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「また始まった……」
休み時間に入る度、違う女子が入れ替わり立ち替わりながら可愛らしい顔をしている。私はその状況を自分の席に座ったまま眺め、よくも毎日、と尊敬すら覚えていた。毎日来る子もいれば、友達に連れられて初めて来る子もいる。でも彼女達は皆、ふわふわと飛び立って行きそうな軽やかさがあった。私とは対照的な優しさで出来ているようで、ずるいとまで思うようになった。だって、彼女達の目的は私の彼氏なのだから。
夏が終わり、部活を引退すれば白石の人気は以前より歴然として上がった。元々イケメンと持て囃されていた上に全国行くレベルを持ったテニス部の部長という経歴、贔屓しない性格の良さ、加えて頭も良い。笑いのセンスは置いとくとして、奴の恋人の座を狙う人間は多い。
私は三年に上がり、たまたま同じ部長繋がりで仲良くなった。先に部長を一年経験していた白石は頼りになって、好きになるのに時間はかからなかった。向こうも向こうで私のことを好きになってくれていたようで、夏前に関係を作った。けれど、部活での多忙さを理由に恋人らしいことはしてない。そのせいか、おかげか、特別仲の良い人間以外知らない秘密の関係になっていた。
別に関係を広めたいわけじゃない。でも、ああも彼女の前で違う女の子とへらへら喋る姿を見るのは気分が悪い。じゃあ一言言えばいいと思っても、奴は優しいから彼女達の積極性を無碍にしないのだ。そこに一番腹が立つ。私だって話したいのに。白石の隣は私の席なのに。見たくなくても視界に入ってくる奴と女達が酷く醜く映った。
「名字〜」
「何」
「うわ機嫌悪」
ムッと顔に不機嫌を前面に出せば、前の席に座る友人の橋本が絡んできた。同じ陸上部で私と白石の関係を知っている数少ない人物の一人。最近はよく不満をぶつけ、橋本に慰められるという典型パターンが出来上がりつつあった。
「……また白石か?」
苦笑いで原因を啄く橋本を目の前に机に突っ伏す。うう、と唸っては腹の中が真っ黒に染まる。
「そうです~。彼女放って他の子と話してんの」
顔を少しだけ上げて顎で白石のいる方向に目を誘導してやった。教室の後方では白石と女子、あと忍足が騒いでいる。橋本はその状況を、ああ、とだけ零して私の方に向き直れば、最悪の一言を発した。
「そら引退したら引く手数多やろ」
「私がおるのに!?」
叫び声に似た大声が弾けた。慌てて自分の手で口を塞いだけれど、周囲が騒がしいお陰で助かった。橋本はと言うと、私の勢いが良すぎたのか、遠慮なくガハガハと笑っている。その姿のせいで余計に眉間に皺が寄った私は机に置かれた橋本の腕を軽く殴った。ざまあみろ。
暫くして、漸く橋本は落ち着きを取り戻したのか、お腹を擦りながらこう言った。
「まあ、お前は……まあ」
まあって何やねん。変わらず人を馬鹿にした顔で笑う橋本に怒りが収まらない私は、さっきより強く握った拳で肩を殴った。
「どついたろか」
「いやもうどついてんねん!」
いったいわあ、と情けなく嘆く橋本を横目に白石の方を向けば、こちらを見る気配は一ミリもない。それほど彼女達と話すことが楽しいのかと今の関係に疑問を持ってしまう。白石は私の事好きやないんやろうか、と自分ばかりが好きみたいで体の奥が締め付けられるような気がした。
そんな日々が続いた数日後の事。
「それほんまに?」
「ほんまやって。ちょ、まだやっとるかもしれへんから、お前も来いって」
「ええ、間に合うやろか」
昼休みに橋本が私のところに来たと思えば、何やら教師陣が漫才を始めたらしい。笑顔の橋本につられ、私も心が躍り、笑顔を作った。中々ない機会だからと橋本と一緒にその場へ向かおうとした瞬間だった。私達の目の前に白石が立ちはだかったのだ。
「名字」
普段見せないような暗い顔が私を呼んだ。口を一文字に結び、眉間に皺を寄せている。
あの子達の前であったらへらへら笑うくせに、私の前ではそんな顔しかしないのか。昼休みの今も他のクラスの女子と話していたのに、いつの間に私達の元へ来たのか。私の元へ来るよりそっちにいた方が白石は楽しいんじゃないか。急に悔しさが込み上げてきて、私も白石と似たように口角を落とした。
「何?」
邪魔だと突っぱねるように態とらしく冷ややかな声で返す。白石は一瞬だけ目を見開いたものの、すぐに目を細めて私の手を取った。
「ええから、来て」
強く握られた手に恐怖を覚えた。そのまま引っ張られそうになったけれど、私は手が千切れる覚悟で振りほどいた。
「嫌や」
私の挙動に白石だけでなく、隣の橋本まで驚いた顔をしていた。今白石と二人になりたくない。私は橋本の腕を掴んでずんずんと大股で白石を抜いて行った。これはいつものやり返しだ。少しぐらい私の気持ちを味わえばいい。
「え、名字待てって、ええんか!?」
大慌てする橋本を無視したまま私の足が止まることは無い。
「ええの」
一言そう言えば、橋本は黙った。けれど、橋本は何度も白石のいる後ろを何度も見返していた。
放課後になり、人気のなくなった校門を一人で抜けようとすれば、白石が一人で立っていた。もしかして、と待ち続ける奴の理由を思い浮かべたけれど、首を横に振った。今日はもう顔を突き合せたくない。そう思い、私は昼休みのときと同じように目の前を素通りしようとした。
「名字、」
白石は私を見つけると案の定近寄ってきた。私もそれに合わせて足を止めてしまった。止まるつもりはなかったのに足が勝手に止まった。
「今日遅なるから先帰ってって言うたよな」
白石の顔を見ることなく、俯いた顔が放つ。ちぐはぐな上半身と下半身が気持ち悪い。
「橋本クンと話すことが俺との時間より大切なん?」
どの口が言うか。無理やり落ち着かせた苛立ちが思い出したかのようにふつふつと沸き起こった。
確かに私も私でさっきまで橋本と一緒にいた。白石に話があるから一緒に帰ろうと誘われたものの、用事があるからと言って逃げた。ついでに橋本が勉強を教えてくれと頼んできたからそれに付き合っただけ。私は白石のように下心に付き合ったわけじゃない。
長時間待たせたことに罪悪感を覚えたものの、どうしても普段の行いの苛立ちの方が上回ってしまう。あんたの彼女は随分と心が狭いのだ。
「いっつもあんたのことばっかり考えとるわけとちゃう」
見栄を張った嘘。本当は白石のことで頭が一杯だ。いつ別れてくれと言われるのかが怖い。だから白石と面と向かって話したくない。でも、どうにか解決しなければならないのに、奴に対して他の子と話すのやめてくれなんて口が裂けても言えない。
早足で逃げ出そうとすれば、また白石の手に捕まった。昼休みより強い手が私を縛った。
「話したい事あんねん」
「私はない」
「お前にはなくても、俺にはある」
徐に顔を上げれば、頼りなく眉を下げた白石がいた。もう終わりか、と嫉妬に塗れた自分を憎みながら、小さく頷いた。
並んで歩くのはいつぶりだろう。こうして二人並んで歩くのも久しぶりだった。ゆっくりとした時間が流れるのも初めてなんじゃないかと思う程、私達は忙しなかった。後輩の面倒を見ていると自然と帰りは別々になることが殆どだったけれど、私はテニスに夢中な白石が好きだったし、白石も白石で私の走る姿が好きだと言ってくれていた。だから恋人らしいことが出来なくても大丈夫だった。テニスにいくら負けようとも、それを引っ括めて私は白石のことが好きだったから。ただそれだけで私は立っていられた。それなのに、今は順位が狂い始めているようで頭がおかしくなりそうだった。
学校を出てから暫くしても、隣を歩く白石は一向に口を開かなかった。奴の方から話があると言ったのに、何も話さないのはどういうつもりか。別れたいなら別れると言って欲しい。さっさと刺された方が精神的に清々しい。私は隣を歩く白石に向かって冷気を纏った声色で投げかけた。
「話って何」
鋭く刺しに行けば、白石は一瞬だけ顔を強ばらせた。そして、数秒だけ口の中で言葉を転ばせば、ゆっくりと口を開いた。
「名字はもう、俺のこと嫌いになった?」
歩いていた足が止まった。白石からは聞きたくなかった言葉だった。白石は私が足を止めたことに気づくと、一歩先で足を止めた。
「最近全然話出来ひんし、むしろ他の奴と仲良さそうやし。俺と一緒におるん、嫌なんかなって。今日かて俺より男の友達優先しとった」
スラスラと出てくる棘が的確に私を突き刺してくる。好きなのに、憎い。誰のせいで私がそんな行動を起こしているのか胸に手を当てて考えたのかと胸倉を掴んで問い詰めたい。けれど、私にそんな気力はなく、蚊の鳴くような声で呟いた。
「……それを、白石が言うんやな」
奴にだけは言われたくなかった。私が不機嫌になって橋本とつるむのは、全部、全部、白石のせいなのに。
ぐっと込み上げてくる感情を躾け、口内の肉を少しだけ噛んだ。痛む鼻の奥など知らないフリをして、こう言い切った。
「確かに今は嫌い」
はっきりと吐き捨ててやると、白石は目を大きくさせて言葉を失っていた。どうしてそんな顔が出来るんだろう。傷つけられたのは私の方なのに。私も私でいつものお返しだと、ざまあないと思っているはずなのに、私の中の何かが減った気がした。
「自分のこと棚に上げて私を責めるんやもん」
「それは、」
「いっつも私がどないな気持ちであんたのこと見とると思ってんの。それに気づけへんのによう言えるな」
「名字、」
「嫌いや。白石のこと、嫌いやわ」
そう断言し、再び足を動かし始めたけれど、白石はまた私の手を掴んだ。その熱が奇妙なほど熱かったせいか、私は勢いよくその手を振りほどいた。
「このアホ!変態!絶頂野郎!私に近づくな!」
語彙力のない暴言を吐いてその場から逃げ出した。普通の女の子なら逃げきれないだろうけれど、私なら逃げ切れる。短距離のエース、舐めんな。
「はあっ……はあっ……」
ここまで来たら白石も来ないだろう。膝に手をつき、雑に呼吸を整えた。やっと本当に呼吸が出来たようで必死で酸素を求め、ゆっくりと身体を起こす。細めた目で空を見上げれば、腹立たしいほどに赤く染まり、私を射てつけていた。夢中で走ってきたせいか、周囲を見渡せば見慣れない場所が私を囲んでいる。
「……どこやねん、ここ」
計画性のない行動に眉間に皺が寄った。かいた汗が背中を伝うのを感じながら、地面のアスファルトと足がぶつかってしまいそうなほどに寸前を極めた足が歩き始める。
逃げ出した罪悪感は拭えないけれど、私は今のままではまともに会話さえ出来ないと思った。白石の顔を見れば、次から次へといろんな女の子の顔が浮かぶ。どいつもこいつも嫌いだ。私は白石が好きで、白石も私のことが好きなはずなのに。どうして皆邪魔をするんだ。私が何をしたって言うんだ。
堪えたはずの涙が零れそうになり、また口内の肉を噛んだ。痛い。物凄く痛い。白石、私達初めから合わへんかったんかな。
「……逃がさへんで」
背後から飛んだ声に、反射的に振り返ってしまった。そこには肩で息をする白石がいた。
「な、なんで……」
撒いたと思ったのに、と困惑する私を他所に白石は私の元へ大股で近づく。そして力強い手が私の手を握った。振り解こうにも解けない力が狡く思える。
「自分のこと、手放すわけないやろ」
さっきまでの弱々しさはどこへ行ったのか。芯のある瞳が私を見つめる。
白石のせいで感情は無茶苦茶だ。わざわざ私のことを追いかけてくれた喜びや、私より余裕のある顔で追いつかれた悔しさ。まだ私が不機嫌な理由を理解出来ていないくせに追いかけてきた図々しさ。全部が全部腹立つ。
「ッ、他の子と帰ったらええやん。私やなくても選び放題やろ」
一人一人の顔が思い浮かぶ。嫌でも覚えてしまった顔にこれから先、いい印象は持てないし、その内の誰かが白石と並ぶ姿は見たくない。
「それ、本気で言うてんのか」
聞き慣れない低音が地を這う。顔が地面に縫い付けられたかのように私は白石の顔を見ることが出来ない。
「……本気」
違う。本気なんかじゃない。なのに、私の口は天邪鬼。足元のアスファルトが見えなくなる。
白石は私の答えを聞くと、溜息を吐いた。その溜息は私への嫌悪感だろうと思う他無かった。
「……分かった」
何が分かったのか、なんて聞けない。粗方お別れのサインなんだろう。ぎゅっと目を閉じれば、雫がアスファルトを弾いた。
「もう他の子と話さへんから、俺と一緒におって」
白石の言葉に、顔を上げざるを得なかった。勢いよく上げた目先には、決意が現れていた。でも、私はそれを素直に喜べなくて、また頬を濡らした。
「違う……そういう極端なん嫌い……ほんま、なんで……」
別に話したっていい。絶対話すななんて守れる訳がない。私だって異性と話せないなんて不可能だ。ただ、不安だった。私じゃなくて他の子の元へ行っちゃうんじゃないかって不安だった。白石はそういう人間じゃないと信じていながら周囲への対応で恐怖は募るから、安心させてほしかった。白石にとって私は特別なんだって思わせてほしかっただけなのに。
握られていない、反対の手の甲で雑に頬を拭った。崩れた顔を隠そうにも隠しきれないでいると、白石は手に込めていた力を抜いた。さっきまでの覇気は消え失せ、情けない顔がこちらを向いた。
「……どないしたらええか、分からん」
こんな情けない顔、誰も知らへんのやろうな。そう思えば、不思議な感覚が足元から這った。
「名字のこと好きやから一緒におりたいだけやねん。俺の事だけ見とって欲しい」
ぐらり、と視界が反転するレベルで白石のことを許しそうになった。白石が私のことを好きでいてくれているのは分かっているのに、張り続けた意地をどこで破けばいいのか分からない。
「無理やわ、」
「せやったら、どないしたらええ? 俺は何をしたら自分と一緒におれるん?」
白石の懇願が嬉しい。私しか聞けない言葉に喜んでしまう。何でも完璧に出来るように見えて、好きな女に馬鹿みたいに振り回されて情けなくなるんだ。私は、そんな白石が好きで仕方がない。
「もっと、はっきりして欲しい……。私と他の子に同じ顔せんといて欲しい。他の子と仲良うしても、私だけが特別になりたい」
関係の名前だけじゃなくて、実態が欲しい。表情一つだけで良いから私だけの白石が欲しい。恋人なのに、遠く感じられる今が嫌だ。
許しに似た言葉を零せば、白石は私の手を引っ張った。そして身体を包む肌が、熱が、白石のものであるとすぐに悟った。
「堪忍な。そないな気持ちにさせてもうて」
後頭部を撫でる手が優しい。凍っていた心が簡単に溶かされる。
「ッ、ほんま頼りない……」
「すまん。もう辛い思いさせへんから」
男の声が私を宥める。ひび割れた心の隙間に入り込んでは、修復作業に取り掛かった。
白石という男は狡い。白石のことが好きなせいでこんなにも苦しいのに、好きなせいで許してしまう。酷く面倒な心が、恋が、私を簡単に狂わせてくれる。
私は彼の決意を受け取るように腕を背に回した。そして、止めどなく流れる涙を奴のシャツに染み込ませ、更に皺を作ってやった。
***
「おはようさん」
次の日の朝、玄関を出るとそこには白石がいた。当たり前のようにそこにいる白石に私は驚きを隠せず、何秒か遅れてから挨拶を返した。
「……おはよ」
「驚いたやろ」
「まあ……そりゃあ、」
してやったり、と悪戯が成功した喜びを顔に滲ませる白石は昨日の様子を少しも見せなかった。まさか迎えに来るなんて思ってもみなかったから、何となくで前髪を直したけれど、余計変になっていたらどうしようと急に緊張が走る。隣にいる白石をちらりと覗き込めば、あ、と何かを思いついた声を漏らした。
「今日からめちゃくちゃ見せつけたろ思て」
そう言って更に口角を上げて笑うと、白石は私の手を握った。まさか朝から、と目を白黒とさせて繋いだ手と白石の顔を交互に見れば、白石は少しだけ恥ずかしそうに笑っていた。
「俺の好きな子は名前だけやから」
休み時間に入る度、違う女子が入れ替わり立ち替わりながら可愛らしい顔をしている。私はその状況を自分の席に座ったまま眺め、よくも毎日、と尊敬すら覚えていた。毎日来る子もいれば、友達に連れられて初めて来る子もいる。でも彼女達は皆、ふわふわと飛び立って行きそうな軽やかさがあった。私とは対照的な優しさで出来ているようで、ずるいとまで思うようになった。だって、彼女達の目的は私の彼氏なのだから。
夏が終わり、部活を引退すれば白石の人気は以前より歴然として上がった。元々イケメンと持て囃されていた上に全国行くレベルを持ったテニス部の部長という経歴、贔屓しない性格の良さ、加えて頭も良い。笑いのセンスは置いとくとして、奴の恋人の座を狙う人間は多い。
私は三年に上がり、たまたま同じ部長繋がりで仲良くなった。先に部長を一年経験していた白石は頼りになって、好きになるのに時間はかからなかった。向こうも向こうで私のことを好きになってくれていたようで、夏前に関係を作った。けれど、部活での多忙さを理由に恋人らしいことはしてない。そのせいか、おかげか、特別仲の良い人間以外知らない秘密の関係になっていた。
別に関係を広めたいわけじゃない。でも、ああも彼女の前で違う女の子とへらへら喋る姿を見るのは気分が悪い。じゃあ一言言えばいいと思っても、奴は優しいから彼女達の積極性を無碍にしないのだ。そこに一番腹が立つ。私だって話したいのに。白石の隣は私の席なのに。見たくなくても視界に入ってくる奴と女達が酷く醜く映った。
「名字〜」
「何」
「うわ機嫌悪」
ムッと顔に不機嫌を前面に出せば、前の席に座る友人の橋本が絡んできた。同じ陸上部で私と白石の関係を知っている数少ない人物の一人。最近はよく不満をぶつけ、橋本に慰められるという典型パターンが出来上がりつつあった。
「……また白石か?」
苦笑いで原因を啄く橋本を目の前に机に突っ伏す。うう、と唸っては腹の中が真っ黒に染まる。
「そうです~。彼女放って他の子と話してんの」
顔を少しだけ上げて顎で白石のいる方向に目を誘導してやった。教室の後方では白石と女子、あと忍足が騒いでいる。橋本はその状況を、ああ、とだけ零して私の方に向き直れば、最悪の一言を発した。
「そら引退したら引く手数多やろ」
「私がおるのに!?」
叫び声に似た大声が弾けた。慌てて自分の手で口を塞いだけれど、周囲が騒がしいお陰で助かった。橋本はと言うと、私の勢いが良すぎたのか、遠慮なくガハガハと笑っている。その姿のせいで余計に眉間に皺が寄った私は机に置かれた橋本の腕を軽く殴った。ざまあみろ。
暫くして、漸く橋本は落ち着きを取り戻したのか、お腹を擦りながらこう言った。
「まあ、お前は……まあ」
まあって何やねん。変わらず人を馬鹿にした顔で笑う橋本に怒りが収まらない私は、さっきより強く握った拳で肩を殴った。
「どついたろか」
「いやもうどついてんねん!」
いったいわあ、と情けなく嘆く橋本を横目に白石の方を向けば、こちらを見る気配は一ミリもない。それほど彼女達と話すことが楽しいのかと今の関係に疑問を持ってしまう。白石は私の事好きやないんやろうか、と自分ばかりが好きみたいで体の奥が締め付けられるような気がした。
そんな日々が続いた数日後の事。
「それほんまに?」
「ほんまやって。ちょ、まだやっとるかもしれへんから、お前も来いって」
「ええ、間に合うやろか」
昼休みに橋本が私のところに来たと思えば、何やら教師陣が漫才を始めたらしい。笑顔の橋本につられ、私も心が躍り、笑顔を作った。中々ない機会だからと橋本と一緒にその場へ向かおうとした瞬間だった。私達の目の前に白石が立ちはだかったのだ。
「名字」
普段見せないような暗い顔が私を呼んだ。口を一文字に結び、眉間に皺を寄せている。
あの子達の前であったらへらへら笑うくせに、私の前ではそんな顔しかしないのか。昼休みの今も他のクラスの女子と話していたのに、いつの間に私達の元へ来たのか。私の元へ来るよりそっちにいた方が白石は楽しいんじゃないか。急に悔しさが込み上げてきて、私も白石と似たように口角を落とした。
「何?」
邪魔だと突っぱねるように態とらしく冷ややかな声で返す。白石は一瞬だけ目を見開いたものの、すぐに目を細めて私の手を取った。
「ええから、来て」
強く握られた手に恐怖を覚えた。そのまま引っ張られそうになったけれど、私は手が千切れる覚悟で振りほどいた。
「嫌や」
私の挙動に白石だけでなく、隣の橋本まで驚いた顔をしていた。今白石と二人になりたくない。私は橋本の腕を掴んでずんずんと大股で白石を抜いて行った。これはいつものやり返しだ。少しぐらい私の気持ちを味わえばいい。
「え、名字待てって、ええんか!?」
大慌てする橋本を無視したまま私の足が止まることは無い。
「ええの」
一言そう言えば、橋本は黙った。けれど、橋本は何度も白石のいる後ろを何度も見返していた。
放課後になり、人気のなくなった校門を一人で抜けようとすれば、白石が一人で立っていた。もしかして、と待ち続ける奴の理由を思い浮かべたけれど、首を横に振った。今日はもう顔を突き合せたくない。そう思い、私は昼休みのときと同じように目の前を素通りしようとした。
「名字、」
白石は私を見つけると案の定近寄ってきた。私もそれに合わせて足を止めてしまった。止まるつもりはなかったのに足が勝手に止まった。
「今日遅なるから先帰ってって言うたよな」
白石の顔を見ることなく、俯いた顔が放つ。ちぐはぐな上半身と下半身が気持ち悪い。
「橋本クンと話すことが俺との時間より大切なん?」
どの口が言うか。無理やり落ち着かせた苛立ちが思い出したかのようにふつふつと沸き起こった。
確かに私も私でさっきまで橋本と一緒にいた。白石に話があるから一緒に帰ろうと誘われたものの、用事があるからと言って逃げた。ついでに橋本が勉強を教えてくれと頼んできたからそれに付き合っただけ。私は白石のように下心に付き合ったわけじゃない。
長時間待たせたことに罪悪感を覚えたものの、どうしても普段の行いの苛立ちの方が上回ってしまう。あんたの彼女は随分と心が狭いのだ。
「いっつもあんたのことばっかり考えとるわけとちゃう」
見栄を張った嘘。本当は白石のことで頭が一杯だ。いつ別れてくれと言われるのかが怖い。だから白石と面と向かって話したくない。でも、どうにか解決しなければならないのに、奴に対して他の子と話すのやめてくれなんて口が裂けても言えない。
早足で逃げ出そうとすれば、また白石の手に捕まった。昼休みより強い手が私を縛った。
「話したい事あんねん」
「私はない」
「お前にはなくても、俺にはある」
徐に顔を上げれば、頼りなく眉を下げた白石がいた。もう終わりか、と嫉妬に塗れた自分を憎みながら、小さく頷いた。
並んで歩くのはいつぶりだろう。こうして二人並んで歩くのも久しぶりだった。ゆっくりとした時間が流れるのも初めてなんじゃないかと思う程、私達は忙しなかった。後輩の面倒を見ていると自然と帰りは別々になることが殆どだったけれど、私はテニスに夢中な白石が好きだったし、白石も白石で私の走る姿が好きだと言ってくれていた。だから恋人らしいことが出来なくても大丈夫だった。テニスにいくら負けようとも、それを引っ括めて私は白石のことが好きだったから。ただそれだけで私は立っていられた。それなのに、今は順位が狂い始めているようで頭がおかしくなりそうだった。
学校を出てから暫くしても、隣を歩く白石は一向に口を開かなかった。奴の方から話があると言ったのに、何も話さないのはどういうつもりか。別れたいなら別れると言って欲しい。さっさと刺された方が精神的に清々しい。私は隣を歩く白石に向かって冷気を纏った声色で投げかけた。
「話って何」
鋭く刺しに行けば、白石は一瞬だけ顔を強ばらせた。そして、数秒だけ口の中で言葉を転ばせば、ゆっくりと口を開いた。
「名字はもう、俺のこと嫌いになった?」
歩いていた足が止まった。白石からは聞きたくなかった言葉だった。白石は私が足を止めたことに気づくと、一歩先で足を止めた。
「最近全然話出来ひんし、むしろ他の奴と仲良さそうやし。俺と一緒におるん、嫌なんかなって。今日かて俺より男の友達優先しとった」
スラスラと出てくる棘が的確に私を突き刺してくる。好きなのに、憎い。誰のせいで私がそんな行動を起こしているのか胸に手を当てて考えたのかと胸倉を掴んで問い詰めたい。けれど、私にそんな気力はなく、蚊の鳴くような声で呟いた。
「……それを、白石が言うんやな」
奴にだけは言われたくなかった。私が不機嫌になって橋本とつるむのは、全部、全部、白石のせいなのに。
ぐっと込み上げてくる感情を躾け、口内の肉を少しだけ噛んだ。痛む鼻の奥など知らないフリをして、こう言い切った。
「確かに今は嫌い」
はっきりと吐き捨ててやると、白石は目を大きくさせて言葉を失っていた。どうしてそんな顔が出来るんだろう。傷つけられたのは私の方なのに。私も私でいつものお返しだと、ざまあないと思っているはずなのに、私の中の何かが減った気がした。
「自分のこと棚に上げて私を責めるんやもん」
「それは、」
「いっつも私がどないな気持ちであんたのこと見とると思ってんの。それに気づけへんのによう言えるな」
「名字、」
「嫌いや。白石のこと、嫌いやわ」
そう断言し、再び足を動かし始めたけれど、白石はまた私の手を掴んだ。その熱が奇妙なほど熱かったせいか、私は勢いよくその手を振りほどいた。
「このアホ!変態!絶頂野郎!私に近づくな!」
語彙力のない暴言を吐いてその場から逃げ出した。普通の女の子なら逃げきれないだろうけれど、私なら逃げ切れる。短距離のエース、舐めんな。
「はあっ……はあっ……」
ここまで来たら白石も来ないだろう。膝に手をつき、雑に呼吸を整えた。やっと本当に呼吸が出来たようで必死で酸素を求め、ゆっくりと身体を起こす。細めた目で空を見上げれば、腹立たしいほどに赤く染まり、私を射てつけていた。夢中で走ってきたせいか、周囲を見渡せば見慣れない場所が私を囲んでいる。
「……どこやねん、ここ」
計画性のない行動に眉間に皺が寄った。かいた汗が背中を伝うのを感じながら、地面のアスファルトと足がぶつかってしまいそうなほどに寸前を極めた足が歩き始める。
逃げ出した罪悪感は拭えないけれど、私は今のままではまともに会話さえ出来ないと思った。白石の顔を見れば、次から次へといろんな女の子の顔が浮かぶ。どいつもこいつも嫌いだ。私は白石が好きで、白石も私のことが好きなはずなのに。どうして皆邪魔をするんだ。私が何をしたって言うんだ。
堪えたはずの涙が零れそうになり、また口内の肉を噛んだ。痛い。物凄く痛い。白石、私達初めから合わへんかったんかな。
「……逃がさへんで」
背後から飛んだ声に、反射的に振り返ってしまった。そこには肩で息をする白石がいた。
「な、なんで……」
撒いたと思ったのに、と困惑する私を他所に白石は私の元へ大股で近づく。そして力強い手が私の手を握った。振り解こうにも解けない力が狡く思える。
「自分のこと、手放すわけないやろ」
さっきまでの弱々しさはどこへ行ったのか。芯のある瞳が私を見つめる。
白石のせいで感情は無茶苦茶だ。わざわざ私のことを追いかけてくれた喜びや、私より余裕のある顔で追いつかれた悔しさ。まだ私が不機嫌な理由を理解出来ていないくせに追いかけてきた図々しさ。全部が全部腹立つ。
「ッ、他の子と帰ったらええやん。私やなくても選び放題やろ」
一人一人の顔が思い浮かぶ。嫌でも覚えてしまった顔にこれから先、いい印象は持てないし、その内の誰かが白石と並ぶ姿は見たくない。
「それ、本気で言うてんのか」
聞き慣れない低音が地を這う。顔が地面に縫い付けられたかのように私は白石の顔を見ることが出来ない。
「……本気」
違う。本気なんかじゃない。なのに、私の口は天邪鬼。足元のアスファルトが見えなくなる。
白石は私の答えを聞くと、溜息を吐いた。その溜息は私への嫌悪感だろうと思う他無かった。
「……分かった」
何が分かったのか、なんて聞けない。粗方お別れのサインなんだろう。ぎゅっと目を閉じれば、雫がアスファルトを弾いた。
「もう他の子と話さへんから、俺と一緒におって」
白石の言葉に、顔を上げざるを得なかった。勢いよく上げた目先には、決意が現れていた。でも、私はそれを素直に喜べなくて、また頬を濡らした。
「違う……そういう極端なん嫌い……ほんま、なんで……」
別に話したっていい。絶対話すななんて守れる訳がない。私だって異性と話せないなんて不可能だ。ただ、不安だった。私じゃなくて他の子の元へ行っちゃうんじゃないかって不安だった。白石はそういう人間じゃないと信じていながら周囲への対応で恐怖は募るから、安心させてほしかった。白石にとって私は特別なんだって思わせてほしかっただけなのに。
握られていない、反対の手の甲で雑に頬を拭った。崩れた顔を隠そうにも隠しきれないでいると、白石は手に込めていた力を抜いた。さっきまでの覇気は消え失せ、情けない顔がこちらを向いた。
「……どないしたらええか、分からん」
こんな情けない顔、誰も知らへんのやろうな。そう思えば、不思議な感覚が足元から這った。
「名字のこと好きやから一緒におりたいだけやねん。俺の事だけ見とって欲しい」
ぐらり、と視界が反転するレベルで白石のことを許しそうになった。白石が私のことを好きでいてくれているのは分かっているのに、張り続けた意地をどこで破けばいいのか分からない。
「無理やわ、」
「せやったら、どないしたらええ? 俺は何をしたら自分と一緒におれるん?」
白石の懇願が嬉しい。私しか聞けない言葉に喜んでしまう。何でも完璧に出来るように見えて、好きな女に馬鹿みたいに振り回されて情けなくなるんだ。私は、そんな白石が好きで仕方がない。
「もっと、はっきりして欲しい……。私と他の子に同じ顔せんといて欲しい。他の子と仲良うしても、私だけが特別になりたい」
関係の名前だけじゃなくて、実態が欲しい。表情一つだけで良いから私だけの白石が欲しい。恋人なのに、遠く感じられる今が嫌だ。
許しに似た言葉を零せば、白石は私の手を引っ張った。そして身体を包む肌が、熱が、白石のものであるとすぐに悟った。
「堪忍な。そないな気持ちにさせてもうて」
後頭部を撫でる手が優しい。凍っていた心が簡単に溶かされる。
「ッ、ほんま頼りない……」
「すまん。もう辛い思いさせへんから」
男の声が私を宥める。ひび割れた心の隙間に入り込んでは、修復作業に取り掛かった。
白石という男は狡い。白石のことが好きなせいでこんなにも苦しいのに、好きなせいで許してしまう。酷く面倒な心が、恋が、私を簡単に狂わせてくれる。
私は彼の決意を受け取るように腕を背に回した。そして、止めどなく流れる涙を奴のシャツに染み込ませ、更に皺を作ってやった。
***
「おはようさん」
次の日の朝、玄関を出るとそこには白石がいた。当たり前のようにそこにいる白石に私は驚きを隠せず、何秒か遅れてから挨拶を返した。
「……おはよ」
「驚いたやろ」
「まあ……そりゃあ、」
してやったり、と悪戯が成功した喜びを顔に滲ませる白石は昨日の様子を少しも見せなかった。まさか迎えに来るなんて思ってもみなかったから、何となくで前髪を直したけれど、余計変になっていたらどうしようと急に緊張が走る。隣にいる白石をちらりと覗き込めば、あ、と何かを思いついた声を漏らした。
「今日からめちゃくちゃ見せつけたろ思て」
そう言って更に口角を上げて笑うと、白石は私の手を握った。まさか朝から、と目を白黒とさせて繋いだ手と白石の顔を交互に見れば、白石は少しだけ恥ずかしそうに笑っていた。
「俺の好きな子は名前だけやから」