Short Story
ぽろり、と落ちる音が聞こえた。
彼女の目から1粒涙がこぼれ落ちて、それに「綺麗だ」なんて馬鹿みたいな感想が湧いてくる。
ついで「あ、やべ」とあせりがジワジワと心臓を責め立てる。
やばい、泣かせた。あの彼女を。どれだけキツいマネージャー業でも泣き言ひとつ言わずに他のマネージャーや選手たちを鼓舞する彼女を。
気が強くて口が悪くて、でも誰よりも部のことを考えていて優しい彼女に1粒でも涙を流させてしまった。
「、、ああ、そう、」
少し震えた声で彼女が呟く。諦めとも怒りともとれるその冷たい声にこちらまで震えてしまいそうになる。やばい。これは完全に、怒らせてしまった。
「あんたにとっては、所詮その程度ってこと」
何か言い訳を、と慣れない思考をぐるぐると回転させてせめてもの弁明を吐き出そうとしたが彼女のひっくい声ですべて消し飛んでしまった。倉持のことを元ヤン、元ヤンと揶揄うわりにお前も人のこと言えねぇんじゃねぇのと場違いな感想が零れそうになる。もう焦りすぎて一周まわって冷静なんじゃないか。
彼女が少し早足で教室から出ていく。引き留めようにもなにも謝罪や弁解の言葉が出てこないのだから止めたところでまた怒らせてしまう。彼女の名を呼ぼうとした口からはなんの意味もなさない息しか出てこなかった。
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『お前、そんな恋愛にうつつ抜かしてる暇あんの?俺は別に興味ねぇけど部に迷惑だけはかけんなよ』
などと御幸にほざかれてはや数日。
「ほんっっっっっっとにあのメガネありえないんだけど!!!!!!!」
「っるせぇ!!!声でけぇよ!!」
怒りは収まることを知らなかった。
バスケ部のイケメンに告白されて結構嬉しかったからルンルンで報告したのにあのメガネのせいで台無しだ。口下手というか人の気持ち考えないとは知っていたが今回のこれはその一言じゃまとめきれないほど酷かった。
それこそ、普段だったら誰にも言わずにとりあえず頭冷やしてそこから関係の修復に向かえるのに今回は何日も根に持って倉持に泣きついている始末だ。というか相談相手が倉持くらいしか居ない。なぜならあのメガネの事をちゃんと分かっている友達がコイツだけだからだ。数日間極力関わらない、喋らない、近づかないという冷戦を御幸と一方的に行っているが向こうからのアクションは何も無い。
「私が、いつ、恋愛にうつつを抜かして仕事を疎かにしたよ。はあ?????ここまでやってきた私の仕事に対する冒涜なんだけどアイツ殺していい???」
「おお、やっちまえやっちまえ」
「めんどくさくなってんじゃない!ベッド下漁られたいの!」
「それは勘弁してくれ俺だけの問題じゃねぇんだ」
こいつらの性癖になんて興味はないが話を聞かないならこちらも強硬手段を選ばざるを得ない。監督にまで性癖知られちまえばいいんだ。
あの後、御幸といた教室から逃げ出したあとたまたま遭遇した倉持を前にどうしても堪えきれず泣いてしまった。『付き合うなら断然倉持』というクラスの女子からの絶大な支持どおりに優しさでできている倉持は、突然泣き出した私に動揺するも、一旦泣き止ませてその時は時間が無いからと「後で話を聞く」と日と場所を変えてくれた。なんて気遣いのデキる男なんだろうか。
1度場所と時間を変えて一連の流れを説明すると死ぬほど嫌そうな顔をした後に大きくため息をつかれた。
「それで?本当に泣いた理由は『仕事を冒涜されたから』じゃねぇんだろ?誤魔化してねぇでさっさと言えって」
「、っなんだ気づいてたの?」
細かいところまで見てんなぁと思わず感心してしまう。チームのバランサーになっている倉持だからこそ気づいたのだろう。頭が上がらない。
確かに、仕事を蔑ろにすると思われていたこともショックだった。でも、それ以上に
「『俺には別に関係ない』ってさ、私が誰と付き合おうと」
結構イイ感じだと思ってたんだけどなぁ、と独りごちる。普段の私なら『仕事を疎かにするな』くらい言われたところでキレて亮さん直伝のチョップをかますくらいはするが泣いたりはしない。そんなことで泣いていてやっていけるほど世の中は女の涙に優しくない。だから簡単に泣いてやったりしない。何があっても中指立てて鼻で笑ってやる気概を身につけていた。でも、
「好きな人に、『お前のことなんか興味無い』って遠回しに言われたら、さすがに私も傷つくらしいよ」
「、、、ほんとに男の趣味が悪いな、お前は」
「ははっ全くだよ」
呆れたように倉持が笑う。こうやってコイツに泣きつくのも何度目だろう。あのメガネに関してのことでは倉持のことを避難所のように使ってしまっているような気がする。倉持にこの恋心を見抜かれてからずっと、いやいや言いながらも話を聞いてくれる優しさに甘えて続けている。
ショックだった。自分には関係ないけどなんて言って欲しくなかった。別に両思いじゃなくても、付き合えなくてもそれで良かった。お互いに忙しい身だし邪魔をするなんて以ての外。
だから、すこし特別な友人でいいから傍で笑っていたかっただけ。
それにもなれていないなんて思わなかったけど案外私は自惚れていたらしい。所詮、使えるマネージャー。所詮、都合のいいクラスメイト。それが私とあの男との関係だった。
「、、、いかん、雨が降ってきたな」
「カッコつけんなよお前に大佐は無理だぜ」
「誤魔化されてよ!気が利かないな!!」
ポロポロとこぼれ落ちてしまうものを雨だと誤魔化すこの名シーンが通用しなかった。そうなるともう泣いていますと白状するしかない。先程まで怒りで止まっていた涙がまた溢れはじめる。情けない。本当に情けない。恋とは本当に厄介なもので人をここまで弱らせる。倉持だって困るに決まっているのに、相談して暴言吐いて勝手に泣いて。大声でツッコミを入れることでなんとか誤魔化したつもりだったが、雨は止まらないし声は震えていた。
「泣くなよ、あいつには勿体ねぇから」
「っカッコイイかよ」
倉持なりの不器用な励ましにまた涙が落ちる。倉持も大概器用な男ではない。なのにこの気遣いのさである。やっぱりあのメガネが人のここ無さすぎる。それだけで泣いているのも馬鹿らしいと思うのに、どうしてか涙は止まってくれなかった。倉持の手が私に向かって伸ばされる。頭でも撫でて慰めようとしてくれるのか、やっぱりどこまでも優しいやつだ。
しかし、その手は私に届くことは無かった。
二の腕を誰かに捕まれ、体が後ろに引っ張られる。突然の事で声も出なかった。一体誰が、どうして、と言葉にならない驚愕を頭の中に並べていると後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「なんで泣いてんの」
私を後ろに引いたのは今回の原因その人だった。いつもより幾分か険しい顔でこちらを見下ろす御幸。しかし、その発言はあまりにも無責任なもので。お前の発言でこんなにも弱って、倉持に相談しているというのに、何故お前がそんな不服な顔をする、と怒りが募っていく。
「っアンタのせいだわクソメガネ!!!!」
「エッ」
「このデリカシーなし男!!!!もげろ!!!」
あまりの怒りに小学生レベルの罵倒しか出てこない。なにを無責任に、「なんで泣いてんの」
だ。お前のせいだ。お前が私に興味無いなんて言うから、私はこんなにも傷ついているのに。
怒りで涙も引っ込んでいく。しかしその悲しみだけは心にこびりついて離れなかった。
「っ倉持!!!解散!!もうこいつに期待なんてしない!!!!!」
「アー、お前がいいならそれでいいんじゃねぇの、?」
「いいの!!!!解散!!!!!」
感情のままに『もう御幸に期待なんてしない』と宣言する。倉持は何か言いたげな様子だったが私をみて何も言わないことを判断した。もう、もう期待しない。御幸が私に興味なんてなくても、もう傷ついてやったりしない。ただの使えるマネージャーでいい。もうこの心に諦めをつけるから、だから早くこの痛みから解放されたかった。
戸惑う2人を置き去りにしてその場を離れる。完全に八つ当たりだけどこれは御幸が悪い。あんのメガネ。何がとは言わないがもげてしまえばいいんだ。御幸が私を引き留めようと手を伸ばしたが無視して先へ進んだ。今振り返ったら、きっとまた私のズタボロの恋心がバラバラになってしまうだろうから。『興味が無い』なら期待をさせるな。泣いている私を追いかけようなんてするな。
お願いだから、これ以上私を弱い女にしないで。
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「、、、」
「、、、」
部活終わり、寮のベンチに腰掛ける私の横にやってきた男が1人。例のクソメガネだった。何の用だかは知らないがただ横に座って黙り込んでいる。余計なことしか言わない口は一生開かなきゃいいがここまで黙りこまれるといっそ恐怖を感じる。
あれからそれとなく御幸を避けて、会話も最低限にわざとしている。そのことは事実だがじっさい生活や部活に影響を出すほどのものでは無い。むしろ邪魔にならないよう気を使っているほどだ。どうでもいい女が周りに居たら邪魔だろうと考えてやっているのに何故かこの男は私の横に図々しくも座っていた。
「あの、さ」
「、、、、なに」
御幸がその重い口を開いて何かを伝えようとしてくる。その声は震えていて柄にもなく緊張していることが分かる。怒られるかと思っていたのに正直驚いた。しかしまだどんな文句が出てくるか分からない。さらに私はまだキレている。そんな感情によって低くなっている私の声を咎める存在派残念ながらその場にはいなかった。
「わ、悪かった、デス」
「なにが」
「えっ、あ、あんなこと言ったこと、?」
御幸の口から飛び出てきたのは謝罪だった。どうやら「お前のせいだ」とキレたことが一連の「告白騒動」のことだと気づいたらしい。それで、私に酷いことを言ったと謝りに来たらしいが思わず怪訝そうな顔をしてしまう。
だってこいつ、なにが悪いか分かってない。
「あんなって何」
「仕事疎かにするとか言ったこと、?」
「、、、っはァー」
「ため息!?」
やっぱり分かっていなかった。私が怒っているのが「御幸にマネの仕事をバカにされたから」だと思い込んでいる。つくづくこの男のコミュニケーション能力に呆れてしまう。どんだけ察しが悪いんだ。そんな感情がため息となって口から出れば、目の前の御幸が理解できないと言わんばかりに驚いた声を上げる。そう言いたいのはこっちのセリフだバカメガネ。
だが本当に落ち込んだ理由を自分から話す訳にも行かない。もう期待をしないと誓った以上時分から告白まがいのことなど出来るはずがない。
「なんで、あんなこと言ったの」
「あー、いやその」
「なに」
言い訳ぐらいは聞いてやろうと話を振れば途端に慌て出す御幸。最近この男の情けないところしか見ていない気がする。そんな彼を見ても、私は未だ自分の浅はかな感情を殺しきれていない。好きになった方が負け、とはよく言ったものである。一向に話を進めようとしない御幸を無言の圧で促す。黙ってじっと見つめればわたしの意図に気づいたのかしどろもどろに話し始めた。
「わかんねぇんだよ、俺も」
「、、は?」
「わかんねぇんだけど、お前とバスケ部の奴が付き合うって考えたらなんか嫌で。面白くねえって言うか、」
「え」
「ただの友達ってか部活の仲間がこんなこと考えるなんておかしいんだけど、なんか癪だったっていうか、わかんねぇけど行かせたくなくてとっさにあんなこと言ったんじゃねぇかなって」
だから、ごめん、と言う御幸に開いた口が塞がらない。こいつは今、なんと言った。言われたことに理解が追いつかない。そもそも、あのことを言った理由が自分にも明確に分かっていない。それで私がバスケ部のイケメンと付き合うのが嫌で、付き合って欲しくないからあんなことを言ってしまった、かもしれないと。
でもこの男の中で私は『ただの友達、部活仲間』らしい。そこまで答えが出ていてどうしてその関係性にその名前をつけるのか。
もう何を言っても無駄な気がしてくる。きっと私は一生振り回される運命なのだろう。この男を思う限り何度もモヤモヤして殴りかかりそうになるのがもう見えてしまった。もう何も言えないほど疲れ切ってしまった私の口から出るのはため息のみ。先程のため息よりさらに長く息を吐き出すとまたさっきのようにおどろく御幸。自分が何を言ってるのか少しもわかっていないらしい。
「わかった、『私の仕事を愚弄したこと』は許す」
「え」
「でも残りのことは許さない」
「エッ」
「許さねぇわバァカ!!!!お前も一生モヤモヤしてろバァカ!!!!」
勢いよくベンチから立ち上がってその場を離れる。まだ混乱している御幸を置き去りにして。私と同じ目にあえばいい。なんで怒られてるのかも分からないままでモヤモヤすればいい。それでいつか、自分の気持ちに気づいた時に羞恥心と私への申し訳なさを理解したら、その時は許してやろう。
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