紫煙に抱かれて
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最初の出会いは、野外喫煙所だった。高校時代の先輩が在籍しており、その先輩から教科書を貰うために研究室へ立ち寄った時だ。学内の木々は青々と茂っている。
財前は初めて行く建物のせいで周囲をきょろきょろと見渡しながら歩いていると、入り口の辺りで目当ての先輩が立っていた。すぐに受け取り、帰ろうとしたが、財前の足は素直に動かなかった。なんとなく、だ。なんとなくの気分で研究室のある建物より奥の場所へと向かっていた。
人気のない喫煙所。錆びた灰皿スタンドにベンチ。更に奥に見える新緑から差す光との不釣り合いさに奇妙さを覚えた。
こんな空間があったのか、と思ったつかの間、一人の女性がベンチに座っていた。不思議と脳内に危険信号が走った財前は、踵を返そうとした。しかし、その姿をしかと見られたために、声がかかる。
「学部生?」
その女性の声に、思わず振り返った。
「……そうです」
肯定すると、その女性は財前を手招きして呼び寄せた。言われるがまま近寄ると、隣に腰を掛けろと言うように、女性はベンチを指差す。財前が腰掛けると満足そうに笑った。
「君、高橋の後輩やろ」
高橋というのは、先程財前に教科書を渡した先輩の名前。
「そうですけど、」
「当たった~」
ふにゃふにゃとだらしない態度に、財前はなんやこいつ、と思わざるを得ない。
「名前、なんて言うん? 私、名前」
「財前、です」
「ちゃう。下」
「……光」
「光な。わかった」
数度頷くと、名前は灰皿に煙草を押し付けた。そして、財前を放って研究室へと戻っていった。
それきりであったはずなのに、俺はわざわざ高橋先輩に再び教科書を借りに行った。借りた後はすぐに喫煙所へ向かう。煙草など吸いもしないのに、財前の足は真っ直ぐ喫煙所に。
「あ、光クンや」
「……どもっす」
以前と変わらぬ飄々とした雰囲気を纏った名前。彼女は慣れた手つきでケースから煙草を取り出し、火を点ける。その瞬間の伏目がちの羽ばたく睫毛に目がいった。
財前の目線がうるさかったのか、名前はちらりと顔色を覗いてから嘲笑った。
「ええよ、別に。いつ来たって」
「来たいとは一言も言うてませんけど」
「顔に書いとる」
言い切られ、思わず頬を撫でる。
全て知ったように話す女に苛立ちを隠せない財前は荒々しくベンチに腰掛けた。相変わらず座り心地の悪いベンチ。勝手に眉間に皺が寄る。
「味見、する?」
既に口を付けた煙草を、財前に見せつけるように近づける。
「ええです」
誘いを一蹴するが、名前は気にする素振りを見せず隣に腰掛けた。
「光クン、好きな食べ物何」
「……白玉善哉」
「へえ、ええやん」
面白味に欠ける会話。名前は口角を上げたままで、こちらを見ることは一向にない。
「それなら、これは口に合いそうにないなあ」
フーッと澱んだ空気を吐き出すと、漸く財前の方を向いた。何を考えているのか分からない、ガラス玉が見つめる。財前の背筋は震えた。これは恐怖か、好奇心か。はたまた別の何かか。
ゴクリ、と喉が動いた刹那。財前の唇に何かが触れた。ちゅる、と味見をするような口づけ。
「まっず」
更に顔をしかめると、彼女は再び吸い、煙を燻らした。
「はっはっは。ええ顔やで」
次が見えない挙動は、財前の好奇心を煽った。財前が帰ろうと立ち上がると、名前は煙草を灰皿に潰しながら、挑発を重ねる。
「どうせ、また来るやろ」
財前は何も言わなかった。言わずにその場を後にした。財前の中で生まれたのは、理由のわからない熱だけだった。
その後、財前は名前の言う通り、何度も喫煙所へと足を運んだ。大して会話をするわけでもないのに、本能がその場、その空間を求めていて、理屈では説明できない何かが財前を突き動かしていた。他の学内で会うこともなく、互いに喫煙所以外での姿を知らない。
「禁煙、せえへんのですか」
とある日の二人きりの野外喫煙所。日差しが強くなってきたが、日当たりの悪いこの場所はあまり関係がない。
「……してほしい?」
「まあ、俺もスポーツマンなんで」
「どの口が言うてんの。元やろ、元」
財前が押し黙ると、名前はクツクツと気味悪く笑った。煙草を持った手を額に当てて、太腿を肘置きにしている。
「ほな、付き合うてくれる?禁煙」
「なんで俺が」
「してくれへんのやったら吸い続けるだけやわ」
財前は投げつけられた、試すような目に無性に腹が立った。
「どうすんの」
挑発的な目の前の女を黙らせたい。財前は名前の手首を掴み、触れるだけの口付けをした。
「ええですよ。名前さんがそれでええなら」
「ははっ……ええ度胸や」
売り言葉に買い言葉から生まれた約束を取り付けてからというもの、会う度に唇を重ねた。そのキスに情はなく、ただ禁煙するための道具としてしか認識していなかった。
「あんたの口めっちゃ甘い」
ぺぺぺ、と舌を出して嫌がる素振りを見せる名前。財前はその態度を屁とも思わず、けろっとした態度で言い返す。
「さっきまで善哉食うてたんで」
「お茶ぐらい飲んだらええやん」
「ヤニ臭いのに言われたない」
「せやったら来んかったらええやん。私は禁煙せんでええし」
「嫌や」
「もうええで。帰り」
以前より会話する頻度が減った。キスをすればそれで終わり。酷く味気ない逢瀬へと色落ちている。
「俺が固執する理由、聞かへんのですか」
「別に。興味ない」
名前がどう思おうが、関係ない。だが、財前にとってはそれが我慢ならなかった。抱える感情の違いに心底腹が立った。
財前は無理やり名前の手首を掴み、もう片方の手で後頭部を押さえつけた。熱の篭った舌は自由に暴れ、名前の力を奪っていく。
「っ、ン、ふぅ…」
財前は昂っていた。一方的であったとしても、初めて情を孕んだ口付けだったから。名前は財前を引き剥がすと、肩を上下させて呼吸を整えていた。
「いつまで……やってんねん……」
「名前さんが、俺がおらなあかんって思うまで」
財前はこの時初めて笑った。名前の顔に、笑みではなく、焦燥の色が見えたから。
「……殺す気か」
「まあ、ある意味」
財前は初めて行く建物のせいで周囲をきょろきょろと見渡しながら歩いていると、入り口の辺りで目当ての先輩が立っていた。すぐに受け取り、帰ろうとしたが、財前の足は素直に動かなかった。なんとなく、だ。なんとなくの気分で研究室のある建物より奥の場所へと向かっていた。
人気のない喫煙所。錆びた灰皿スタンドにベンチ。更に奥に見える新緑から差す光との不釣り合いさに奇妙さを覚えた。
こんな空間があったのか、と思ったつかの間、一人の女性がベンチに座っていた。不思議と脳内に危険信号が走った財前は、踵を返そうとした。しかし、その姿をしかと見られたために、声がかかる。
「学部生?」
その女性の声に、思わず振り返った。
「……そうです」
肯定すると、その女性は財前を手招きして呼び寄せた。言われるがまま近寄ると、隣に腰を掛けろと言うように、女性はベンチを指差す。財前が腰掛けると満足そうに笑った。
「君、高橋の後輩やろ」
高橋というのは、先程財前に教科書を渡した先輩の名前。
「そうですけど、」
「当たった~」
ふにゃふにゃとだらしない態度に、財前はなんやこいつ、と思わざるを得ない。
「名前、なんて言うん? 私、名前」
「財前、です」
「ちゃう。下」
「……光」
「光な。わかった」
数度頷くと、名前は灰皿に煙草を押し付けた。そして、財前を放って研究室へと戻っていった。
それきりであったはずなのに、俺はわざわざ高橋先輩に再び教科書を借りに行った。借りた後はすぐに喫煙所へ向かう。煙草など吸いもしないのに、財前の足は真っ直ぐ喫煙所に。
「あ、光クンや」
「……どもっす」
以前と変わらぬ飄々とした雰囲気を纏った名前。彼女は慣れた手つきでケースから煙草を取り出し、火を点ける。その瞬間の伏目がちの羽ばたく睫毛に目がいった。
財前の目線がうるさかったのか、名前はちらりと顔色を覗いてから嘲笑った。
「ええよ、別に。いつ来たって」
「来たいとは一言も言うてませんけど」
「顔に書いとる」
言い切られ、思わず頬を撫でる。
全て知ったように話す女に苛立ちを隠せない財前は荒々しくベンチに腰掛けた。相変わらず座り心地の悪いベンチ。勝手に眉間に皺が寄る。
「味見、する?」
既に口を付けた煙草を、財前に見せつけるように近づける。
「ええです」
誘いを一蹴するが、名前は気にする素振りを見せず隣に腰掛けた。
「光クン、好きな食べ物何」
「……白玉善哉」
「へえ、ええやん」
面白味に欠ける会話。名前は口角を上げたままで、こちらを見ることは一向にない。
「それなら、これは口に合いそうにないなあ」
フーッと澱んだ空気を吐き出すと、漸く財前の方を向いた。何を考えているのか分からない、ガラス玉が見つめる。財前の背筋は震えた。これは恐怖か、好奇心か。はたまた別の何かか。
ゴクリ、と喉が動いた刹那。財前の唇に何かが触れた。ちゅる、と味見をするような口づけ。
「まっず」
更に顔をしかめると、彼女は再び吸い、煙を燻らした。
「はっはっは。ええ顔やで」
次が見えない挙動は、財前の好奇心を煽った。財前が帰ろうと立ち上がると、名前は煙草を灰皿に潰しながら、挑発を重ねる。
「どうせ、また来るやろ」
財前は何も言わなかった。言わずにその場を後にした。財前の中で生まれたのは、理由のわからない熱だけだった。
その後、財前は名前の言う通り、何度も喫煙所へと足を運んだ。大して会話をするわけでもないのに、本能がその場、その空間を求めていて、理屈では説明できない何かが財前を突き動かしていた。他の学内で会うこともなく、互いに喫煙所以外での姿を知らない。
「禁煙、せえへんのですか」
とある日の二人きりの野外喫煙所。日差しが強くなってきたが、日当たりの悪いこの場所はあまり関係がない。
「……してほしい?」
「まあ、俺もスポーツマンなんで」
「どの口が言うてんの。元やろ、元」
財前が押し黙ると、名前はクツクツと気味悪く笑った。煙草を持った手を額に当てて、太腿を肘置きにしている。
「ほな、付き合うてくれる?禁煙」
「なんで俺が」
「してくれへんのやったら吸い続けるだけやわ」
財前は投げつけられた、試すような目に無性に腹が立った。
「どうすんの」
挑発的な目の前の女を黙らせたい。財前は名前の手首を掴み、触れるだけの口付けをした。
「ええですよ。名前さんがそれでええなら」
「ははっ……ええ度胸や」
売り言葉に買い言葉から生まれた約束を取り付けてからというもの、会う度に唇を重ねた。そのキスに情はなく、ただ禁煙するための道具としてしか認識していなかった。
「あんたの口めっちゃ甘い」
ぺぺぺ、と舌を出して嫌がる素振りを見せる名前。財前はその態度を屁とも思わず、けろっとした態度で言い返す。
「さっきまで善哉食うてたんで」
「お茶ぐらい飲んだらええやん」
「ヤニ臭いのに言われたない」
「せやったら来んかったらええやん。私は禁煙せんでええし」
「嫌や」
「もうええで。帰り」
以前より会話する頻度が減った。キスをすればそれで終わり。酷く味気ない逢瀬へと色落ちている。
「俺が固執する理由、聞かへんのですか」
「別に。興味ない」
名前がどう思おうが、関係ない。だが、財前にとってはそれが我慢ならなかった。抱える感情の違いに心底腹が立った。
財前は無理やり名前の手首を掴み、もう片方の手で後頭部を押さえつけた。熱の篭った舌は自由に暴れ、名前の力を奪っていく。
「っ、ン、ふぅ…」
財前は昂っていた。一方的であったとしても、初めて情を孕んだ口付けだったから。名前は財前を引き剥がすと、肩を上下させて呼吸を整えていた。
「いつまで……やってんねん……」
「名前さんが、俺がおらなあかんって思うまで」
財前はこの時初めて笑った。名前の顔に、笑みではなく、焦燥の色が見えたから。
「……殺す気か」
「まあ、ある意味」
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