。顔を歪めながら、それでも笑った。
「僕がいつか、あなたのことを嫌いになっても、離さないんですか」
「そうだな」
「僕が望んでも?」
「そうだな」
「どうしても?」
「本気だよ」
「……そうですか」
「ごめんな、ごめん、でも、お願いだから東京なんて行かないでくれ」
この村で生きて死んでくれと彼は泣いた。自分の側にいて欲しいと。
哀しい人だと僕は思った。そして身勝手だとも思った。
この人も正平さんも母も、僕の血縁はみんな自分勝手だ。こんな子供に縋らないと生きていけないのだ。自分勝手で、どうしようもなくて、でも本当に寂しくて、苦しんでいる人たちなのだった。
僕は一つため息をついた。
「仕方ないから、僕が毎日話しかけに来てあげますよ」
そして、夏の終わりが来るまでに彼を殺そう。
後半は言わなかったけれど、僕は確かにそう決意した。祟りも怨みも僕が受け止めよう。それで良いから、とにかく僕は東京に帰って父さんに会いたい。僕だってしっかり血を継いで、自分勝手な奴なのである。僕の人生はここにない。僕はここでは死にたくない。
今日の昼、祖母が僕にくれた言葉が甦る。思えば祖母はうっすら気付いていたのかもしれない。
「逃げなさい。あんたが背負う必要ないんだからね」
うん、おばあちゃん。僕、逃げるために頑張るよ。
夏休みの自由研究は、草花についてにしようと思っていたのだけれど、やっぱりやめた。ずっと良いのが見つかったからだ。
今年の夏の研究テーマは、幽霊の殺し方。
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