僕とお兄さんの夏休み
あの日、恐る恐る、といった気持ちで牢の中へ足を踏み入れた僕だったが、彼は特に僕へ危害を加えてこなかった。普通に膝に座らせて、至近距離で話したぐらいだ。
ただ、なぜかまだ、正平さんについての話は出来なかった。話そうと思って口を開くたび、僕の口からは別の話が紡がれたのだ。何もかもが終わった今考えれば、それは僕のなけなしの本能がまだ生きていた証であったのだが。
ただ当時の僕にはそんなことが分かるはずもなく、ただ漫然とあの地下室に通う中で、どうしようか、と日々焦っていた。僕はまだ正平さんについて__彼が百年前の人間であり、ほぼ確実に死んでいるということについて__を伝えられていない。この先も伝えられないかもしれない。でもいつか夏休みは終わり、僕は東京へ帰るのである。最悪の場合は、他の人から伝えてもらうより他ない。でも出来れば僕はあの場所について誰かに伝えたくない。伝えたら間違いなく怒られると分かっているのである。ああ、本当にどうしようか。そんなことを散歩しながら考えていた最中、いつかの少年と出会った。
「あ!!!!!!」
衝撃のあまり僕は叫んだ。村に来た初日に出会ったその少年は耳をふさいだ。僕は少し申し訳ない気持ちになり、今まで考えていたことも、彼に抱いていた悪口への恨みも、すっかり忘れてしまった。
「お前声でかいな……」
という少年に謝り、僕たちは自己紹介をし合った。彼の名前は権田健、酒屋の息子で僕と同じ小学四年生。今から川へ魚釣りに行くらしい。
僕の名前は相川翔太だと言えば、それでお前妙に自己紹介上手いんだな、と健に言われた。そう、出席番号のせいで僕はいつも最初に自己紹介をするのである。その自己紹介の腕は最早プロ級。僕は胸を張った。名前と得意教科、それからネタを1つ挟むのが僕のお決まりだ。そうやってなんだかんだと話すうちに僕らは打ち解けた。
「お前、いい奴だったんだな。声もデカいし。あんときはなまっちろいとか言って悪かったな……お詫びにこの村の噂を一個教えてやるぜ」
健の言葉に、僕は息を詰めて耳を傾けた。何だろう。こんな辺鄙な村だ、もしかしたらものすごく強いザリガニがいるのかもしれない。
しかし、後に続いた言葉は、僕のちっぽけな予想など軽々飛び越していた。
「実はこの村にはな。悪霊がいるらしいんだ」
「悪霊?」
「そうだぜ。なんでも五軒隣の大ちゃんの兄ちゃんのダチの母ちゃんの妹の旦那の爺さんが見つけたらしいんだけどよ。おれらはもうそれ聞いてから三年は探してんだけど見つけらんなくてさ。しかも大人はその話するとめっちゃ怒るんだ。こりゃ探すしかねえよな」
「それは……わくわくするね」
「だろ!?」
健はにっかりと笑った。
「実はよ、この後魚釣った後、例の悪霊探しするんだ。お前も来るよな?」
健に言われ、僕は迷った。今、時刻は朝十時。まあ、確かにカズさんとの約束の時間まではかなりあるが、ただ途中で健たちのところを抜け出さなければ間に合わないくらいの時間だ。うっかり時間を忘れて遊んでしまえば、危険。
でもなあ。僕はちらりと健を見た。正直、健と一緒に遊ぶのはかなり楽しそうだ。
「……まあ、多分大丈夫だよな。おっけー、僕も行く!」
「そう来なきゃつまんねえよ!」
僕らは川まで競うように駆けた。
「うお、なんだ遅かったな健」
「わりい、でも代わりに超超超超超特急で走ってきたぜ」
「相変わらず健ちゃんはチーターだよなあ。舞子もお前のこと好きっつってたぜ」
「えっマジ!? カップルせーりつ!? 健さん、今のお気持ちは?」
「すまない、俺はまだ誰の物にもなれないから……」
「とかいっちゅわって!?」
「壮太、噛んでる」
「うるせーし! 噛んだかどうかなんて誰が決めたんですかーーー?」
「俺」
「じゃあしかたねえな……」
これ前にも見たな。僕は冷静に思った。大人の宴会と子供の川遊びっておんなじものなのかもしれない。と、そこで、彼らのうち一人がようやく僕に気付いた。
「え、誰?」
物珍しいものを見るような視線が僕に突き刺さった。僕はなんだか照れてしまって、曖昧に首を傾げたが、そこで気付いた。今こそ自己紹介をするべきなのでは? なるほどな……僕は深く息を吸った。
「僕の名前は__!」
「おう、こいつ翔太。亜美さんちの息子。今日から仲間。よろしく」
説明が簡潔すぎる!
後ろから僕の頭に腕を載せ言葉を奪った健に、僕は涙目で抗議しようとした。しかし、その瞬間。
「……え、亜美さんって、あの家の……?」
ざわ、とどよめきが起きた。先ほどとはまた少し別の色を含んだ目線が僕を見つめる。恐怖、嫌悪、拒絶、それから憐憫。肌が粟立つ。嫌な感覚だ。すぐ最近、同じ感覚を味わった。あれは、確か。
「確かに、僕の母さんの名前は亜美だけど……何かあるの?」
僕がこの村を訪れた日のことだった。
そうだ、思い返せば、あの日浴びた視線は、ただ余所者に向ける視線ではなかった。何か別の思いが込められていた。
「どうもこうも、なあ」
「だって……」
健の友達は顔を見合わせた。そしてそれから、一人が進み出て言った。
「俺たち、お前の家の人間とは関わるなって言われてんだよ。……呪われるから」
……なんだって? 僕は片眉を上げた。呪われる? しかも、僕の家に関わったら?
「なんだお前ら、んなもんまだ信じてんのかよ」
そこで、僕を紹介してから今まで一言もしゃべっていなかった健が呆れたようにため息をついた。ガキだな、と言いたげに肩をすくめる。
「健ちゃん! でもさ……」
「あんなもん大人が俺らビビらせるために言ってるだけだって! 俺は何度も酒届けてるけど、一回も呪われたことないぜ」
「そりゃ、そうかもだけどよ……」
代表の一人が困ったような顔をした。
「待って、今の話、もっと詳しく聞きたいんだけど」
僕は少なくともここにきてからそんな話を一度も聞いたことがなかった。……そりゃ、好き好んで自分たちが呪われてるとかいう話はしないと思うけど、それでも親戚の口に一度も上ったことがないのはおかしいのではないか、本当に呪われているなら。一言僕に忠告しておくとか、そのくらいはするはずで……いや、どうなのだろう。わからない。
僕は当たり前だが混乱していた。呪いだなんて非日常的だけれど、でもやっぱり少し恐ろしかった。
不安そうな僕を見て、みんなが気まずそうに躊躇った。視線を彷徨わせる彼らを尻目に、真っ先に口を開いたのはやはり健だった。
「俺はやっぱ、こんな話信じなくていいと思うけど。でもお前が聞きたいなら話すぜ。あのな、今からざっくり百年くらい前に__」
曰く。約百年前、この村には一人だけ異質な者がいたらしい。当時はまだ開国直後、それもこんな田舎では顔立ちこそ様々なれど皆同じ色合いの髪と瞳。そんな中に村外れの若い女が産んだ子供。当然揃いの黒髪黒目かと思えば__瞼の下から現れたのは、輝くような青い色。
「夫に背いたか」
「異人との子か」
「いや、あの女が異人と会えるはずもない」
「ではなんだ」
「わからない」
「分からぬのは、怖いな」
「怖いなあ」
「怖い」
「気味が悪い」
「そうじゃ、気味のわるい」
「悪いのは、いけない」
「悪いなら、閉じ込めねば」
「きっと何か、恐ろしいことをするに決まっているからな」
そんな理由で、子供は早々に地下に閉じ込められてしまったらしい。
「地下、っていうか、地下室にあるザシキローって聞いたけど、ザシキローって何なんだろうな」
健が途中でふと呟いたその質問に答えるものは誰もおらず、話は続けられた。
その後、そのような子供は何回も生まれたそうだ。後から思えば、実は例の子供が生まれる前にも同じような例は何度もあったのではないか、ということだったが、丁度その子供が生まれる前に飢饉で老人が一人残らずいなくなっていた為起こった悲劇だった、ということらしい。
「で、その例の子供の弟の子孫がお前ん家」
僕は黙り込んだ。それでは呪われてなど居ないではないか。僕は一切の恐怖も感じていなかった。むしろ、ただその子供が可哀想でならなかった。
眼の色だけで差別されて、閉じ込められて。その子はそれからどうなったのだろう。何も悪いことなどしていないのに。冷たい冷たい地下室に、一人閉じ込められたまま。
どれほど、寂しかったろう。
「それがどう、呪われてるとかいう話になるんだよ。ただ、酷いだけの話じゃないか……!」
僕は拳をぎゅっと握って、声を押し出すように言った。震えているのが自分でも分かった。怒っているのだ。見ず知らずの、昔の人相手だけれど、それでも本当に残酷な話だと思ったし、腹が立った。
カズさんに出会った日に調べたことを思い出す。青目は、珍しいが寒い地方ではままあることだと書いてあった。
僕はもう、その「子供」の正体が分かっていた。今どこで何をしているのかも知っていた。
きっと、この話はカズさんの話だった。
僕を見て、いや、と健が首を横に振った。僕は八つ当たりだと分かっていながらも、それでもその動作にさえ腹を立ててしまった。
「なにが、何が違うん……」
「違えんだ。……冷静になれよ、俺はさっき、青目子供が生まれることはその後もあったって言っただろ。そいつらは別に全員お前の家から生まれたってわけじゃねえ」
「……確かに、そうだった。じゃあ、何が……」
そこに突然、声が割り込んだ。
「本当に起こったからさね」
僕はもはや他の人のことを忘れ、健と二人きりで話しているような気分だったので、その乱入者にひどく驚き、肩を跳ねさせた。
「うわぁっ……!」
見ると、僕と健を取り巻いていた健の友達を押し除け、一人の老婆が歩み寄ってきていた。それを見て僕は更に驚いた。
「教えてなくて悪かったねえ、翔太」
それは僕の祖母だった。
「呪われた家」の人間が二人揃ったことでいよいよ健を除く子供たちは怯え、
「ぼ、僕帰る!」
という一人の声を皮切りに、全員蜘蛛の子を散らすように居なくなった。
「あーあ、これじゃあんま魚釣れねえな」
健がそれを見てぼやいた。そんなことを言っている場合か、と僕は急展開の連続でついに回らなくなった頭で考えた。
「がきんちょは元気だねえ」
祖母もその横で呟いた。僕はそれに今更ながら疑問を抱き、祖母に尋ねた。
「あの、なんでここに……」
この時間、いつもなら祖母は家にいるはずだ。なのに何故こんな川辺にいるのだろう。祖母はそれに片眉をあげ、何でもないことのように答えた。
「あんたの後つけて来たんだよ、畑仕事ん最中にあんたたちが悪霊探しとか言ってるのが聞こえたからね」
「あ……」
確かに思い返せば、健と自己紹介し合ったのは丁度祖母の持つ畑の辺りだった。ただ祖母がそこにいたことに全く気づけなかったのが不思議だが……まあ、たぶんトラクターの影に隠れて見えなかったのだろう。話に夢中で周りも見えていなかったし。
僕が自分を納得させている間に、祖母はさっさと進めた。
「んで、さっきの話に戻るけどねえ……本当に起きたんだよ」
そうだ。その話をしていたのだった。僕は先程より些か落ち着いた気持ちで尋ねた。
「……起きたって、何がですか?」
「そりゃあ、あんた、もちろん__」
「
」
話を聞き終わった僕は、ただ唇を噛み締めていた。それは、確かに、彼は悪いことをしたのかもしれないけれど、でも……。思い悩む僕に、祖母は一つ、ため息と忠告を与えた。
「だからね、特にあんたは悪霊探しなんてやったらダメなのさ。分かったろ?」
健も誘っちゃあ駄目だろう、と祖母は健も嗜めた。そうだ。この話を村人みんな知っていたのなら、何故健は僕に話を持ちかけたのだろう。
健は鼻を鳴らして言った。
「悪いことでも良いことでも、ちゃんと本当のこと教えてやんなきゃだめだろ。良い機会かなって思ったんだよ……でも、知らんぷりしたのは、ごめん」
「あんたはちょっと正直者過ぎるねえ」
祖母はデコピンを健に食らわせ、再び僕を見た。
「怪しいものには近づかない。悪いものからはひたすら逃げる。そうしなさい。あんたが背負う必要ないんだからね」
そこまで言うと、祖母は健を引きずりながら帰っていった。たぶん、僕に気を遣って一人にしてくれたんだろう。ゆっくり考えさせて、気持ちの整理をつけさせてやるために。
でも、そこには一つ、大きな誤算があったんだ。
僕はもう、悪霊を見つけている。
暗い階段を降りる。息が詰まるような埃と湿気と寒さを感じる。鉄の錆びた匂いもする。ここで一人で待っている人を、僕はやっぱり気の毒に思ってしまった。
「……カズさん」
僕は自分から鉄格子の扉を開け、中に入った。
「どうしたんだ、翔太、今日は少し早いな」
嬉しそうに笑った彼に、僕は抱きついて泣いた。それが無性に悲しかったのだ。
ただ、なぜかまだ、正平さんについての話は出来なかった。話そうと思って口を開くたび、僕の口からは別の話が紡がれたのだ。何もかもが終わった今考えれば、それは僕のなけなしの本能がまだ生きていた証であったのだが。
ただ当時の僕にはそんなことが分かるはずもなく、ただ漫然とあの地下室に通う中で、どうしようか、と日々焦っていた。僕はまだ正平さんについて__彼が百年前の人間であり、ほぼ確実に死んでいるということについて__を伝えられていない。この先も伝えられないかもしれない。でもいつか夏休みは終わり、僕は東京へ帰るのである。最悪の場合は、他の人から伝えてもらうより他ない。でも出来れば僕はあの場所について誰かに伝えたくない。伝えたら間違いなく怒られると分かっているのである。ああ、本当にどうしようか。そんなことを散歩しながら考えていた最中、いつかの少年と出会った。
「あ!!!!!!」
衝撃のあまり僕は叫んだ。村に来た初日に出会ったその少年は耳をふさいだ。僕は少し申し訳ない気持ちになり、今まで考えていたことも、彼に抱いていた悪口への恨みも、すっかり忘れてしまった。
「お前声でかいな……」
という少年に謝り、僕たちは自己紹介をし合った。彼の名前は権田健、酒屋の息子で僕と同じ小学四年生。今から川へ魚釣りに行くらしい。
僕の名前は相川翔太だと言えば、それでお前妙に自己紹介上手いんだな、と健に言われた。そう、出席番号のせいで僕はいつも最初に自己紹介をするのである。その自己紹介の腕は最早プロ級。僕は胸を張った。名前と得意教科、それからネタを1つ挟むのが僕のお決まりだ。そうやってなんだかんだと話すうちに僕らは打ち解けた。
「お前、いい奴だったんだな。声もデカいし。あんときはなまっちろいとか言って悪かったな……お詫びにこの村の噂を一個教えてやるぜ」
健の言葉に、僕は息を詰めて耳を傾けた。何だろう。こんな辺鄙な村だ、もしかしたらものすごく強いザリガニがいるのかもしれない。
しかし、後に続いた言葉は、僕のちっぽけな予想など軽々飛び越していた。
「実はこの村にはな。悪霊がいるらしいんだ」
「悪霊?」
「そうだぜ。なんでも五軒隣の大ちゃんの兄ちゃんのダチの母ちゃんの妹の旦那の爺さんが見つけたらしいんだけどよ。おれらはもうそれ聞いてから三年は探してんだけど見つけらんなくてさ。しかも大人はその話するとめっちゃ怒るんだ。こりゃ探すしかねえよな」
「それは……わくわくするね」
「だろ!?」
健はにっかりと笑った。
「実はよ、この後魚釣った後、例の悪霊探しするんだ。お前も来るよな?」
健に言われ、僕は迷った。今、時刻は朝十時。まあ、確かにカズさんとの約束の時間まではかなりあるが、ただ途中で健たちのところを抜け出さなければ間に合わないくらいの時間だ。うっかり時間を忘れて遊んでしまえば、危険。
でもなあ。僕はちらりと健を見た。正直、健と一緒に遊ぶのはかなり楽しそうだ。
「……まあ、多分大丈夫だよな。おっけー、僕も行く!」
「そう来なきゃつまんねえよ!」
僕らは川まで競うように駆けた。
「うお、なんだ遅かったな健」
「わりい、でも代わりに超超超超超特急で走ってきたぜ」
「相変わらず健ちゃんはチーターだよなあ。舞子もお前のこと好きっつってたぜ」
「えっマジ!? カップルせーりつ!? 健さん、今のお気持ちは?」
「すまない、俺はまだ誰の物にもなれないから……」
「とかいっちゅわって!?」
「壮太、噛んでる」
「うるせーし! 噛んだかどうかなんて誰が決めたんですかーーー?」
「俺」
「じゃあしかたねえな……」
これ前にも見たな。僕は冷静に思った。大人の宴会と子供の川遊びっておんなじものなのかもしれない。と、そこで、彼らのうち一人がようやく僕に気付いた。
「え、誰?」
物珍しいものを見るような視線が僕に突き刺さった。僕はなんだか照れてしまって、曖昧に首を傾げたが、そこで気付いた。今こそ自己紹介をするべきなのでは? なるほどな……僕は深く息を吸った。
「僕の名前は__!」
「おう、こいつ翔太。亜美さんちの息子。今日から仲間。よろしく」
説明が簡潔すぎる!
後ろから僕の頭に腕を載せ言葉を奪った健に、僕は涙目で抗議しようとした。しかし、その瞬間。
「……え、亜美さんって、あの家の……?」
ざわ、とどよめきが起きた。先ほどとはまた少し別の色を含んだ目線が僕を見つめる。恐怖、嫌悪、拒絶、それから憐憫。肌が粟立つ。嫌な感覚だ。すぐ最近、同じ感覚を味わった。あれは、確か。
「確かに、僕の母さんの名前は亜美だけど……何かあるの?」
僕がこの村を訪れた日のことだった。
そうだ、思い返せば、あの日浴びた視線は、ただ余所者に向ける視線ではなかった。何か別の思いが込められていた。
「どうもこうも、なあ」
「だって……」
健の友達は顔を見合わせた。そしてそれから、一人が進み出て言った。
「俺たち、お前の家の人間とは関わるなって言われてんだよ。……呪われるから」
……なんだって? 僕は片眉を上げた。呪われる? しかも、僕の家に関わったら?
「なんだお前ら、んなもんまだ信じてんのかよ」
そこで、僕を紹介してから今まで一言もしゃべっていなかった健が呆れたようにため息をついた。ガキだな、と言いたげに肩をすくめる。
「健ちゃん! でもさ……」
「あんなもん大人が俺らビビらせるために言ってるだけだって! 俺は何度も酒届けてるけど、一回も呪われたことないぜ」
「そりゃ、そうかもだけどよ……」
代表の一人が困ったような顔をした。
「待って、今の話、もっと詳しく聞きたいんだけど」
僕は少なくともここにきてからそんな話を一度も聞いたことがなかった。……そりゃ、好き好んで自分たちが呪われてるとかいう話はしないと思うけど、それでも親戚の口に一度も上ったことがないのはおかしいのではないか、本当に呪われているなら。一言僕に忠告しておくとか、そのくらいはするはずで……いや、どうなのだろう。わからない。
僕は当たり前だが混乱していた。呪いだなんて非日常的だけれど、でもやっぱり少し恐ろしかった。
不安そうな僕を見て、みんなが気まずそうに躊躇った。視線を彷徨わせる彼らを尻目に、真っ先に口を開いたのはやはり健だった。
「俺はやっぱ、こんな話信じなくていいと思うけど。でもお前が聞きたいなら話すぜ。あのな、今からざっくり百年くらい前に__」
曰く。約百年前、この村には一人だけ異質な者がいたらしい。当時はまだ開国直後、それもこんな田舎では顔立ちこそ様々なれど皆同じ色合いの髪と瞳。そんな中に村外れの若い女が産んだ子供。当然揃いの黒髪黒目かと思えば__瞼の下から現れたのは、輝くような青い色。
「夫に背いたか」
「異人との子か」
「いや、あの女が異人と会えるはずもない」
「ではなんだ」
「わからない」
「分からぬのは、怖いな」
「怖いなあ」
「怖い」
「気味が悪い」
「そうじゃ、気味のわるい」
「悪いのは、いけない」
「悪いなら、閉じ込めねば」
「きっと何か、恐ろしいことをするに決まっているからな」
そんな理由で、子供は早々に地下に閉じ込められてしまったらしい。
「地下、っていうか、地下室にあるザシキローって聞いたけど、ザシキローって何なんだろうな」
健が途中でふと呟いたその質問に答えるものは誰もおらず、話は続けられた。
その後、そのような子供は何回も生まれたそうだ。後から思えば、実は例の子供が生まれる前にも同じような例は何度もあったのではないか、ということだったが、丁度その子供が生まれる前に飢饉で老人が一人残らずいなくなっていた為起こった悲劇だった、ということらしい。
「で、その例の子供の弟の子孫がお前ん家」
僕は黙り込んだ。それでは呪われてなど居ないではないか。僕は一切の恐怖も感じていなかった。むしろ、ただその子供が可哀想でならなかった。
眼の色だけで差別されて、閉じ込められて。その子はそれからどうなったのだろう。何も悪いことなどしていないのに。冷たい冷たい地下室に、一人閉じ込められたまま。
どれほど、寂しかったろう。
「それがどう、呪われてるとかいう話になるんだよ。ただ、酷いだけの話じゃないか……!」
僕は拳をぎゅっと握って、声を押し出すように言った。震えているのが自分でも分かった。怒っているのだ。見ず知らずの、昔の人相手だけれど、それでも本当に残酷な話だと思ったし、腹が立った。
カズさんに出会った日に調べたことを思い出す。青目は、珍しいが寒い地方ではままあることだと書いてあった。
僕はもう、その「子供」の正体が分かっていた。今どこで何をしているのかも知っていた。
きっと、この話はカズさんの話だった。
僕を見て、いや、と健が首を横に振った。僕は八つ当たりだと分かっていながらも、それでもその動作にさえ腹を立ててしまった。
「なにが、何が違うん……」
「違えんだ。……冷静になれよ、俺はさっき、青目子供が生まれることはその後もあったって言っただろ。そいつらは別に全員お前の家から生まれたってわけじゃねえ」
「……確かに、そうだった。じゃあ、何が……」
そこに突然、声が割り込んだ。
「本当に起こったからさね」
僕はもはや他の人のことを忘れ、健と二人きりで話しているような気分だったので、その乱入者にひどく驚き、肩を跳ねさせた。
「うわぁっ……!」
見ると、僕と健を取り巻いていた健の友達を押し除け、一人の老婆が歩み寄ってきていた。それを見て僕は更に驚いた。
「教えてなくて悪かったねえ、翔太」
それは僕の祖母だった。
「呪われた家」の人間が二人揃ったことでいよいよ健を除く子供たちは怯え、
「ぼ、僕帰る!」
という一人の声を皮切りに、全員蜘蛛の子を散らすように居なくなった。
「あーあ、これじゃあんま魚釣れねえな」
健がそれを見てぼやいた。そんなことを言っている場合か、と僕は急展開の連続でついに回らなくなった頭で考えた。
「がきんちょは元気だねえ」
祖母もその横で呟いた。僕はそれに今更ながら疑問を抱き、祖母に尋ねた。
「あの、なんでここに……」
この時間、いつもなら祖母は家にいるはずだ。なのに何故こんな川辺にいるのだろう。祖母はそれに片眉をあげ、何でもないことのように答えた。
「あんたの後つけて来たんだよ、畑仕事ん最中にあんたたちが悪霊探しとか言ってるのが聞こえたからね」
「あ……」
確かに思い返せば、健と自己紹介し合ったのは丁度祖母の持つ畑の辺りだった。ただ祖母がそこにいたことに全く気づけなかったのが不思議だが……まあ、たぶんトラクターの影に隠れて見えなかったのだろう。話に夢中で周りも見えていなかったし。
僕が自分を納得させている間に、祖母はさっさと進めた。
「んで、さっきの話に戻るけどねえ……本当に起きたんだよ」
そうだ。その話をしていたのだった。僕は先程より些か落ち着いた気持ちで尋ねた。
「……起きたって、何がですか?」
「そりゃあ、あんた、もちろん__」
「
」
話を聞き終わった僕は、ただ唇を噛み締めていた。それは、確かに、彼は悪いことをしたのかもしれないけれど、でも……。思い悩む僕に、祖母は一つ、ため息と忠告を与えた。
「だからね、特にあんたは悪霊探しなんてやったらダメなのさ。分かったろ?」
健も誘っちゃあ駄目だろう、と祖母は健も嗜めた。そうだ。この話を村人みんな知っていたのなら、何故健は僕に話を持ちかけたのだろう。
健は鼻を鳴らして言った。
「悪いことでも良いことでも、ちゃんと本当のこと教えてやんなきゃだめだろ。良い機会かなって思ったんだよ……でも、知らんぷりしたのは、ごめん」
「あんたはちょっと正直者過ぎるねえ」
祖母はデコピンを健に食らわせ、再び僕を見た。
「怪しいものには近づかない。悪いものからはひたすら逃げる。そうしなさい。あんたが背負う必要ないんだからね」
そこまで言うと、祖母は健を引きずりながら帰っていった。たぶん、僕に気を遣って一人にしてくれたんだろう。ゆっくり考えさせて、気持ちの整理をつけさせてやるために。
でも、そこには一つ、大きな誤算があったんだ。
僕はもう、悪霊を見つけている。
暗い階段を降りる。息が詰まるような埃と湿気と寒さを感じる。鉄の錆びた匂いもする。ここで一人で待っている人を、僕はやっぱり気の毒に思ってしまった。
「……カズさん」
僕は自分から鉄格子の扉を開け、中に入った。
「どうしたんだ、翔太、今日は少し早いな」
嬉しそうに笑った彼に、僕は抱きついて泣いた。それが無性に悲しかったのだ。
