下手くそに愛を叫べⅠ
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「最悪や……」
電車から降り、自宅に帰ろうとしたが、改札を抜けると目の前はバケツをひっくり返したかのような雨が地面に叩きつけられている。ビチビチと音を次から次へと立てる雫。どんよりとした曇り空は一面に広がっていた。
溜息を吐きながらバッグの中を探すが、折り畳み傘は見当たらない。たまたまいつも使用しているバッグとは違うものを持ってきていたせいか、入れ忘れていたようだ。
さすがにこの雨の中走って帰る元気もなく、通り雨であることを祈りながらスマホで天気を確認したが、当分止みそうになく肩が下がった。
少しでも雨が弱まったら走ろう。家はそこまで遠くない。
暇潰しにSNSを開き、更新された知人の日常を見ていた時だった。
「名前、先生?」
聞き慣れぬ声。しかし声は私を呼んでいる。
違和感を覚えつつ、声のする方へ体を向けると、そこには顔見知りの美少年がいた。
「蔵ノ介くん、なんでここに……部活?」
反射的にスマホの画面を消し、声をかけてきた彼と向き合う。近づいてきた彼は不思議そうに私を見つめていた。
「そうです。こっち方面の学校に用事があったんで」
「部長さんは大変やなあ」
世間話も程々に「気ぃつけて帰りや」とだけ告げると、彼は鞄から折り畳み傘を取り出してゆっくりと広げた。
「先生は……待ち合わせ、ですか?」
「ん?ああ、傘忘れてもうて。弱まったら走って帰ろかなって」
ハハ、と乾いた笑いを返せば、彼は私に傘を差し出した。
「使うてください」
一度大きく瞬きをしつつも、私はすぐに首を横に振った。
「大丈夫やから、気にせんといて」
断りを入れ、再び空を見上げると、先程より雨足は通り過ぎていた。今ならそう濡れないだろう。ほな、と言ってその場から走り出そうとしたが、呆気なく隣にいる彼に阻まれてしまった。腕を掴まれた上に、一向に離す気配のない彼。
「蔵ノ介、くん?」
名を呼ぶと、彼はほんのりと頬を染めて、こう言った。
「一緒に、入りませんか」
ザアザアと降り頻る雨の中、私と蔵ノ介くんは肩を並べて歩いていた。少し止んでいたはずの雨は、再度強度を増してしまい、仕方なく蔵ノ介くんの好意に甘えてしまった。というより甘えさせられたという方が正しいのかもしれない。
私が何度断ろうとも、彼は何度も諦めず、入れ入らないの応酬が続き、結局私が折れた。自宅のマンションまで送ってもらってはいるが、先程から蔵ノ介くんは何も話さない。なんとなく形容しがたい気持ち悪さ。雨の壁に包まれ、狭い部屋に閉じ込められているようだった。
なぜ私と彼が知り合いかというと、私はアルバイトで彼のお姉さんの家庭教師をしているから。教えに行くと、ごく稀に顔を合わせる程度の薄い関係。いや、関係があるというのは烏滸がましかった。
大学生の私と中学生の彼。普通なら出会うことさえしなかっただろうに、と現状に違和感を覚えていた。私はこの違和感に耐え切れず、彼のお姉さんから間接的に聞いた彼の情報を、糸をたどるように思い返していた。四天宝寺中のテニス部部長で、女子人気が高くて……あと、なんだったか。ああ、そうだ。よく話す子だと言っていた。しかし先程の彼の様子からは見てとることはできない。むしろ、どこか遠慮しているような雰囲気だ。それもそうだろう。中学生からしたら大学生は大人なのだから。ろくに話したこともなければ、私は十九歳で彼は十四歳という差。
それでもこうして傘に入れてくれるところから彼の優しさを感じられずにはいられなかった。そんな彼に、私は朧気な記憶から確認するように語りかけた。
「テニス部、なんやってな。蔵ノ介くん」
突然切り出したせいか、彼は一瞬狼狽えたが、すぐにそうです、と肯定した。
「テニス部、強いんやろ?全国いったとか」
「一応、そうですね」
「凄いなあ……楽しい?」
続けざまにそう尋ねると、彼は少し押し黙った。まずいことを聞いてしまったかと思いつつ、彼の反応を待っていると、ぎこちなく笑みを浮かべてこう答えた。
「好きやから、続けてます」
彼の解答と態度に気づかぬふりをした。何に、と言われたとしても、答えるのは野暮というものだろう。
「ええことやなあ」
私はマンションに着くまで、彼の顔を見ることはなかった。
「あ、ここやわ。ありがとうね」
マンションに着き、足を止めてから礼を言うと、彼はゆっくりと顔を上げて空へ伸びる建物を見つめた。
「ごめんな。わざわざ送ってもろうて」
「いえ、これくらい大丈夫なんで」
彼の顔を見つめるけれど、目が合うことは無い。これはさっさと帰るべきなのだろう。それが最良の選択。
しかし、私の目に彼の濡れた肩が目に入ってしまったが故に、それは先延ばしにされる。私はバッグからタオルハンカチを取り出しては、濡れた肩にトントンとあてた。
「ごめんなあ、折り畳みやから我慢させてもうたな……これしかないけど使うて」
言い逃げするようにハンカチを握らせ、エントランスへと駆け込む。
「ほなね、ありがとう」
手を振ると、彼はハンカチを持った手をこちらに伸ばして、返そうとしているようだった。彼が何か言おうとしたのを遮って、私は彼にこう伝えた。
「また今度お姉ちゃんとこ行くから、そん時にでも返してくれたらええわ」
私のお節介を受け入れてくれたのか、彼は伸ばしていた手を引っこめる。最後にエントランスで再び手を振ると、ほんのり頬の赤い蔵ノ介くんが手を遠慮がちに振り返してくれていた。
なんや、やっぱり素直な子やんか。冷えた体とは対照的に心はぽかぽかと暖かかった。
電車から降り、自宅に帰ろうとしたが、改札を抜けると目の前はバケツをひっくり返したかのような雨が地面に叩きつけられている。ビチビチと音を次から次へと立てる雫。どんよりとした曇り空は一面に広がっていた。
溜息を吐きながらバッグの中を探すが、折り畳み傘は見当たらない。たまたまいつも使用しているバッグとは違うものを持ってきていたせいか、入れ忘れていたようだ。
さすがにこの雨の中走って帰る元気もなく、通り雨であることを祈りながらスマホで天気を確認したが、当分止みそうになく肩が下がった。
少しでも雨が弱まったら走ろう。家はそこまで遠くない。
暇潰しにSNSを開き、更新された知人の日常を見ていた時だった。
「名前、先生?」
聞き慣れぬ声。しかし声は私を呼んでいる。
違和感を覚えつつ、声のする方へ体を向けると、そこには顔見知りの美少年がいた。
「蔵ノ介くん、なんでここに……部活?」
反射的にスマホの画面を消し、声をかけてきた彼と向き合う。近づいてきた彼は不思議そうに私を見つめていた。
「そうです。こっち方面の学校に用事があったんで」
「部長さんは大変やなあ」
世間話も程々に「気ぃつけて帰りや」とだけ告げると、彼は鞄から折り畳み傘を取り出してゆっくりと広げた。
「先生は……待ち合わせ、ですか?」
「ん?ああ、傘忘れてもうて。弱まったら走って帰ろかなって」
ハハ、と乾いた笑いを返せば、彼は私に傘を差し出した。
「使うてください」
一度大きく瞬きをしつつも、私はすぐに首を横に振った。
「大丈夫やから、気にせんといて」
断りを入れ、再び空を見上げると、先程より雨足は通り過ぎていた。今ならそう濡れないだろう。ほな、と言ってその場から走り出そうとしたが、呆気なく隣にいる彼に阻まれてしまった。腕を掴まれた上に、一向に離す気配のない彼。
「蔵ノ介、くん?」
名を呼ぶと、彼はほんのりと頬を染めて、こう言った。
「一緒に、入りませんか」
ザアザアと降り頻る雨の中、私と蔵ノ介くんは肩を並べて歩いていた。少し止んでいたはずの雨は、再度強度を増してしまい、仕方なく蔵ノ介くんの好意に甘えてしまった。というより甘えさせられたという方が正しいのかもしれない。
私が何度断ろうとも、彼は何度も諦めず、入れ入らないの応酬が続き、結局私が折れた。自宅のマンションまで送ってもらってはいるが、先程から蔵ノ介くんは何も話さない。なんとなく形容しがたい気持ち悪さ。雨の壁に包まれ、狭い部屋に閉じ込められているようだった。
なぜ私と彼が知り合いかというと、私はアルバイトで彼のお姉さんの家庭教師をしているから。教えに行くと、ごく稀に顔を合わせる程度の薄い関係。いや、関係があるというのは烏滸がましかった。
大学生の私と中学生の彼。普通なら出会うことさえしなかっただろうに、と現状に違和感を覚えていた。私はこの違和感に耐え切れず、彼のお姉さんから間接的に聞いた彼の情報を、糸をたどるように思い返していた。四天宝寺中のテニス部部長で、女子人気が高くて……あと、なんだったか。ああ、そうだ。よく話す子だと言っていた。しかし先程の彼の様子からは見てとることはできない。むしろ、どこか遠慮しているような雰囲気だ。それもそうだろう。中学生からしたら大学生は大人なのだから。ろくに話したこともなければ、私は十九歳で彼は十四歳という差。
それでもこうして傘に入れてくれるところから彼の優しさを感じられずにはいられなかった。そんな彼に、私は朧気な記憶から確認するように語りかけた。
「テニス部、なんやってな。蔵ノ介くん」
突然切り出したせいか、彼は一瞬狼狽えたが、すぐにそうです、と肯定した。
「テニス部、強いんやろ?全国いったとか」
「一応、そうですね」
「凄いなあ……楽しい?」
続けざまにそう尋ねると、彼は少し押し黙った。まずいことを聞いてしまったかと思いつつ、彼の反応を待っていると、ぎこちなく笑みを浮かべてこう答えた。
「好きやから、続けてます」
彼の解答と態度に気づかぬふりをした。何に、と言われたとしても、答えるのは野暮というものだろう。
「ええことやなあ」
私はマンションに着くまで、彼の顔を見ることはなかった。
「あ、ここやわ。ありがとうね」
マンションに着き、足を止めてから礼を言うと、彼はゆっくりと顔を上げて空へ伸びる建物を見つめた。
「ごめんな。わざわざ送ってもろうて」
「いえ、これくらい大丈夫なんで」
彼の顔を見つめるけれど、目が合うことは無い。これはさっさと帰るべきなのだろう。それが最良の選択。
しかし、私の目に彼の濡れた肩が目に入ってしまったが故に、それは先延ばしにされる。私はバッグからタオルハンカチを取り出しては、濡れた肩にトントンとあてた。
「ごめんなあ、折り畳みやから我慢させてもうたな……これしかないけど使うて」
言い逃げするようにハンカチを握らせ、エントランスへと駆け込む。
「ほなね、ありがとう」
手を振ると、彼はハンカチを持った手をこちらに伸ばして、返そうとしているようだった。彼が何か言おうとしたのを遮って、私は彼にこう伝えた。
「また今度お姉ちゃんとこ行くから、そん時にでも返してくれたらええわ」
私のお節介を受け入れてくれたのか、彼は伸ばしていた手を引っこめる。最後にエントランスで再び手を振ると、ほんのり頬の赤い蔵ノ介くんが手を遠慮がちに振り返してくれていた。
なんや、やっぱり素直な子やんか。冷えた体とは対照的に心はぽかぽかと暖かかった。
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