マイナスからのキスを君に
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「ここ、だよね……」
電車に揺られ辿り着いた場所は某所のテニスコート。周囲を見渡せば、さまざまなカラーを身に纏った選手達が点在していたが、すぐに芥子色のジャージが目に留まる。そして一点の赤にも目がいった。
もうすぐ試合が始まるようで真田君からの激励が飛んでいる。そんな姿を遠目に見ながら観客席の後方に腰を下ろした。
初めて見る彼の試合。どんな風にテニスをするんだろう。ぼんやりとそんなことを考えながら彼の戦う姿を待つ。
試合が終わった後、少しでもいいから会えたりしないかな。少しだけでも気づいてくれたらいいのにな。足の先を見ながら、ぼんやりとそんなことを考えてしまう。だって、勇気出してあのサンダルを履いてきたんだもん。
実は、あのオープントゥのブーティサンダルが忘れられず、親に頼み込み買いに行っていた。今日来るまでにも何度も何度も視線を感じたが、それも無視してこの場に臨んでいる。
自己満足でいい。他人にどう思われようと、したい恰好をしてやる。ただ自分らしく彼の前でいたい。今が一番変われるんじゃないかって、そう思えるから。
試合開始の声が聞こえ、意識をコートへと向ける。ブン太はいつものようにガムを膨らませ、次から次へと楽しそうに技を披露していく。彼の試合姿を見た私はあっという間に魅了されていた。
その後、試合は当たり前のようにブン太達の勝利、そして立海の勝利。
芥子色の団体が移動を始め、同じくして私もその場に立ち上がった。ただ彼を最後まで見送ってから出ていこう。そう決めた瞬間だった。赤髪がこちらに向かって走ってきたのだ。赤髪は一人しかいなくて、見間違いなわけもない。
彼は私の前まで来ると、息を切らしながらも笑顔を見せてくれた。
「サンキュな。見に来てくれて」
体の奥で熱が急上昇していく。
手を左右にひらひらとさせて、見てただけだと伝えるけれど、彼は首を左右に振ってみせた。
「いるのといないのじゃ大違いだっての」
最初から気づいていてくれたこととわざわざ駆け寄ってきてくれたことが嬉しくて、口角が自然と上がる。
するとブン太は、あ、と声を漏らすとある一点を見つめた。
「その靴……」
私の足元に視線が注がれ、思わず彼から目を背けてしまう。
「余計大きいの目立つかなって思ったんだけど……可愛いって思われたくて、」
咄嗟に口を自分の手で塞ぐも時すでに遅し。何を言っているのだろうと顔に熱が集う。肝心の彼は何も言わないし、痺れを切らしてしまった私は言葉を勝手に続けた。
「や、やっぱダメだった……?」
改めて尋ねると、ブン太は顔を真っ赤にして口元を隠している。不安で首を傾げながら彼の返答を待つと、否定を口にした。
「いや、その違ぇ……」
前髪をかき上げ、くしゃりと髪の毛を乱す。飄々とする彼はどこにもいない。
「その理由……自惚れてもいいってことだよな?」
「えっ、と……」
頷くことに迷っていると、レギュラーメンバーの後輩だろう子からの声が飛ぶ。ブン太はすぐに今行くと叫んだ。
「わり、そろそろ行くわ」
彼が背中を向けようとした瞬間、咄嗟に声をかけた。再びこちらを向いてくれる彼に対し、私は両の手で拳を作っては震えていた。
「さっきの……自惚れてて欲しい、です」
沸騰しそうなほどの熱が顔を覆う。ブン太も顔を赤くし続けたまま、へへっと頬を掻いた。
「ありがとな」
そう言ってはにかむと、彼は仲間の元へと走っていく。
「ブン太!かっこよかったよ!」
周囲を気にせず声を張る。ブン太は走りながらこっちを向き、
「あったりめーだろぃ!」
と今日一番のとびきりの笑顔を咲かせてくれた。
ああ、よかった。サンダルを買って履いてきたことも、素直な気持ちを彼に少しでも伝えられたことも。今日来て、よかった。私、もう、彼のことでいっぱいだ。
***
試合を見に行った日以来、私とブン太は教室でも話すようになった。今まで屋上でしか話すことがなかったから他の場所でも話し始めたときはどうしても緊張していた。もちろん友達にも問い詰められたけれど、まだお試しだから「友人」として誤魔化していた。
「名字、」
とある日の放課後、私を呼び止めるのは隣のクラスの元・片思い相手。あれっきり距離を置いていたから今更何の用だろうかと不思議で仕方がなかった。
「ど、どうしたの?」
驚きを隠せず、動揺を露わにしたまま尋ねる。彼は目線を外しながら、話したいことがあると言って私を教室から連れ出した。場所はいろんな思い出の詰まった屋上だった。
「ねえ、話って何?」
到着早々、用件を尋ねる。一向にこちらを向かない彼は一体どういうつもりなのだろう。訝しげな眼差しを注ぐと、彼はあのさ、と切り出した。
「前、好きだって言ってくれただろ?」
彼の言葉に心臓が掴まれる。消したい過去なのにどうして掘り返すんだろう。
うん、と小さく肯定すれば、彼はようやくこちらを向いた。
「もう俺のこと、好きじゃない?」
眉をハの字にさせている。ドクドクと脈を打つ速さが増した。
「付き合うって話。ダメかな?」
***
放課後、部活に行こうと教室を出ようとしたときだった。名前のところにあいつがいた。あいつ、というのは名前が片思いしていた相手。今更何の用なんだよ、と腹立たせながら二人の動向を追っていたのだが、ちょうどその瞬間に話しかけられてしまった。
「ブン太、話したいことあるんだけど」
クラスメイトの女子。よく話していたし、お菓子を頻繁にくれるから交流はある。
「ん、ああ。いいけど手短に頼むぜぃ」
意識は名前のことでいっぱいで、正直自分がなんでこの子に呼び出されるのか理解がいっていなかった。
素直に彼女の後ろについていくと、俺は人気のない空き教室に連れていかれていた。明らかに重要な話を伝えられそうな空気に俺は徐々に気落ちしている。いろいろ選択肢を考えておかねえとな。
彼女はブン太はさ、と切り出すと真剣な表情でこう続けた。
「名前ちゃんと付き合ってるの?」
予想通り。でも答え方が問題だ。現状正直に肯定することが出来なければ、否定することも出来ない。
「……どうだろうな」
複雑な胸中を抱えながらどちらにも取らせないように答えるけれど、そう簡単に受け取ってもらえるわけがない。
「いつから?」
「さあ?」
わかってるんだろう。彼女の目は嘘つきを見る目だ。俺らが突然仲良くしているところを見ているんだから。
「……言いたいことあるならはっきり言えって」
俺の言葉に、彼女は両手をそれぞれ握り拳にすると、わなわなと震え始める。意を決した彼女は真っ直ぐに俺を見つめて気持ちを吐き出した。
「ブン太のことが、好き」
***
「付き合うって話、ダメかな?」
無性に泣きたくなった。前の私と今の私、何が違ったんだろう。あなたの目に、私はどう映り変わっていったんだろう。本当、ずるい。
私は鼻をすすり、力なく呟いた。
「もう、遅いよ……」
彼は私の小さな声を拾うと、何度も頷いていた。
「そっか、そうだよな」
笑っていたけれど諦念の色は消せていなくて、私は唇に歯を立てていた。
「俺さ、名字が丸井と仲良くしてんの見て、気持ちがずっとすっきりしなかったんだ。それにお前がどんどん変わっていくし。そこでやっと気づいたんだ。俺、お前のこと好きだったんだって」
はあ、と大きな溜息を吐く彼。わざとらしく大声で叫んだ。
「俺、もっとお前のことちゃんと見ればよかった!」
その瞬間に見た彼の瞳は薄らと膜が張られていたことに私は気づいてしまった。
「悪いな、時間とってもらって」
じゃあ、と踵を返す彼を、待って、と無意識に呼び止めた。
「っ、ありがとう」
咄嗟に出た感謝の言葉。彼は私に背を向けたまま、うん、とだけ返事をした。その返事は今までに聞いたどの言葉よりも弱弱しかった。
***
「ブン太のことが、好き」
静まり返る廊下。俺の口は一文字に結ばれたままだった。眉間に皺を寄せ、息を吐く。
「……わり。その気持ちは嬉しいんだけど、」
「名前ちゃんのことが好きなんだもんね」
彼女も彼女でわかっていたと言いたげだった。歪んだ口元が全てを物語る。
「……ああ、好きだ」
そんな顔させるのは本意じゃねえけど、もっと傷つけたくない相手がいるから。
「憎いほど清々しいね」
彼女はそう言って去って行った。それを追いかけるように、俺もすぐに部活へと走った。
***
元想い人からの衝撃的な告白から数日後。私は日直の仕事を終え、帰路に着こうとバッグを肩にかけていた。あとは職員室に日誌を届けるだけだと教室を出ようとしたとき、誰かに声をかけられた。
「ちょっと、いいかな」
「う、ん」
その相手というのは、同じクラスの女子。前々からブン太と仲良くしていた子だった。私からすれば、あまり得意ではない子だ。苦手に思っているのだけれど、恐らく相手も私のことをよく思っていないことは何となく伝わってくる。
既に教室には誰もおらず、いるのは私と彼女だけ。彼女は私をまじまじと見つめ、溜息を吐いた。
「あのさ、名前ちゃんって本当にブン太と付き合ってるの?」
私は頷けなかった。ブン太は彼女に私との関係を言っているのだろうかと心が陰りを見せる。
言っていなくても、彼女は気づいているだろう。今まで仲良くなかった私と彼が急接近していることなんて簡単に見て取れる。
私が何も反応を示さずに、うろうろと目線を彷徨わせていると彼女は私を追い詰める言葉を吐く。
「恥ずかしくないの?」
「……何が?」
「自分より背の低い人と付き合うこと」
いつか言われるだろうと予測していたけれど、こうも面と言われると刺さるものがある。
別に関係ない。付き合ってるのは私とブン太の意思なんだから。そう言えばいいのに、言葉が喉の奥で引っかかって上手く声に乗せられない。
言わないと。ここで黙ってたら今までと何ら変わらないだけなのに。今ここで言わないと、私はブン太を裏切ることになる。
「それは、」
あなたに関係ない。そう言おうとした瞬間、聞いたことのない低音に制される。
「おい、」
その声の主は他でもないブン太で、私も彼女も目を丸く見開いている。だって、彼は部活中で、来るわけがないはずなのに。
「ブン太、なんで」
先に口を開いたのは彼女の方。ブン太はそれを気にする素振り一つ見せず、顔色一つ変えず私達に近づいては、さっと私の手を握った。
「こいつ、もらってくぜ」
今まで感じたことのある力強さとは比較にならないほど強く握られた手。彼に引っ張られるがまま後ろをついていくが、彼女はそれに納得できるわけもなく、教室を去ろうとする私達を止めようと口を挟む。
「え、ちょっと、待ってよ」
動揺を隠しきれない彼女に対し、ブン太は歩みを止めると、こう言い放った。
「わりぃけど、お前の価値観押し付けんの、やめてくんねえ?」
彼の言葉に彼女は口を一文字にし、そのまま押し黙った。
「ブン太、まって、」
私の制止も虚しく、彼は廊下を大股で進んでいく。彼の背中からは怒りが滲んでいた。
人気のない特別教室のあたりまで到着すると、ブン太はなあ、とようやく口を開く。
「なんであいつに言われた言葉に反論しなかったんだよ!」
怒りを露わにするブン太に申し訳なさと情けなさが募る。言おうとしても言えなかったら言わないと同義だ。
「……信じてもらえないかもしれないけど、言おうとしたんだよ。身長なんて関係なく好きになったんだから、って」
言葉を紡ぐ度に零れていく涙。嫌われたくない。好きだから。どうしようもなく好きになってしまったから。
ブン太は乱雑に髪をガシガシとかくと、ああ、と情けない声を出した。
「俺、カッコ悪……」
そう呟いて、深呼吸をするブン太。
「今から言うこと、よく聞いとけよぃ」
彼は両手で私の手を包むと、大きく息を吸い込み、叫ぶ。
「俺は、俺より身長が高いけど、名前ことが大ッ好きだ!」
呆気に取られていると、彼は私にも言えと言わんばかりに手で招く合図をする。周囲に誰もいないことを確認して、彼と同じように一度大きく息を吸った。
「私も、私より身長が低いけど、ブン太のことが……誰よりも、大好きです!」
どちらからともなく見つめ合って、くすくすと笑い合う。
「しっかり届いたぜぃ。お前の気持ち」
ようやく伝えられた本音。小さくても男らしくて強くて優しいブン太。いつだって言えたはずなのに、こんなに遅くなってしまった。
「やっと身長関係ねえこと、わかったか?」
軽く頷くと、揺らいでいた視界から更に雫が零れる。
「ブン太は……身長関係なく、かっこいいよ」
震える声で答えれば、彼は大きい瞳を狭めて微笑んでくれる。私の大好きな、大好きな表情。
「あったりめえだろぃ!何たって俺だからな」
そう言うと、ブン太は私の髪を耳にかけて優しく頬に触れる。
「もう、お試しじゃねえからな」
彼の言葉にゆっくりと頷き、どちらからともなく唇を重ね合わせた。
電車に揺られ辿り着いた場所は某所のテニスコート。周囲を見渡せば、さまざまなカラーを身に纏った選手達が点在していたが、すぐに芥子色のジャージが目に留まる。そして一点の赤にも目がいった。
もうすぐ試合が始まるようで真田君からの激励が飛んでいる。そんな姿を遠目に見ながら観客席の後方に腰を下ろした。
初めて見る彼の試合。どんな風にテニスをするんだろう。ぼんやりとそんなことを考えながら彼の戦う姿を待つ。
試合が終わった後、少しでもいいから会えたりしないかな。少しだけでも気づいてくれたらいいのにな。足の先を見ながら、ぼんやりとそんなことを考えてしまう。だって、勇気出してあのサンダルを履いてきたんだもん。
実は、あのオープントゥのブーティサンダルが忘れられず、親に頼み込み買いに行っていた。今日来るまでにも何度も何度も視線を感じたが、それも無視してこの場に臨んでいる。
自己満足でいい。他人にどう思われようと、したい恰好をしてやる。ただ自分らしく彼の前でいたい。今が一番変われるんじゃないかって、そう思えるから。
試合開始の声が聞こえ、意識をコートへと向ける。ブン太はいつものようにガムを膨らませ、次から次へと楽しそうに技を披露していく。彼の試合姿を見た私はあっという間に魅了されていた。
その後、試合は当たり前のようにブン太達の勝利、そして立海の勝利。
芥子色の団体が移動を始め、同じくして私もその場に立ち上がった。ただ彼を最後まで見送ってから出ていこう。そう決めた瞬間だった。赤髪がこちらに向かって走ってきたのだ。赤髪は一人しかいなくて、見間違いなわけもない。
彼は私の前まで来ると、息を切らしながらも笑顔を見せてくれた。
「サンキュな。見に来てくれて」
体の奥で熱が急上昇していく。
手を左右にひらひらとさせて、見てただけだと伝えるけれど、彼は首を左右に振ってみせた。
「いるのといないのじゃ大違いだっての」
最初から気づいていてくれたこととわざわざ駆け寄ってきてくれたことが嬉しくて、口角が自然と上がる。
するとブン太は、あ、と声を漏らすとある一点を見つめた。
「その靴……」
私の足元に視線が注がれ、思わず彼から目を背けてしまう。
「余計大きいの目立つかなって思ったんだけど……可愛いって思われたくて、」
咄嗟に口を自分の手で塞ぐも時すでに遅し。何を言っているのだろうと顔に熱が集う。肝心の彼は何も言わないし、痺れを切らしてしまった私は言葉を勝手に続けた。
「や、やっぱダメだった……?」
改めて尋ねると、ブン太は顔を真っ赤にして口元を隠している。不安で首を傾げながら彼の返答を待つと、否定を口にした。
「いや、その違ぇ……」
前髪をかき上げ、くしゃりと髪の毛を乱す。飄々とする彼はどこにもいない。
「その理由……自惚れてもいいってことだよな?」
「えっ、と……」
頷くことに迷っていると、レギュラーメンバーの後輩だろう子からの声が飛ぶ。ブン太はすぐに今行くと叫んだ。
「わり、そろそろ行くわ」
彼が背中を向けようとした瞬間、咄嗟に声をかけた。再びこちらを向いてくれる彼に対し、私は両の手で拳を作っては震えていた。
「さっきの……自惚れてて欲しい、です」
沸騰しそうなほどの熱が顔を覆う。ブン太も顔を赤くし続けたまま、へへっと頬を掻いた。
「ありがとな」
そう言ってはにかむと、彼は仲間の元へと走っていく。
「ブン太!かっこよかったよ!」
周囲を気にせず声を張る。ブン太は走りながらこっちを向き、
「あったりめーだろぃ!」
と今日一番のとびきりの笑顔を咲かせてくれた。
ああ、よかった。サンダルを買って履いてきたことも、素直な気持ちを彼に少しでも伝えられたことも。今日来て、よかった。私、もう、彼のことでいっぱいだ。
***
試合を見に行った日以来、私とブン太は教室でも話すようになった。今まで屋上でしか話すことがなかったから他の場所でも話し始めたときはどうしても緊張していた。もちろん友達にも問い詰められたけれど、まだお試しだから「友人」として誤魔化していた。
「名字、」
とある日の放課後、私を呼び止めるのは隣のクラスの元・片思い相手。あれっきり距離を置いていたから今更何の用だろうかと不思議で仕方がなかった。
「ど、どうしたの?」
驚きを隠せず、動揺を露わにしたまま尋ねる。彼は目線を外しながら、話したいことがあると言って私を教室から連れ出した。場所はいろんな思い出の詰まった屋上だった。
「ねえ、話って何?」
到着早々、用件を尋ねる。一向にこちらを向かない彼は一体どういうつもりなのだろう。訝しげな眼差しを注ぐと、彼はあのさ、と切り出した。
「前、好きだって言ってくれただろ?」
彼の言葉に心臓が掴まれる。消したい過去なのにどうして掘り返すんだろう。
うん、と小さく肯定すれば、彼はようやくこちらを向いた。
「もう俺のこと、好きじゃない?」
眉をハの字にさせている。ドクドクと脈を打つ速さが増した。
「付き合うって話。ダメかな?」
***
放課後、部活に行こうと教室を出ようとしたときだった。名前のところにあいつがいた。あいつ、というのは名前が片思いしていた相手。今更何の用なんだよ、と腹立たせながら二人の動向を追っていたのだが、ちょうどその瞬間に話しかけられてしまった。
「ブン太、話したいことあるんだけど」
クラスメイトの女子。よく話していたし、お菓子を頻繁にくれるから交流はある。
「ん、ああ。いいけど手短に頼むぜぃ」
意識は名前のことでいっぱいで、正直自分がなんでこの子に呼び出されるのか理解がいっていなかった。
素直に彼女の後ろについていくと、俺は人気のない空き教室に連れていかれていた。明らかに重要な話を伝えられそうな空気に俺は徐々に気落ちしている。いろいろ選択肢を考えておかねえとな。
彼女はブン太はさ、と切り出すと真剣な表情でこう続けた。
「名前ちゃんと付き合ってるの?」
予想通り。でも答え方が問題だ。現状正直に肯定することが出来なければ、否定することも出来ない。
「……どうだろうな」
複雑な胸中を抱えながらどちらにも取らせないように答えるけれど、そう簡単に受け取ってもらえるわけがない。
「いつから?」
「さあ?」
わかってるんだろう。彼女の目は嘘つきを見る目だ。俺らが突然仲良くしているところを見ているんだから。
「……言いたいことあるならはっきり言えって」
俺の言葉に、彼女は両手をそれぞれ握り拳にすると、わなわなと震え始める。意を決した彼女は真っ直ぐに俺を見つめて気持ちを吐き出した。
「ブン太のことが、好き」
***
「付き合うって話、ダメかな?」
無性に泣きたくなった。前の私と今の私、何が違ったんだろう。あなたの目に、私はどう映り変わっていったんだろう。本当、ずるい。
私は鼻をすすり、力なく呟いた。
「もう、遅いよ……」
彼は私の小さな声を拾うと、何度も頷いていた。
「そっか、そうだよな」
笑っていたけれど諦念の色は消せていなくて、私は唇に歯を立てていた。
「俺さ、名字が丸井と仲良くしてんの見て、気持ちがずっとすっきりしなかったんだ。それにお前がどんどん変わっていくし。そこでやっと気づいたんだ。俺、お前のこと好きだったんだって」
はあ、と大きな溜息を吐く彼。わざとらしく大声で叫んだ。
「俺、もっとお前のことちゃんと見ればよかった!」
その瞬間に見た彼の瞳は薄らと膜が張られていたことに私は気づいてしまった。
「悪いな、時間とってもらって」
じゃあ、と踵を返す彼を、待って、と無意識に呼び止めた。
「っ、ありがとう」
咄嗟に出た感謝の言葉。彼は私に背を向けたまま、うん、とだけ返事をした。その返事は今までに聞いたどの言葉よりも弱弱しかった。
***
「ブン太のことが、好き」
静まり返る廊下。俺の口は一文字に結ばれたままだった。眉間に皺を寄せ、息を吐く。
「……わり。その気持ちは嬉しいんだけど、」
「名前ちゃんのことが好きなんだもんね」
彼女も彼女でわかっていたと言いたげだった。歪んだ口元が全てを物語る。
「……ああ、好きだ」
そんな顔させるのは本意じゃねえけど、もっと傷つけたくない相手がいるから。
「憎いほど清々しいね」
彼女はそう言って去って行った。それを追いかけるように、俺もすぐに部活へと走った。
***
元想い人からの衝撃的な告白から数日後。私は日直の仕事を終え、帰路に着こうとバッグを肩にかけていた。あとは職員室に日誌を届けるだけだと教室を出ようとしたとき、誰かに声をかけられた。
「ちょっと、いいかな」
「う、ん」
その相手というのは、同じクラスの女子。前々からブン太と仲良くしていた子だった。私からすれば、あまり得意ではない子だ。苦手に思っているのだけれど、恐らく相手も私のことをよく思っていないことは何となく伝わってくる。
既に教室には誰もおらず、いるのは私と彼女だけ。彼女は私をまじまじと見つめ、溜息を吐いた。
「あのさ、名前ちゃんって本当にブン太と付き合ってるの?」
私は頷けなかった。ブン太は彼女に私との関係を言っているのだろうかと心が陰りを見せる。
言っていなくても、彼女は気づいているだろう。今まで仲良くなかった私と彼が急接近していることなんて簡単に見て取れる。
私が何も反応を示さずに、うろうろと目線を彷徨わせていると彼女は私を追い詰める言葉を吐く。
「恥ずかしくないの?」
「……何が?」
「自分より背の低い人と付き合うこと」
いつか言われるだろうと予測していたけれど、こうも面と言われると刺さるものがある。
別に関係ない。付き合ってるのは私とブン太の意思なんだから。そう言えばいいのに、言葉が喉の奥で引っかかって上手く声に乗せられない。
言わないと。ここで黙ってたら今までと何ら変わらないだけなのに。今ここで言わないと、私はブン太を裏切ることになる。
「それは、」
あなたに関係ない。そう言おうとした瞬間、聞いたことのない低音に制される。
「おい、」
その声の主は他でもないブン太で、私も彼女も目を丸く見開いている。だって、彼は部活中で、来るわけがないはずなのに。
「ブン太、なんで」
先に口を開いたのは彼女の方。ブン太はそれを気にする素振り一つ見せず、顔色一つ変えず私達に近づいては、さっと私の手を握った。
「こいつ、もらってくぜ」
今まで感じたことのある力強さとは比較にならないほど強く握られた手。彼に引っ張られるがまま後ろをついていくが、彼女はそれに納得できるわけもなく、教室を去ろうとする私達を止めようと口を挟む。
「え、ちょっと、待ってよ」
動揺を隠しきれない彼女に対し、ブン太は歩みを止めると、こう言い放った。
「わりぃけど、お前の価値観押し付けんの、やめてくんねえ?」
彼の言葉に彼女は口を一文字にし、そのまま押し黙った。
「ブン太、まって、」
私の制止も虚しく、彼は廊下を大股で進んでいく。彼の背中からは怒りが滲んでいた。
人気のない特別教室のあたりまで到着すると、ブン太はなあ、とようやく口を開く。
「なんであいつに言われた言葉に反論しなかったんだよ!」
怒りを露わにするブン太に申し訳なさと情けなさが募る。言おうとしても言えなかったら言わないと同義だ。
「……信じてもらえないかもしれないけど、言おうとしたんだよ。身長なんて関係なく好きになったんだから、って」
言葉を紡ぐ度に零れていく涙。嫌われたくない。好きだから。どうしようもなく好きになってしまったから。
ブン太は乱雑に髪をガシガシとかくと、ああ、と情けない声を出した。
「俺、カッコ悪……」
そう呟いて、深呼吸をするブン太。
「今から言うこと、よく聞いとけよぃ」
彼は両手で私の手を包むと、大きく息を吸い込み、叫ぶ。
「俺は、俺より身長が高いけど、名前ことが大ッ好きだ!」
呆気に取られていると、彼は私にも言えと言わんばかりに手で招く合図をする。周囲に誰もいないことを確認して、彼と同じように一度大きく息を吸った。
「私も、私より身長が低いけど、ブン太のことが……誰よりも、大好きです!」
どちらからともなく見つめ合って、くすくすと笑い合う。
「しっかり届いたぜぃ。お前の気持ち」
ようやく伝えられた本音。小さくても男らしくて強くて優しいブン太。いつだって言えたはずなのに、こんなに遅くなってしまった。
「やっと身長関係ねえこと、わかったか?」
軽く頷くと、揺らいでいた視界から更に雫が零れる。
「ブン太は……身長関係なく、かっこいいよ」
震える声で答えれば、彼は大きい瞳を狭めて微笑んでくれる。私の大好きな、大好きな表情。
「あったりめえだろぃ!何たって俺だからな」
そう言うと、ブン太は私の髪を耳にかけて優しく頬に触れる。
「もう、お試しじゃねえからな」
彼の言葉にゆっくりと頷き、どちらからともなく唇を重ね合わせた。
4/4ページ