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年に一度、この日ばかりは教室に甘い香りが充満する。教師陣もいつもより幾何か優しくて、女子のロッカーには色とりどりの紙袋が詰まっていた。皆、どことなく浮足立っており、学校中の雰囲気は緩んでいる。私もその中の一人で、前日に睡眠時間を削って友チョコの作成にせっせと取り組んだ。そのせいで、授業中の欠伸が止まらない。
今年は通年とは少し違い、私ははりきっていた。なぜかと言われれば、彼氏が出来て初めてのバレンタインであるから。美味しいと言ってもらいたい。その一心でキッチンに立っていた。
私の彼氏というと、あのイケメン揃いで有名なテニス部の一人。ミステリアスで飄々とした掴みどころのないところが良く、端正な顔立ちにつけられた口元の黒子が女子の心をくすぐるような人。とどのつまり、かなりモテる部類の人間。そんな男、仁王雅治と私は付き合っているけれど、他の人には秘密の関係である。変に騒がれるのが嫌で、私から提案した。彼も素直に受け入れてくれ、校内で言葉を交わすことはほとんどない。クラスが同じだから何とかたまに交わすけれど、内容は恋人同士とは思えない業務連絡のようなものだけ。呼び方だって、私は「仁王君」だし、彼は私を呼んだことはない。二人きりになれば、「雅治くん」と「名前ちゃん」に早変わりしてしまうのだけれど。そんな生活のせいで未だに付き合えていることが不思議に思うときがあり、緊張が絶えない。
昼休みになり、女子が活発に動き出し始めた。私は友達と昼食を食べつつ教室内を観察していた。丸井君は来るもの拒まずという感じでチョコレートをたくさん抱えており、思わず笑ってしまう。毎年レギュラー陣はとんでもない量を送られているのをまざまざと見せつけられていたため、むしろこの状態は安心するというかなんというか。去年、雅治くんも綺麗にラッピングされた箱がいっぱい詰まった紙袋を持っていた。
今年は私のだけ、っていうのは無理だよね。雅治くん人気だし。
一人で当たり前のことを考え、少しだけ気落ちしていると、廊下で飛び交う声が耳に届いた。
「仁王くん今年もいないよ~」
「去年はまだいたのにね。今年全然姿見ないよ」
他のクラスの女生徒の声に心の中で勝手に頷いていた。
確かに今日はほとんど姿を見ていない。ふらっと教室に来たかと思えば、休み時間には姿など初めからなかったかのように消えている。彼女である私にも捕まえようのない存在。
その瞬間に形容しがたい恐怖に襲われた。私は、彼に渡せるのだろうか。もし受け取ってもらえなかったらどうしよう。
お弁当をつつく箸が止まりかけた瞬間、スマホの画面が明るくなる。そこには雅治くんからのメッセージ。
『授業終わったらすぐ裏門来て』
『待っとる』
彼氏からのメッセージに頬が緩む。友人にバレないように口元を抑えて可愛い狐のスタンプを押した。どことなく雅治くんに似ている気がして、まだ片思いしているときに買ったものだ。よく使うから雅治くん本人に「それ、好きじゃのう」と言われ、雅治くんに似てたから、と告げると顔を赤くしたのはつい最近の話。
そわそわと落ち着かない体を抑えつけるように私は一度椅子に座り直し、友人との会話を再開させた。
***
放課後になり、私は裏門へと駆け出した。ホームルームのときに彼の姿はあったけれど、終わった途端すたすたと教室から出て行ってしまっていたため、私も早く追いかけないと、と気が逸る。友人たちの挨拶も早々に切り上げ、たくさん詰まったお菓子の紙袋を携え裏門へと向かう。
裏門へ行くと、マフラーに顔を埋めた彼が待っていた。駆け足で近づけば、雅治くんはふにゃりと柔らかな表情を浮かべる。
「交換は終わったんか?」
「うん。予定通り」
「ほうか」
そう言うと、雅治くんはほれ、と手を差し出してきた。私も応えるように自分の手を重ねる。先程までズボンのポケットに入っていたせいか暖かい。
歩き始めて数分経った頃、雅治くんはマフラーで口元を隠しながら話しかけてきた。
「のう、名前ちゃん」
「なあに?」
「俺には、ないんか」
彼の言葉に思わず黙ってしまった。いつ渡そうかと考えていたために、雅治くんから言われるとは、と心臓が途端に煩くなる。
「えっ、あ、ある!あるよ!」
大慌てで紙袋の中に紛れ込ませていたチョコレートを取り出そうと漁る。慌てていたことと、手が冷たくなっていたせいで他のチョコレートが落ちてしまいそうになり、見かねた雅治くんに紙袋を持ってもらう始末。
「落ち着きんしゃい」
「ごめん……」
謝罪を口にしつつ、綺麗にラッピングした雅治くん専用のチョコレートを取り出した。
「その、私料理とか普段しないから、美味しいかどうかわかんないけど……でも、ちゃんと味見はしたから、多分大丈夫だと思う、」
口に合うかな、と騒ぐ心臓。ちらりと雅治くんの表情を窺うと、頬に紅を差していた。
「ん、あんがと」
小さな紙袋に入ったチョコレートは私の手から彼の手へと渡っていった。校内では見ることのできない雰囲気に胸が高鳴る。
「もらえるんか、ちょっと不安じゃった」
口元を抑えながら恥ずかしそうに告げる彼に私は首を傾げた。
「学校で渡してこんかったから、ちっくとな」
「ごめん……みんな雅治くんに渡そうとするの見てたら気後れしちゃったというか、」
尻すぼみに小さくなる声。
すると彼は空いた手で私の頭を数度撫でた。
「お前さんはする必要ないじゃろ。彼女なんじゃから」
「そ、そうだよね。うん」
頷いたけれど、彼の彼女でいていいのか、という不安は綺麗に払拭できてはいない。いくら経とうとも付き纏う気がしてならない。こんな弱気じゃだめだと思いながら、脳裏に浮かぶことを首を横に振って消す。
私は彼の手を見て、そういえば、と一つのことを思い出した。
「今日紙袋ないけど……他の子のどうしたの?」
彼のことだから机やロッカーに入れられてたんじゃないかと予想を立てる。それに逃げようにも限度があるはずだ。
しかし、彼の口からは私を喜ばせる言葉が飛び出す。
「断った」
「机とかロッカーに入ってなかったの?」
「あった。丸井に全部やった」
「えっ、丸井君に全部!?」
「捨てようとしたらくれって言うから渡した」
驚くポイントがいくつかあるせいで頭が混乱してしまいそう。去年のとんでもない量を見ていたせいか、丸井君の身体の心配まで頭に浮かぶ。
「いっつもは持って帰っとったんじゃけど、今年は一つしか持って帰りとうなかった」
お前さんのな。そう続ける彼に口元が緩んでしまう。
「それに名無しは怖いんじゃ。前、髪の毛入っとってそれから怖い」
「そ、そうだったんだ……」
私の入ってないよね、と不安が募る。既に渡してしまっているから大丈夫、大丈夫なはず、と自分に言い聞かせた。彼はそんな私のことを知らずに会話を続ける。
「のう、」
「ん?」
「うち寄っていかんか」
彼の言葉に先程の不安が飛んで行った。それはもうすごい速さで。
「ご家族は……」
「おらんよ。おったら誘わん」
これは、そういうことだと受け取っていいのだろうか。
寒さなど屁でもないくらいに熱くなった顔で彼を見つめれば、彼も今日一番の赤さを持った表情でこちらを見つめている。何か言おうと口をパクパクさせるけれど、私が出来たのは小さく頷くことだけ。それでも彼は私が頷いたのを確認すると、手をさらって私を家へと招いた。
***
「飲み物取って来るけど、紅茶でええかのう」
「う、うん!」
自宅に招かれた私は彼の部屋で正座していた。必要最低限の家具しか置かれていない部屋は羨ましいほど綺麗で、心臓の音が余計に聞こえてしまいそうに思える。
きょろきょろと部屋中を見渡していると、ガチャと扉が開く。彼はおぼんにカップを二つ乗せ、透明のテーブルに置いた。
「ミルクいる?」
「っ、いる、」
彼が戻ってきたことにより、また大きくなっていく心臓の音に落ち着いていられない。淹れてくれた紅茶を飲もうにも手が震えて飲めなさそうだ。それほどに私の心臓は踊り狂っている。
「ちょっと、お手洗い借りてもいい?」
「おお、ええよ。部屋出て左の突き当り」
「ありがと」
今の会話が限界だった。
部屋を飛び出し、トイレに駆け込んだところでやっと呼吸ができる。その瞬間、はっと閃いたように今日の下着を確認した。この状況、そういうことがないとは言い切れない。雅治くんがそのことも含め家に呼んだのかわからないけれど、一応付き合っているわけだし、と図々しい考えが走り回って仕方がない。
下着チェックを終えてから部屋に戻ると、彼は何ともないような顔をしてスマホをいじっている。
「ん、おかえり」
「ただいま」
元いた場所に座ろうとすると、彼は私を手招きして隣へと誘う。収まり始めていた心臓が再び大きく鼓動を打ち始めてしまうけれど、私はゆっくりと彼の隣へと腰を下ろした。
すると、彼は先程渡した紙袋を指差す。
「食べてもええ?」
「うん。口に合うといいんだけど、」
いつもチョコを持ち歩いているから甘いものが全くダメというわけじゃないのはわかっているけれど、それでも不安なのは不安で。
ラッピングを丁寧に解いていく彼の指先を凝視していると、「見すぎじゃ」と笑われてしまった。
ぱかっと箱が開くと生チョコが顔を出し、彼は感嘆の声を漏らす。
「ほう……美味そうじゃ」
第一段階を突破したことで少し安心していると、彼は箱を私に差し出してくる。
「ん、」
そして、赤い舌を見せながら口を開いている。
「もしかして……私が食べさせるの?」
「せーかい」
悪戯っぽく笑う彼に戸惑っていると、早くと急かされてしまう。箱から一粒取り出し、口に放り込もうとした瞬間だった。腕を掴まれ、指ごと彼の口に含まれてしまった。私が声も出せず、ただ目を丸くさせている間も彼は口を動かす。チョコレートを食べているのか、私の指を食べているのかわからない状態。ねっとりと絡みついてくる彼の舌が私の身体を熱くさせていく。
「ッ、まさはるくん、」
困ったように名を呼ぶと、彼は嬉しそうに口角を上げる。私の表情を楽しんでいるようで、執拗に指先を舐めとっていく。その表情が知らない男の人のようで背筋がぞくっと震えた。
口の中のチョコレートがなくなったのか、彼は私の指先から口を離すと満足そうに笑っている。
「ごっそさん」
「きゅ、急にこんなこと……!」
ただ食べさせるだけじゃなかったのかと言ってやろうかとしたが、彼はそれを聞こうとせず彼に腰を抱かれ顔が近づく。
「ん~……」
観察するようにまじまじと見つめられつつ、その行為の理由を問えば再び弧を描く。
「お前さんは物足りんって顔しとるのう」
「そんな顔してない!」
けらけらと無邪気に笑う彼から距離を取ろうとするも、それを見越した彼はより顔を近づけてくる。遊ばれている現状が不満で顔に出すけれど、彼には面白おかしく映っているんだろう。
そして彼は私の耳元に口を寄せると、彩度を落とした声色で囁く。
「名前ちゃんのことも、もらってええんじゃろ?」
ダイレクトに響くリップ音に思わず彼の制服に皺を作り、沸騰しそうなほど上がった熱にくらくらとしながら彼と目を絡ませた。
「……優しく、してください」
精一杯の了承に彼はふ、と息を漏らす。
「それはお前さん次第じゃのう」
そう言って重ねられた唇からは甘い甘いチョコレートの味がした。
今年は通年とは少し違い、私ははりきっていた。なぜかと言われれば、彼氏が出来て初めてのバレンタインであるから。美味しいと言ってもらいたい。その一心でキッチンに立っていた。
私の彼氏というと、あのイケメン揃いで有名なテニス部の一人。ミステリアスで飄々とした掴みどころのないところが良く、端正な顔立ちにつけられた口元の黒子が女子の心をくすぐるような人。とどのつまり、かなりモテる部類の人間。そんな男、仁王雅治と私は付き合っているけれど、他の人には秘密の関係である。変に騒がれるのが嫌で、私から提案した。彼も素直に受け入れてくれ、校内で言葉を交わすことはほとんどない。クラスが同じだから何とかたまに交わすけれど、内容は恋人同士とは思えない業務連絡のようなものだけ。呼び方だって、私は「仁王君」だし、彼は私を呼んだことはない。二人きりになれば、「雅治くん」と「名前ちゃん」に早変わりしてしまうのだけれど。そんな生活のせいで未だに付き合えていることが不思議に思うときがあり、緊張が絶えない。
昼休みになり、女子が活発に動き出し始めた。私は友達と昼食を食べつつ教室内を観察していた。丸井君は来るもの拒まずという感じでチョコレートをたくさん抱えており、思わず笑ってしまう。毎年レギュラー陣はとんでもない量を送られているのをまざまざと見せつけられていたため、むしろこの状態は安心するというかなんというか。去年、雅治くんも綺麗にラッピングされた箱がいっぱい詰まった紙袋を持っていた。
今年は私のだけ、っていうのは無理だよね。雅治くん人気だし。
一人で当たり前のことを考え、少しだけ気落ちしていると、廊下で飛び交う声が耳に届いた。
「仁王くん今年もいないよ~」
「去年はまだいたのにね。今年全然姿見ないよ」
他のクラスの女生徒の声に心の中で勝手に頷いていた。
確かに今日はほとんど姿を見ていない。ふらっと教室に来たかと思えば、休み時間には姿など初めからなかったかのように消えている。彼女である私にも捕まえようのない存在。
その瞬間に形容しがたい恐怖に襲われた。私は、彼に渡せるのだろうか。もし受け取ってもらえなかったらどうしよう。
お弁当をつつく箸が止まりかけた瞬間、スマホの画面が明るくなる。そこには雅治くんからのメッセージ。
『授業終わったらすぐ裏門来て』
『待っとる』
彼氏からのメッセージに頬が緩む。友人にバレないように口元を抑えて可愛い狐のスタンプを押した。どことなく雅治くんに似ている気がして、まだ片思いしているときに買ったものだ。よく使うから雅治くん本人に「それ、好きじゃのう」と言われ、雅治くんに似てたから、と告げると顔を赤くしたのはつい最近の話。
そわそわと落ち着かない体を抑えつけるように私は一度椅子に座り直し、友人との会話を再開させた。
***
放課後になり、私は裏門へと駆け出した。ホームルームのときに彼の姿はあったけれど、終わった途端すたすたと教室から出て行ってしまっていたため、私も早く追いかけないと、と気が逸る。友人たちの挨拶も早々に切り上げ、たくさん詰まったお菓子の紙袋を携え裏門へと向かう。
裏門へ行くと、マフラーに顔を埋めた彼が待っていた。駆け足で近づけば、雅治くんはふにゃりと柔らかな表情を浮かべる。
「交換は終わったんか?」
「うん。予定通り」
「ほうか」
そう言うと、雅治くんはほれ、と手を差し出してきた。私も応えるように自分の手を重ねる。先程までズボンのポケットに入っていたせいか暖かい。
歩き始めて数分経った頃、雅治くんはマフラーで口元を隠しながら話しかけてきた。
「のう、名前ちゃん」
「なあに?」
「俺には、ないんか」
彼の言葉に思わず黙ってしまった。いつ渡そうかと考えていたために、雅治くんから言われるとは、と心臓が途端に煩くなる。
「えっ、あ、ある!あるよ!」
大慌てで紙袋の中に紛れ込ませていたチョコレートを取り出そうと漁る。慌てていたことと、手が冷たくなっていたせいで他のチョコレートが落ちてしまいそうになり、見かねた雅治くんに紙袋を持ってもらう始末。
「落ち着きんしゃい」
「ごめん……」
謝罪を口にしつつ、綺麗にラッピングした雅治くん専用のチョコレートを取り出した。
「その、私料理とか普段しないから、美味しいかどうかわかんないけど……でも、ちゃんと味見はしたから、多分大丈夫だと思う、」
口に合うかな、と騒ぐ心臓。ちらりと雅治くんの表情を窺うと、頬に紅を差していた。
「ん、あんがと」
小さな紙袋に入ったチョコレートは私の手から彼の手へと渡っていった。校内では見ることのできない雰囲気に胸が高鳴る。
「もらえるんか、ちょっと不安じゃった」
口元を抑えながら恥ずかしそうに告げる彼に私は首を傾げた。
「学校で渡してこんかったから、ちっくとな」
「ごめん……みんな雅治くんに渡そうとするの見てたら気後れしちゃったというか、」
尻すぼみに小さくなる声。
すると彼は空いた手で私の頭を数度撫でた。
「お前さんはする必要ないじゃろ。彼女なんじゃから」
「そ、そうだよね。うん」
頷いたけれど、彼の彼女でいていいのか、という不安は綺麗に払拭できてはいない。いくら経とうとも付き纏う気がしてならない。こんな弱気じゃだめだと思いながら、脳裏に浮かぶことを首を横に振って消す。
私は彼の手を見て、そういえば、と一つのことを思い出した。
「今日紙袋ないけど……他の子のどうしたの?」
彼のことだから机やロッカーに入れられてたんじゃないかと予想を立てる。それに逃げようにも限度があるはずだ。
しかし、彼の口からは私を喜ばせる言葉が飛び出す。
「断った」
「机とかロッカーに入ってなかったの?」
「あった。丸井に全部やった」
「えっ、丸井君に全部!?」
「捨てようとしたらくれって言うから渡した」
驚くポイントがいくつかあるせいで頭が混乱してしまいそう。去年のとんでもない量を見ていたせいか、丸井君の身体の心配まで頭に浮かぶ。
「いっつもは持って帰っとったんじゃけど、今年は一つしか持って帰りとうなかった」
お前さんのな。そう続ける彼に口元が緩んでしまう。
「それに名無しは怖いんじゃ。前、髪の毛入っとってそれから怖い」
「そ、そうだったんだ……」
私の入ってないよね、と不安が募る。既に渡してしまっているから大丈夫、大丈夫なはず、と自分に言い聞かせた。彼はそんな私のことを知らずに会話を続ける。
「のう、」
「ん?」
「うち寄っていかんか」
彼の言葉に先程の不安が飛んで行った。それはもうすごい速さで。
「ご家族は……」
「おらんよ。おったら誘わん」
これは、そういうことだと受け取っていいのだろうか。
寒さなど屁でもないくらいに熱くなった顔で彼を見つめれば、彼も今日一番の赤さを持った表情でこちらを見つめている。何か言おうと口をパクパクさせるけれど、私が出来たのは小さく頷くことだけ。それでも彼は私が頷いたのを確認すると、手をさらって私を家へと招いた。
***
「飲み物取って来るけど、紅茶でええかのう」
「う、うん!」
自宅に招かれた私は彼の部屋で正座していた。必要最低限の家具しか置かれていない部屋は羨ましいほど綺麗で、心臓の音が余計に聞こえてしまいそうに思える。
きょろきょろと部屋中を見渡していると、ガチャと扉が開く。彼はおぼんにカップを二つ乗せ、透明のテーブルに置いた。
「ミルクいる?」
「っ、いる、」
彼が戻ってきたことにより、また大きくなっていく心臓の音に落ち着いていられない。淹れてくれた紅茶を飲もうにも手が震えて飲めなさそうだ。それほどに私の心臓は踊り狂っている。
「ちょっと、お手洗い借りてもいい?」
「おお、ええよ。部屋出て左の突き当り」
「ありがと」
今の会話が限界だった。
部屋を飛び出し、トイレに駆け込んだところでやっと呼吸ができる。その瞬間、はっと閃いたように今日の下着を確認した。この状況、そういうことがないとは言い切れない。雅治くんがそのことも含め家に呼んだのかわからないけれど、一応付き合っているわけだし、と図々しい考えが走り回って仕方がない。
下着チェックを終えてから部屋に戻ると、彼は何ともないような顔をしてスマホをいじっている。
「ん、おかえり」
「ただいま」
元いた場所に座ろうとすると、彼は私を手招きして隣へと誘う。収まり始めていた心臓が再び大きく鼓動を打ち始めてしまうけれど、私はゆっくりと彼の隣へと腰を下ろした。
すると、彼は先程渡した紙袋を指差す。
「食べてもええ?」
「うん。口に合うといいんだけど、」
いつもチョコを持ち歩いているから甘いものが全くダメというわけじゃないのはわかっているけれど、それでも不安なのは不安で。
ラッピングを丁寧に解いていく彼の指先を凝視していると、「見すぎじゃ」と笑われてしまった。
ぱかっと箱が開くと生チョコが顔を出し、彼は感嘆の声を漏らす。
「ほう……美味そうじゃ」
第一段階を突破したことで少し安心していると、彼は箱を私に差し出してくる。
「ん、」
そして、赤い舌を見せながら口を開いている。
「もしかして……私が食べさせるの?」
「せーかい」
悪戯っぽく笑う彼に戸惑っていると、早くと急かされてしまう。箱から一粒取り出し、口に放り込もうとした瞬間だった。腕を掴まれ、指ごと彼の口に含まれてしまった。私が声も出せず、ただ目を丸くさせている間も彼は口を動かす。チョコレートを食べているのか、私の指を食べているのかわからない状態。ねっとりと絡みついてくる彼の舌が私の身体を熱くさせていく。
「ッ、まさはるくん、」
困ったように名を呼ぶと、彼は嬉しそうに口角を上げる。私の表情を楽しんでいるようで、執拗に指先を舐めとっていく。その表情が知らない男の人のようで背筋がぞくっと震えた。
口の中のチョコレートがなくなったのか、彼は私の指先から口を離すと満足そうに笑っている。
「ごっそさん」
「きゅ、急にこんなこと……!」
ただ食べさせるだけじゃなかったのかと言ってやろうかとしたが、彼はそれを聞こうとせず彼に腰を抱かれ顔が近づく。
「ん~……」
観察するようにまじまじと見つめられつつ、その行為の理由を問えば再び弧を描く。
「お前さんは物足りんって顔しとるのう」
「そんな顔してない!」
けらけらと無邪気に笑う彼から距離を取ろうとするも、それを見越した彼はより顔を近づけてくる。遊ばれている現状が不満で顔に出すけれど、彼には面白おかしく映っているんだろう。
そして彼は私の耳元に口を寄せると、彩度を落とした声色で囁く。
「名前ちゃんのことも、もらってええんじゃろ?」
ダイレクトに響くリップ音に思わず彼の制服に皺を作り、沸騰しそうなほど上がった熱にくらくらとしながら彼と目を絡ませた。
「……優しく、してください」
精一杯の了承に彼はふ、と息を漏らす。
「それはお前さん次第じゃのう」
そう言って重ねられた唇からは甘い甘いチョコレートの味がした。