下手くそに愛を叫べⅡ
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最ッ悪や。言われてしもた。
講義前の休み時間、俺は頭を抱えていた。大きな悩みがあるせいで重たい頭は上がらず、机に突っ伏している。初めは冷たかった机も今では温かくなってしまい、大講義室での騒音も耳に入らない。ずうんと項垂れるばかりなのだ。
なぜ気分が晴れずに悶々としているかと言えば、ようやく付き合い始めた年上の彼女が関係していた。先日三回目のデートをしたものの、彼女の本心を知り、自身の甲斐性の無さを痛感した。関係が形成され四か月が過ぎたが、俺の積極性がないせいで遠慮しているのか、と心境とは真逆のことを指摘されてしまった。片想いのときは好きになってもらうために姉の力を借りつつ奮闘し、成就するまで辿り着いた。しかし、成就したらしたで俺だけに向けてくれる表情一つ一つが眩しくて仕方がないのだ。加えてあの夢を見たせいで頭は大混乱。想像よりもヘタレな自分に溜息しか出ない。
それからというもの、検索ツールのサジェストには『社会人 学生 カップル』『社会人彼女 学生彼氏 年の差』『キス タイミング 社会人』と恋愛についての単語が並び始めた。情けないとは分かっていながら自分の経験の無さを恥じ入り、次はどう行動を起こせばいいかとスマートな方法を探っている。やるならロマンティックにだとか、さりげない雰囲気で、と理想を思い描いても導かれた方法にピンとこなければ、自分が行動に移すとなると頭がついていかない。原因は勿論、自分の経験の無さが響いている。また遠慮しているのかと聞かれる前に、一つ違うところを見せたい。しかし、そう思っても結論が出ずに無限に悩み続けている。
「おったおった」
ガタガタと音を立てて隣の空いた席に座るのは大学で出来た友人。ふあ、と欠伸をしながらやんわりとパーマのついた猫っ毛を乱雑に掻いていた。白のロングTシャツにネイビーのサマーニットを重ね、黒のスキニーとスポーツサンダルを纏っている。
椅子に座るや否や、足をだらしなく放り投げた。そして、本当に教材が入っているのかと問いたくなる小さなリュックから筆箱やら教科書を次から次へと机に出していた。いつもならだらしがないだとか、昨日も夜更かししたのかだとか、小言に近い苦言を呈していたのだが、今の俺にはそんな気力さえなかった。ぼうっと友人の動向を眺めているだけで、自分自身のことで一杯だった。
「どないしたん。そんな辛気臭い顔して」
珍しく何も言わない俺に異変を感じたのか、友人に指摘されてしまった。そんな奴は未だ目が覚めていないのか半分しか開いていない。
「いや~……ちょっとな」
「テスト近いねんから、ぼーっとしとったらヤバイで」
薄ら笑いで誤魔化すと、開き始めた目に現実を突きつけられてしまった。その瞬間、焦りが痛みとなって胸を抉った。
試験期間に入れば単位取得のために時間制限がかかる。勉強に集中するとなれば名前さんに会えない。学生の本分に現を抜かすなんて有り得ない。悩みを打破するための時間もないということになる。
「それはそうなんやけど……」
かっこつかないままの自分が嫌なくせに、情報源不明のネタを仕入れるだけ仕入れてはウジウジと迷っている。拗ねたように口篭れば、友人は胸に抱えたリュックからペットボトルを取り出した。
「なん? 彼女の話?」
何食わぬ顔で核を突いてくる男は暢気に水を飲んで喉を潤している。俺は俺で名前さんの話を一言もしたことがないせいで、胸が悲鳴を上げた。それと共にかあ、と一瞬で顔が熱を帯びるのを感じれば、言葉が口の中で大渋滞を起こした。否定しようにも紛れもない事実で、交際を始めてから頻繁に会う友人には誰にも報告していなかったことで、ただ無言の肯定をする羽目になってしまった。
友人はペットボトルから口を離すと、紅潮した俺の顔をまじまじと見つめた。
「……ほんまに?」
完全に覚醒した目が俺を射抜く。極まりが悪くなった俺は一度頷きつつも、視線から逃れるように目を逸らした。だが、友人は瞬きを繰り返している。
「って、合ってんのかい。白石、彼女おったんやな。でもまあ、おるか……」
ペットボトルを机に置いて、空いた手で後頭部を掻いた。目は俺から天井へと向き、独り言が浮かび上がっていく。そして意外そうな目で新たに俺を見た。一人で云々考える友人に気恥ずかしさが先行した俺は、幼く唇を尖らせていた。
「なんやねん、その目……」
「お前の見た目やったらおらへん方が不思議や思て」
どう答えるのが正解なのか分からず、口を閉ざした。あっさりと吐き捨てる友人のせいで心に靄がかかったが、否定出来るほどの言葉は持ち合わせていない。
大阪の地を離れた高校時代を思い出せば、耳に胼胝が出来るほど聞いた文言であった。告白と称して何度も呼び出され、その度に「待たせとる人がおる」と言って切り抜けた。そして皆口を揃えて「白石君だったらいるよね」と言って去ることがほとんどであった。
「……俺ってどんな風に見えとる?」
話の腰を折って尋ねれば、隣の男は気味悪そうに顔を歪めた。
「何やねん急に」
「ええから教えて」
縋るように懇願すれば、顎に手を当てて唸り始めた。目を閉じて如何にも考えていますという素振りを見せる。すると、あ、と閃いた声を出すと、人差し指を天井に向け、満面の笑みで答えた。
「んーとなあ、イケメン」
ズコーッ。思わず座ったまま体のバランスを崩した。ゆっくりと体を起こし、うーんと再び頭を抱えてしまう。四天宝寺で鍛えたズッコケが今役に立つとは、と密かに感慨深くなってしまった。
「褒めたったのに不満なんか?」
ペットボトルの蓋を閉めながら文句を垂れる友人は先程の俺と同じように唇を尖らせている。俺も俺で聞いておきながら申し訳なかったと思いつつ、嬉しい部類には入らない単語に喜ぶ嘘さえ吐けなかった。
「褒めとか要らんからもっとないか?」
上半身だけを近づけると、想像以上に俺が必死だったのか、体を仰け反らせていた。そして、俺の要求の意図が汲みとれないのだろう、口をへの字にして訝しげに俺の顔を見た。
「欲張りな奴やなぁ」
やれやれと首を左右に振ると、再考してくれるようだ。唇を内に丸め、机を薬指でトントンと叩き始めた。
「えーとなあ……彼女切れたことなさそう。チャラい」
「んんん……!」
再考したはずなのにあっさりと出てきた単語に哀情を隠せない。見た目の印象最悪ではないか。
友人からの解答に思わず頭を抱えた。そういう見た目であるせいで、名前さんから余計に遠慮しているように見られているのではないか、と更なる答えを導く他ない。
「また不満そうな顔して何が嫌やねん。それと彼女何が関係あんねん」
皺を寄せた眉間と面倒くさいと書かれた頬が痛烈に刺さる。話す速度が増しているせいもあり、尚の事鋭利に尖っている。
「笑わんと聞いてや?」
「ええから。早よ言え」
不安を全面に出しながら念を押すと、友人は人差し指を前後に数度動かして手招いた。俺は恐る恐る周囲の人間に一文字たりとも聞かせないようにと努めて小声で友人に伝えた。
「初めて出来た彼女やねんけど、年上でしっかりしてる人やから……その、どないしたらええんか分からんくて……」
「ちょ、ちょちょちょ、ちょお待って」
手のひらに動揺を乗せて、勢いよく顔の寸前まで押し付けてくる。その勢いの良さに圧倒されてしまい、俺は説明する口を閉じた。手のひらが目の前から去ると、次に繰り出されたのは盛大な溜息であった。机に肘をついた方の手が顔を覆い、もう片方の手の人差し指はシンキングタイムを思わせるような一定のリズムで机を叩き始める。俺はその様をいつ終わるのかと静かに眺めていると、友人は突然身体を起こした。そして心底信じられないというような絶望に近い顔をして溜息を吐く。さらに数秒の沈黙が流れた後、重たそうな口が開いた。
「お前初なん?嘘やろ」
「……そこはええやん、別に」
引っ掛かって欲しいところはそこじゃない。本題はその向こうなんだ。
友人はうんうんと頷いて、前提条件を喉に通らせた。呑み込み終えると状況を察知したのか、埒が明かないと諦めたのか、続きを促す。
「まあええわ。それで年上ってなんぼ上なん」
「五つ上」
「はっ、えっ、社会人!?」
「声でかいねん!」
その場で飛び跳ねる友人の腕を掴み、椅子へと戻す。周囲の目を確認してから口の前で人差し指を立てて声量を落とすように懇願した。
「すまん。初めて言うてたから五歳も上やと思わへんくて」
先程の慌てぶりはどこへ捨てたのかと思う程冷静な顔が目の前にいた。俺はというと、友人の素直な言葉がさり気なく心に傷を作ってくれる。
「やっぱ『も』やねんなあ……」
じくじくと傷が広がっていくようで、自身の顔を両手で覆った。お互いが社会人同士の五歳差ならまだしも、男の俺が年下で、学生というカテゴリに位置している。それに初めてなのだから驚かれるのも無理はないのかもしれない。
「なんか言うた?」
「いや、何もない」
無邪気に目を丸くさせる友人に薄ら笑いで言葉を呑み込んだ。すると友人は一度座り直すと、改めて俺の悩みについて向き合ってくれるような、前向きな言葉が飛んだ。
「んで、いろいろ聞きたいけど、何が悩みやねん」
「手ぇ繋ぐから先の進展方法を知りたい」
俺の言葉を聞いたはずなのに、友人は微動だにしなくなってしまった。固まってしまった肩を揺すると、友人は顔に出来る皺を可能な限り作っては酷く深刻そうに眉間を摘まんだ。
「……もっかい確認するで?」
目を閉じたまま瞼を釣り上げ、人差し指だけを天に向ける。やはり進展が遅いと思われているんだろうと肩を落としてしまった。
「初カノで五歳上の社会人で手までしか繋いでないってことでええか?」
「……おん」
「そっ、それは~……ほんまに付き合うてんの?」
動揺と疑念を交え、困ったように首を傾げる友人。不本意ながらも自覚のある反応をしてしまい、羞恥の熱が全身を覆った。
「どっ、どういう意味やねん、それ」
「中学生やないねんから手繋ぎだけで満足するわけないやろ。キスもセック……」
「オォイ!」
それ以上は言わさへん。
周囲に人が多いのに、と咄嗟に大声がでてしまった。声量で掻き消せたのかは分からないが、紛れたと思いたい。
「えらい声張ったな」
「内容的に話したらあかんやろ!」
慌てふためく俺と対照的に冷静な友人。パクパクと口を無駄に動かしながら言動に注意をすると、またもや文句を言いたそうな細い目に溜息を吐かれてしまった。
「……進み遅い理由分かったわ」
馬鹿にされる理由は分かっているが、言い返す言葉が見当たらず、わなわなと体を震えさせるだけ。すると、友人はまあまあと俺を窘め、得意げに口角を上げた。
「しゃあない。一応協力したるわ」
「ほ、ほんまに?」
「粗方ネットの情報に泳がされて困ってんねやろ」
鶴の一声かと喜んだ後のこれだ。的を射すぎていて両手で胸を抑えてしまった。
「自分、エスパーなん……!?」
「アホ。ええから全部話せ。そこからや」
こくりと一度頷き、前提から全てを洗いざらい話そうとした瞬間、遠くで鐘の音が鳴った。俺達は首を揃えて音の鳴る方へと顔を向けていた。
「あ~、鳴ってもうた。昼飯食いながら聞くわ」
話の終わりを手を適当に振ることで告げ、俺達は同じように顔を前へ向けた。
講義後、俺達は食堂で昼食を挟んで向かい合っていた。キャンパス内の隅にある薬学部には、ほぼ専用と言っていいような小さな食堂であった。今は昼時ど真ん中ということもあり、人が多く賑わっている。
そんな中、早歩きで得た座席で天津中華丼の湯気を眺めながら、俺は本題へと話を進めた。名前さんと出会ったときから惹かれ、待たせ、交際へと結びつけた約四年半の話を掻い摘んで話すと、友人は真面目か不真面目かよくわからない声を出していた。
「漫画みたいな話やな」
湯気の立つ天津中華丼を一口レンゲで掬っては頬張る。あっち、とハフハフする口を眺めながら俺も掬った天津飯に息を吹きかけた。
「俺もまだ夢みたいやねん……」
レンゲを持つ左手が止まる。脳内にはここ数か月で溜まった○○さんのメモリーが流れていた。
俺にだけ向けてくれる笑顔も、俺だけが感じられる温もりも、全てが愛おしい。ずっと傍にいて欲しい。何があっても俺が一番であって欲しい。誰よりも名前さんを知っていたい。考えれば考えるほど膨らむ欲望は留まることを知らない。彼女に関連することを経験すれば次を、その先をと求める愉楽は誰にも譲りたくない。そうであるのに今それが崩壊しそうな俺は、一刻も早く危険を消し去らなければならない。
ふう、と一息吐いて掬った天津飯を口に運べば、友人はレンゲを動かす手を止めることなく、爆弾を投下した。
「ほな白石童貞なんかぁ。意外やなあ」
「どっ、童貞関係ないやろ! 今!」
ガタンと盛大に立ち上がったせいで、周囲の目が俺に刺さる。冷ましたはずの天津飯も中の方に熱が溜まっていたようで、喉が熱さに負けた上に咀嚼途中で口を開いたために誤嚥するという二段構え。そして自らの声量と食べ物を飛ばさないようにと慌てて口を手で覆った。すると動揺する俺を他所に、友人は至って冷静で動じることなく俺を否定した。
「いーや、関係ある。初恋の恋人逃したないやろ」
「……当たり前やん」
「ならヤることヤらな」
にやりと意味ありげに笑う友人の言いたいことは俺でも理解出来た。一旦レンゲを置いた俺は手を擦り合わせ、窺うように友人の顔を下から覗いては不安を感じさせる言葉を吐露した。
「……難易度高ない?」
未だキスもしていないのに、それ以上を考えてもあの夢が脳裏に浮かぶだけで詳細など決められようもない。友人も意気揚々と提示したものの、俺の顔を見て察したのか、うーんと暫しの沈黙を作った。
「……まあお前の場合、キスからやな」
さすがの友人もレンゲを止めると、目を閉じてうーんと唸り声を上げた。俺は再びレンゲを持つも、その手が天津飯を掬うことはない。すると、友人は目を開けると、勢いよく身を乗り出した。
「とりあえずデート誘うとこからや。今誘え」
「えっ」
「えっやないわ。実践する場、作らんと意味ないやろ」
友人の真剣な瞳とレンゲが俺を差す。俺は、確かに友人の言う通りだとレンゲを置き、代わりに机の上に出していたスマホを手に取った。今度は俺がスマートに良い雰囲気を作るのだ、と。
「よし……」
気合を入れ、アプリを開く。今度こそは、と意気込んで誘い文句を打ち込んだ。
講義前の休み時間、俺は頭を抱えていた。大きな悩みがあるせいで重たい頭は上がらず、机に突っ伏している。初めは冷たかった机も今では温かくなってしまい、大講義室での騒音も耳に入らない。ずうんと項垂れるばかりなのだ。
なぜ気分が晴れずに悶々としているかと言えば、ようやく付き合い始めた年上の彼女が関係していた。先日三回目のデートをしたものの、彼女の本心を知り、自身の甲斐性の無さを痛感した。関係が形成され四か月が過ぎたが、俺の積極性がないせいで遠慮しているのか、と心境とは真逆のことを指摘されてしまった。片想いのときは好きになってもらうために姉の力を借りつつ奮闘し、成就するまで辿り着いた。しかし、成就したらしたで俺だけに向けてくれる表情一つ一つが眩しくて仕方がないのだ。加えてあの夢を見たせいで頭は大混乱。想像よりもヘタレな自分に溜息しか出ない。
それからというもの、検索ツールのサジェストには『社会人 学生 カップル』『社会人彼女 学生彼氏 年の差』『キス タイミング 社会人』と恋愛についての単語が並び始めた。情けないとは分かっていながら自分の経験の無さを恥じ入り、次はどう行動を起こせばいいかとスマートな方法を探っている。やるならロマンティックにだとか、さりげない雰囲気で、と理想を思い描いても導かれた方法にピンとこなければ、自分が行動に移すとなると頭がついていかない。原因は勿論、自分の経験の無さが響いている。また遠慮しているのかと聞かれる前に、一つ違うところを見せたい。しかし、そう思っても結論が出ずに無限に悩み続けている。
「おったおった」
ガタガタと音を立てて隣の空いた席に座るのは大学で出来た友人。ふあ、と欠伸をしながらやんわりとパーマのついた猫っ毛を乱雑に掻いていた。白のロングTシャツにネイビーのサマーニットを重ね、黒のスキニーとスポーツサンダルを纏っている。
椅子に座るや否や、足をだらしなく放り投げた。そして、本当に教材が入っているのかと問いたくなる小さなリュックから筆箱やら教科書を次から次へと机に出していた。いつもならだらしがないだとか、昨日も夜更かししたのかだとか、小言に近い苦言を呈していたのだが、今の俺にはそんな気力さえなかった。ぼうっと友人の動向を眺めているだけで、自分自身のことで一杯だった。
「どないしたん。そんな辛気臭い顔して」
珍しく何も言わない俺に異変を感じたのか、友人に指摘されてしまった。そんな奴は未だ目が覚めていないのか半分しか開いていない。
「いや~……ちょっとな」
「テスト近いねんから、ぼーっとしとったらヤバイで」
薄ら笑いで誤魔化すと、開き始めた目に現実を突きつけられてしまった。その瞬間、焦りが痛みとなって胸を抉った。
試験期間に入れば単位取得のために時間制限がかかる。勉強に集中するとなれば名前さんに会えない。学生の本分に現を抜かすなんて有り得ない。悩みを打破するための時間もないということになる。
「それはそうなんやけど……」
かっこつかないままの自分が嫌なくせに、情報源不明のネタを仕入れるだけ仕入れてはウジウジと迷っている。拗ねたように口篭れば、友人は胸に抱えたリュックからペットボトルを取り出した。
「なん? 彼女の話?」
何食わぬ顔で核を突いてくる男は暢気に水を飲んで喉を潤している。俺は俺で名前さんの話を一言もしたことがないせいで、胸が悲鳴を上げた。それと共にかあ、と一瞬で顔が熱を帯びるのを感じれば、言葉が口の中で大渋滞を起こした。否定しようにも紛れもない事実で、交際を始めてから頻繁に会う友人には誰にも報告していなかったことで、ただ無言の肯定をする羽目になってしまった。
友人はペットボトルから口を離すと、紅潮した俺の顔をまじまじと見つめた。
「……ほんまに?」
完全に覚醒した目が俺を射抜く。極まりが悪くなった俺は一度頷きつつも、視線から逃れるように目を逸らした。だが、友人は瞬きを繰り返している。
「って、合ってんのかい。白石、彼女おったんやな。でもまあ、おるか……」
ペットボトルを机に置いて、空いた手で後頭部を掻いた。目は俺から天井へと向き、独り言が浮かび上がっていく。そして意外そうな目で新たに俺を見た。一人で云々考える友人に気恥ずかしさが先行した俺は、幼く唇を尖らせていた。
「なんやねん、その目……」
「お前の見た目やったらおらへん方が不思議や思て」
どう答えるのが正解なのか分からず、口を閉ざした。あっさりと吐き捨てる友人のせいで心に靄がかかったが、否定出来るほどの言葉は持ち合わせていない。
大阪の地を離れた高校時代を思い出せば、耳に胼胝が出来るほど聞いた文言であった。告白と称して何度も呼び出され、その度に「待たせとる人がおる」と言って切り抜けた。そして皆口を揃えて「白石君だったらいるよね」と言って去ることがほとんどであった。
「……俺ってどんな風に見えとる?」
話の腰を折って尋ねれば、隣の男は気味悪そうに顔を歪めた。
「何やねん急に」
「ええから教えて」
縋るように懇願すれば、顎に手を当てて唸り始めた。目を閉じて如何にも考えていますという素振りを見せる。すると、あ、と閃いた声を出すと、人差し指を天井に向け、満面の笑みで答えた。
「んーとなあ、イケメン」
ズコーッ。思わず座ったまま体のバランスを崩した。ゆっくりと体を起こし、うーんと再び頭を抱えてしまう。四天宝寺で鍛えたズッコケが今役に立つとは、と密かに感慨深くなってしまった。
「褒めたったのに不満なんか?」
ペットボトルの蓋を閉めながら文句を垂れる友人は先程の俺と同じように唇を尖らせている。俺も俺で聞いておきながら申し訳なかったと思いつつ、嬉しい部類には入らない単語に喜ぶ嘘さえ吐けなかった。
「褒めとか要らんからもっとないか?」
上半身だけを近づけると、想像以上に俺が必死だったのか、体を仰け反らせていた。そして、俺の要求の意図が汲みとれないのだろう、口をへの字にして訝しげに俺の顔を見た。
「欲張りな奴やなぁ」
やれやれと首を左右に振ると、再考してくれるようだ。唇を内に丸め、机を薬指でトントンと叩き始めた。
「えーとなあ……彼女切れたことなさそう。チャラい」
「んんん……!」
再考したはずなのにあっさりと出てきた単語に哀情を隠せない。見た目の印象最悪ではないか。
友人からの解答に思わず頭を抱えた。そういう見た目であるせいで、名前さんから余計に遠慮しているように見られているのではないか、と更なる答えを導く他ない。
「また不満そうな顔して何が嫌やねん。それと彼女何が関係あんねん」
皺を寄せた眉間と面倒くさいと書かれた頬が痛烈に刺さる。話す速度が増しているせいもあり、尚の事鋭利に尖っている。
「笑わんと聞いてや?」
「ええから。早よ言え」
不安を全面に出しながら念を押すと、友人は人差し指を前後に数度動かして手招いた。俺は恐る恐る周囲の人間に一文字たりとも聞かせないようにと努めて小声で友人に伝えた。
「初めて出来た彼女やねんけど、年上でしっかりしてる人やから……その、どないしたらええんか分からんくて……」
「ちょ、ちょちょちょ、ちょお待って」
手のひらに動揺を乗せて、勢いよく顔の寸前まで押し付けてくる。その勢いの良さに圧倒されてしまい、俺は説明する口を閉じた。手のひらが目の前から去ると、次に繰り出されたのは盛大な溜息であった。机に肘をついた方の手が顔を覆い、もう片方の手の人差し指はシンキングタイムを思わせるような一定のリズムで机を叩き始める。俺はその様をいつ終わるのかと静かに眺めていると、友人は突然身体を起こした。そして心底信じられないというような絶望に近い顔をして溜息を吐く。さらに数秒の沈黙が流れた後、重たそうな口が開いた。
「お前初なん?嘘やろ」
「……そこはええやん、別に」
引っ掛かって欲しいところはそこじゃない。本題はその向こうなんだ。
友人はうんうんと頷いて、前提条件を喉に通らせた。呑み込み終えると状況を察知したのか、埒が明かないと諦めたのか、続きを促す。
「まあええわ。それで年上ってなんぼ上なん」
「五つ上」
「はっ、えっ、社会人!?」
「声でかいねん!」
その場で飛び跳ねる友人の腕を掴み、椅子へと戻す。周囲の目を確認してから口の前で人差し指を立てて声量を落とすように懇願した。
「すまん。初めて言うてたから五歳も上やと思わへんくて」
先程の慌てぶりはどこへ捨てたのかと思う程冷静な顔が目の前にいた。俺はというと、友人の素直な言葉がさり気なく心に傷を作ってくれる。
「やっぱ『も』やねんなあ……」
じくじくと傷が広がっていくようで、自身の顔を両手で覆った。お互いが社会人同士の五歳差ならまだしも、男の俺が年下で、学生というカテゴリに位置している。それに初めてなのだから驚かれるのも無理はないのかもしれない。
「なんか言うた?」
「いや、何もない」
無邪気に目を丸くさせる友人に薄ら笑いで言葉を呑み込んだ。すると友人は一度座り直すと、改めて俺の悩みについて向き合ってくれるような、前向きな言葉が飛んだ。
「んで、いろいろ聞きたいけど、何が悩みやねん」
「手ぇ繋ぐから先の進展方法を知りたい」
俺の言葉を聞いたはずなのに、友人は微動だにしなくなってしまった。固まってしまった肩を揺すると、友人は顔に出来る皺を可能な限り作っては酷く深刻そうに眉間を摘まんだ。
「……もっかい確認するで?」
目を閉じたまま瞼を釣り上げ、人差し指だけを天に向ける。やはり進展が遅いと思われているんだろうと肩を落としてしまった。
「初カノで五歳上の社会人で手までしか繋いでないってことでええか?」
「……おん」
「そっ、それは~……ほんまに付き合うてんの?」
動揺と疑念を交え、困ったように首を傾げる友人。不本意ながらも自覚のある反応をしてしまい、羞恥の熱が全身を覆った。
「どっ、どういう意味やねん、それ」
「中学生やないねんから手繋ぎだけで満足するわけないやろ。キスもセック……」
「オォイ!」
それ以上は言わさへん。
周囲に人が多いのに、と咄嗟に大声がでてしまった。声量で掻き消せたのかは分からないが、紛れたと思いたい。
「えらい声張ったな」
「内容的に話したらあかんやろ!」
慌てふためく俺と対照的に冷静な友人。パクパクと口を無駄に動かしながら言動に注意をすると、またもや文句を言いたそうな細い目に溜息を吐かれてしまった。
「……進み遅い理由分かったわ」
馬鹿にされる理由は分かっているが、言い返す言葉が見当たらず、わなわなと体を震えさせるだけ。すると、友人はまあまあと俺を窘め、得意げに口角を上げた。
「しゃあない。一応協力したるわ」
「ほ、ほんまに?」
「粗方ネットの情報に泳がされて困ってんねやろ」
鶴の一声かと喜んだ後のこれだ。的を射すぎていて両手で胸を抑えてしまった。
「自分、エスパーなん……!?」
「アホ。ええから全部話せ。そこからや」
こくりと一度頷き、前提から全てを洗いざらい話そうとした瞬間、遠くで鐘の音が鳴った。俺達は首を揃えて音の鳴る方へと顔を向けていた。
「あ~、鳴ってもうた。昼飯食いながら聞くわ」
話の終わりを手を適当に振ることで告げ、俺達は同じように顔を前へ向けた。
講義後、俺達は食堂で昼食を挟んで向かい合っていた。キャンパス内の隅にある薬学部には、ほぼ専用と言っていいような小さな食堂であった。今は昼時ど真ん中ということもあり、人が多く賑わっている。
そんな中、早歩きで得た座席で天津中華丼の湯気を眺めながら、俺は本題へと話を進めた。名前さんと出会ったときから惹かれ、待たせ、交際へと結びつけた約四年半の話を掻い摘んで話すと、友人は真面目か不真面目かよくわからない声を出していた。
「漫画みたいな話やな」
湯気の立つ天津中華丼を一口レンゲで掬っては頬張る。あっち、とハフハフする口を眺めながら俺も掬った天津飯に息を吹きかけた。
「俺もまだ夢みたいやねん……」
レンゲを持つ左手が止まる。脳内にはここ数か月で溜まった○○さんのメモリーが流れていた。
俺にだけ向けてくれる笑顔も、俺だけが感じられる温もりも、全てが愛おしい。ずっと傍にいて欲しい。何があっても俺が一番であって欲しい。誰よりも名前さんを知っていたい。考えれば考えるほど膨らむ欲望は留まることを知らない。彼女に関連することを経験すれば次を、その先をと求める愉楽は誰にも譲りたくない。そうであるのに今それが崩壊しそうな俺は、一刻も早く危険を消し去らなければならない。
ふう、と一息吐いて掬った天津飯を口に運べば、友人はレンゲを動かす手を止めることなく、爆弾を投下した。
「ほな白石童貞なんかぁ。意外やなあ」
「どっ、童貞関係ないやろ! 今!」
ガタンと盛大に立ち上がったせいで、周囲の目が俺に刺さる。冷ましたはずの天津飯も中の方に熱が溜まっていたようで、喉が熱さに負けた上に咀嚼途中で口を開いたために誤嚥するという二段構え。そして自らの声量と食べ物を飛ばさないようにと慌てて口を手で覆った。すると動揺する俺を他所に、友人は至って冷静で動じることなく俺を否定した。
「いーや、関係ある。初恋の恋人逃したないやろ」
「……当たり前やん」
「ならヤることヤらな」
にやりと意味ありげに笑う友人の言いたいことは俺でも理解出来た。一旦レンゲを置いた俺は手を擦り合わせ、窺うように友人の顔を下から覗いては不安を感じさせる言葉を吐露した。
「……難易度高ない?」
未だキスもしていないのに、それ以上を考えてもあの夢が脳裏に浮かぶだけで詳細など決められようもない。友人も意気揚々と提示したものの、俺の顔を見て察したのか、うーんと暫しの沈黙を作った。
「……まあお前の場合、キスからやな」
さすがの友人もレンゲを止めると、目を閉じてうーんと唸り声を上げた。俺は再びレンゲを持つも、その手が天津飯を掬うことはない。すると、友人は目を開けると、勢いよく身を乗り出した。
「とりあえずデート誘うとこからや。今誘え」
「えっ」
「えっやないわ。実践する場、作らんと意味ないやろ」
友人の真剣な瞳とレンゲが俺を差す。俺は、確かに友人の言う通りだとレンゲを置き、代わりに机の上に出していたスマホを手に取った。今度は俺がスマートに良い雰囲気を作るのだ、と。
「よし……」
気合を入れ、アプリを開く。今度こそは、と意気込んで誘い文句を打ち込んだ。