キミとの思い出
――――
学校に入る前の頃。この頃は母様や使用人のみんなと屋敷で暮らしていた。
父様と離されたけど、母様も笑っていて。みんなも俺に優しくしてくれて。
この頃は、すごく幸せだった。
「かあさまっ、かあさまっ」
「リンツェ。転びますよ」
庭にある花畑で母様と過ごしていた。
貴族だったから、勉強の他にも剣や魔法も勉強して大変だったけど、普通の子供と変わらないくらい愛してもらっていた。
「かあさま。はな、さいてる」
「そうね。綺麗に咲いているわ」
優しく笑っている母様。
無邪気に笑っている俺。
本当に幸せだった。
――あの日までは。
――――
「……あれ?」
花畑で遊んでいると、ふと、茂みで何かが動いたのが目に映った。
「? なんだろ……」
猫か何かだろうか。多分そんなことを考えていたと思う。
今にして思えば、近寄らなければ少しは変わっていたかもしれない、と何度も思う。
無邪気な俺は、何の疑問もなくそこへ近寄る。
「……死ねッ!!」
近寄った瞬間、銀色に光るナイフと、見慣れない黒い服を着た男が瞳に映った。
「リンツェッ!!」
母様の悲鳴が聞こえた。
同時に視界が影に覆われる。
「――ァ……ッ!」
耳元に響く、肉が裂ける音と母様の短い呻き声。軽い衝撃。
そして鼻に入る……鉄錆に似た臭い。
「か……さま……?」
「チッ……!」
母様がどうなっているのか。男が何をしたのか。一瞬わからなかった。
「リンツェ様! 奥様!」
「賊を捕らえろ!」
使用人たちが駆けてくる。
呆然としていると「クソッ!」と声とともに、母様の身体が俺から離れる。
「こうなったら、せめて王子だけでも……!!」
母様の身体が遠くに放り投げられる。
その時、母様の背中に、ナイフが突き刺さっているのが見えた。
――背中がナイフを中心に赤く染まっていた。
「あ……あ……」
母様の背中から血。
血……紅イ、血……。
「今度こそ……!」
再び振り上げられるナイフが、スローモーションに見えた。
(このひとが……かあさまを……)
――カアサマヲ、コロシタ。
「あ……アアアアアアァァァッ!!!!!」
その事実を認識した瞬間、目の前が真っ白になっていった。
――――
「……うわぁあああっ!!!」
ガバッ! と身体が跳ね上がった。
汗が止まらなくて、呼吸の仕方もわからなくなりそうだった。
「こ、ここは……」
後ろは壁で、周りはカーテンで区切られている。
ベッドで寝てる……ってことは、保健室?
「俺……なんで……」
なんで、ベッドで寝てるんだろう。
そう疑問に思った瞬間、手に何か握っていることに気づいた。
「……何、これ?」
手の平に納まるくらいの石だった。
見る角度によって色が変わるから、多分ただの石じゃない。
「…………。エデン、君……?」
唐突に、何故かそう思った。
これはエデン君の物じゃないか、って。
「俺……どうして……」
なんでエデン君の物を持っていたのか。
そもそも、俺はいったいいつ学校に帰ってきたのか。
(確か……鬼面獣を倒して……そのあと、血を見て……)
思い出そうとして、だけどあの時の光景が怖くて、頭が痛くなった。
血に塗れた、あの光景。
「……ふ……ぅ……っ……」
怖い……自分が一瞬でも無くなって、敵を容赦なく倒す自分が。
我を忘れて、敵を斬る自分が。
「母様……っ」
ボロボロと涙をこぼしながらつぶやく。
もう死んでしまって会えないけど、でも、何かに縋り付きたかった。
「うぇ……ええ……っ」
石を握りしめ、膝を抱えて泣きじゃくった。
自分に縋れるものは何も無いんだ、と孤独感に震えながら。
「……おい」
その時だった。
カーテンの向こう、人の影が写っている。
いつの間にかいた気配に、思わず肩を跳ね上げた。
「だ、誰……っ?」
「僕だ」
カーテンがわずかに開けられた。
その隙間から、ダンジョンで出会ったエデン君が入ってくる。
「エデン君……?」
「ああ。気分はどうだ。大丈夫か?」
入ってきたのはエデン君だった。
両手にマグカップを持っていて、そのまますぐ近くの椅子に腰掛ける。
「ココア入れてきたが……飲めるか?」
「う、うん……ありがとう……」
灰色のマグカップを渡され、とりあえず受け取った。
一口飲むと温かいココアが身に染み渡っていく。
……うん、おいしい。
「……少しは落ち着いたか?」
「うん……ありがとう」
先程と違って、今はすごく落ち着いている。
素直に礼を言いながら、小さく笑顔を浮かべた。
「あの……俺……鬼面獣を倒した辺りから記憶がないんだけど……俺、どうしちゃったの……?」
ココアをもう一口飲んでから、思いきってたずねてみた。
怖い……けど、知らなくちゃ、ダメだよね……。
「……あの後、リンツェは気絶した。僕は気絶したおまえを学校に連れて帰って、真っ先に保健室に寄ったんだ。無人だったから、勝手に失礼してしまったがな」
同じく飲み物を飲んでいるエデンが話し出してくれた。
無人……ってことは、カーチャ先生はいなかった、ってこと?
「とりあえずおまえをベッドに寝かせて、僕は報告もかねて一旦職員室に向かった。……で、職員室に待機していたシュピール先生から、教員たちがダンジョンへ向かったという話を聞いた」
「ダンジョンへ? ……まさか」
……なんか、嫌な予感がする。
「ああ。おまえがダンジョンに置き去りになったため、現在捜索隊が捜しているらしい」
「や、やっぱり……」
い、嫌な予感はしてたけど、やっぱり俺が原因なんだ……。
「どどど、どうしよう……っ! 俺……俺……っ!」
「落ち着け。先生たちはシュピール先生が呼びに向かっている。おまえはここでゆっくり休め」
「……うん」
非常に焦った俺だけど、エデン君に頭を撫でられ、ちょっと落ち着いた。
そのままポフッ、と枕に頭を置く。
「先生たちが戻ってくるまで寝てろ。来たら僕も報告するから」
「うん……」
「よし。……それじゃ」
「え」
エデン君が後ろを向いた。
俺……一人になるの? 一人で待ってるの?
「……やだ……」
「……リンツェ?」
「行っちゃやだ……」
くいっ、とエデン君の制服の端を掴んだ。
一人になったら、多分マイナスの方向に頭が行くと思う。そうなったら先生ともうまく話せなくなる。
「一人はいやだよ……」
エデン君と一緒にいたい。
今、一人になるのは嫌だった。
「…………」
突き刺さるようにエデン君の目が俺を見ている。
やっぱり……呆れてる? 嫌がってる?
それとも……嫌われてる……?
「……ひっく……っ」
どうしよう……もし嫌われてたら……すごく怖い。
……もう、嫌われたくないよ……。
「……リンツェ」
ため息と同時に、俺に腕が伸びてきた。
もしかして、殴るんじゃ……。
不意にそんなこと考えてしまい、思わず目を閉じる。
「わかったから泣きそうになるな。ここにいるから」
頭をポンポン、と撫でられた。
思わず驚いて見上げれば、苦笑した顔が目に映る。
「……ホント?」
「べつに用もないしな。シュピール先生も呼びに向かっているし、急がなくても戻ってくるだろう」
「そう……だよね。……あの、エデン君」
遠慮がちに呼べば「なんだ」と椅子に座りながら返事を返してくれる。
「あの、変な我が儘言って、ごめんなさい……でも、聞いてくれて、ありがとう」
「……礼を言われることじゃないさ」
また頭を撫でられた。
何と無く気恥ずかしくて、もそもそと起き上がった。
「寝てなくていいのか?」
「うん。起きてたい」
「そうか。……飲むか」
「うんっ」
再びマグカップを手渡され、迷うことなくそれを受け取ってココアを口にした。
少し冷めてたけど、それでもさっきより美味しく感じた。
――――
「リンツェ君!」
どれくらい経ったのかな。
エデン君と話していると、大慌てでカーチャ先生が入ってきた。
「せ、先生……」
思わず肩を跳ね上げさせ、怒られるのか、とぎゅっと目をつぶる。
「よかった……よかった! リンツェ君!」
「え……うわ……っ!」
安堵した声が聞こえた、と思ったら、何故かカーチャ先生に抱き着かれた。
「せ、先生……?」
「ホントによかった……途切れた道の奥に閉じ込められたって聞いた時、何かあったらって思ったら……」
「……お、怒らない、ですか?」
「怒る? どうして?」
「だ、だって……先生の言い付け、破って、結界の外に出ちゃって……」
怒るどころか心配してくれている。
戸惑って聞いて見れば、「大丈夫」とカーチャ先生がにっこり笑う。
「リンツェ君がそんなことする子じゃないって知ってるもの」
「え……」
「堕天使だけど先生なのよ? あなたが嘘をついたり、悪いことするような子じゃないってことは、あなたを見ればわかるもの」
「で、でも、俺が勝手に出てったって言ってる人とか……」
「……あの子たちなら、校長先生とドレスデン先生にこってり搾られてるわ」
……今、カーチャ先生の笑顔が、一瞬黒くなったような……。
目を丸くしていると、エデン君が口パクで「何も言うな」と伝えてきた。
えっと……な、何か、触れちゃいけないの、かな……?
「とにかく。リンツェ君は何も心配しなくていいわ。……それより謝るのは私の方ね。ごめんなさい、怖い思いをさせてしまって」
「え? え!?」
カーチャ先生が、俺に頭を下げてる……?
先生が、生徒(俺)に?
「ま、待って、ください……わ、悪いのは、むしろ俺の方です……っ!」
「けど……」
「ホントに大丈夫です! エデン君が助けてくれましたし!」
「……エデン君?」
俺が慌てて言えば、カーチャ先生がようやく俺からエデン君に視線を移した。
「クエストの途中で会いました。放っておけなかったので」
「そう……ありがとう。やっぱりエデン君はさすが、ね」
「人助けは当然ですよ」
二人はにこにこと。すごくにこにこと笑ってる。
……なんだろう。なんか、笑顔に違和感があるような……?
「……リンツェは大丈夫ですよね? 変な噂とか……」
「大丈夫よ。私の威信にかけて、そんなことさせないわ」
「ならいいです。よかったな、リンツェ」
よかったって……何が?
な、なんか、よくわからないんだけど。
「……まあ今日はここまでしましょう。リンツェもショックを受けたり、精神的な面でいろいろと疲れてますし」
「そうね。今は休んだ方がいいわね。リンツェ君やあの子たちの問題はまた後で話し合うわ」
「……というわけだ。リンツェ、休め」
「え? は、はい……?」
なんか、俺を無視して進んでる……?
けどそんなこと言う勇気なんて無いから、とりあえず頷いておいた。
「部屋まで送ろう。カーチャ先生、このあと校長先生に報告ですよね。ここは俺に任せて行っていいですよ」
「………………。心配だけどしかたないわね。リンツェ君、またね」
「は、はい……」
今の沈黙はなんですか……?
何故か怖くてそんなことが聞けず、エデン君に引きずられるように保健室から出て行くのだった。
――――
「……あ。ここだよ。俺の部屋」
「ここか」
方向を言いながらもエデン君にグイグイ引っ張られ、俺の部屋に着いた。
そこでようやく足が止まる。
「じゃあ今日はもう休め。疲れているのに無理したらいけない」
「う、うん。えっと……あ、ありがとう」
礼を言えば、また小さく笑ってくれた。
整った顔立ちだから、やっぱりカッコイイなあ……。
「じゃあ、僕はこれで」
「うん……あ! ま、待って!」
頷いて、でもあることを思い出して慌てて腕を掴んだ。
「どうした?」
「あ、あの……これ……」
掴んだのと反対の手から、あの不思議な石を出した。
「これ……エデン君の……」
「……何故、僕のだと?」
「な、何と無く……です……」
言いかけて、けど途中で小声になる。
何の証拠も無いのに、いったい何を言ってるんだろ、俺……。
「……たしかにこれは僕のだが……良くわかったな」
「……そうなの? 何と無くだけど、エデン君のかなって思って……」
「……そうか。……やっぱり、……い」
「え? 何か言った?」
最後がうまく聞き取れなかったんだけど……。
もう一度聞き返すけど「なんでもない」と言われた。
「あ……じゃあコレ……」
「いい。リンツェにやる」
「え」
やるって……く、くれるってこと?
「で、でも……」
「お守りとして持っていればいい。その“天空の破片”は、装飾品の中でもかなり強力ものだから」
面白そうに笑ってるエデン君。
そ、そんなにすごいアイテムなの……?
「……そういえば。これ、俺が起きた時、すでに持ってたけど……なんで?」
ふと思い出し、思いきってエデン君に聞いてみた。
するとエデン君が、何故か笑いを堪えるような顔をした。
「リンツェを寝かせたあとだ。僕は報告に行きたかったんだが、寝ているはずのおまえが僕の制服を掴んでな。どうやっても離してくれなかったんだが、僕が身につけていたそれを握らせたら、あっさり離してくれた」
「……え、ええええええ!!?」
ひ、引き止めてたって……嘘だ、そんなの記憶に無いよぉ!!
……うん。寝てたから当たり前だけど←
「まあ僕にはあったら便利だ、くらいの物だったからな。だからリンツェにやる」
「う、うん……あり、がとう。エデン君」
結局押しが弱い俺は、エデン君からこれ……天空の破片をもらってしまった。
無くさないよう、強く握りしめる。
「じゃあな。……と、最後に」
今度はエデン君が足を止めた。
俺の顔をじっと見る。
「なに? エデン君」
「……僕のことは“エデン君”じゃなく、“エデン”でいい」
「……!」
驚いて目を見開くと、どこかへ行こうと踵を返した。
「じゃあな。リンツェ」
「あ……う、うん。ま、またね……エデン!」
初めて呼び捨てで呼んだ時、エデン君……エデンがうれしそうに笑った。
――――
その時の笑顔は、今も頭に焼き付いている。
すごくうれしそうで、すごく眩しい笑顔で。
「――エデン」
ぎゅっと、あの時もらった天空の破片を握りしめる。
君はモーディアル学園で、闇の炎とともに消えてしまったから。
「……大丈夫」
俺はまだ負けられない。
世界のため……というより、エデンのために。
「まだ頑張れるから」
エデンと話したい。エデンに会いたい。
俺のすべてを受け入れてくれた、一番大切な親友だから。
「必ず、助けるから」
キミとの思い出
――――
(もう少しだけ待ってて)
(必ず、俺が助けるから)
学校に入る前の頃。この頃は母様や使用人のみんなと屋敷で暮らしていた。
父様と離されたけど、母様も笑っていて。みんなも俺に優しくしてくれて。
この頃は、すごく幸せだった。
「かあさまっ、かあさまっ」
「リンツェ。転びますよ」
庭にある花畑で母様と過ごしていた。
貴族だったから、勉強の他にも剣や魔法も勉強して大変だったけど、普通の子供と変わらないくらい愛してもらっていた。
「かあさま。はな、さいてる」
「そうね。綺麗に咲いているわ」
優しく笑っている母様。
無邪気に笑っている俺。
本当に幸せだった。
――あの日までは。
――――
「……あれ?」
花畑で遊んでいると、ふと、茂みで何かが動いたのが目に映った。
「? なんだろ……」
猫か何かだろうか。多分そんなことを考えていたと思う。
今にして思えば、近寄らなければ少しは変わっていたかもしれない、と何度も思う。
無邪気な俺は、何の疑問もなくそこへ近寄る。
「……死ねッ!!」
近寄った瞬間、銀色に光るナイフと、見慣れない黒い服を着た男が瞳に映った。
「リンツェッ!!」
母様の悲鳴が聞こえた。
同時に視界が影に覆われる。
「――ァ……ッ!」
耳元に響く、肉が裂ける音と母様の短い呻き声。軽い衝撃。
そして鼻に入る……鉄錆に似た臭い。
「か……さま……?」
「チッ……!」
母様がどうなっているのか。男が何をしたのか。一瞬わからなかった。
「リンツェ様! 奥様!」
「賊を捕らえろ!」
使用人たちが駆けてくる。
呆然としていると「クソッ!」と声とともに、母様の身体が俺から離れる。
「こうなったら、せめて王子だけでも……!!」
母様の身体が遠くに放り投げられる。
その時、母様の背中に、ナイフが突き刺さっているのが見えた。
――背中がナイフを中心に赤く染まっていた。
「あ……あ……」
母様の背中から血。
血……紅イ、血……。
「今度こそ……!」
再び振り上げられるナイフが、スローモーションに見えた。
(このひとが……かあさまを……)
――カアサマヲ、コロシタ。
「あ……アアアアアアァァァッ!!!!!」
その事実を認識した瞬間、目の前が真っ白になっていった。
――――
「……うわぁあああっ!!!」
ガバッ! と身体が跳ね上がった。
汗が止まらなくて、呼吸の仕方もわからなくなりそうだった。
「こ、ここは……」
後ろは壁で、周りはカーテンで区切られている。
ベッドで寝てる……ってことは、保健室?
「俺……なんで……」
なんで、ベッドで寝てるんだろう。
そう疑問に思った瞬間、手に何か握っていることに気づいた。
「……何、これ?」
手の平に納まるくらいの石だった。
見る角度によって色が変わるから、多分ただの石じゃない。
「…………。エデン、君……?」
唐突に、何故かそう思った。
これはエデン君の物じゃないか、って。
「俺……どうして……」
なんでエデン君の物を持っていたのか。
そもそも、俺はいったいいつ学校に帰ってきたのか。
(確か……鬼面獣を倒して……そのあと、血を見て……)
思い出そうとして、だけどあの時の光景が怖くて、頭が痛くなった。
血に塗れた、あの光景。
「……ふ……ぅ……っ……」
怖い……自分が一瞬でも無くなって、敵を容赦なく倒す自分が。
我を忘れて、敵を斬る自分が。
「母様……っ」
ボロボロと涙をこぼしながらつぶやく。
もう死んでしまって会えないけど、でも、何かに縋り付きたかった。
「うぇ……ええ……っ」
石を握りしめ、膝を抱えて泣きじゃくった。
自分に縋れるものは何も無いんだ、と孤独感に震えながら。
「……おい」
その時だった。
カーテンの向こう、人の影が写っている。
いつの間にかいた気配に、思わず肩を跳ね上げた。
「だ、誰……っ?」
「僕だ」
カーテンがわずかに開けられた。
その隙間から、ダンジョンで出会ったエデン君が入ってくる。
「エデン君……?」
「ああ。気分はどうだ。大丈夫か?」
入ってきたのはエデン君だった。
両手にマグカップを持っていて、そのまますぐ近くの椅子に腰掛ける。
「ココア入れてきたが……飲めるか?」
「う、うん……ありがとう……」
灰色のマグカップを渡され、とりあえず受け取った。
一口飲むと温かいココアが身に染み渡っていく。
……うん、おいしい。
「……少しは落ち着いたか?」
「うん……ありがとう」
先程と違って、今はすごく落ち着いている。
素直に礼を言いながら、小さく笑顔を浮かべた。
「あの……俺……鬼面獣を倒した辺りから記憶がないんだけど……俺、どうしちゃったの……?」
ココアをもう一口飲んでから、思いきってたずねてみた。
怖い……けど、知らなくちゃ、ダメだよね……。
「……あの後、リンツェは気絶した。僕は気絶したおまえを学校に連れて帰って、真っ先に保健室に寄ったんだ。無人だったから、勝手に失礼してしまったがな」
同じく飲み物を飲んでいるエデンが話し出してくれた。
無人……ってことは、カーチャ先生はいなかった、ってこと?
「とりあえずおまえをベッドに寝かせて、僕は報告もかねて一旦職員室に向かった。……で、職員室に待機していたシュピール先生から、教員たちがダンジョンへ向かったという話を聞いた」
「ダンジョンへ? ……まさか」
……なんか、嫌な予感がする。
「ああ。おまえがダンジョンに置き去りになったため、現在捜索隊が捜しているらしい」
「や、やっぱり……」
い、嫌な予感はしてたけど、やっぱり俺が原因なんだ……。
「どどど、どうしよう……っ! 俺……俺……っ!」
「落ち着け。先生たちはシュピール先生が呼びに向かっている。おまえはここでゆっくり休め」
「……うん」
非常に焦った俺だけど、エデン君に頭を撫でられ、ちょっと落ち着いた。
そのままポフッ、と枕に頭を置く。
「先生たちが戻ってくるまで寝てろ。来たら僕も報告するから」
「うん……」
「よし。……それじゃ」
「え」
エデン君が後ろを向いた。
俺……一人になるの? 一人で待ってるの?
「……やだ……」
「……リンツェ?」
「行っちゃやだ……」
くいっ、とエデン君の制服の端を掴んだ。
一人になったら、多分マイナスの方向に頭が行くと思う。そうなったら先生ともうまく話せなくなる。
「一人はいやだよ……」
エデン君と一緒にいたい。
今、一人になるのは嫌だった。
「…………」
突き刺さるようにエデン君の目が俺を見ている。
やっぱり……呆れてる? 嫌がってる?
それとも……嫌われてる……?
「……ひっく……っ」
どうしよう……もし嫌われてたら……すごく怖い。
……もう、嫌われたくないよ……。
「……リンツェ」
ため息と同時に、俺に腕が伸びてきた。
もしかして、殴るんじゃ……。
不意にそんなこと考えてしまい、思わず目を閉じる。
「わかったから泣きそうになるな。ここにいるから」
頭をポンポン、と撫でられた。
思わず驚いて見上げれば、苦笑した顔が目に映る。
「……ホント?」
「べつに用もないしな。シュピール先生も呼びに向かっているし、急がなくても戻ってくるだろう」
「そう……だよね。……あの、エデン君」
遠慮がちに呼べば「なんだ」と椅子に座りながら返事を返してくれる。
「あの、変な我が儘言って、ごめんなさい……でも、聞いてくれて、ありがとう」
「……礼を言われることじゃないさ」
また頭を撫でられた。
何と無く気恥ずかしくて、もそもそと起き上がった。
「寝てなくていいのか?」
「うん。起きてたい」
「そうか。……飲むか」
「うんっ」
再びマグカップを手渡され、迷うことなくそれを受け取ってココアを口にした。
少し冷めてたけど、それでもさっきより美味しく感じた。
――――
「リンツェ君!」
どれくらい経ったのかな。
エデン君と話していると、大慌てでカーチャ先生が入ってきた。
「せ、先生……」
思わず肩を跳ね上げさせ、怒られるのか、とぎゅっと目をつぶる。
「よかった……よかった! リンツェ君!」
「え……うわ……っ!」
安堵した声が聞こえた、と思ったら、何故かカーチャ先生に抱き着かれた。
「せ、先生……?」
「ホントによかった……途切れた道の奥に閉じ込められたって聞いた時、何かあったらって思ったら……」
「……お、怒らない、ですか?」
「怒る? どうして?」
「だ、だって……先生の言い付け、破って、結界の外に出ちゃって……」
怒るどころか心配してくれている。
戸惑って聞いて見れば、「大丈夫」とカーチャ先生がにっこり笑う。
「リンツェ君がそんなことする子じゃないって知ってるもの」
「え……」
「堕天使だけど先生なのよ? あなたが嘘をついたり、悪いことするような子じゃないってことは、あなたを見ればわかるもの」
「で、でも、俺が勝手に出てったって言ってる人とか……」
「……あの子たちなら、校長先生とドレスデン先生にこってり搾られてるわ」
……今、カーチャ先生の笑顔が、一瞬黒くなったような……。
目を丸くしていると、エデン君が口パクで「何も言うな」と伝えてきた。
えっと……な、何か、触れちゃいけないの、かな……?
「とにかく。リンツェ君は何も心配しなくていいわ。……それより謝るのは私の方ね。ごめんなさい、怖い思いをさせてしまって」
「え? え!?」
カーチャ先生が、俺に頭を下げてる……?
先生が、生徒(俺)に?
「ま、待って、ください……わ、悪いのは、むしろ俺の方です……っ!」
「けど……」
「ホントに大丈夫です! エデン君が助けてくれましたし!」
「……エデン君?」
俺が慌てて言えば、カーチャ先生がようやく俺からエデン君に視線を移した。
「クエストの途中で会いました。放っておけなかったので」
「そう……ありがとう。やっぱりエデン君はさすが、ね」
「人助けは当然ですよ」
二人はにこにこと。すごくにこにこと笑ってる。
……なんだろう。なんか、笑顔に違和感があるような……?
「……リンツェは大丈夫ですよね? 変な噂とか……」
「大丈夫よ。私の威信にかけて、そんなことさせないわ」
「ならいいです。よかったな、リンツェ」
よかったって……何が?
な、なんか、よくわからないんだけど。
「……まあ今日はここまでしましょう。リンツェもショックを受けたり、精神的な面でいろいろと疲れてますし」
「そうね。今は休んだ方がいいわね。リンツェ君やあの子たちの問題はまた後で話し合うわ」
「……というわけだ。リンツェ、休め」
「え? は、はい……?」
なんか、俺を無視して進んでる……?
けどそんなこと言う勇気なんて無いから、とりあえず頷いておいた。
「部屋まで送ろう。カーチャ先生、このあと校長先生に報告ですよね。ここは俺に任せて行っていいですよ」
「………………。心配だけどしかたないわね。リンツェ君、またね」
「は、はい……」
今の沈黙はなんですか……?
何故か怖くてそんなことが聞けず、エデン君に引きずられるように保健室から出て行くのだった。
――――
「……あ。ここだよ。俺の部屋」
「ここか」
方向を言いながらもエデン君にグイグイ引っ張られ、俺の部屋に着いた。
そこでようやく足が止まる。
「じゃあ今日はもう休め。疲れているのに無理したらいけない」
「う、うん。えっと……あ、ありがとう」
礼を言えば、また小さく笑ってくれた。
整った顔立ちだから、やっぱりカッコイイなあ……。
「じゃあ、僕はこれで」
「うん……あ! ま、待って!」
頷いて、でもあることを思い出して慌てて腕を掴んだ。
「どうした?」
「あ、あの……これ……」
掴んだのと反対の手から、あの不思議な石を出した。
「これ……エデン君の……」
「……何故、僕のだと?」
「な、何と無く……です……」
言いかけて、けど途中で小声になる。
何の証拠も無いのに、いったい何を言ってるんだろ、俺……。
「……たしかにこれは僕のだが……良くわかったな」
「……そうなの? 何と無くだけど、エデン君のかなって思って……」
「……そうか。……やっぱり、……い」
「え? 何か言った?」
最後がうまく聞き取れなかったんだけど……。
もう一度聞き返すけど「なんでもない」と言われた。
「あ……じゃあコレ……」
「いい。リンツェにやる」
「え」
やるって……く、くれるってこと?
「で、でも……」
「お守りとして持っていればいい。その“天空の破片”は、装飾品の中でもかなり強力ものだから」
面白そうに笑ってるエデン君。
そ、そんなにすごいアイテムなの……?
「……そういえば。これ、俺が起きた時、すでに持ってたけど……なんで?」
ふと思い出し、思いきってエデン君に聞いてみた。
するとエデン君が、何故か笑いを堪えるような顔をした。
「リンツェを寝かせたあとだ。僕は報告に行きたかったんだが、寝ているはずのおまえが僕の制服を掴んでな。どうやっても離してくれなかったんだが、僕が身につけていたそれを握らせたら、あっさり離してくれた」
「……え、ええええええ!!?」
ひ、引き止めてたって……嘘だ、そんなの記憶に無いよぉ!!
……うん。寝てたから当たり前だけど←
「まあ僕にはあったら便利だ、くらいの物だったからな。だからリンツェにやる」
「う、うん……あり、がとう。エデン君」
結局押しが弱い俺は、エデン君からこれ……天空の破片をもらってしまった。
無くさないよう、強く握りしめる。
「じゃあな。……と、最後に」
今度はエデン君が足を止めた。
俺の顔をじっと見る。
「なに? エデン君」
「……僕のことは“エデン君”じゃなく、“エデン”でいい」
「……!」
驚いて目を見開くと、どこかへ行こうと踵を返した。
「じゃあな。リンツェ」
「あ……う、うん。ま、またね……エデン!」
初めて呼び捨てで呼んだ時、エデン君……エデンがうれしそうに笑った。
――――
その時の笑顔は、今も頭に焼き付いている。
すごくうれしそうで、すごく眩しい笑顔で。
「――エデン」
ぎゅっと、あの時もらった天空の破片を握りしめる。
君はモーディアル学園で、闇の炎とともに消えてしまったから。
「……大丈夫」
俺はまだ負けられない。
世界のため……というより、エデンのために。
「まだ頑張れるから」
エデンと話したい。エデンに会いたい。
俺のすべてを受け入れてくれた、一番大切な親友だから。
「必ず、助けるから」
キミとの思い出
――――
(もう少しだけ待ってて)
(必ず、俺が助けるから)