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乾貞治は、私の事が好きらしい。
そんな噂が流れたのはつい最近のこと。誰が言い出したのかは分からないけれど、私と乾の関係は中二のときに同じクラスで仲良くなった程度だ。三年になってからはクラスも離れ、話す頻度が減ったから噂が出た時は驚いた。大して話したこともないクラスメイトから「乾君と付き合うの?」と尋ねられたときは日玉が零れ落ちるかと思った。
なんでそんな話に?
聞き返せばクラスメイトは「皆が言ってるから……」と口籠った。出所不明なのがおかしい。ましてや事実だとしても乾本人が言う訳もなく、口の軽い友人が零してしまったのか、何らかの間違いが飛躍してしまったのか。恐らく後者だろう。間違いが事実として流布してしまったのだろう。
噂も七十五日という。学生にとっての七十五日は長いけれど、囃し立てたい奴は勝手にすればいい。他人のことを騒ぎ立てる暇があるなら他のことに時間を費やせばいいと思う。
友人もそんな私の性格を知っているからか、邪推することなく、いや、何事もないかのように接してくれる。私の見る目は間違っていないらしい。
やはり噂は噂で、あっという間に噂は滑えていた。進展しない噂など飽きてしまうんだろう。それに次から次へと小さな話題が絶えない。有難いのか、どうなのか。微妙なところだけれど、助かったに違いない。
「名前、呼ばれてるよ」
そんな中、ある日の休み時間。突然友人が私の席に呼びに来た。わざわざ他クラスからお呼びがかかるとは、委員会か何かだろうか。私は席を立ち、扉へと近づいた。すると、日の前に壁が立ち塞がった。
「やぁ、」
「わっ……って、乾か。びっくりした」
ぐんと首を伸ばして顔を上げた。日先には、乾貞治。噂になった張本人だ。何の緊張感もない顔で微笑んでいる。
「久しぶりだね」
「そうだね」
噂があってから一言も話さなかった乾だ。元々三年になってから頻繁に話してはいなかったけれど、二週間ほど話さなかったのは初めてのことだった。顔を合わせれば適当な世間話をするのは、友人としては普通だろう。でも、今の私は久しぶりだったからか、いつもよりもそわそわと落ち着かなかった。
すると、乾は眼鏡のブリッジを上げると私に尋ねた。
「放課後、時間あるかな」
少しだけ両の口角を上げている。日の奥は見えないけれど、恐らく日尻を下げているんじゃないだろうか。
「私はあるけど、乾は忙しいんじゃないの?」
テニス部の練習があるだろうに、と眉をしかめた。じわりと刺さる周囲からの視線が痛い。気にしなければいいんだろうけれど、ぼんやりと日の周りが熱い。意識せざるを得ないといったところか。
「俺はあるから誘ってるんだ。それに君も時間があると思ってね」
「まあ、その通りだけど」
「じゃあ、放課後。教室で少し待ってて」
「ん?うん」
言いたいことだけ言うと、乾は去っていった。私は彼の背中を首を傾げながら見送ったが、すぐに席に戻った。
放課後になり、友人からの帰りの誘いを蹴って乾を待った。机に置いた鞄を枕に窓に日をやる。まだかな、なんて疎らに残るクラスメイトの中で密かに思った。
すると、ガタンと机の動く音がして、体が起きた。音のした方を向けば、扉の傍に乾が立っていた。
「お待たせ。行こうか」
軽く手を上げ、綺麗に口角を上げている。その笑顔まで計算されているんじゃないかと思うほどに綺麗だ。
私は席を立った。
「うん、ってどこに?」
「ちょっとね」
「ふうん」
鞄を持って乾の隣に立って着いていく。なんだかいつもならない緊張感が足元から這い上がってきて落ち着かない。自分は今、きちんと歩けているだろうか。不思議な感覚だ。
乾は私を人のいない空き教室へ連れてくると、机にテニスバッグを立て掛けた。私もそれを見て、同じように机の上に鞄を置いた。何となくそうした方がいい気がしたから。ただそれだけ。
「それで?わざわざ呼び出して話したいことって?」
私から切り出すと、乾はこちらに向き直ってから静かに口を開いた。
「この間、噂が流れただろ?」
「噂って、ああ……あれね。別に気にしてないよ」
「気にしてない。本当に?」
「……本当だよ」
「そうか。それは残念」
乾は眉尻を下げて肩を竦めた。一連の行動がらしくなくて、違和感を覚えた。多分乾も同じなんだろう。私が本当だと言うのにコンマ一秒でも遅れようものなら今のように突っ込んでくるのだから。
それにしても「残念」とは?今度は私が追及したかったけれど、乾の方が先に言葉を続けた。
「じゃあここで一つ、黙っていたことを教えよう」
そう言うと、乾は一歩私に近づいた。それと同時に私の喉も動いた。頭は理解してなくても、体が反応している。いや、頭でよく理解してるからこそ、体が反応した。そして、乾は私の右手を拾い上げた。豆が出来過ぎて硬くなった手の平が、重い物をほとんど持ったことのないような柔らかい手を取る。
「その噂を流したのが俺だと言ったら?」
「……まさかあ」
「正確に言えば、菊丸に流してもらった、だけど」
教室では菊丸も不二も知らんぷりをしていた。我関せずと言った様子だったのにグルだったなんて。
私は視線を下げ、乾の大きな足を見つめた。そして小さく呟いた。
「乾ならそんなことしなくたって……」
大丈夫なのに。零れそうになった言葉を途中で飲み込んだ。ぐっと堪えるために奥歯を噛み締めた。
「そんなことしなくったって?」
「……繰り返さないで」
意地悪だ。さっきの「残念」よりも意地悪だ。
乾は繋いでいた手に力を込めた。力を込めたと言っても、それは優しくて、包み込むような柔らかさがあった。振りほどこうと思えば、女の私でも振りほどけるほど軽い。
でも、私にはそうは出来なかった。じわりじわりと熱が上がっていく。それが合図かのように私の首も上を向く。余裕のある顔がそこにはあった。
「悪いけど、逃がす気は一ミリもなくてね」
敗北だ。完全敗北だ。乾にまんまとやられた。
私は握られた手を握り返した。
「答え。聞かせてもらえるかな」
「ちゃんと聞いてくれなきゃ、言いたくない」
「うん。そうだった」
乾は小さく咳払いをして、見つめ直す。この少しの時間がじれったい。
「君の事を好きになった。俺と関係を進めて欲しい」
ああ、まんまと引っかかってやんの。私、本当に乾のこと、好きになっちゃったんだ。
笑いそうになるのを堪え、ギリギリのところで日を細めるに留まった。多分、変な顔をしているに違いない。
「ん、いいよ」
「強請った割には素っ気ないね」
「……恥ずかしいの」
「そうか……」
乾は納得すると、私と手を離し、どこからか出したノートに何かを書き込んでいた。大方意外と恥ずかしがり屋なんて書いてるんだろう。そんなことは後にすればいいのに。
乾は書き終えたのか、パタンとノートを閉じた。
「でも、自分でも驚くぐらい、嬉しいよ」
「……それは、よかった」
ふ、と大人びて微笑む乾の胸倉を掴んで、勢いよく身長差を埋めてやった。でも、そのせいで唇を痛めたのは二人だけの秘密。
そんな噂が流れたのはつい最近のこと。誰が言い出したのかは分からないけれど、私と乾の関係は中二のときに同じクラスで仲良くなった程度だ。三年になってからはクラスも離れ、話す頻度が減ったから噂が出た時は驚いた。大して話したこともないクラスメイトから「乾君と付き合うの?」と尋ねられたときは日玉が零れ落ちるかと思った。
なんでそんな話に?
聞き返せばクラスメイトは「皆が言ってるから……」と口籠った。出所不明なのがおかしい。ましてや事実だとしても乾本人が言う訳もなく、口の軽い友人が零してしまったのか、何らかの間違いが飛躍してしまったのか。恐らく後者だろう。間違いが事実として流布してしまったのだろう。
噂も七十五日という。学生にとっての七十五日は長いけれど、囃し立てたい奴は勝手にすればいい。他人のことを騒ぎ立てる暇があるなら他のことに時間を費やせばいいと思う。
友人もそんな私の性格を知っているからか、邪推することなく、いや、何事もないかのように接してくれる。私の見る目は間違っていないらしい。
やはり噂は噂で、あっという間に噂は滑えていた。進展しない噂など飽きてしまうんだろう。それに次から次へと小さな話題が絶えない。有難いのか、どうなのか。微妙なところだけれど、助かったに違いない。
「名前、呼ばれてるよ」
そんな中、ある日の休み時間。突然友人が私の席に呼びに来た。わざわざ他クラスからお呼びがかかるとは、委員会か何かだろうか。私は席を立ち、扉へと近づいた。すると、日の前に壁が立ち塞がった。
「やぁ、」
「わっ……って、乾か。びっくりした」
ぐんと首を伸ばして顔を上げた。日先には、乾貞治。噂になった張本人だ。何の緊張感もない顔で微笑んでいる。
「久しぶりだね」
「そうだね」
噂があってから一言も話さなかった乾だ。元々三年になってから頻繁に話してはいなかったけれど、二週間ほど話さなかったのは初めてのことだった。顔を合わせれば適当な世間話をするのは、友人としては普通だろう。でも、今の私は久しぶりだったからか、いつもよりもそわそわと落ち着かなかった。
すると、乾は眼鏡のブリッジを上げると私に尋ねた。
「放課後、時間あるかな」
少しだけ両の口角を上げている。日の奥は見えないけれど、恐らく日尻を下げているんじゃないだろうか。
「私はあるけど、乾は忙しいんじゃないの?」
テニス部の練習があるだろうに、と眉をしかめた。じわりと刺さる周囲からの視線が痛い。気にしなければいいんだろうけれど、ぼんやりと日の周りが熱い。意識せざるを得ないといったところか。
「俺はあるから誘ってるんだ。それに君も時間があると思ってね」
「まあ、その通りだけど」
「じゃあ、放課後。教室で少し待ってて」
「ん?うん」
言いたいことだけ言うと、乾は去っていった。私は彼の背中を首を傾げながら見送ったが、すぐに席に戻った。
放課後になり、友人からの帰りの誘いを蹴って乾を待った。机に置いた鞄を枕に窓に日をやる。まだかな、なんて疎らに残るクラスメイトの中で密かに思った。
すると、ガタンと机の動く音がして、体が起きた。音のした方を向けば、扉の傍に乾が立っていた。
「お待たせ。行こうか」
軽く手を上げ、綺麗に口角を上げている。その笑顔まで計算されているんじゃないかと思うほどに綺麗だ。
私は席を立った。
「うん、ってどこに?」
「ちょっとね」
「ふうん」
鞄を持って乾の隣に立って着いていく。なんだかいつもならない緊張感が足元から這い上がってきて落ち着かない。自分は今、きちんと歩けているだろうか。不思議な感覚だ。
乾は私を人のいない空き教室へ連れてくると、机にテニスバッグを立て掛けた。私もそれを見て、同じように机の上に鞄を置いた。何となくそうした方がいい気がしたから。ただそれだけ。
「それで?わざわざ呼び出して話したいことって?」
私から切り出すと、乾はこちらに向き直ってから静かに口を開いた。
「この間、噂が流れただろ?」
「噂って、ああ……あれね。別に気にしてないよ」
「気にしてない。本当に?」
「……本当だよ」
「そうか。それは残念」
乾は眉尻を下げて肩を竦めた。一連の行動がらしくなくて、違和感を覚えた。多分乾も同じなんだろう。私が本当だと言うのにコンマ一秒でも遅れようものなら今のように突っ込んでくるのだから。
それにしても「残念」とは?今度は私が追及したかったけれど、乾の方が先に言葉を続けた。
「じゃあここで一つ、黙っていたことを教えよう」
そう言うと、乾は一歩私に近づいた。それと同時に私の喉も動いた。頭は理解してなくても、体が反応している。いや、頭でよく理解してるからこそ、体が反応した。そして、乾は私の右手を拾い上げた。豆が出来過ぎて硬くなった手の平が、重い物をほとんど持ったことのないような柔らかい手を取る。
「その噂を流したのが俺だと言ったら?」
「……まさかあ」
「正確に言えば、菊丸に流してもらった、だけど」
教室では菊丸も不二も知らんぷりをしていた。我関せずと言った様子だったのにグルだったなんて。
私は視線を下げ、乾の大きな足を見つめた。そして小さく呟いた。
「乾ならそんなことしなくたって……」
大丈夫なのに。零れそうになった言葉を途中で飲み込んだ。ぐっと堪えるために奥歯を噛み締めた。
「そんなことしなくったって?」
「……繰り返さないで」
意地悪だ。さっきの「残念」よりも意地悪だ。
乾は繋いでいた手に力を込めた。力を込めたと言っても、それは優しくて、包み込むような柔らかさがあった。振りほどこうと思えば、女の私でも振りほどけるほど軽い。
でも、私にはそうは出来なかった。じわりじわりと熱が上がっていく。それが合図かのように私の首も上を向く。余裕のある顔がそこにはあった。
「悪いけど、逃がす気は一ミリもなくてね」
敗北だ。完全敗北だ。乾にまんまとやられた。
私は握られた手を握り返した。
「答え。聞かせてもらえるかな」
「ちゃんと聞いてくれなきゃ、言いたくない」
「うん。そうだった」
乾は小さく咳払いをして、見つめ直す。この少しの時間がじれったい。
「君の事を好きになった。俺と関係を進めて欲しい」
ああ、まんまと引っかかってやんの。私、本当に乾のこと、好きになっちゃったんだ。
笑いそうになるのを堪え、ギリギリのところで日を細めるに留まった。多分、変な顔をしているに違いない。
「ん、いいよ」
「強請った割には素っ気ないね」
「……恥ずかしいの」
「そうか……」
乾は納得すると、私と手を離し、どこからか出したノートに何かを書き込んでいた。大方意外と恥ずかしがり屋なんて書いてるんだろう。そんなことは後にすればいいのに。
乾は書き終えたのか、パタンとノートを閉じた。
「でも、自分でも驚くぐらい、嬉しいよ」
「……それは、よかった」
ふ、と大人びて微笑む乾の胸倉を掴んで、勢いよく身長差を埋めてやった。でも、そのせいで唇を痛めたのは二人だけの秘密。