下手くそに愛を叫べⅠ
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じめじめと噴き出す汗が地味な気持ち悪さを演出する今日この頃。○○さんのあの態度の答えを知らないまま、数日経過した。声を聞くこともなければ、姿を見ることもない。あれは明らかに俺に対しての不快感のように思う。彼女の柔らかな表情が好きだったのに、あのとき見たものはどこか歪んで見えて。
何か彼女の思うところがあったのだろうか。前に二人で話したときは雰囲気よく過ごせたのに、何が彼女をそうさせているのだろう。姉に聞こうにも、気恥ずかしさが先行して言い出せないまま。知りたいのに、知りたくないような。微妙な感情が渦巻く。
だが、名前さんのことばかり考えているわけにもいかなかった。一日、一日と大会の足音が大きな音を立てて近づいてきているのだ。
半日だけの練習を終え、帰宅すると玄関で姉が待ち構えていた。仁王立ちでニマニマと喜色を満面に浮かべ、靴を脱ぐ俺を見下している。
「くーちゃん、今から時間ある?」
「今から?」
「ちょっと付き合ってほしいねん」
姉の表情から俺に拒否権はないのは容易にわかる。俺は一度だけ頷いて部屋に戻った。すぐに着替え、姉とともに出かける。しかしその道中、気分はことなく曇り空に覆われていた。
移動中、姉はずっとある一点のことばかりを話し続けた。姉の恋人の話だ。どうやら最近付き合い始めたらしく、その彼氏の誕生日が近いからプレゼントを買いに行きたいとのこと。体格が俺に近いせいか、買い物の手伝いに俺が選ばれた。
それにしても嬉々として話す姉がどうにも羨ましい。俺もこんな風にあの人にプレゼント選んでみたいもんやな。そう考えながら、内心で自分自身をあざけ笑っていた。
「もう、くーちゃん聞いとる?」
「聞いとる聞いとる」
不服そうに唇を歪めた姉に対して、俺は小さな嘘を吐いて下手くそな弧を描いていた。
何軒か回り、目当てのものを買い終えた。大体の目星をつけてくれていたおかげで想像より早く事は済んだ。最中の姉は目を背けたくなるほど眩しくて、狡いとさえ思った。そんなこと思う必要や資格などないだろうに、と思考はいつまでも暗がりにいる。
姉がトイレへと消えたため、母親に帰る時刻の連絡を入れてから少しの間、一人で柱に寄りかかって待っていた。休日やし、人多いなあ。姉ちゃん帰ってくるの遅そうやな。なんてことを考えながら、時計をちらりと覗いて顔を上げた、その瞬間だった。
「名前―!」
あの人の名を呼ぶ男の声がした。よく通る、朗々とした声だった。
同名だろうと思いつつも、彼女の名が聞こえれば反応してしまう。まさか、いるわけがない。しかし目はキョロキョロと動き、姿を探す。
「っ、おった……」
彼女を見つけることなど容易かった。普段会う時とは違う雰囲気を纏った彼女。着飾った姿は、花火が夜空に咲いた瞬間のように、熱さや輝きを纏って俺の目を奪う。
カラカラに渇いた喉から声を出してみようかと迷いながらも、一歩踏み出した。一言、偶然ですね。と声をかけるだけで俺の心は満たされる。以前と同じ表情で俺を迎えてくれると信じて。
だが、俺の足は突如として止まった。彼女は俺の前からどんどん離れていく。近づけない。近づいてはならない。脳内で警鐘を鳴らす音がガンガンと響いて止まない。理由は明らかだった。俺の前にいた彼女は、俺の知らない笑顔を浮かべて、俺の知らない男と仲睦まじく歩いていたから。誰ですか。その人は、誰ですか。同じ大学の人ですか。前言うてたお兄さんですか。俺の知らない彼女の顔が胸を締め付ける。周囲の喧騒など耳に入らない。無意識に歯を立てた唇からは鉄の味が広がった。
「も~!くーちゃん待っとってって言うたやんかあ!」
軽い怒気を孕んだ姉の声が背後からかかる。姉は名前さんがいたことなど知らない様子だ。 「くーちゃん?」
「すまん、姉ちゃん。友達見かけて話しとってん」
「そうなん?もうびっくりしたんやから」
咄嗟に嘘を吐き、誤魔化す。俺は今日、二度嘘を吐いた。
帰宅中も彼女のことで頭がいっぱいだった。おったんや、彼氏。というより、あの人におらへん方がおかしかったんや。最近できたんかな。暗い顔しとったのはあの人のことで困ってたんかな。考えれば考えるほど目頭が痛む。姉からいくら話を振られようとも、上の空で一つも聞き取れなかった。心の内を知られてもいいと思えるほどの諦念もなかった。
自宅に到着するや否や、俺は自室へと逃げ込んだ。少し疲れたと理由をつけて、笑って見せた。姉の心配の声も聞こえず、俺は一人になってベッドへと身を投げた。じわりじわりと溢れる涙を拭うのは、冷えた枕。
「姉ちゃんの、嘘つき」
俺はそう呟いて、ゆっくりと目を閉じた。
心の傷は癒えぬまま、俺は近畿大会に向けて練習していた。体を動かせば、あの人のことで頭を支配されることはない。これからの時間の大半は練習なのだから、彼女が家に来る時間に帰ることもなくなるだろう。会わなくて済む。会うことで、秘めた想いを掘り返すこともない。俺は後悔のないように時間を無駄せずに過ごすだけ。
朝練を終え、教室へと向かう道中。謙也は隣に並ぶとひっそりと話しかけてきた。
「な、白石」
「どないしたんや」
どことなく緩んだ表情で声をかけてくるものだから、奴自身に良いことでもあったのかと判断した。しかしそれは不適当で、次の友人の言葉は俺の肩を下げる。
「最近どうなん?あの家庭教師の先生とは」
二人で同じ時間を過ごしたと浮かれ切っていたあの時から何も話していなかったことを思い出した。ああ、と謙也から目線を外してきょろきょろと泳いだ。
「諦めてん。あの人のこと」
そう言うと、謙也は目を丸くさせてパチパチと大きく瞬きをした。
「ほんまに諦めたんか」
「言うてたやん、俺。無理やって」
諦めないと言っていた手前、ばつが悪い。器用に動かない頬が憎い。
納得いかないと言いたげな顔をした謙也。俺はゆっくりと一度だけ瞬きをして事実を伝えた。
「見てもうてん、この間。名前さんが恋人とおるとこ」
謙也は全てを聞くと言わんばかりに俺の腕を掴んだ。言いたいことはわかる。俺もお前と逆の立場やったら同じこと言うてた気がするから。
「……ちゃんと本人に聞いたんか?」
「聞いてへん」
完全に沈んだ声色は謙也の声の威力を増した。それに加え、俺の腕を握る手の力も増していた。
「なら、ちゃんと……!」
「もうええねん!もう、ええから……」
声を荒げたせいで周囲の視線が俺達に集う。居心地の悪さが気分をより悪くさせた。俺は俯いていた顔を無理矢理明るくして隣の友人に向ける。
「年齢もちゃうし、仕方ないことやねん。な?」
もう、これきりにしよう。それが通じたのか、謙也は俺の腕を解放した。
この日の夜、姉は突然俺の部屋に訪れると、不満そうに唇を尖らせて言った。
「最近元気ないやん」
「ちょっと忙しいだけや」
俺は姉の方を見ることなく、数学の宿題を解いていく。あれだけ浮かれていた弟が突然静かになるのは、容易く何かあったと判断できる材料に違いない。
「名前先生絡みで悩んでるんかと思っとったけどちゃうんか」
そう言いながら、俺の肩に体重を乗せる。広げていたノートを一通り見ると、問題を指差して答案の間違いを指摘した。
「ここ、間違ってんで」
俺は黙ったまま、確認せずに計算式を全て消した。散らばる消しゴムのカスが無性に腹立たしい。
「……なあ、姉ちゃん」
「なん?」
「名前さん、恋人おったんやな」
嘘やろ、と小さく驚く姉。
先日目の前で起こった名前さんのことを洗いざらい伝えると、姉は少しだけ唸った。
「それ、友達オチとかお兄さんオチちゃうん?」
「……そんな風には見えへんかった」
絞り出した声に姉は何も言わなかった。ただ、優しい手つきで俺の頭を撫でて、うん、と一言だけ残して部屋から消えた。その瞬間、本当に報われないのだと綺麗に並んでいるはずの罫線が歪んだ。
何か彼女の思うところがあったのだろうか。前に二人で話したときは雰囲気よく過ごせたのに、何が彼女をそうさせているのだろう。姉に聞こうにも、気恥ずかしさが先行して言い出せないまま。知りたいのに、知りたくないような。微妙な感情が渦巻く。
だが、名前さんのことばかり考えているわけにもいかなかった。一日、一日と大会の足音が大きな音を立てて近づいてきているのだ。
半日だけの練習を終え、帰宅すると玄関で姉が待ち構えていた。仁王立ちでニマニマと喜色を満面に浮かべ、靴を脱ぐ俺を見下している。
「くーちゃん、今から時間ある?」
「今から?」
「ちょっと付き合ってほしいねん」
姉の表情から俺に拒否権はないのは容易にわかる。俺は一度だけ頷いて部屋に戻った。すぐに着替え、姉とともに出かける。しかしその道中、気分はことなく曇り空に覆われていた。
移動中、姉はずっとある一点のことばかりを話し続けた。姉の恋人の話だ。どうやら最近付き合い始めたらしく、その彼氏の誕生日が近いからプレゼントを買いに行きたいとのこと。体格が俺に近いせいか、買い物の手伝いに俺が選ばれた。
それにしても嬉々として話す姉がどうにも羨ましい。俺もこんな風にあの人にプレゼント選んでみたいもんやな。そう考えながら、内心で自分自身をあざけ笑っていた。
「もう、くーちゃん聞いとる?」
「聞いとる聞いとる」
不服そうに唇を歪めた姉に対して、俺は小さな嘘を吐いて下手くそな弧を描いていた。
何軒か回り、目当てのものを買い終えた。大体の目星をつけてくれていたおかげで想像より早く事は済んだ。最中の姉は目を背けたくなるほど眩しくて、狡いとさえ思った。そんなこと思う必要や資格などないだろうに、と思考はいつまでも暗がりにいる。
姉がトイレへと消えたため、母親に帰る時刻の連絡を入れてから少しの間、一人で柱に寄りかかって待っていた。休日やし、人多いなあ。姉ちゃん帰ってくるの遅そうやな。なんてことを考えながら、時計をちらりと覗いて顔を上げた、その瞬間だった。
「名前―!」
あの人の名を呼ぶ男の声がした。よく通る、朗々とした声だった。
同名だろうと思いつつも、彼女の名が聞こえれば反応してしまう。まさか、いるわけがない。しかし目はキョロキョロと動き、姿を探す。
「っ、おった……」
彼女を見つけることなど容易かった。普段会う時とは違う雰囲気を纏った彼女。着飾った姿は、花火が夜空に咲いた瞬間のように、熱さや輝きを纏って俺の目を奪う。
カラカラに渇いた喉から声を出してみようかと迷いながらも、一歩踏み出した。一言、偶然ですね。と声をかけるだけで俺の心は満たされる。以前と同じ表情で俺を迎えてくれると信じて。
だが、俺の足は突如として止まった。彼女は俺の前からどんどん離れていく。近づけない。近づいてはならない。脳内で警鐘を鳴らす音がガンガンと響いて止まない。理由は明らかだった。俺の前にいた彼女は、俺の知らない笑顔を浮かべて、俺の知らない男と仲睦まじく歩いていたから。誰ですか。その人は、誰ですか。同じ大学の人ですか。前言うてたお兄さんですか。俺の知らない彼女の顔が胸を締め付ける。周囲の喧騒など耳に入らない。無意識に歯を立てた唇からは鉄の味が広がった。
「も~!くーちゃん待っとってって言うたやんかあ!」
軽い怒気を孕んだ姉の声が背後からかかる。姉は名前さんがいたことなど知らない様子だ。 「くーちゃん?」
「すまん、姉ちゃん。友達見かけて話しとってん」
「そうなん?もうびっくりしたんやから」
咄嗟に嘘を吐き、誤魔化す。俺は今日、二度嘘を吐いた。
帰宅中も彼女のことで頭がいっぱいだった。おったんや、彼氏。というより、あの人におらへん方がおかしかったんや。最近できたんかな。暗い顔しとったのはあの人のことで困ってたんかな。考えれば考えるほど目頭が痛む。姉からいくら話を振られようとも、上の空で一つも聞き取れなかった。心の内を知られてもいいと思えるほどの諦念もなかった。
自宅に到着するや否や、俺は自室へと逃げ込んだ。少し疲れたと理由をつけて、笑って見せた。姉の心配の声も聞こえず、俺は一人になってベッドへと身を投げた。じわりじわりと溢れる涙を拭うのは、冷えた枕。
「姉ちゃんの、嘘つき」
俺はそう呟いて、ゆっくりと目を閉じた。
心の傷は癒えぬまま、俺は近畿大会に向けて練習していた。体を動かせば、あの人のことで頭を支配されることはない。これからの時間の大半は練習なのだから、彼女が家に来る時間に帰ることもなくなるだろう。会わなくて済む。会うことで、秘めた想いを掘り返すこともない。俺は後悔のないように時間を無駄せずに過ごすだけ。
朝練を終え、教室へと向かう道中。謙也は隣に並ぶとひっそりと話しかけてきた。
「な、白石」
「どないしたんや」
どことなく緩んだ表情で声をかけてくるものだから、奴自身に良いことでもあったのかと判断した。しかしそれは不適当で、次の友人の言葉は俺の肩を下げる。
「最近どうなん?あの家庭教師の先生とは」
二人で同じ時間を過ごしたと浮かれ切っていたあの時から何も話していなかったことを思い出した。ああ、と謙也から目線を外してきょろきょろと泳いだ。
「諦めてん。あの人のこと」
そう言うと、謙也は目を丸くさせてパチパチと大きく瞬きをした。
「ほんまに諦めたんか」
「言うてたやん、俺。無理やって」
諦めないと言っていた手前、ばつが悪い。器用に動かない頬が憎い。
納得いかないと言いたげな顔をした謙也。俺はゆっくりと一度だけ瞬きをして事実を伝えた。
「見てもうてん、この間。名前さんが恋人とおるとこ」
謙也は全てを聞くと言わんばかりに俺の腕を掴んだ。言いたいことはわかる。俺もお前と逆の立場やったら同じこと言うてた気がするから。
「……ちゃんと本人に聞いたんか?」
「聞いてへん」
完全に沈んだ声色は謙也の声の威力を増した。それに加え、俺の腕を握る手の力も増していた。
「なら、ちゃんと……!」
「もうええねん!もう、ええから……」
声を荒げたせいで周囲の視線が俺達に集う。居心地の悪さが気分をより悪くさせた。俺は俯いていた顔を無理矢理明るくして隣の友人に向ける。
「年齢もちゃうし、仕方ないことやねん。な?」
もう、これきりにしよう。それが通じたのか、謙也は俺の腕を解放した。
この日の夜、姉は突然俺の部屋に訪れると、不満そうに唇を尖らせて言った。
「最近元気ないやん」
「ちょっと忙しいだけや」
俺は姉の方を見ることなく、数学の宿題を解いていく。あれだけ浮かれていた弟が突然静かになるのは、容易く何かあったと判断できる材料に違いない。
「名前先生絡みで悩んでるんかと思っとったけどちゃうんか」
そう言いながら、俺の肩に体重を乗せる。広げていたノートを一通り見ると、問題を指差して答案の間違いを指摘した。
「ここ、間違ってんで」
俺は黙ったまま、確認せずに計算式を全て消した。散らばる消しゴムのカスが無性に腹立たしい。
「……なあ、姉ちゃん」
「なん?」
「名前さん、恋人おったんやな」
嘘やろ、と小さく驚く姉。
先日目の前で起こった名前さんのことを洗いざらい伝えると、姉は少しだけ唸った。
「それ、友達オチとかお兄さんオチちゃうん?」
「……そんな風には見えへんかった」
絞り出した声に姉は何も言わなかった。ただ、優しい手つきで俺の頭を撫でて、うん、と一言だけ残して部屋から消えた。その瞬間、本当に報われないのだと綺麗に並んでいるはずの罫線が歪んだ。