下手くそに愛を叫べⅠ
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「先生~!おまたせ!」
春の足音が聞こえつつも、寒さが続く今日この頃。教え子の彼女は笑顔で私の元に駆け寄ってくる。そんな姿に自然と零れる笑み。
「お疲れ様。結果どうやった?」
私が結果を尋ねると、彼女は制服のポケットから小さな紙を取り出し、私に差し出した。それを受け取り、私の目が動くスピードと同じくして彼女の声が飛ぶ。
「数学が3番で、英語が5番やってん!それに総合で4番!」
そう教えてくれた後、小さく「クラスはまた2番やったけど……」と付け加えて。
「やったやん、おめでとう」
前回の結果と比較すれば良くなっている。学期末でさらに力をつけているようでどの教科も想像以上のものだ。確かにクラス順位は二番のまま変動はないが、着実に実力を伸ばしているようだから先生としては安心だ。
「ほな、約束通り行こ!」
「せやな、行こか」
彼女は私の腕に手を絡めると、足早に歩みを進める。私も彼女に遅れをとらないように、と歩調を速めた。
どこに行くのかと言えば、私のお気に入りの秘蔵カフェ。住宅街に並ぶ小さな古民家カフェは、タルトと紅茶が美味しくて、私が足繁く通う一軒なのだ。
以前その話を彼女にしたところ、行ってみたい、と話が持ち上がった。私は休みの日にでも行こうかと提案したのだが、彼女の方から「次のテストで学年で5番以内に入ったら一緒に行こう」と提案され、そう約束した。今日は結果発表だったため、速報で配布される小さな紙を大事そうに持って帰ってきていたのだった。
隣を歩く彼女は鼻歌混じりで周囲を見渡す。中々来ないところだからと浮足立っているようだった。
「そういえば、友達とやなくて良かったん?」
高校生となれば、同級生の友人とはしゃぐものだろう。昔の、というより、数年前の私がそうだったから。
すると、彼女はこそばゆそうに、顔をくしゃりと崩して笑っていた。
「先生と来たかったからええの」
私の生徒がこんなにも可愛い。随分懐いてくれるものだな、と考えながら彼女の弟くんを脳裏に浮かべた。さすが姉弟といったところか、顔立ちや纏う雰囲気がよく似ている。少しだが、接していて何となく性格もよく似ているんじゃないだろうかと思える。この子のように、人懐っこそうだ。白石家のDNAは、こういうものなのだろうか。
小さな店舗に辿り着いた私達は席に着くと早々に注文をした。私はアッサムミルクティーとチョコレートタルト、彼女はキャンディのストレートティーとフルーツタルト。余程楽しみなのか、彼女の瞳はキラキラと輝いていた。店員が戻ると、彼女はこっそりと私に質問を投げかける。
「先生、チョコ好きなん?」
「あー……昔からチョコに目ぇなくて……」
「へえ〜、そうなんや。ええこと聞いた」
ほくそ笑んで数度頷く。そうかなあ、と首を傾げたが、彼女の表情は変わらない。
「ふふ、ええことなの」
その後、テストの話を聞いていると、注文していた品が届いた。彼女は一口頬張ると、んん、と声をあげて喜色を表した。
「めっちゃ美味しい……!」
「それは良かった。連れてきた甲斐あるわぁ」
ティータイムを終えると、彼女がふいにこんなことを尋ねてきた。
「先生って、彼氏おる?」
至って真剣な眼差しで尋ねてくるものだから、私は無意識に姿勢を正していた。
「……おらへんのよなあ、残念ながら」
「そっかあ」
ズズ、と紅茶を一口飲むと、彼女は聞いて欲しいことがあると切り出した。彼女の切なげに落とす視線から、自身が協力できるのかという一抹の不安は拭えない。しかし、いつになく真剣な彼女だからこそ、聞き逃さまいと耳を傾けた。
「私な、今片想いしてんねん」
そう切り出した彼女の話はこうだ。高校に入学し、新たな友人も増えた頃、委員会決めを行った。その際に同じく図書委員となった男の子が片想いの相手だそうだが、何やら精神的に複雑な出来事が起こったらしい。
***
立候補したときから、私の恋は始まっていたのかもしれない。本は嫌いじゃないから、という積極的な理由で図書委員に手をあげた。私があげると同時に、一人の男子がひょろりと長い腕を持て余しながら手を上げていた。真っ黒な髪の毛に、黒縁眼鏡。やっぱり、と口をついて出そうな程の目に悪い前髪。口数の少なそうな大人しい人なのかな、と対照的な彼を想像した。仲良くなれるかな、と二人で行う当番を待ち望んでいた。
週に一度、彼と放課後に本の貸し出しを業務として行う。その間、必然的に会話をするのだが、あまりにも話が弾まなかった。イエスか、ノーか、の二択の会話しか出来ない上に目も合わせてくれない状態。嫌われているのか、と嫌な気持ちになったが、本の整理をしているときに事態は好転した。
「あ、これ……」
手にした本は中学生のときにお気に入りだった本。天気に関する妖精が出てくるファンタジーもので、何度も借りて読んでいた。
「どうかしました?」
思い出に浸っていると、彼が背後から声をかけてきた。実は、と過去の話をすると、
「それは良かったですねぇ」
と、初めて小さく笑ったのだ。その表情に、何かが弾けていくような感覚に襲われた。
「今……」
「ん?」
「笑うた、よな?」
「……え、」
一気に距離を詰めて指摘すると、恥ずかしそうに顔を下に向けてしまった。長い前髪が邪魔をして表情が窺えない。
「ちょ、あかん、隠さんとって!」
覗き込もうと企むけれど、相手の方が身長が高いせいでいとも簡単に逃れられてしまう。何度か顔だけの追いかけっこをしていると、再び笑い声が聞こえてくる。
「ふ、ははっ……」
大きく骨ばった手で自身の口元を隠しながら顔をくしゃくしゃにして笑う彼。
「こんなにはしゃぐ人、初めてやわ」
この瞬間、好きやと思った。自覚してしまうと、体は正直で突如として顔に熱が集う。
「わ、その、ごめん」
ぱっと彼と距離をとると、彼は眼鏡をクイ、と位置を直した。
「ええです。僕、こないに笑わせてもろたの久しぶりやからお腹痛い」
これ以降、委員会限定ではあるが、二人で話すようになった。彼は博識で、何事に対しても手際が良かった。それにテストでのクラス一位、学年一位は他でもない、彼であったのだ。苦手なことなんてないんやと思っていたが、本人は運動と絵が苦手とのこと。美術は選択していないから未知数。体育も男女別だから、見ることはほとんどないせいで実際の実力は不明。今度、盗み見してみよかな、なんてひっそりと考えていた。
とある日の当番、彼は珍しく質問をしてきた。
「僕と話すのは、つまらんくないですか」
表情一つ動かさず、真顔で尋ねてくる。
「え……なんで?」
私もつられて真顔になってしまう。
以前より彼の表情は柔らかいし、口数も増えた。高校生活において楽しみの一つとなっていた、この時間。楽しんでいたのは、私だけだったのかと不安が過った。
しかし、その心配は杞憂に終わる。
「僕、話し下手やし不愛想やし……絶対僕みたいな奴嫌いなんやろなって思ってて……でも、白石さんは話し上手で明るうて、他の人と同じように僕とも変わらず話してくれるやないですか。その、申し訳ないって……思ってまうんです」
ほんのりと頬を赤らめながら伝えてくれる彼に胸が締め付けられる。
「そ、そんなことない!私は、その……一緒におるの楽しいから、自分自身で選んで話しとるんよ?」
離さないと伝えるように、彼としっかり目を合わせる。彼は一瞬、面食らった顔をしつつも、耳まで赤くして眼鏡の位置を上げ直した。
「そ、それは、その……ありがとうございます……」
好きという気持ちが日々更新されてしまう。もう愛おしさで死んでしまいそう。胸がいっぱいで苦しい。
とある日、友人達と教室でお昼を食べていた時だった。完全に彼との関係に浮かれきっていた私。タイミングが良いのか、悪いのか、話の内容は、恋愛となっていた。初めは友人達の話に対して相槌を打つばかりだったが、それに気づかれてしまったために矛先が私へと向く。
「彼氏、おらへんの?」
その瞬間、目の前の友達の背後を通り過ぎる彼。
「え、えっとな、」
彼に片想いしている。そう言おうとしたが、すぐに飲み込んだ。私の言葉を遮り、友人の一人がこう言ってのけたのだ。
「ああいうのは嫌やわあ。何考えとんかわからへんし、暗いやん」
目の前が真っ白になった。友人が何を言ったのかが理解できなかった。
暫くぼうっとしてしまい、その後に友人の言葉を処理した。友人の何気ない言葉は、彼を否定し、私のことも否定しているように受け取れた。
彼の事を何も知らないくせに、どうしてそんなことか言えるのか。今すぐこの場で泣いてしまいそうだった。
「んで、何やったっけ?」
平気な顔して続きを促す友人に吐き気を催した。
別に自分がいい子だって言うつもりは無い。私だって、委員会に入らなかったらこの子と同じことを平気な顔して言ってたかもしれない。
「ううん、何もない。あー、私も彼氏欲しいなあ」
上手く笑えているのだろうか。胸の奥で何かが引っかかってもやもやとする。
「何かあったら言うてや、私ら友達やん」
「うん、せやね!」
机に置いていた手が拳を作る。自分の気持ちを殺してしまったことに対して一番腹が立った。
***
「私、どうしたらええんやろ」
一通り話し終わった彼女の顔色は変わらなかった。否、より険しくなっているように見えた。
「友達はあの人のええとこ知らへんからそういう風に言うてもうただけやねん。私はたまたま知ることが出来たし、こうして好きになった。でもあの人を好きなことが恥ずかしいことなんちゃうんかって一瞬でも思うてもうた自分が嫌で仕方ないねん」
彼女はカップの取っ手をなぞり、言葉を続ける。
「好きでおる資格、ないんかもしれへん……」
消えゆく言葉は、震えていた。自身に対する憤り、彼に対する謝意、友人に対する不信。全てが混ざって冷静でいられないのだろう。
「好きでおるのに、資格なんていらんよ」
私はカップを両手で包みながら静かな水面を見つめる。
「その彼のことが好きなら恥じる必要はない。友達と関係を続けたいんやったら続けたらええと思う。でもな、無理に合わせる必要もないと思うねん、私はな」
私は溜息を吐いて、言葉を続けるのに間を開けた。
「これは私の一意見やから、話半分で聞いてな?」
確認をとると、彼女はこくりと頷く。
「友達やからってお互いの全てを理解し合えるわけでもないし、仲が良いからといって全部伝えなあかん決まりもない。接する人全員に同じ顔せなあかん決まりもない。せやから、人に対する素直さを変えることで関係をつくっていったらええんちゃうかな。まあ、最後にどうするかは自分で決めるしかないんやけどな?」
張り詰めた空気を破るように、少し笑って見せた。私がこんなこと言えた口やろうか。
ざわつく胸を抑えるために、既に冷えてしまったミルクティーを口に運ぶ。彼女は潤んだ瞳を隠すように目を細めて微笑んでいた。
「先生はやっぱ大人やな」
優しく告げられた言葉に、私は肯定も否定もしなかった。どうなんやろう、と言葉を濁した。
「ちょっとお手洗い行ってくるわ」
そう言って席を立った彼女を見送り、一人になったところで私は誰にも聞こえない声量で
「……言わへん方がよかったかな」
と口から零していた。
彼女が自身で悩んで悩み切って答えを出す方がよかったのか、私の言葉が必要だったのかはわからない。実際に彼女の立場になれたわけでもない。
「難しいなあ……ほんまに、」
数分後、彼女は清々しい顔つきで戻ってきた。
「ふう~……先生に相談して良かったわ。スッキリした」
「協力できたんかわからへんけど、スッキリしたならええわ」
彼女が良いというのなら、そういうことにしておこう。これ以上、私がどうにかできる問題ではないのだから。
慣れないことをするもんじゃない、と一息吐くと、目の前の彼女は、突然話を切り替えた。
「なあなあ、先生ってどういう人が好きなん?」
次はこちらのターンというわけか。瞬きを数度繰り返してから、首を横に振った。
「私の話はええやんか」
「ちょっとだけでええから教えて!」
手のひらを合わせてお願いしてくる彼女。
特にこういう人がいい、と考えたことがなかったせいか、これといったものが出てこない。熟考した挙句、出てきたものは、普遍的なもの。
「優しい人、かなあ」
絞りだしたものがあっけなかったせいか、彼女は目が点になっている。
「……それだけ?なんか背が高いとか、頭ええ人とか、」
例を次々と挙げてくれるが、どれも私にとってぴったりとはまらなかった。
「ふふ、最近そういうのないから思い浮かばへんのかもしれへんわ」
笑って誤魔化すと、彼女はキラキラと笑っていた。
「先生の恋人になる人が楽しみやわあ」
へへ、といたずらっ子のように笑う彼女が眩しくて、思わず目を背けそうになる。
誰かを好きになっても、その人は既に誰かのもので、土俵に立つことさえ叶わなかった過去。その回数は数えるほどであったとしても、私に振り向いてくれることはないのだと感じてしまう自分がいる。片想いをしてもう一歩進めばいいのに、それが出来なくて一歩、また一歩と下がって逃げ出してしまう自分。ただ、追いかけ続けることに疲れたのかもしれない、なんて考えては諦めることを繰り返す。
もう少し素直に生きられたら良かったんやろうか。でも、私に程よい素直さなど持ち合わせていない。いつの間に失ってしまったのか。
***
「くーちゃ~ん」
コンコン、と部屋の扉をノックする音と共に姉の声が届く。ノートに数式を書く手を止め、戸を少し開けた。
「なんや?」
そこにはすこぶる笑顔で待つ姉がいた。その笑顔は、表現しづらいほど嫌な予感がする。何用かと尋ねると、姉はヘラヘラと笑って言いのけた。
「今日な、名前先生と放課後デートしてきてんけど」
「おん」
「先生、彼氏おらへんのやって」
姉の言葉に、以前のにやけ顔がフラッシュバックして、溜息と共に頭を抱えた。返答に困り、んん、と唸り声を上げると、姉はキョトンとした顔で、
「あれ、くーちゃん嬉しくないん?」
と呟いた。
「俺に関係あらへんし……」
冷静を装うけれど、既に知られているだろう姉には為す術なし。
「ほんまに~?」
目が合わせられないせいで、姉のにやけ顔に拍車がかかる。
「まあええわ。好みまで聞こうとしたけどあんまないみたいやし」
もう満足したのか、ほなね、と自室へと戻って行った。その姿を見送ってから俺は戸を閉じると、ベッドにダイブし、枕に顔を埋めた。
「ううう〜……!」
素直に喜べばいいのか、悲しめばいいのか、複雑な心境に苛まれる。
「どうせなら好みのタイプまで聞いてくれや……!」
春の足音が聞こえつつも、寒さが続く今日この頃。教え子の彼女は笑顔で私の元に駆け寄ってくる。そんな姿に自然と零れる笑み。
「お疲れ様。結果どうやった?」
私が結果を尋ねると、彼女は制服のポケットから小さな紙を取り出し、私に差し出した。それを受け取り、私の目が動くスピードと同じくして彼女の声が飛ぶ。
「数学が3番で、英語が5番やってん!それに総合で4番!」
そう教えてくれた後、小さく「クラスはまた2番やったけど……」と付け加えて。
「やったやん、おめでとう」
前回の結果と比較すれば良くなっている。学期末でさらに力をつけているようでどの教科も想像以上のものだ。確かにクラス順位は二番のまま変動はないが、着実に実力を伸ばしているようだから先生としては安心だ。
「ほな、約束通り行こ!」
「せやな、行こか」
彼女は私の腕に手を絡めると、足早に歩みを進める。私も彼女に遅れをとらないように、と歩調を速めた。
どこに行くのかと言えば、私のお気に入りの秘蔵カフェ。住宅街に並ぶ小さな古民家カフェは、タルトと紅茶が美味しくて、私が足繁く通う一軒なのだ。
以前その話を彼女にしたところ、行ってみたい、と話が持ち上がった。私は休みの日にでも行こうかと提案したのだが、彼女の方から「次のテストで学年で5番以内に入ったら一緒に行こう」と提案され、そう約束した。今日は結果発表だったため、速報で配布される小さな紙を大事そうに持って帰ってきていたのだった。
隣を歩く彼女は鼻歌混じりで周囲を見渡す。中々来ないところだからと浮足立っているようだった。
「そういえば、友達とやなくて良かったん?」
高校生となれば、同級生の友人とはしゃぐものだろう。昔の、というより、数年前の私がそうだったから。
すると、彼女はこそばゆそうに、顔をくしゃりと崩して笑っていた。
「先生と来たかったからええの」
私の生徒がこんなにも可愛い。随分懐いてくれるものだな、と考えながら彼女の弟くんを脳裏に浮かべた。さすが姉弟といったところか、顔立ちや纏う雰囲気がよく似ている。少しだが、接していて何となく性格もよく似ているんじゃないだろうかと思える。この子のように、人懐っこそうだ。白石家のDNAは、こういうものなのだろうか。
小さな店舗に辿り着いた私達は席に着くと早々に注文をした。私はアッサムミルクティーとチョコレートタルト、彼女はキャンディのストレートティーとフルーツタルト。余程楽しみなのか、彼女の瞳はキラキラと輝いていた。店員が戻ると、彼女はこっそりと私に質問を投げかける。
「先生、チョコ好きなん?」
「あー……昔からチョコに目ぇなくて……」
「へえ〜、そうなんや。ええこと聞いた」
ほくそ笑んで数度頷く。そうかなあ、と首を傾げたが、彼女の表情は変わらない。
「ふふ、ええことなの」
その後、テストの話を聞いていると、注文していた品が届いた。彼女は一口頬張ると、んん、と声をあげて喜色を表した。
「めっちゃ美味しい……!」
「それは良かった。連れてきた甲斐あるわぁ」
ティータイムを終えると、彼女がふいにこんなことを尋ねてきた。
「先生って、彼氏おる?」
至って真剣な眼差しで尋ねてくるものだから、私は無意識に姿勢を正していた。
「……おらへんのよなあ、残念ながら」
「そっかあ」
ズズ、と紅茶を一口飲むと、彼女は聞いて欲しいことがあると切り出した。彼女の切なげに落とす視線から、自身が協力できるのかという一抹の不安は拭えない。しかし、いつになく真剣な彼女だからこそ、聞き逃さまいと耳を傾けた。
「私な、今片想いしてんねん」
そう切り出した彼女の話はこうだ。高校に入学し、新たな友人も増えた頃、委員会決めを行った。その際に同じく図書委員となった男の子が片想いの相手だそうだが、何やら精神的に複雑な出来事が起こったらしい。
***
立候補したときから、私の恋は始まっていたのかもしれない。本は嫌いじゃないから、という積極的な理由で図書委員に手をあげた。私があげると同時に、一人の男子がひょろりと長い腕を持て余しながら手を上げていた。真っ黒な髪の毛に、黒縁眼鏡。やっぱり、と口をついて出そうな程の目に悪い前髪。口数の少なそうな大人しい人なのかな、と対照的な彼を想像した。仲良くなれるかな、と二人で行う当番を待ち望んでいた。
週に一度、彼と放課後に本の貸し出しを業務として行う。その間、必然的に会話をするのだが、あまりにも話が弾まなかった。イエスか、ノーか、の二択の会話しか出来ない上に目も合わせてくれない状態。嫌われているのか、と嫌な気持ちになったが、本の整理をしているときに事態は好転した。
「あ、これ……」
手にした本は中学生のときにお気に入りだった本。天気に関する妖精が出てくるファンタジーもので、何度も借りて読んでいた。
「どうかしました?」
思い出に浸っていると、彼が背後から声をかけてきた。実は、と過去の話をすると、
「それは良かったですねぇ」
と、初めて小さく笑ったのだ。その表情に、何かが弾けていくような感覚に襲われた。
「今……」
「ん?」
「笑うた、よな?」
「……え、」
一気に距離を詰めて指摘すると、恥ずかしそうに顔を下に向けてしまった。長い前髪が邪魔をして表情が窺えない。
「ちょ、あかん、隠さんとって!」
覗き込もうと企むけれど、相手の方が身長が高いせいでいとも簡単に逃れられてしまう。何度か顔だけの追いかけっこをしていると、再び笑い声が聞こえてくる。
「ふ、ははっ……」
大きく骨ばった手で自身の口元を隠しながら顔をくしゃくしゃにして笑う彼。
「こんなにはしゃぐ人、初めてやわ」
この瞬間、好きやと思った。自覚してしまうと、体は正直で突如として顔に熱が集う。
「わ、その、ごめん」
ぱっと彼と距離をとると、彼は眼鏡をクイ、と位置を直した。
「ええです。僕、こないに笑わせてもろたの久しぶりやからお腹痛い」
これ以降、委員会限定ではあるが、二人で話すようになった。彼は博識で、何事に対しても手際が良かった。それにテストでのクラス一位、学年一位は他でもない、彼であったのだ。苦手なことなんてないんやと思っていたが、本人は運動と絵が苦手とのこと。美術は選択していないから未知数。体育も男女別だから、見ることはほとんどないせいで実際の実力は不明。今度、盗み見してみよかな、なんてひっそりと考えていた。
とある日の当番、彼は珍しく質問をしてきた。
「僕と話すのは、つまらんくないですか」
表情一つ動かさず、真顔で尋ねてくる。
「え……なんで?」
私もつられて真顔になってしまう。
以前より彼の表情は柔らかいし、口数も増えた。高校生活において楽しみの一つとなっていた、この時間。楽しんでいたのは、私だけだったのかと不安が過った。
しかし、その心配は杞憂に終わる。
「僕、話し下手やし不愛想やし……絶対僕みたいな奴嫌いなんやろなって思ってて……でも、白石さんは話し上手で明るうて、他の人と同じように僕とも変わらず話してくれるやないですか。その、申し訳ないって……思ってまうんです」
ほんのりと頬を赤らめながら伝えてくれる彼に胸が締め付けられる。
「そ、そんなことない!私は、その……一緒におるの楽しいから、自分自身で選んで話しとるんよ?」
離さないと伝えるように、彼としっかり目を合わせる。彼は一瞬、面食らった顔をしつつも、耳まで赤くして眼鏡の位置を上げ直した。
「そ、それは、その……ありがとうございます……」
好きという気持ちが日々更新されてしまう。もう愛おしさで死んでしまいそう。胸がいっぱいで苦しい。
とある日、友人達と教室でお昼を食べていた時だった。完全に彼との関係に浮かれきっていた私。タイミングが良いのか、悪いのか、話の内容は、恋愛となっていた。初めは友人達の話に対して相槌を打つばかりだったが、それに気づかれてしまったために矛先が私へと向く。
「彼氏、おらへんの?」
その瞬間、目の前の友達の背後を通り過ぎる彼。
「え、えっとな、」
彼に片想いしている。そう言おうとしたが、すぐに飲み込んだ。私の言葉を遮り、友人の一人がこう言ってのけたのだ。
「ああいうのは嫌やわあ。何考えとんかわからへんし、暗いやん」
目の前が真っ白になった。友人が何を言ったのかが理解できなかった。
暫くぼうっとしてしまい、その後に友人の言葉を処理した。友人の何気ない言葉は、彼を否定し、私のことも否定しているように受け取れた。
彼の事を何も知らないくせに、どうしてそんなことか言えるのか。今すぐこの場で泣いてしまいそうだった。
「んで、何やったっけ?」
平気な顔して続きを促す友人に吐き気を催した。
別に自分がいい子だって言うつもりは無い。私だって、委員会に入らなかったらこの子と同じことを平気な顔して言ってたかもしれない。
「ううん、何もない。あー、私も彼氏欲しいなあ」
上手く笑えているのだろうか。胸の奥で何かが引っかかってもやもやとする。
「何かあったら言うてや、私ら友達やん」
「うん、せやね!」
机に置いていた手が拳を作る。自分の気持ちを殺してしまったことに対して一番腹が立った。
***
「私、どうしたらええんやろ」
一通り話し終わった彼女の顔色は変わらなかった。否、より険しくなっているように見えた。
「友達はあの人のええとこ知らへんからそういう風に言うてもうただけやねん。私はたまたま知ることが出来たし、こうして好きになった。でもあの人を好きなことが恥ずかしいことなんちゃうんかって一瞬でも思うてもうた自分が嫌で仕方ないねん」
彼女はカップの取っ手をなぞり、言葉を続ける。
「好きでおる資格、ないんかもしれへん……」
消えゆく言葉は、震えていた。自身に対する憤り、彼に対する謝意、友人に対する不信。全てが混ざって冷静でいられないのだろう。
「好きでおるのに、資格なんていらんよ」
私はカップを両手で包みながら静かな水面を見つめる。
「その彼のことが好きなら恥じる必要はない。友達と関係を続けたいんやったら続けたらええと思う。でもな、無理に合わせる必要もないと思うねん、私はな」
私は溜息を吐いて、言葉を続けるのに間を開けた。
「これは私の一意見やから、話半分で聞いてな?」
確認をとると、彼女はこくりと頷く。
「友達やからってお互いの全てを理解し合えるわけでもないし、仲が良いからといって全部伝えなあかん決まりもない。接する人全員に同じ顔せなあかん決まりもない。せやから、人に対する素直さを変えることで関係をつくっていったらええんちゃうかな。まあ、最後にどうするかは自分で決めるしかないんやけどな?」
張り詰めた空気を破るように、少し笑って見せた。私がこんなこと言えた口やろうか。
ざわつく胸を抑えるために、既に冷えてしまったミルクティーを口に運ぶ。彼女は潤んだ瞳を隠すように目を細めて微笑んでいた。
「先生はやっぱ大人やな」
優しく告げられた言葉に、私は肯定も否定もしなかった。どうなんやろう、と言葉を濁した。
「ちょっとお手洗い行ってくるわ」
そう言って席を立った彼女を見送り、一人になったところで私は誰にも聞こえない声量で
「……言わへん方がよかったかな」
と口から零していた。
彼女が自身で悩んで悩み切って答えを出す方がよかったのか、私の言葉が必要だったのかはわからない。実際に彼女の立場になれたわけでもない。
「難しいなあ……ほんまに、」
数分後、彼女は清々しい顔つきで戻ってきた。
「ふう~……先生に相談して良かったわ。スッキリした」
「協力できたんかわからへんけど、スッキリしたならええわ」
彼女が良いというのなら、そういうことにしておこう。これ以上、私がどうにかできる問題ではないのだから。
慣れないことをするもんじゃない、と一息吐くと、目の前の彼女は、突然話を切り替えた。
「なあなあ、先生ってどういう人が好きなん?」
次はこちらのターンというわけか。瞬きを数度繰り返してから、首を横に振った。
「私の話はええやんか」
「ちょっとだけでええから教えて!」
手のひらを合わせてお願いしてくる彼女。
特にこういう人がいい、と考えたことがなかったせいか、これといったものが出てこない。熟考した挙句、出てきたものは、普遍的なもの。
「優しい人、かなあ」
絞りだしたものがあっけなかったせいか、彼女は目が点になっている。
「……それだけ?なんか背が高いとか、頭ええ人とか、」
例を次々と挙げてくれるが、どれも私にとってぴったりとはまらなかった。
「ふふ、最近そういうのないから思い浮かばへんのかもしれへんわ」
笑って誤魔化すと、彼女はキラキラと笑っていた。
「先生の恋人になる人が楽しみやわあ」
へへ、といたずらっ子のように笑う彼女が眩しくて、思わず目を背けそうになる。
誰かを好きになっても、その人は既に誰かのもので、土俵に立つことさえ叶わなかった過去。その回数は数えるほどであったとしても、私に振り向いてくれることはないのだと感じてしまう自分がいる。片想いをしてもう一歩進めばいいのに、それが出来なくて一歩、また一歩と下がって逃げ出してしまう自分。ただ、追いかけ続けることに疲れたのかもしれない、なんて考えては諦めることを繰り返す。
もう少し素直に生きられたら良かったんやろうか。でも、私に程よい素直さなど持ち合わせていない。いつの間に失ってしまったのか。
***
「くーちゃ~ん」
コンコン、と部屋の扉をノックする音と共に姉の声が届く。ノートに数式を書く手を止め、戸を少し開けた。
「なんや?」
そこにはすこぶる笑顔で待つ姉がいた。その笑顔は、表現しづらいほど嫌な予感がする。何用かと尋ねると、姉はヘラヘラと笑って言いのけた。
「今日な、名前先生と放課後デートしてきてんけど」
「おん」
「先生、彼氏おらへんのやって」
姉の言葉に、以前のにやけ顔がフラッシュバックして、溜息と共に頭を抱えた。返答に困り、んん、と唸り声を上げると、姉はキョトンとした顔で、
「あれ、くーちゃん嬉しくないん?」
と呟いた。
「俺に関係あらへんし……」
冷静を装うけれど、既に知られているだろう姉には為す術なし。
「ほんまに~?」
目が合わせられないせいで、姉のにやけ顔に拍車がかかる。
「まあええわ。好みまで聞こうとしたけどあんまないみたいやし」
もう満足したのか、ほなね、と自室へと戻って行った。その姿を見送ってから俺は戸を閉じると、ベッドにダイブし、枕に顔を埋めた。
「ううう〜……!」
素直に喜べばいいのか、悲しめばいいのか、複雑な心境に苛まれる。
「どうせなら好みのタイプまで聞いてくれや……!」